120 鎮魂祭
足元の土は夜露でしっとりと冷たく、舞台へ続く道を歩むたびに、周囲の注目が集まってくるのがわかる。その視線には期待と不安が入り交じり、重い空気が胸にのしかかるようだった。
舞台の上に足を踏み入れると、ざわついていた人々の声が徐々に収まっていった。辺りは静寂に包まれ、息をのむ気配さえ感じられた。
「……お待たせしました。これより、鎮魂祭を開始します」
私の静かな声が夜風に乗り、会場全体に響き渡った。その言葉を受け、歓声を上げる人はいない。祈るように手を組む人、涙を浮かべながら目を閉じる人。舞台の下から私を見上げるその姿には、それぞれが思いを馳せているようだった。
十年間、この人たちは喪失感に苛まれてきたのだ。その重みを胸に刻みながら、私は胸の奥で静かに息を整えた。
――鎮魂祭の告知動画を投稿した後のライブ配信で、《人の魂を見世物にしないで欲しい》というコメントが届いた。擁護派と反対派の意見が入り乱れるチャット欄に、私はコメント機能の難しさを改めて痛感した。
言論統制したいわけじゃない。でも、喧嘩して欲しいわけでもない。こんな状況に直面するのも久しぶりで、どう対処するべきか感覚が鈍っているのが自分でもわかる。
配信中にもかかわらず、難しい顔をしてしまったようだ。赤枠で表示された《リカちぃを困らせないで》というコメントが目に留まり、ようやく我に返った。
「心配してくれてありがとう。それにごめんね。気を悪くする人もいることは分かっているんだけれども、それでもやっぱり、一つのけじめにしたかったんだ。それにね、魂が解放される瞬間を配信でみんなに見届けてもらえたら、少しでも安心してもらえるんじゃないかなって思ったの」
配信が必要だと思った理由は色々とあるけれど……。あの魔晶石が再び悪用されるのではないか、あるいは偽物とすり替えられたのではないか――そんな疑念を、払拭する意図もあった。
「見ているみんなが証人――って言ったら、ちょっと大げさかもしれないけど。でも、見届けてほしいんだ。私を守ってくれた人たちが、天国に旅立つその瞬間を」
《リカちぃの決断を応援するよ!》
《シシル様が隠しちゃったりして(笑)》
《明日は行けないけど、家で見守ってるね》
応援の言葉に少しだけ気持ちが軽くなり、今日という日を迎えた。
舞台と呼んではいるものの、それは木枠を組み立てただけの簡素な足場だった。高さは頭ひとつ分程度。後方の観客には少し見づらいかもしれないけど、豪華に飾り立てるよりも、この簡素さが適切だと思えた。無駄な装飾は反発を招きかねないし、鎮魂の場に仰々しさは不要だ。
その代わり、頭上には特大のスクリーンが魔法で浮かび上がり、私の姿を映し出している。星空のような衣装を身に纏った私は、夜空に溶け込むように見えた。人目につかない場所ではトーマ君が光の調整をしていて、彼が軽く頷いたのを確認してから、私は一歩前に進み、観客に語り掛けた。
「……十年前。シモンの禁術により、多くの命が奪われました。その被害は、当時のミュゼの領内にいた人々。住民の九割に及んだとされています」
観客の息を呑む音すら聞こえそうなほど、会場全体が、静寂に包まれている。スクリーンにはコメント表示や投げ銭機能は一切なく、完全に停止してもらっている。トーマ君が試験的に作った裏チャンネルではコメント機能が解放されていると聞いているので、反応は後日確認するつもりだった。
「彼らの魔力はマナへと変換され、そのマナは私の中に注ぎ込まれました。そして十年間、彼らの魂は私の中で魔力として眠り続けていました」
私は目を伏せ、呼吸のリズムを整えながら慎重に言葉を選ぶ。一つ一つの仕草に集中し、ミスがないように心掛ける。プロの配信者としての全てを、この瞬間に注ぎ込むつもりだった。
《人の魂を見世物にしないで欲しい》
