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135 本懐

 戦局も未来も見通せぬまま、フレデリカの部屋で仮眠を取っていたハウンドは、突如響き渡った破壊音で目を覚ました。


 フレデリカにもその音が届いていたのだろう。ベッドから這い出た彼女の目の周りは赤く腫れ、憔悴と不安を隠しきれない様子で辺りを見回していた。


 ハウンドが扉を開けると、深夜とは思えない喧騒が階下から響いてきた。

 ――侵入を許したのだ。この屋敷全体に張り巡らされていたはずの結界が、いともたやすく破られていた。


 螺旋階段の下には、わずかな騎士たちと、深紅の髪をたなびかせる一人の女の姿が見えた。


 ハウンドは急いで扉を閉め、再び部屋の中に戻る。二人で逃げるには状況が悪すぎる――。

 異変を察知したシモンが現れるはずだと考えフレデリカの傍に控えていると、予測通りシモンが転移してきた。同時に、開くはずのない扉が激しく打ち破られる音が響いた。


 そこから現れたのは、先ほど目にした赤髪の女だった。黒いグローブをつけ、軍服のような服装を纏ったその姿は堂々としており、シモンを真っ直ぐ睨み据えていた。

 その背後には、一人の屈強な騎士と、この場にそぐわない幼い少年の姿があった。フレデリカと同年代に見える少年は、彼女にじっと視線を注ぎ――子どものものとは思えぬ邪悪な笑みを浮かべる。


「――お前がシモンか。ジュリアはどこだ?」


 女の力強い言葉が室内に響く。シモンは顔を歪め、「貴様がロベリアか」と応じた。その名を聞いて、ハウンドの脳裏に記憶が蘇る。

 かつて師から聞いた名前――王妃選定の儀でジュリアのライバルとされていたフォウ公国の公女。その存在を思い出すも、なぜそんな女がここにいるのかと不可解な思いが胸をよぎる。


「貴様のせいでジュリアは傷心でな。自室で休ませている。しかし……どうやってここに来た。結界があったはずだが?」

「殴ったら壊れたんだよ。ここに来たのはお前が見捨てたランヴェールの坊ちゃんからのタレコミだ。……なるほど、そいつがフレデリカか。はぁん、確かに随分と可愛らしいこって」


 公女とは思えない粗野な物言いに、ハウンドもシモンも一瞬言葉を失う。フレデリカですら、怯えた様子でハウンドの背後に隠れるように身を寄せた。

 

 ……どちらにせよ、奴らは敵だ。ハウンドは静かにクロスボウを構え、その次の動きに備えた。


「……そいつがフレデリカを守る傭兵って奴か。随分と濁った目をしてるじゃねぇか。大の大人がこんな場所に幼女を閉じ込めて、恥ずかしいとは思わねぇのか?」


 真正面から正論をぶつけられ、ハウンドは押し黙った。自然と拳が震えていることにも気づかず、ただ唇をかみしめるだけだった。


(――本当に、なんてザマだ。こんな小娘にまで馬鹿にされているのに、自分は一体何をしているのか――)


 その沈黙を切り裂いたのは、シモンの嘲笑混じりの声だった。

 

「価値あるものを適切な場所で管理するのは当然だろう。だが、愚かだな。雁首揃えてわざわざ殺されに来るとは、よほど自信があるらしい」

「お主も気付いておろう、シモンよ。お主の企みはすでに白日の下に晒されたのじゃ。負けは決まった。大人しくその娘をこちらに渡すのが賢明じゃろう」

「ハッ、本音が漏れているぞ、シシルよ? お前はただこの娘が欲しいだけだろうが」


 老練な魔導士のような口調で語る少年がシシルと呼ばれる魔導士だと気付き、ハウンドは驚きを隠せなかった。この少年が、あの醜悪な魔道具を作り出した張本人だというのか。

 とても信じられなかったが、シモンが彼を敵視する態度からして、その事実は疑いようがなさそうだった。


(どちらにせよ、こいつらの目的はフレデリカということか――)


 それであれば、敵として排除するしかない――。

 単純な結論に至り、ハウンドはロベリアの頭を狙ってクロスボウを放ったが、その矢はあっさりと弾かれた。何が起こったのか理解が及ばなかったが、ロベリアが手で矢を叩き落としたのだと気付くのに時間はかからなかった。


