118 あいさつ回り
夕暮れが近づくにつれ、会場を訪れる人々の姿が次第に増えてきたみたいだ。
瓦礫を撤去し、森をいくらか切り開いてスペースを確保してはいたものの、この調子では一般客の規制が必要になるかもしれない。
私はエコーストーンを操作して、デュオさんに「時計台のあたりも解放してくれませんか?」とお願いした。
『了解、それじゃあ一般客はこちらに誘導してもらえるかな。屋敷周辺も解放しているんだろう?』
「そっちはレオさんにお願いしました。デュオさんも、タイミングのいいところで移動お願いしますね」
『そうだね。アレクセイ殿も迎えに行かないといけないし……』
今日のために綿密な準備を重ねてきたものの、やっぱり当日になってみないと何が起こるか分からない。なにせ予想を超える人出に加えて、カリオス様まで来るという知らせが急に届いたものだから朝から大騒ぎだったのだ。
お忍びとはいえ、ライブ配信を行う以上は映り込むのを完全に避けることは難しい。警備体制を強化したり、区画整理をしたり……とにかく、目の回る忙しさだった。
「師匠連れてきましたー」
「ぐぬぬ……貴様、実験のためだと言うとったのに、謀ったな!」
「そうでも言わないとあんた来ないでしょうが」
トーマ君に首根っこを掴まれ、ずるずると引きずられてきたのはシシル様だ。魔晶石を手放さないために何かと理由をつけて抵抗するのは目に見えていたので、だまし討ちの形で連れてきてもらったのだ。
とはいえ、シシル様が本気を出せば逃げるのは容易いはずだから、内心では「仕方ない」と思っているのだろう。これは、ただの悪あがきというやつだ。
「お久しぶりです、シシル様。もう魔晶石は十分に確認したんですよね? では、返してください」
「むぅ……どうしても解放するのか? こやつらだって、お主のことを嫌っておらんのじゃぞ?」
「往生際が悪いですね? シシル様、"返してください"」
こんなことはしたくないが、時間が惜しいから仕方ない。問答無用で呪詠律を行使すると、シシル様は苦々しい表情を浮かべながらも、しぶしぶ魔晶石を私に手渡してくれた。
夕日の光を浴びたそれを確認すると、以前見たときの禍々しい黒に近い紫色からは一変し、澄んだ菫色に輝いている。思わず疑念の目を向けると、シシル様は「浄化されているだけじゃ」と不貞腐れたようにそっぽを向いた。
「浄化? ……それって大丈夫なやつなんですか?」
「お主から抜かれた直後の嘆きや悲しみが落ち着いてきただけじゃ。悪いものどころか、純度が増してさらに輝きを増しておる。だから、これをお主が再び取り込めば、途方もない力が……」
「はい、分かりました。それじゃあシシル様は隅っこで待っていてくださいね」
「これ以上リカちぃの邪魔をするんじゃありませんよ。ほら、あっちに屋台がありますよ」
「お主ら、私への扱いが軽いんじゃ!」
地団太を踏むシシル様を横目に、私は受け取った魔晶石を慎重に鞄の中へとしまい込んだ。……一度は奪われた力が、魔晶石に封じられた形とはいえ再び自分の手元に戻ってきたことに、自然と身体が喜んでいた。
――今日、この魔晶石から、禁術の犠牲になった魂を解放する。
最期の別れも告げられず、無理やり引き裂かれた遺族や縁者たち。縁はなくとも、彼らを見送りたいと願う人々。そんな人たちにも一緒に見送ってほしいと思い、配信で参加を呼びかけた。
もちろん、遠方から足を運べない人々のためにライブ配信も併せて告知している。それでもどうしても直接見届けたいという人が多かったのだろう。会場となった教会跡地には、多くの人々が詰めかけていた。
ただの見物客には屋敷や広場への移動をお願いしたものの、それでもここに集まった人の数は少なくない。真剣な表情で佇む人もいれば、どこか穏やかな表情を浮かべている人もいる。それぞれの思いを抱えながらも、彼らが今日という日をひとつの区切りにできればいい――そんなことを思いながら、私は暮れゆく空を見上げた。
十年前、ミュゼで起きた大量失踪事件。その真相について、私は先日、改めてお礼配信の中でリスナーに向けて詳しく説明した。
シモンとの戦いを通じリスナーたちはすべてを見聞きしていた。だからこそ、中途半端に情報を伏せるよりも、すべてを伝えた方がいいと判断したのだ。
誰もが真実を受け入れてくれたわけじゃない。陰謀論を唱える者たちが酒場で議論を交わしているという噂も耳にした。けれど、突然家族を奪われた人々にとっては、隠されていた真相が明らかになったことで、少しでも心の整理がついたのかもしれない。感謝の声を届けてくれる人もいれば、憎しみを込めた手紙をくれる人もいる。「配信者なんて辞めてしまえ」という意見も当然、寄せられていた。
配信者を辞めると言う選択肢は私の中にはない。だからといって批判者たちをただの「アンチ」として切り捨てるつもりもない。彼らの声に耳を傾け、可能な限り拾い上げることで、少しでもより良い方向へ進んでいければと――そう信じている。