――うん、ごめん。その通りだ。どんなに理由を並べ立てても、結局のところ私は彼らの魂を見世物にしている。
心を一つにして、これからのフォウローザの未来を守るために。
「そして先日、ミュゼの最後の大公シモンが、私の姉ジュリアの身体を使い、彼らの魂をただの魔力として根こそぎ奪い取りました。過去の亡霊を甦らせようと企み、この地に厄災を撒き散らそうとしたことは記憶に新しいと思います。この場を借りて改めて謝罪させてください。……私の父が、本当に申し訳ありません。たくさんの人を傷つけました。謝っても許されないことだと思います。ただどうか、私にも贖罪の機会を頂けるとありがたいです」
私は深々と頭を下げる。心の中でカウントを数えていると、不意に視界の先に足先が入った。この靴は――シシル様? 予定になかった人の登場に驚き小さく息を呑む。
「――話の途中だが、この件について補足をさせてほしい。今や知る者も多いと思うが、私は魔塔主シシル。この娘については昔から知っている」
そっと顔を上げると、シシル様が私を庇うように舞台に立っていた。視線を横にやると、トーマ君が頭を抱えている。釘を刺すのを完全に忘れていた……!
一体何を言い出すつもりなのだろうか。密かに冷や汗を垂らしながら、固唾を飲んでその言葉を待つ。
「まず、この娘に禁術が施されたとき、まだこの娘は八歳であった。それまでもあの屋敷に監禁され、人との繋がりもろくにもたずに息を潜めて生きてきたような娘じゃ。……突如として家族を失った者たちの気持ちも理解できる。しかし、全ての元凶はシモンであり、この娘が望んでしたことではない。どうか、そのことだけは心に留めてほしい」
――その事実を、私の口から語ることはできなかった。同情を誘うだけの言い訳にしかならないからだ。だから、シシル様が魔導士としての立場から助け舟を出してくれたことが、心底ありがたかった。
「……話の邪魔をしてすまんかった。続けてくれ」
「はい、ありがとうございます。……シシル様はこう仰ってくださいましたが、私の中に皆さんの大事な方々の魂が封じられていたのは事実です。また、その力を使いこなせずに、シモンに奪われることになったのも私の力不足によるものでした。本当にごめんなさい」
私は深く頭を下げ、静かに息を整えた後、鞄から菫色に輝く魔晶石を取り出した。その光は、今となっては私の手の中で安らぎを訴えているかのようだった。
「あなたたちも本当にごめんなさい。こんな狭いところに閉じ込めてずっと待たせてしまいました。……今、あなたたちを解放します。どうか安らかに眠って、新たに生まれ変わって、また、大事な人たちとともに幸せに過ごせますように――」
そう語りながら、魔晶石にそっと口づけをすると、それは静かに胎動し始めた。ひび割れた表面から、一筋の光が溢れ出し、やがて音もなく弾ける。その瞬間、無数の光の球がまるでシャボン玉のように空へ向かって舞い上がっていった。
暗闇を照らすその光景は、ただただ美しかった。遺族席に座っていた人々は次々に立ち上がり、涙を浮かべながらその光を目で追う。光の球はそれぞれの身内を探すように彷徨い、やがて思い人の周囲で静かに漂った後、名残惜しげに夜空へと消えていった。
――これ以上、この場に私がいる必要はない。視線を少しでも遮ることがないよう、そっと目くらましの魔法を発動させ、私は壇上から静かに降りる。空を仰いでいたシシル様もそれに気付き、無言で後に続いてきた。
「……びっくりしました。急に喋るんですもん」
「脅してやっても良かったんじゃがな。お主が喜ばぬと思ったから、望みそうな言葉にしてやったわ」
「ふふ、ありがとうございます」
フレデリカはシシル様のことを無責任だと評していたけれど、なにか思い違いがあったんじゃないかと思う。今、私の手を優しく握るシシル様には、ただ穏やかな暖かさが宿っているだけだった。
