013 旅路の歌
目を覚ますと、いつもとは違う風景に戸惑いつつも、すぐにお世話になっている兵舎の中だと気が付いた。
……私、気を失ってたの?
そっと上半身を起こしてみる。どこも怪我はしていないようだ。強いて言えば喉のあたりにちょっと違和感はあるけれど、痛みを感じるほどでは無かった。
窓の外は夕焼けが広がっている。どれくらい寝ていたんだろう。デュオさんがここまで運んでくれたのだろうか。そうだ、デュオさんはどうしてるんだろう?
起き上がってすぐに隣の部屋をノックしてみたけれど、返事はなかった。
「リカ様、お目覚めですか」
階下へ向かうと、待機中の兵士さんが私に気付いて声をかけてくれた。デュオさんの姿は見当たらない。私が彼を探していると察したのだろう、「デュオ様は森へ荷物を取りに行っています」と、尋ねる前に教えてくれた。
「魔獣に襲われたと聞きました。ご無事で何よりです」
「私は特に問題ないんですが……。デュオさんは、大丈夫そうでしたか?」
「ええ、怪我はされていないようでした。貴女を背負って戻られたときはこちらも肝が冷えましたよ」
ああ、やっぱり……もしかしたらと思ったけれど、森からおんぶしてもらったんだ……。しかも置いてきた荷物まで取りに行かせてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「怖い思いをしたでしょう。無理はしないで、休んでいてください」
そう優しく気遣ってくれることは嬉しいのだけれど、今まで寝ていたおかげか疲れはほとんど残ってない。それに、確かに怖い思いはしたものの、それ以上に、不思議な体験をしたという気持ちの方が強かった。
待っている間どうしようかな。考えてるうちに、やりたいことがあったことを思い出した。
「――あ、そうだ。キッチン借りてもいいですか? ちょっと作りたいものがあって」
「作りたいもの、ですか? 夕飯の準備は済んでいるので大丈夫ですよ。材料もあるものは自由に使ってください」
案内されたキッチンの中は、いい匂いが漂っていてお腹がぐぅと鳴った。そういえば朝ごはんの後は森でモアナの実をかじったくらいだっけ……。カバンの中から飴を取り出して、空腹を紛らわすために一つ口に放り込む。蜂蜜味、うん、美味しい。
あの熊さんにもこの飴玉を差し出そうとしたんだよね……。今思えば、あの状況で飴玉を渡すなんて、我ながら意味不明な行動だった。人はパニックになると何をするか分からないというけれど、まさにその典型だった。……でもなんとなく、あの熊はフレデリカには手を出さないような気がしたんだよね。
キッチンの中を見渡してみると、調理器具や食材が棚やテーブルに置かれていた。さてさて、レシピなんて確認できないのにうまく作れるかな。お菓子作りなんてチャンネル企画でたまにやるくらいだったから、正直あんまり自信はない。でも、誰に期待されているわけでもないし、思い付きだから失敗してもいいか。
コンロの上には大きな寸胴鍋が置かれている。良い匂いの元であるこれが私たちの夕飯になるんだろう。小鍋やフライパンが並べられている棚からボウルを見つけて、作業台の上に道具を揃えていった。
『あの日、俺、誕生日で非番だったんだぜ?』
昨夜、兵士さんの一人がそう話していたのを思い出す。それは可哀そうだなって思ったので、彼が美味しいと言っていた果物を見つけたときに、お世話になったお礼としてパンケーキでも作ろうかなと思ったのだ。ちゃんとしたケーキは無理。生クリームが存在するかも分からないし、あったとしても泡立てらんない。でもパンケーキなら、昔大好きだった絵本のおかげで工程はだいたい分かるからなんとかなるはずだ。……そういえばあれもモチーフは熊さんだったっけ。
「材料は何があるのかな~」
日本のキッチンとは勝手が違うから慣れないながらも、あちこちの棚を開けてみたり、コンテナの中を確認する。冷蔵庫はないみたいで、ひんやりとした小部屋には無造作にボトルや麻袋が置かれていた。
毒になるようなものはさすがにないはずだよね。ちょっぴり手のひらに出してみて、ぺろりと舐めてみる。うん、小麦粉っぽい。残念ながら砂糖はないみたいだ。貴重品なのかたまたまなのか。この世界の食材事情はまだ良く分からないから、そのうち勉強しないといけないだろう。
「砂糖の代わりになるかな……?」
飴玉と水を小鍋に入れて、弱火にかける。その間にモアナの実の皮を剥いて、小さな角切りに刻んでいく。真ん中の大きな種は見た目通り硬くて取り除くのに苦労した。
「――あれ?」
