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気が付けば、この世界に来てから丸一年が経っていて――。
柔らかな春の陽気に包まれたお昼時、私は薔薇の庭園でぼんやりと噴水を眺めていた。
「ん~、良い天気」
思い切り伸びをして、ベンチの背もたれに寄りかかる。最近はいつも誰かと一緒だったから、こうして一人でのんびり過ごす時間が久しぶりでなんだか新鮮な気分だ。
紙袋からサンドイッチを取り出して、大きな口で齧り付く。噛むたびに、ほんのり甘い小麦の香りが鼻をくすぐった。
鎮魂祭が終わり、一息ついたタイミングで、私はこのフォウローザの領主の座に就くことになった。ロベリア様の計らいで独立領として認められた形だ。
国を興すつもりも統治するつもりも最初は全く無かったけれど、周辺諸国の干渉を受けずに済む今の体制は、思いのほか私に合っていた。国同士のしがらみを気にせずに外交や商売を進められるのは、とてもやりやすかったのだ。
「――んじゃ、俺の部屋は残しておいてくれよ?」
「図々しいんですのよ、あなた……」
領主を退いたロベリア様は、フォウ公国に戻るかと思いきやジュリアと一緒に大陸漫遊の旅に出るという。ずっと眠り続けていたジュリアに、世界の広さを教えてあげたいんだそうだ。
「開発はどこでもできるからな。待ってろよ。完成したらエコーシリーズで遊べるゲームを作ってやるからよ!」
ジュリアを取り戻した今、ロベリア様を止められる人なんてもうどこにもいないのだろう。唯我独尊な彼女らしく世界情勢など全く気にも留めずに、次の情熱をゲーム制作に注ぎ込んでいる姿が目に浮かぶようだった。
「レオナルド、あなたも来てくださるのね?」
「……目を離すわけにはいかないだろう」
「お前、さりげにジュリアの顔も好きだろ……」
レオさんも二人の護衛として旅に同行するらしい。昔馴染みゆえの信頼感だろうか。三人の間には絶妙なバランスがあり、互いを補い合うような不思議な関係性が垣間見える。
この先、彼らの旅がどのような結末を迎えるのかは想像もつかない。けれども、きっと賑やかで愉快な日々が待っているに違いなかった。
微かに耳に届く楽しそうな声は、養護院からだろうか。今ごろ外で遊んでいる時間なのかもしれない。
名を与えられた子どもたちは、シアさんやケニーさんを始めとする職員たちの温かな庇護のもとで、日々健やかに成長している。ソルたち大人組は商業区を拠点にサントスさんらの仕事を請け負いながら、子どもたちにも簡単な作業を任せているようで、地域全体が彼らの成長を支えてくれていた。
教会跡地に新しく建てた学校も、いよいよ開校が間近に迫っている。常勤講師としてマーカスさんを雇い入れ、さらに子どもたちが多様な分野で活躍できるよう、非常勤講師としてリリーさん、セレス、メイソンさんら配信者にも協力をお願いした。
「まさかこのような職位を用意していただけるとは思いもしませんでした。ご期待に沿えるよう、全力を尽くします」
「マナーや審美眼は、決して貴族だけが必要とするものではありませんわ。幼いころから鍛えておけば、必ず将来の役に立ちますことよ」
「切った張ったばかりが冒険者じゃないんだよね~。採取技術やフィールドワークは、今を生き抜くのに必要不可欠なスキルだから、学んでおいて損はないよ」
「商品の価値を知ることもまた重要です。価値を知らなければ買い叩かれるだけですからね。しかし、ここでの授業内容を他国へ配信で公開するとは……これは長期的な投資を見据えた戦略ですね」
配信者たちも次代を担う子どもたちの育成に意欲を見せてくれている。とはいえ、これだけでは人手が足りない。常勤講師のさらなる確保も急務だろう。私自身も時々教壇に立つ予定だ。
将来、この世界で『配信者』という職業が憧れの的となるかどうか――それは私たちの手にかかっているだろう。
中央区の区画整理も順調に進んでいる。現在の商業区では需要をまかないきれなくなり、新たな区画の整備が必要となっていた。
人が集まれば店が増え、店が増えればさらに人が集まる。そんな好循環の波に乗り、最初にこの地に商会を構えたアレクセイさんも、新区画での二店舗目の出店を計画中だ。
