表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/171

012 あるひ、もりのなか

 明け方、まだ日が昇り始めたころ。デュオさんと私は兵舎から少し離れた森に足を踏み入れていた。


 シシル様がお勧めしていたのも納得のマナの濃さ。何もしなくても全身にマナがまとわりつくような感覚に包まれる。不思議な感じではあるものの、決して不快というわけではない。木々の葉が微かに輝き、空気が透き通るように澄んでいる。これが、マナが満ちているという状態なんだろう。


 これならいい素材が手に入るかもしれない。たっぷり寝たおかげもあって、今の私はやる気に満ち溢れていた。


「シアさんから預かってた虫避け薬です。息は止めてくださいね」


 香水のような瓶を取り出して、まずは自分の手首にプシュッと噴射する。うーん、かなり刺激的な匂い。でもベタつきはなく、すぐに肌に馴染んでいく。デュオさんにも同じように薬を振りかけてあげたら「準備がいいね」と褒めてもらったけど、その言葉はせっせとパッキングしてくれたシアさんに捧げたい。


「さて……来てはみたものの、探すものが決まっているわけじゃないんだよね。目についたものを適当に集めればいいのかな?」

「そうですね。ひとまず気になるものは全部集めて、後でマナの量をまとめて確認しちゃいます!」

「了解。……あぁ、あれを見てごらん」


 そう促された先には、一本の太くて大きな木があった。その木には、何本もの長い線が深く刻まれていて、剥がれた皮の下から白い木肌を晒している。

 ささくれだった木片に触れないようにまじまじと観察する。嫌な予感を覚えつつ「これ、なんですか?」と尋ねると、「魔獣の爪だね、縄張りを主張しているんだろう」と教えてくれた。


「ここは魔獣の縄張り内ということだ。念のため、もう少し離れたところで始めよう」

「は、はい」


 こんなに硬そうな木でさえ、粘土のように簡単に爪を突き立てられたのだ。私の柔肌なんかあっという間に切り裂かれることだろう。

 想像するだけで体が震える思いだったが、デュオさんが手を引いてくれたおかげで、私はその場から離れることができた。


 ――痕跡を見つけたから無駄に意識してしまったのだろうか。どこかから、グルル、と獣が唸るような声が聞こえた気がした。




 場所を移動して、ようやく採取が始まった。こんな森の中でドングリを拾うのなんて幼稚園以来かもしれない。パンツスタイルにしておいて正解だった。動きやすさ重視で髪も高くまとめているし、着替えや余計な荷物は兵舎に置いてきたからカバンにも余裕があった。


 動くたびにりんりんと音が響く。これは、魔獣が嫌がる魔力が込められた鈴らしいけれど、効果のほどは正直分からない。幸いにして今のところそれらしき姿は見当たらなった。


「あっつい……」

  

 汗が頬を伝い落ちる。手の甲で拭ったつもりがかえって泥を頬に付けてしまう、という凡ミスにテンションを下げつつも、毒々しい色をした茸を摘み取った。目を凝らすとマナの流れが見えてくる。うん、そこそこの所有量。少なくとも屋敷の近くで手に入るようなものよりもずっと質が良さそうだ。


 あっちへ行って木の実を拾い、こっちへ行って果物をもぎ取り、それっぽいものをとにかく拾い集める。

 しばらく採取を続けていると、デュオさんが「リカ嬢」と声をかけてきた。


「かなり集まったから、休憩ついでに見てみてくれないかい?」

「わぁ、たくさん! ありがとうございます!」


 デュオさんのカゴには、様々な種類の素材がぎっしり詰まっていた。

 大きな岩場に背中を預けて、早速一つ一つに目を通していく。マナが多く含まれているものは右、それ以外は左にポイポイと分別していく。それを眺めていたデュオさんが、感心したように「よくわかるね」と呟いた。


「うーん、なんかマナが多いものはオーラ? みたいのが濃く見えるんです。不思議ですよね」

「僕はあまり魔力がないからなぁ。もしかして、リカ嬢は名の知れた貴族の出なのかな?」

「――あ! えーと、あの、記憶が無くて……!」


 しまった。つい自慢げに語ってしまったが、この世界では魔力が高い人は上位貴族に多いんだった。もちろん魔力は平民でも持ち合わせているし、稀に魔力に富んだ人もいるらしいからミュゼに結びつくことはないだろうけど、注意するに越したことはない。

 慌てて話をそらすために、黄色い果物を手に取った。


「あ、あの兵士さんが言ってた美味しい果物ってこれかな? マナはあんまりないみたいだけど……」

「ああ。モアナの実だね。せっかくだし食べてしまおうか。捨てるのももったいないだろう」

「皮をむけばいいんですよね?」

「貸してごらん」


 デュオさんは短いナイフで器用に黄色い皮をつるつると剥き、手のひらの上で豆腐を切るように半分にする。真ん中の固そうな種を取り除き、ナイフに刺して「はい」と私に差し出してくれた。なかなかワイルドな渡し方だ。