鮮やかな黄色の果肉から取り出した種が、驚くほどマナを含んでいるのに気づいた。実の方は全然だったのに……。え、これ、結構良いんじゃない? 種にこびりついた果実を水できれいに洗い落として、その種を鞄にしまい込む。
この種は、後で魔晶石を作るために使ってみよう。今はまず目の前のパンケーキ作りに集中しないと。ホットケーキミックスがあれば膨らし粉なんかいらないのに……膨らまないのは仕方ないか。
小麦粉、飴を溶かしたシロップ、水、それに卵をボウルに入れて、モアナの実も加えてみる。木べらでゆっくりと混ぜてみるけど、本当にちゃんとできるのかな? という疑問が常に頭につき纏いながらも、それでも美味しそうな匂いが漂ってきたから少し安心。もし失敗しても自分のお腹に入れてなかったことにすればいいや。
一人で黙々と作業しているせいか訝しんだ兵士さんたちが何人かキッチンを覗きにきたけど、「ないしょ!」と笑って追い返した。もうすぐ夕飯の時間だろうし、どうせなら秘密にしておきたい。
最後の難関、パンケーキを焼く工程も無事に終わり、焦げることなくきれいに焼けた。あとは残ったモアナの実をトッピングして、溶かしたシロップをかけるだけ。
「リカ様、そろそろ配膳の準備をしてもいいですか?」
「あああ! ごめんなさい、もう終わりました! あ、ロウソクってないですかね? ちょっと細めの、小さいやつ」
「蠟燭は……このサイズが一番小さいですね」
渡されたロウソクは十分に大きいけど、細いロウソクなんて日常じゃあんまり使わないか。これで大丈夫です、と受け取っていったん鞄にしまい込む。焼き上がったパンケーキは、先ほど見つけたひんやりした食糧庫にそっと置いておいた。
「美味しそうでしたね、デザートに?」
「そんな感じです。あの兵士さん……この間誕生日だったって言ってた方って、お名前なんですか?」
「ああ、彼はカイザーです。……なるほど、彼のために?」
「えへへ……みんなの分もあるので、良ければ一緒にお祝いしてくれませんか? あ、夕飯のお手伝いしますね! 今夜は何人ですか?」
お客様にそんなことをさせるわけには……と渋る彼の背中を軽く押して、スプーンやお皿を手際よく並べていく。
お名前なんですか? ここは長いんですか? 魔獣と戦うこともあるんですか?
お手伝いをしながら私は次々と質問を投げかけた。苦笑しながらも、彼……ケニーさんは丁寧に答えてくれる。どうやら料理が好きで、食事係を率先して担当することが多いみたいだ。
「料理人になろうとは思わなかったんですか?」
「店を構えるにはお金が必要で……。雇われるにしても、店舗がそんなにないですからね」
そうなんだ、こんなところでも雇用のミスマッチがあるのか。「兵士の仕事も充実してますよ」と、ケニーさんは慌てて言ってはいたものの、きっと本心ではもっと料理をしたいんだろう。
「リカ嬢! もう大丈夫なのかい?」
スプーンを並べ終えたところで籠を抱えたデュオさんが戻ってきた。たくさん心配をかけたのだろう。彼は急いで駆け寄ってきて、怪我をしていないか、私の全身をくまなく確認していた。
「デュオさんこそ! 本当にありがとうございました。私も荷物も運んでくれて」
「これくらいしか出来ないからね。護衛のくせに情けないところを見せてしまった。むしろ、僕の方こそ助けてくれてありがとう」
「いえいえ、私は本当に何もしていないですから……!」
あの出来事についてここで深く触れるのはまずい。とりあえず両手を振って誤魔化しつつ、「さあさあ、ご飯ですよ!」と外で警邏中の人たちにも声をかけた。
昨日と同じようにみんなで食事を囲んで、「いただきます」と両手を合わせる。顔ぶれは少し変わっていたけれど、今日の主役になるカイザーさんもちゃんと座っている。一緒にご飯の支度をしたケニーさんがニコニコとこちらを見ている。まだ駄目です、と目でしっかりと釘を刺しておいた。
話題は、自然と今日の森での出来事になる。銀毛の熊なんて誰も見たことがなかったようで、「そんなのがいたんですか!?」と、驚きの声が上がった。
「入口の大木に爪痕があったのは知っているかい? あれが、そいつの仕業だと思うよ」
デュオさんが補足すると、「ああ、あの爪痕……」と、みんな何か思い当たる節があるようだった。
「普段は出てこないんだね?」
「あの森には猪や鹿に似た中型の魔獣が多いんですよ。熊なんて個体は初めて聞きますね」
「しかも、二体もいたんですよね? いや、本当に、よくご無事で……」
「まあ、隙をついて逃げただけさ。追ってくる気配もなかったから、縄張りを外れれば危険はないんじゃないかな」