その計画の中心にいるのは、デュオさん。忙しそうに駆け回る姿は見ているだけで活力を感じるほどで、彼自身も充実感に満ちているようだった。
「外交は任せてほしいとは言ったけれども、こんなにも招待状が届くのも厄介だな……」
「任せっきりですみません。でも正直言って私には荷が重くて」
「参加するのは構わないんだ。君を表に出さないために僕らがいるんだから」
もうじき奴隷としての任期を終えるデュオさんは、今や社交界でも注目の的だ。優れた容姿と高い魔力を持つ彼に婿入りを望む家門は後を絶たないと聞く。私に届く招待状の中にも、代理として彼の参加を目論んだものが数多く含まれていた。
――以前、一度だけ彼に言ったことがある。「良い縁談があったら、遠慮なく受けてほしい」と。彼の人生を縛るつもりはないし、心から彼の幸せを願ってのことだった。
それなのに――デュオさんの悲しげな表情を見たとき、私の言葉がどれほど無神経なものだったかを思い知った。
「君の心が僕にないことは分かってるよ。でもね、こうして一緒にいられるだけで、僕はいま幸せなんだ。……それに君だって、僕のことをそんな簡単に手放していいのかな? 自分で言うのもなんだけれども、僕は優秀だろう?」
その言葉に何も言い返せなかった。事実、彼がいなくなれば配信ギルドも領政も立ち行かなくなるのは目に見えている。それでも彼を思って言ったつもりだったのに、どうやら私の考えは浅はかにもほどがあったようだ。
「余計なことは考えなくていいんだよ。僕が好きでやっていることなんだから。ただ、そうだなぁ……。たまにデートでもしてくれれば、今はそれで満足かな」
彼がそう言ってウインクを返してくると、私にはそれ以上どうすることも出来ない。本人が納得しているのならいいかと、彼の好意に甘えることにした。
魔塔はその権威をさらに確立し続けている。シシル様が表舞台に姿を現し、圧倒的な技術力と魔力を見せつけたことで依頼は途切れることがないという。だが、全てを受けるわけではなく、興味のあるものだけを選んで対応するという方針を貫けるのは、豊富な財力と彼の卓越した能力があってこそだろう。
「……あれ? シシル様、眼鏡を外されたんですか?」
いつもトレードマークのようにかけていた大きな丸眼鏡。その姿がなかったのは先日の研究中のことだ。代わりに、いつもより薄い金色の瞳が燦然と輝いていた。
「ひょっとして……魔力も少し減りましたか?」
「逆じゃ、馬鹿者。お主のそばにおったからか、エルフの特徴である金色の印が出始めた。もうあの魔道具は不要になったのじゃ」
「んん……? つまりどういうことですか?」
「所詮私はハーフエルフじゃ。純血のエルフに比べれば魔力量などたかが知れておる。だが、この大陸ではエルフの象徴とされる金色の瞳が言い伝えられておってな。侮られぬよう、魔道具で目の色を誤魔化しておったんじゃよ」
その言葉に、ハーフエルフとしての彼の苦労を初めて知った気がした。マーカスさんも紫の瞳を隠すために魔道具を使っていたけど、シシル様も同じような配慮をしていたなんて――全く気がつかなかった。
「師匠は結構見栄っ張りなんですよ。僕も本来の瞳の色は一度も見たことがありませんしね。……でも、百を超えても成長期っていうのがエルフらしいですね」
「いや、頭打ちだったはずなんじゃがなぁ。魔力が漏れ出過ぎなのじゃよ、この娘は」
「ライブ配信も毎回絶好調ですからね! あのペンライト、注文が殺到しているんですよ。魔晶石の端材で作れるので、見習いの練習作品としても大活躍中です!」
「ペンラ振ってもらえるとこっちもテンション上がるからねー。他のアイドル系配信者も増えてきたし、需要はさらに伸びるんじゃないかな?」
「それでも僕はリカちぃ一筋ですけどね!」
トーマ君は目を輝かせながら熱弁を奮う。今、彼には携帯型エコーストーンの量産に向けた改良を進めてもらっていた。これが大陸全土に流通すれば、通信インフラが格段に発展し、マナをポイントに変換する技術で経済もさらに回るようになるだろう。
エコーシリーズの名はすでに大陸全土に広まり、開発者であるトーマ君も「魔道具師シシル様の一番弟子」としてすっかり知られる存在となっていた。
「エコーシリーズばっかりやらせてごめんね。トーマ君も、もし他にやりたい仕事があったら――」