 一口かじってみると、食べたことのある味だった。なんだろう、なんだっけ。あ、すももかな。瑞々しくて乾いた喉にもちょうどいい。せっかくだからお土産に持って帰ろうかな。カバンの中にいくつか入れて、最後の一つをデュオさんに差し出した。


「美味しいですよ。デュオさんも食べてみてくださ――」


 ――瞬間。空気を裂くような唸り声と地響きが森全体に響き渡った。


 ヒッ、と悲鳴が上がりそうになり、慌てて手で口を押さえる。

 バサバサと鳥が飛び立ち、足元を小動物が駆け抜けていく。――魔獣のお出まし? 細身の剣を抜いたデュオさんが、「下がって」と私の前に立つ。


 目の前に立ち並ぶ木々の奥から、とてつもない量の魔力が肌を突き刺してくる。まだその気配を感じ取っただけなのに、全身からぶわりと汗が噴き出した。


「ま、魔獣ですか?」

「そうだね、しかもとびきり強そうなヤツ」


 果物の匂いに引き寄せられちゃったのかなぁ、なんて呑気な声を上げるデュオさん。まったく狼狽える様子がなくその姿は頼もしい。物腰が柔らかいせいでこれまで護衛とは認識していなかったけど、ハウンドが紹介するだけあって、やっぱりこの人は超強いのかも。少し安心した矢先―。


「あ、もし僕がやられたら真っ先に逃げるんだよ?」


 困ります! それは困りますぅぅ!


 デュオさんが冗談めかして笑った瞬間、木々の間から巨大な銀毛の獣が現れた。

 銀毛は陽光を反射し、まるで鋼鉄の鎧を纏っているかのようだ。鋭い爪は、先ほどの木を引き裂いた張本人であることを物語っている。

 唸り声を響かせながら、その鋭い目がこちらを捕らえた瞬間、森の空気がピリついた。


「あれが魔獣……」

「思ったより大物だな……」


 フォルムは、熊。蜂蜜大好きな黄色い熊さんだったら良かったのに、今目の前にいるのは殺意マックスの森のくまさんだ。そんな場合じゃないってのに、お嬢さんお逃げなさい、なんて童謡が頭を駆け巡る。


 デュオさんが剣を構え、ゆっくりと前に出る。

 銀毛の熊は、あまりにも大きく、動物園で目にした熊の倍はありそうだ。その威圧感に押されて、私は思わず数歩後ろへと下がった。


「君、魔法を使えたりしないよね?」

「ごめんなさい、分かんないです……」

「聞いてみただけ。ありがとう」


 魔力が開花した時に魔法も学びたかったけど、残念ながらお屋敷には教えてくれる師がいなかった。

 だから、この状況を打破する手段なんて、今の私にはない。

 

 四つ足でじりじりと距離を詰めてくる熊は、低い姿勢を取ると、土が抉れるほどに地面を蹴り、一瞬にしてデュオさん目掛けて突進してきた。

 デュオさんは瞬時に横へ飛び、攻撃をかわす。熊は勢いを殺すこともなくそのまま岩壁に激突し、石片があたりに降り注ぐ。


 ――こんなの、巻き込まれたら命がいくつあっても足りない!


 熊が体勢を立て直す間に、私はデュオさんと熊の戦いから少し離れた場所へ逃げるように移動した。こうなっては私はただの足手まといだ。デュオさんが戦いやすいように身を隠すことしかできない。

 

 デュオさんは反撃に転じ、銀毛の熊の腹部に剣を滑り込ませた。鮮やかな赤が舞ったが、熊はその傷をまるで気にしない。


「くっ……固いな……!」


 デュオさんの剣先は銀毛の隙間を巧みに狙い、何度も切り込んでいく。しかし、熊の分厚い皮膚と筋肉が立ちはだかっているようだ。剣は確かに傷をつけているはずなのに、深く刺さらず、決定的なダメージを与えるには至っていない。


 それでもデュオさんは怯むことなく、次々と攻撃を繰り出し、銀毛の熊の動きを封じていく。熊も負けじと大きな爪で反撃するが、デュオさんの動きは素早く、軽々とそれをかわしている。


 巨大な爪が空を切り裂き、風圧が私の頬を打つ。しかし、それすらも難なくいなし、振り向きざまに剣を薙ぐ。まるで舞台の上で踊っているかのように、軽やかに、しなやかに。


 傷を増やしていく熊とは対照的に、デュオさんは全ての攻撃を捌き切っている。このままならなんとか倒せそうかも……! 私は木の陰に身を潜めながら、心の中で小さく応援する。