意味深にウインクをしてくるデュオさん。彼が外見や特徴を簡単に説明すると、皆は険しい顔をして、あの森の警戒をしばらく強化しようと話し合っていた。
「ハウンド様にはこちらから報告しておきますね」
「あ、大丈夫です。私から直接説明しますよ」
私たちが危ない目にあったと知れれば「二度と屋敷から出るな」と言われかねないけれど……フレデリカの能力が発現したことも含めて相談した方が良いだろう。あのモアナの実の生息地についても聞いておきたいし、直接話すのがベストだ。
そうして食事も一段落ついて、そろそろ解散かなという雰囲気になった時。立ち上がろうとするカイザーさんを「ちょっと待てよ」とケニーさんが引き止めてくれた。その間にキッチンからケーキを持ってきて、「部屋、暗くしてくださーい」と言うと、ぱっと明かりが消える。
「はっぴばーすでーとぅーゆー♪」
お決まりの誕生日の歌を歌いながら、落とさないようにテーブルへと運ぶ。ロウソクの火が揺れる中、困惑した空気が伝わってきた。あれ、こっちの世界には誕生日を祝う文化がないのかな? まぁいいや、ごり押しだ。
「ディア、カイザーさ~ん♪」と言いながら、カイザーさんの席の前にパンケーキを置いた。「お誕生日おめでとうございます!」と拍手をすると、周りのみんなも意図に気付いたようで、ぱちぱちと拍手が続いた。肝心のカイザーさんはと言えば――ぽかんと口を開けて、ただ呆然としていた。
「モアナの実で作ったパンケーキです。たぶん、きっと、美味しいと思います。さぁ、ロウソクを吹いて消してください」
戸惑うカイザーさんに促すと、彼は息をふっと吹きかけ、火が消えると同時に一段と大きな拍手が響き渡った。明かりが灯り、カイザーさんはパンケーキと私、そして周りの仲間たちの顔を何度も見比べている。
「おい、リカ様の手作りだぞ。早く食べてみろって」
「あ、ああ……」
言われるがままにカイザーさんがパンケーキを一口頬張る。味見もしたし、材料的にまずくはならないはずだけど……どうだろう? 心配しながら反応を待っていると、カイザーさんはぽろぽろと涙をこぼしながら、「うめぇなぁ」と呟いた。泣かれてしまうとは予想外で少し慌ててしまう。
「ほ、ほんと? 美味しいです?」
「ええ、ええ……誕生日を誰かに祝われるなんて、ここ十年は無かったんです。ありがとうございます」
「良かったぁ! あ、まだたくさんあるので、皆さんもぜひどうぞ!」
余計なお節介だったかな……むしろ気を遣わせちゃったかも。でも、みんなの笑顔を見て、やっぱり良かったと思えた。キッチンから運んできたパンケーキを、他のみんなも「うまい、うまい」と口にしているから、部屋を借りたお礼にもなったみたい。
「デュオさんも、どうですか? お口にあいます?」
「とっても美味しいよ。なんだか、疲れが吹き飛んだみたいだ」
デュオさんもそう笑顔を見せてくれたから、私も素直に喜ぶことにした。
ケニーさんが「特別だ」と食糧庫からワインを持ってきたものだから、もうみんなは大はしゃぎ。さっきの「ハッピーバースデー」の歌は、当然ながらこの世界では馴染みがないらしい。それでも、今度は誰かの誕生日になったらあの歌を歌おう、教えてください、なんてみんな盛り上がっていた。言葉の意味は分からなくても、歌って不思議だよね。心をつなぐ力がある。だから私は『歌ってみた』を配信するのが好きだった。
「この辺では誕生日のお祝いの歌とかないんですか?」
「ここいらだと旅路の歌ですかね。『さぁ、その足で~』で始まる、あれです」
ケニーさんが一節歌ってくれて、ああ、と気づいた。過去に一度だけ見た、フレデリカの動画で聞いた歌だ。
――……さぁ、その足で、道を歩みなさい
わたしは、空の彼方で、風の翼を広げましょう
向かいなさい、光の先へ、果てなき未来へ続くように
願いなさい、叶えなさい、百万の夢を、希望の夢を
帰りなさい、その手で、暖かな胸に、懐かしい地へ
あの時彼女が歌っていた曲の正体が、日本から遠く離れたこの地で判明したことに感動する。そしてその牧歌的なメロディーにも心を打たれ、私は何度か繰り返し教えてもらいながら一緒に歌った。なんていい歌なんだろう。あの時は歌詞も分からなかったけれど、まるで心が洗われるような気持ちになるし、歌っていると自然と涙がこぼれそうになる。
すると、誰かがギターのような楽器を持ってきて伴奏をつけてくれる。それに合わせて私もまた歌った。家族を想い出したと言って泣く人や、何度もアンコールをせがむ人もいた。
昨日よりもみんなとの距離がぐっと近づいたような、そんな気がする夜だ。
楽しい宴は、日をまたいでもまだ続いていった。