「あるわけないじゃないですか! 僕が頑張れば頑張った分だけリカちぃが輝くんですから。こんな面白い仕事、誰にも渡すつもりはありませんよ?」
「そやつから今の仕事を取り上げたら死ぬかもしれんぞ。滅多なことを言うでない」
シシル様が肩をすくめる。その言葉に苦笑しつつも、これが彼の天職だと言うのならば、今後も無理のない範囲でお願いし続けよう。
お屋敷を出て買い物や視察に行くときは、人目に触れぬよう姿を変えている。その隣には、同じように目くらましで存在感を薄くしたスイガ君の姿がいつもあった。
「今日はどちらまで行かれるのですか?」
「またパノマさんに変なストーカーがついちゃったみたいでね。防犯グッズをいくつか渡そうと思ってるの。細工師さんかと思ったけど、今回は別の人みたい」
舗装された坂道を下ると、小麦畑が広がる景色が目に飛び込んでくる。蒔かれた種は順調に育ち、今年も豊作が期待されているという。マナが満ち溢れているおかげだろうし、最近はエコースポットから私の歌を畑に流しているそうだ。成長を促すだけでなく魔獣避けとしても効果を発揮していると聞き、なんだか複雑な気分だった。
「奴はあれから真面目に働いて独立したと聞いていますが……また別のがついたんですね。配信者として姿をさらす以上こうした問題は避けられないのでしょうが、困ったものです」
スイガ君は憂い顔を浮かべながらも、以前に比べて表情が豊かになっている。それでも、メイドさんたちから見ればまだまだ無表情に映るらしいけれど、彼が年相応の姿を少しずつ取り戻しているのが私は嬉しかった。
「他の配信者たちを守る方法も考えないといけないねぇ。魔道具で変身させたところで、本業もあるし難しいなぁ……」
「お嬢様自身も、です。最近またおかしな手紙が増えていますよね」
「私は大丈夫だよ。だってスイガ君がずっと守ってくれるんだから。それに、そんな手紙は流し見するくらいで十分。気にしすぎると身がもたないよ?」
妄想じみた内容に振り回されるのは時間の無駄だ。スルー耐性を強化しないとダメだよ~なんて軽い調子で伝えようとしたその時、スイガ君が急に足を止めた。顔が真っ赤になり、首筋まで染まっている。
「スイガ君? どうしたの?」
「……お嬢様はずるいです。あんまり私を弄ばないでください」
「弄ぶ……!? え、ええ? そんなことした? 私が何かしたの!?」
私の問いに答えることなく、スイガ君はついと前を歩き出してしまう。慌てて追いかけてるうちに、どこか肩の力が抜けた笑いがこみ上げてきた。彼のこんな姿を見るのも、悪くないかもしれない。
最近の出来事を思い返しているうちに、いつの間にかベンチでうとうと眠ってしまったらしい。背後から私を覆うように影が現れ、見上げると、ハウンドが呆れた顔で立っていた。
「……あれ? もう休憩時間終わり?」
「三十分前にな。まぁ別に構わんが、こんなところで寝てるなんざ珍しいな」
叱られるかと思ったけれど、ハウンドは何も言わず私の隣に腰を下ろし、紙袋の中に手を伸ばした。まだ手を付けていなかったサンドイッチを見つけると、遠慮なく大きな口の中に放り込んでいる。
「ごめんごめん、最近ちょっと夜更かし気味で」
「なんだ、立て込んでんのか?」
「ちゃんとしたライブイベントをやりたいなーって。会場とか内容とか考えてたら、ついね」
サンドイッチを頬張っていたハウンドが片眉を上げる。
「……配信者ってのは、そんな表舞台でも何かやるもんなのか?」
「配信者やスタイルによるかな。私はほら、歌が多いし。そういう要望も多いんだよね」
シモンとの戦いのラストで披露したリカちぃのテーマソング。あの瞬間は私にとってもリスナーにとっても特別だったみたいで、サングレイスの音楽ホールで生の歌を聴きたい、というコメントがいまだに寄せられる。
配信では味わえない、リアルイベントならではの一体感は私自身も経験してみたい。蜜柑だった頃にはできなかった新しい挑戦としても、次の目標に掲げたかった。
「……まぁ、ちゃんと計画立ててやるなら構わねぇが、無理しすぎて倒れんなよ。それに、こんなところで寝てるんじゃねぇよ。寝てる間に何かあったらどうすんだ?」
「寝るつもりはなかったんだってば。……そういうハウンドは最近はちゃんと寝てるの? 隈は無さそうだけれど……」
