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131 遺志

 部屋に残されたのは、腹から血を流し続けるブゲンと部屋の隅で震える獣たち、そしてその場に棒立ちで立ち尽くすハウンドだけだった。


「ぬぅ……」


 呻き声が聞こえた瞬間にようやく我に返ったハウンドは、慌ててブゲンの元へ駆けつける。だが、おびただしい量の血を前に、いくつもの人の死を目の当たりにしてきたハウンドは、長くは持たないと瞬時に悟った。

 

「糞がっ……! なんだってこんなことになってんだ……!」


 血だまりの中、ブゲンを抱き起こしたハウンドの声は怒りと困惑に震えていた。

 何かを言おうとしたブゲンだったが、言葉よりも先に血が口元から溢れ、苦しげに咳き込んだ。ハウンドが咄嗟に彼の顔を横に向け窒息を防ぐと、ブゲンは血の塊を吐き出し、かすれた息を漏らしながら震える手で腹に印を結び始める。


 微かな光が傷口を覆い、血の流れが止まった。応急処置のようなものだろうが、それでもブゲンの命をほんの少し延ばしただけに過ぎない。死の影が徐々に侵食していくようだった。


「……これより話すことを、忘れることは許さん」

「うるせぇ、今は治療が先だろうが! 確かどっかに治癒士が――」

「いいから聞け!」


 どこにそんな力が残っていたのか。鋭い一喝にハウンドは息を呑んだ。

 ブゲンの眼差しには決死の覚悟が宿っている。この言葉は遺言――ハウンドはそう悟り、かつて教えを叩き込まれた時のように、全身の神経を集中させて彼の言葉を待った。


「……もう間もなく、この国に住む者たちの命が多く失われる……。戦のせいではない。大公の施す禁術によるものだ」

「禁術……?」


 ハウンドの眉が険しく歪む。魔術の話が出ると反射的に理解を拒もうとする脳を、彼は無理やり押さえ込んだ。


「数多の命を代償に……お嬢様は膨大な魔力をその身に宿すことになる。だが……今のお嬢様にそれを御することはできぬのだ。だから少なくとも十年の間、お前にはお嬢様をお傍で守ってほしい」

「あの男はこの国の主なんだろう……! 自国の民の命をその禁術とやらの犠牲にするつもりだというのか!?」

「そうだ。そうするだけの価値がお嬢様にはあるのだ……。……誰にも話しておらぬが、私は遠視の術を使える。未来を視る力だ。もっとも……お前の未来だけは、その体質ゆえか何も視えなかったがな」


 虚ろな目をしながらもブゲンはさも楽し気に笑っている。未来が見えるはずの彼にとって、未来の見えない存在――ハウンドは、特別な存在だったのかもしれない。


「面白いものでな……この国の魔導士たちは全員、未来が同じ日で途絶えていたのだよ。例外なく、すべてだ。それが何を意味するのか当時は分からなかったが、無魔力者はその限りではなかった。戦に巻き込まれて命を落とす者もいれば、十年後もこの地で畑を耕している者もいた」

「つまり……魔力を持つ奴だけが、死ぬということか? その日はいつなんだ?」

「もう少し先の話だった……。だが、今朝ソニアを視た時、まだ続くはずの未来が一切見えなかった。恐らくジュリアが王妃選定の儀で敗れたことが原因だろうが……今日、この後に大公は禁術を発動するつもりなのだろう。ジュリアが失敗した以上、大公にはそれしか道が残されていないからな……」


 言葉を止めたブゲンの体に、不意に仄暗い紫の光がまとわりついた。彼は「始まったか」と諦観を込めて呟く。

 

 紫の光はブゲンの体内に吸い込まれるようにして消えたかと思うと、今度はシャボン玉のように淡い光が彼の体から溢れ出した。その光景を前に、ブゲンの意識が急速に遠のいていくのが見て取れた。


「……体内の魔力をマナに変え、それをすべてお嬢様に流し込む、か。……なんとおぞましく、これほどまでに甘美な誘いがあろうとはな……」


 その言葉の意味を理解するまでに数瞬を要したが、ようやく悟った――当然、ブゲン自身もその術の対象となっているという事実を。

 これまでハウンドが出会ったこの地の人々のほとんどが魔力を持つ者だった。無魔力者は奴隷を除けばごく少数でしかない。つまり、この術が発動すれば――。


「おい……! 本当に死ぬのか?! そのわけの分からん術のせいで、お前も、ソニアも、他の連中も……!」

「そうだ……いや、死ぬというのは語弊があるな……。我らの魔力はお嬢様の力として昇華されるのだ。……私としてはそれでも構わない。むしろ名誉とすら言えるだろう。だが……お嬢様自身がそれを望むはずもない。あの御方の心を守れなかったことだけが、唯一の無念だ……」


 光がますますブゲンの体から溢れ出し、ハウンドはそれを手のひらで押し留めようとしたが、何の意味もなさなかった。光が放出されるごとに焦りがその身を焼き尽くすようで、ただ、叫ぶしかなかった。


「勝手に俺を生かしておいて勝手に死ぬんじゃねぇよ……! スイガはどうすんだ! あいつだけ残されちまうじゃねぇか!」

「スイガならば大丈夫だ。あの子は十年後には笑っていた……。お嬢様とは別の魂とともに……」

「別の魂……? なんだそれは、どういう意味だ……!?」

「さぁな、私にもよく分からんのだよ……。ただ、お前は守ればいい。お嬢様を……そして、異界から来る娘御を……」


 ブゲンの声が徐々にかすれ、彼の姿は薄れていく。それでも、彼は穏やかな笑みを浮かべ、最後にこう告げた。


「お嬢様は教会にいるだろう……。少なくとも十年の間、お嬢様を守ってくれ……。そうしたらお嬢様も解放されるはずだ。……私はそのために、お前の命を貰ったのだから――」


 彼は静かに天を仰ぎ、縋るように手を掲げる。そして何かを言い残したが、その言葉はハウンドの耳に届くことなく、ブゲンの姿は最後の光と共に完全に消え去った。


 残されたのは、彼がまとっていたローブと、いつも身に着けていた籠手だけだった。


 ハウンドは籠手を拾い上げ、呆然とその場に座り込む。

 どれくらいそうしていたか分からないが、屋敷内から悲鳴が上がり始め、何度となく耳を掠めた。

 師と言えた男が最期に自分に託した言葉――それは、お嬢様を守れという遺言だ。


 ゆっくりとハウンドは立ち上がり、怯える獣たちだけが残る部屋を後にする。

 その足取りには、師の遺志を継ぐ決意が刻まれていた。

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