「嘘だろこいつ。話し合いもせずにいきなり撃ってきやがったぞ?」

「ふむ、妥当な判断だろう」


 呆れた様子で長身の騎士に語りかけるロベリアは、楽しげに口元を歪めながら「怖ぇ怖ぇ」と軽く呟いた。


「――フレデリカ。呪詠律を放つといい」


 いつものようにシモンがフレデリカに囁きかける。彼女がたった一言命じれば、この三人は確実にこの場から排除される――そのことをシモンは確信しているのだろう。

 だが、フレデリカは首を横に振った。


「……あなたが、ねえさまが言っていたロベリア?」

「なんだ、ジュリアから聞いていたのか? どんな話をしていたのか気になるとこだが、確かに俺がロベリアだ」

「わたくしたちをどうする気?」

「そっちのおっさんはブチ殺す。その傭兵は……まぁ、そいつ次第だな。お前は俺が保護してやる。お前の力には興味ねぇが、お前が死んだらジュリアが悲しむ。それは避けてぇんだよ」


 堂々とした口調で言い放つロベリアの言葉に、フレデリカは少なからず心を揺さぶられた様子だった。


(――フォウ公国であれば、フレデリカを保護できるのか?)

 

 その考えはハウンドにとって一筋の光明にも思えた。しかし、目の前の赤髪の女を信用するのは博打のようにも感じた。

 ハウンドが逡巡する中、シモンは苛立たしげに顔を歪め、フレデリカの両肩を背後から強く掴む。

 

「フレデリカ、こいつはお前の姉を苦しめた女だ。慈悲など不要だ。ただ、お前は『死』を告げれば良い」

「ジュリアを苦しめたのはお前だろうが! お前の分不相応な悲願をジュリアに託してんじゃねぇよ! あんなに苦悩してたってのに……可哀そうだとは思わねぇのか!」

「ミュゼに生まれた以上は当然の責務よ。まったく、あれだけの力を有していたにも関わらず、貴様ごときに敗れるとはな……」


 その瞬間、赤い軌跡が空間を裂くようにロベリアがシモンに詰め寄った。しかし、シモンの展開した術が素早く彼女を弾き返す。

 ロベリアは見事な受け身を取ったものの、その表情には激しい怒りが宿り、シモンを鋭く睨みつけている。「落ち着け、ロベリア」と背後の騎士が静かに声を掛けたが、彼女の耳には届いていないようだった。


「ぶち殺してやるよ、シモン……! お前の首をジュリアに捧げりゃ、あいつも喜んでくれることだろうよ!」

「ハッ、獣じみた娘だな! よかろう――フレデリカ、今こそその力を見せつけてやれ。ここでフォウの娘を葬れるとは僥倖だ。そのままサングレイスへ進撃し、国王もろとも住民を蹂躙してくれよう。あぁ、考えただけで胸が躍る……すべての首を切り落とし、城壁に並べてミュゼの再臨を世界に知らしめてやるのだ!」


 狂気に満ちたシモンの声が広間に響き渡る。肩を掴まれたフレデリカの顔は蒼白で、大きな瞳には涙が滲んでいた。

 彼女は震える唇を噛み締めながら、視線を彷徨わせたあとに――助けを求めるようにハウンドをじっと見つめた。


 ――なるほど、ようやく分かった。


 これまで何も分からずに振り回されるだけだったハウンドは、ようやく一つの解に至った。


「お前も何をぼさっとしているのだ! こやつらはフレデリカに害為すものぞ! 早く殺せ、そのためにお前はいるのだろうが!」

「――分かったよ」


 ハウンドは短く答えると、冷静な手つきでクロスボウを構えた。その動きには一切の迷いがない。

 

 確実に、速やかに狙いを定め、そして――。


 鋭い音と共に矢が空を裂き、一直線にシモンの眉間を貫いた。

 

 目を見開いたシモンは、信じられないものを見るような表情を浮かべた。口元が震え、言葉にならない声で「なにを……」と呟くように動いた。


 そのまま彼の体は、ゆっくりとのけぞりながら崩れ落ちる。フレデリカの肩から手が滑り落ち、仰向けに地面へと倒れ込むシモンの頭は、血の海に沈んでいった。


「――こいつに害為すものはお前だよ、糞野郎が」


 ハウンドが冷たく吐き捨てるも、彼の言葉が届くことはない。

 シモンの目にはすでに光がなく、その顔は無惨なまでに静かだった。

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