 優勢に見えたその時。前触れもなくもう一体の銀毛の熊が森の奥から姿を現し、デュオさんに向かって一直線に突進した。


「えっ……!?」


 背後からの熊には気づけなかったのだろう。デュオさんは焦りの色を浮かべ、その巨体に飲み込まれそうになっている。――助けなきゃ。頭では思っても、恐怖で足が動かない。

 熊の凶暴な瞳がデュオさんを捕らえ、その鋭い爪が振り上げられる――。


 ――だめだめだめ! 絶対に駄目! こんなところで死なせちゃだめ――!


 デュオさんに振り下ろされる瞬間、私は反射的に叫んでいた。


「――"止まって!"」


 ――声を発した瞬間、森全体が一瞬静寂に包まれた。そして、信じられないことが起きた。


 私の言葉に呼応するように熊の動きがぴたりと止まり、避けようとしていたデュオさんまでもが、剣を振り上げたまま動きを止めている。


「……えっ?」


 思わず自分の声を疑う。そして、目の前の光景にも目を疑った。

 凶暴なはずの熊が、まるで何かに支配されたかのように二体とも動きを止めている。デュオさんも不自然な体勢のまま、驚いた表情で私を見ている。


「デュ、デュオさん! 大丈夫ですか!?」


 デュオさんに駆け寄ると、まるで魔法が解けたように彼の体が自由を取り戻した。急に動き出したせいでバランスを失いかけ、体が大きく傾く。私は咄嗟に手を伸ばし、転ばぬよう彼の体を抱きとめた。


「どうなってるんだ……?」


 熊は、まだ動かない。ただ目だけが私を捉え、じっと見つめている。先ほどまでの殺意なんて無かったかのように消え失せて、今は何かを探し求めているかのような目だ。

 もう一体の熊も、同様に動く気配はない。デュオさんは何が起こっているのか見当もついてないんだろう。戸惑いながらも熊から身を引いた。その様子を見ながら、私の中ではある言葉がよみがえっていた。


『意図せず人を操ることだってできたんだ』


 ハウンドが言っていた言葉。

 フレデリカが恐れていた力。


 もしかして、これが、そういうこと?


 それならば、と。ある種の確信を胸に抱いたまま、私はそっと熊に近づいた。「リカ嬢、」とデュオさんが止めようとしたけど、それをやんわりと制して、腕を振り上げたままの熊のお腹に触れる。ごわごわとした毛が指先に絡まる。巨体を見上げると、熊は静かに私を見下ろしていた。


「……ごめんなさい。あなたたちのおうちを荒らしてしまって」


 言葉が通じているのか、熊の目から敵意が消えていくのが分かった。熊はその巨体を静かに沈め、私の姿を確認するかのように鼻先を近づけてくる。


「少しだけ、この森のものを分けて欲しかったの。……これで許してくれないかな?」


 震える手で鞄の中から飴玉の瓶を取り出し、恐る恐る差し出した。蜂蜜は無いから、蜂蜜味が代わりになんて……ならないかな? 銀毛の熊はじっとそれを見つめたあと、ゆっくりと瓶に顔を近づけて匂いを嗅いだ。


 それだけで満足してくれたのか、銀毛の熊は一つ低い唸り声をあげると、そのまま森の奥へとゆっくり歩き出した。もう一体の熊も、一度だけこちらを振り返り、静かに姿を消していく。


 熊たちの姿が森の木々に飲み込まれても、しばらくの間その場から動けなかった。

 心臓がバクバクと大きな音を立て、呼吸も浅く速い。はっと何度か短い息を繰り返しながら、ようやく今何が起こったのかを理解した。


「……助かった……?」


 ――あっぶなかった……! 危うくデュオさんが死ぬところだった。そうしたら私もあっさりと殺されていたことだろう。奇跡的に二人とも無事だったとしても、こんな危険な目に遭ったと知られたらハウンドに半殺しにされるところだった。


 安堵で腰が抜けそうになっていると、デュオさんが剣を納め、こちらに駆け寄ってきてくれた。彼の顔はこわばったまま、何が起こったのか全く理解できていない様子だ。


「リカ嬢……今のは……いったい何が……?」

「え? えっと、私は……ただ、止まってって言った、だけで……」


 その瞬間、緊張の糸が完全に切れた。全身から力が抜けていくのがわかり、膝ががくりと折れた。ふぇ? と漏れそうになった声も途切れたまま、視界がふっと暗くなる――。


「リカ嬢!?」


 デュオさんの焦った声が、遠くに聞こえる。

 私の意識は、そのまま深い闇に落ちていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