片隅でソルと一緒に立っていたシアさんの胸元に、小さな光がそっと触れた。彼女はその光をまるで壊れ物を扱うように優しく包み込み、次の瞬間、耐えきれず泣き崩れた。その光は彼女の涙とともにゆっくりと消えていく。
雑貨屋のおばあさんの元には、いくつもの光が吸い寄せられるように集まり、大事そうに抱きしめられると、名残惜しそうに揺らめきながら空へと飛び立った。
私の近くで様子を見守っていたスイガ君の周りにも、二つの光の球がくるくると踊るように漂っていた。それを不思議そうに見つめていた彼は、震える指先でそっと触れてみる。すると、光は一際強く輝き、一つはまるで頬を撫でるかのように彼の顔の横を通り、何度か点滅した後、穏やかに空へ吸い込まれていった。
もう一つの光もそれを追いかけるように浮かび上がりかけたが――どういうわけか、その動きはふらつき、私の元へ向かって戻ってきた。
「えっ……!?」
その一つだけじゃなかった。空へ昇るはずの光の球たちの中から、いくつかが私の周りに集まり始め、私の中に入り込もうとするように漂い始める。
状況が理解できずにシシル様を目線で頼ると、彼もまた驚いた表情を浮かべたが、次の瞬間にはくすりと笑みを浮かべた。
「どうやら、お主の中に留まりたいと思うものもいるようじゃな」
「で、でも……それだと解放されないんじゃ……?」
「……受け入れてやれ。それがそやつらにとっての幸せなんじゃろう」
だってこれは、スイガ君の家族の魂なのでは……? そんな思いが胸を過ぎるも、私の躊躇などお構いなしに、光の球たちは次々と胸の中へと吸い込まれていった。お腹の奥からじんわりとした温かさが広がり、どこか懐かしい感覚が心を満たしていく。
呆然とその光景を見守っていたスイガ君は、やがて前髪をくしゃくしゃとかき乱しながら、泣き笑いのような表情を浮かべた。
「もうこれで、お嬢様の傍にいていい理由がなくなってしまうと思っていました。……すみません、親子そろってわがままを言っているようです」
「でも……スイガ君は、いいの?」
「おそらくその魂は父でしょう。……いいんです。あの人なら、そう願ってもおかしくはないですから」
涙を拭うスイガ君の隣には、デュオさんの姿があった。彼は夜空を覆い尽くす光の粒子を静かに見つめ、愛おしむように「綺麗だね」と呟いた。
その言葉に促されるように見渡せば、微かな輝きを残しながら、光の球たちはほとんどが夜空へ消えていく。それは、遠くに瞬く星々のようで、会場にいる誰もがその光景に息を呑み、ぼうっと空を見上げている。
私は静かに息を整え、感傷に浸る人々の邪魔をしないように、囁くような声で語りかけた。
「……数多の魂が解放されていく姿を見届けてくださり、ありがとうございます。夜道は危ないので、どうか気をつけてお帰りください。配信から参加してくださった皆さまにも今日という日が胸に残りますように……」
締めくくりの言葉とともにライブ配信を終えると、周囲には暖かな灯りが灯され、騎士たちが住民区へと続く道への誘導を始めた。
みな大人しく帰路に就こうとするも、会場の片隅には、まだ地面に蹲り涙を流す人々の姿もあった。その姿を目にした私は、自然と唇から歌が零れた。
「――……さぁ、その足で、道を歩みなさい」
小さな声ながらも、その歌声は届いたのだろう。涙で立ち上がれずにいた人たちが、まるでその歌に導かれるように、ゆっくりと足を動かし始めた。
「帰りなさい、その手で、暖かな胸に、懐かしい地へ――……」
どこへ行けばいいか分からずに彷徨っていた光の球の一つが、ふわりと私の指先に止まる。
それを見つめながら、私はそっと尋ねた。
「あなたはどうしたいの?」
光はしばらく揺らめいた後、まるで決意を固めたかのように、静かに私の中へと吸い込まれていった。