「今は落ち着いてるからな。それより、俺の睡眠を気にする前に自分の無防備さをどうにかしろ」
「……ありがとうね。これからも見張っててくれると助かるよ」
彼の言葉に、小さく笑ってしまう。私のことを気遣うハウンドらしい口調だ。彼は深いため息をつきながらも、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「しかしお前は俺の睡眠事情ばかり気にするな。なんか理由でもあるのか?」
「え、知らないの? 人はね、短時間睡眠ばかり繰り返してると、死ぬんだよ」
「…………」
私の大好きなイラストレーターや漫画家さんが、睡眠不足が原因で体調を崩したり、最悪の知らせを目にしたことは何度もあった。ハウンドもデスクワークが多いし、ストレスだって少なくないはずだ。だからこそ、つい彼の睡眠状況が気になってしまっていたのだ。
「栄養剤の飲みすぎもダメだからね。……ハウンドには、長生きしてもらわないと困るんだから」
「……そーかよ。それならお前もちゃんと寝ろ。午後の仕事は、多少遅れても構わんから」
そう言いながら、自分の肩をぽんぽんと叩く仕草を見せる。……なんだかおかしいけれど、少し優しい気分になる。
眠気が抜けきれなかった私は、そのお言葉に甘えて彼の肩に頭を預けた。硬くて、ごつごつしていて、寝心地がいいとは言えない。でも、その温もりは、どこか心地よかった。
「あったかいねー」
「そーだな」
「これは眠くなっちゃうねぇ……」
「……そーだな」
彼の言葉が少しだけ間延びしている。ちらりと横顔を見ると、欠伸を噛み殺しているのが分かった。……なんだ、ハウンドも眠いんだ。そうだよね、全力で駆け抜けてきたもんね。今日くらいは、一緒に少しだけ休んでもいいよね。
寄り添うように瞼を閉じる。ぼんやりと頭に浮かぶのは、今日の午後にやるべきこと。起きたら仕事を終わらせて、夜には収録もしなくっちゃ。カリオス様のお子さんの誕生祝いも手配しないといけないし、ロベリア様にもゲームのフィードバックを送って、それで――……。
心地よい微睡の中で意識が途切れようとしたその時、大きな手が私の前髪を優しくかき上げて、額に柔らかな感触が落ちてきた。驚いてぱちりと目を開くと、至近距離にいたハウンドと視線がぶつかった。
「なんだ、まだ起きてたのか」
そう嘯く彼に、私は何も言えなくてただあうあうと口を開くだけ。そのまま頬に手を添えられたと思ったら――今度は唇が重なった。
少しかさついた薄い唇の中にくぐもった声が漏れていく。ぞくぞくと痺れるような、甘くて蕩けそうな心地よさに流されるがままにその行為を受け入れていると、ハウンドの顔が不意に離れて、獰猛な獣のような瞳で捉えられた。
「……そんな隙が多いんじゃ、喰っちまうぞ」
想像もしなかった彼の一面に心臓が大きく高鳴って、顔を中心に全身へと熱が広がっていく。薄っすらと笑うハウンドの顔を直視することも出来ずに私は――ただ一言、叫んでいた。
「"この気持ちは消えてってば!"」
「あ、てめぇ、この阿呆が!」
――自分の声を耳にした途端、私の中に渦巻いていた何かの気持ちは、綺麗さっぱり消えていた。隣には何やら項垂れているハウンド。覗き込めば、恨めしそうな顔で睨み上げられた。
「……何してんのハウンド」
「本当にお前って奴は……。まぁいい、どうせすぐにまた思い出すだろ」
そう不貞腐れたように呟いて、深い溜息を吐いたハウンドは腕を組んでベンチに寄り掛かった。何か話をしていた気もするけれどもその内容は思い出せない。……あ、眠いねって話をしてたんだっけ。このままここで眠るつもりなのかハウンドは眉間に皺を寄せたまま目を閉じたので、私も眠気を思い出してふわ、と欠伸を一つした。
隣から、規則正しい寝息が聞こえてきた。驚いてそっと目を開けると、いつのまにやら彼はもう眠りに落ちていた。普段の険しい表情が和らぎ、春の日差しを浴びる彼の横顔は、どこか穏やかだ。
ぽかぽかとした陽気には逆らえず、私も彼に寄り添うように目を閉じた。
これにて本編は完結となります。
ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました……!
次話からは番外編という名の各キャラの過去編が続きます。
詳細は活動報告に載せておきますね。