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134 独演

 フレデリカの能力が覚醒し、シモンは戦の準備を進めているようだった。

 しかし、ミュゼにはもはや戦える者などほとんど残されていない。同盟国である隣国ランヴェールの兵士を頼みの綱として、サングレイスへの侵攻を目論んでいたようだが、その計画はあっさりと潰えた。


 サンドリアの騎士たちがランヴェールを蹂躙したという一報は、すぐにミュゼにも届いたからだ。

 軍馬の蹄音が迫り、彼らの鼻先はもう目の前にまで近づいていた。


「……ランヴェールめ、盾としても使えぬとは。所詮は蛮族の集まりか……」


 シモンはその報告にも特に動揺を見せなかった。ミュゼの魔導士たちを全て失ったにもかかわらず、彼にはなお揺るぎない自信があるようだ。

 その余裕の裏にある理由は分からなかったが、嫌がるフレデリカとハウンドを部屋から無理やり連れ出した彼は、一瞬で監視塔の頂上へと転移した。

 


 眼下にはサンドリアの大軍が広がっていた。

 騎士たちの整然とした布陣が目を引く一方、こちら側はたった三人。しかも王自らが前線に立つという状況は、ハウンドがこれまで読んだどの兵法書にも載っていない、異例の事態といえた。

 

 サンドリア軍もこの異様な光景に戸惑っているのか、遠くからこちらを指差す兵士の姿が見える。やがて数本の矢や魔法が飛来したが、それらはシモンが展開した結界にあっさりと弾かれた。


「見ろ、有象無象がゴミのように集っておる。戦は数ではないことが分からぬようだ。……奴らには、恐怖というものを刻み込んでやる必要があろう」


 シモンがどこからともなく取り出した杖を手に、地面を軽く打ち鳴らす。直後、整然としていたサンドリア軍の隊列がみるみる崩れていった。突如として現れた魔獣が兵士たちに襲いかかったのだ。

 

 魔獣の咆哮に怯えた馬たちが暴れ、隊列は混乱の渦に包まれる。さらにシモンが杖を掲げると、次は兵士たちが自らの同胞に切りかかり、やがて同士討ちが始まった。


 完全に恐慌状態に陥った軍勢は、次第に監視塔から退却し始める。その姿を見てシモンは満足げな笑みを浮かべると、杖を大きく振りかざした。次の瞬間には地面に巨大な魔法陣が広がり、逃げ惑う兵士たちを次々と飲み込んでいった。


「……」


 これが戦争だというのなら何と虚しいことだろう。こんなものは一方的な虐殺に過ぎなかった。

 小国でありながらもミュゼが警戒されていたのはこの圧倒的な魔法の力。大国に追い詰められているはずなのに、シモンが余裕の顔を崩さなかった理由を、痛感する。


「先遣隊にしても歯ごたえが無さ過ぎるな。東の様子を見に行くか」


 逃げ惑う兵士たちを眺めながら嘲笑を浮かべるシモンは、再び別の地へと転移した。

 転送先は東の戦線。そこでは魔獣と共に、何らかの術を施された奴隷たちが獅子奮迅の戦いを繰り広げていた。

 腕を切り落とされても怯むどころか、狂気じみた執念で敵兵に立ち向かうその姿は、相手に恐怖を刻み込むには十分だった。こちらでも敵陣は完全に混乱し、統率を失っている。


「……お前ひとりでどうとでも出来るんじゃねぇかよ……」

「我が魔力が無限に続けば、な。それに王都にはそれなりの備えがある。私ひとりでは難しいのだよ」


 圧倒的な力を前にハウンドは心の中で悪態をついた。フレデリカを巻き込む必要などないではないか。この男が一人で戦争を始め、勝手に終わらせればいいものを――。

 だが、そんな思いもシモンには通じず、彼は満足げに目を細める。そして、視界の隅で戦場を憮然と眺めているフレデリカに低い声で何か囁いた。


 フレデリカはひどく怯えた様子でぎゅっと目を閉じ、しばらくして小さく呟いた。

 

「――"逃げなさい"」


 その声は戦場の喧騒にかき消されてしまいそうなほどか細かった。それにもかかわらず、不思議なことに多くの兵士と魔獣が動きを止め、反転して戦場を去り始めた。

 急な隊列の変化に後続の兵士たちが混乱し、互いにぶつかり合って倒れ込む。悲鳴と怒号が響き渡る中で戦場はますます混沌と化していった。


「……ぬるい。何故死を命じぬのだ」

「…………」


 フレデリカには、これが精一杯の抵抗だったのだろう。目に見える結果に反して彼女の肩は小刻みに震えていた。

 シモンがつまらなそうに戦場を眺める中、やがてサンドリアの軍勢は撤退を余儀なくされ、荒れ果てた戦場には死体だけが無数に残された。


「戻るぞ」


 短く命じたシモンに続き、三人は屋敷へと戻った。




 確かに、フレデリカの力があればこの世界を滅ぼすことなど造作もないだろう。呪詠律と呼ばれる魔術だけであの威力だ。もし通常の魔法や呪術を使いこなせるようになれば、どれほどの厄災を引き起こすのか――ハウンドには想像もつかなかった。


 だが、その圧倒的な力を持つ少女は、部屋に戻るとベッドの上で小さく蹲り静かに涙を流していた。震える肩を見つめるハウンドの胸には苦々しい思いが渦巻く。無能な傍観者でしかない己に、嫌悪感すら覚えた。

 

 

 守れと言われた。

 それは命だけを意味するのか。

 少女の心は、その範疇に含まれないのか――。

 ハウンドには、その答えがわからなかった。



 深夜、再び奇襲があったらしい。しかし、シモンが施していた防衛術に敵兵たちは絡め取られ、多くが命を落としたという。

 

 だが、サンドリア側もただ手をこまねくではなく、魔導士シシルの生み出した魔道具が投入され、戦場はさらなる地獄と化した。自我を失った兵士と痛みを感じぬ兵士が入り乱れ、苛烈さを増すばかりだった。

 そんな中でもフレデリカの呪詠律は敵陣を崩壊させた。シシルの魔道具が放つ効力も、彼女の力が上書きしてしまったのだ。


 しかし、フレデリカが吐く言葉はただ一つ――「"逃げなさい"」。

 

 彼女がその一言に込めた精一杯の抵抗にシモンは苛立ちを隠しもせずに、無言でフレデリカの頬を打つ。咄嗟にハウンドがその前に立ちふさがったが、シモンは少女を睨みつけ、「三度目は許さん」と冷たく言い放つだけだった。


 ――このままでは、明日にもシモンはフレデリカを連れサングレイスへ向かうだろう。いくら呪術で敵を翻弄しても、戦力差がありすぎる。この状況を打開するには、王城を一気に占領する以外に道はない――それがミュゼに残された最後の勝ち筋だった。

 

 それでも、ミュゼが完全に敗れるという未来も想像しがたかった。フレデリカが一言、敵の死を命じれば誰もそれに抗えないからだ。

 その口を塞ぐことで戦局を変えることもできるだろうが、それはハウンドが許さない。シモンがどうなろうと知ったことではないが、少なくともフレデリカをみすみす死なせるような選択肢だけは取れない。

 

 心は疲弊していったが――その思いだけは揺るがなかった。

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