「……お嬢様、今日は私にまでお声がけいただきありがとうございました」
「シアさん! ちゃんとシアさんの席も用意しているんだから、そんな隅っこじゃなくてもいいのに」
「いえ、本来ならばこの場にいることも許されぬ身です。お嬢様の温情に感謝しています」
会場の端にいたのはシアさんとソルだ。その姿を見て、胸の奥がチクリと痛む。
シアさんとは、私が目覚めた日以来、何度となく話をした。あの日、何があったのか。どうしてシモンと繋がることになったのか。離れの小さな部屋で、彼女は硬い椅子に腰掛け、時折声を詰まらせながらすべてを打ち明けてくれた。
事の発端は、ほんの好奇心だったという。ギルドに届いたシモンからの呪いの手紙は、メイドたちの間でも少し話題になっていたらしい。「何も書いていないのに読むと気分が悪くなる」――そんな不気味な噂が、彼女の関心を引いた。そして、処分を頼まれたその手紙を興味本位で開いてしまったのが、すべての始まりだった。
シアさんは、幼い息子アデルを失った悲しみを抱えたまま、心の傷を癒せずにいた。その弱さをシモンの呪術に絡め取られてしまったのだろう。いつの間にか、彼女の目に見える形で手紙に文字が浮かぶようになり、その内容を読み進めるうちに、私の身体に十年前の犠牲者たちの魂が宿っていることを知ったという。――その中には、アデルの魂も含まれているということも。
「定期的に届く手紙を読むことを、止めることは出来ませんでした。そして、お嬢様の中にある魂のせいで、お嬢様が苛まれ、狙われているのだと信じ込んでしまったのです……」
彼女は私が力に振り回されるのを目の当たりにしていたから、そう思ってしまっても仕方が無かったのかもしれない。魂を解放すれば、私も彼女自身も救われる――そんな思い込みが、シモンの手紙に従う原動力になってしまった。そして、私の動向やスケジュールをシモンに伝え、あの日の誘拐事件に繋がってしまった。……彼女なら、私の部屋に自由に出入りできたから、シモンに渡された呪具を使って結界を破ることも容易だったんだろう。
「――いかなる処罰も覚悟しております。本当に申し訳ございませんでした」
彼女の声は震え、深々と頭を下げたまま動かない。その姿に私は、何か言葉を返すこともできずにただそっと抱きしめた。
一人で思い悩ませて、ごめんなさい。
真実を伝えられずに、ごめんなさい。
彼女が重ねてきた後悔を少しでも和らげられるならと、祈るような気持ちだった。
――結局、シアさんは私付きのメイドを解任された。処罰なんてできるわけがない。ただ、完全にお咎めなしというわけにもいかないと、ハウンドの判断で養護院への異動が命じられた。それでも、フォウローザから追放されると思っていた彼女は、その措置を過分な温情だと受け止めたようだ。
……今はまだ、彼女自身が自分を許せないだろう。だから、時間が経ち、罪悪感が少しずつ薄れていったころに、また私のフォローをお願いできればいいと、そう思ってる。
「おい、ロベリアの姿が見当たらねぇぞ。どこに逃げた?」
「えぇ、カリオス様の相手を任せたはずだったのに……本当にもう!」
ロベリア様に直接連絡したところできっと応じないだろう。私はため息をつきながらエコーストーンを操作し、ジュリアに通信を試みた。
『――もしもし、どうしたの? もう時間かしら?』
「いえ、まだ時間はあります。それよりもそちらにロベリア様はいませんか?」
『……いるわ。やっぱり、おかしいと思ったのよ。今日はみんな忙しいはずなのにのんびりゲームしてると思ったら――ちょっとロベリア! あなた、自分の出番はないなんて言ってたけど、リカが探してるわよ!』
『チッ、バレちまったか。わーった、今行くから待っとけって』
『ごめんなさいね、わたくしも一緒に向かうわ。見張ってないと、またどこかへ逃げてしまいそうだもの……』
ジュリアの申し訳なさそうな声に、私は軽く首を振りながら「無理しないでくださいね」と伝えて通信を切った。
彼女は以前よりだいぶ回復しているものの、まだ無理ができる体ではない。それでも今日は一緒に参加したいと自ら申し出てくれた。できれば直前まで休ませてあげたかったけれど……ロベリア様の手綱を握れるのはジュリアしかいないからこればかりは仕方がない。
椅子の数を数えていると、遺族として招待された人々の中に、雑貨屋のおばあさんの姿が見えた。スイガ君が寄り添うように彼女の肩を支え、簡易椅子に座らせている。人混みの間を縫って二人の元へ向かうと、こちらに気付いた二人が微笑みかけてくれた。
「おばあさん、こんばんは。遠くまできてくれてありがとうございます」
「あらあら、こんばんは。久しぶりの遠出だから楽しかったわ。いつの間にかあんなに店が増えていたのね」
おばあさんの瞳は以前に会った時よりも、どこか明るさを取り戻しているように見える。スイガ君にちらりと視線を向けると、軽く事情を説明してくれた。
「エコースポットをおばさんの家にも設置したんです。いろいろとご覧になっているみたいで……この間のライブ配信もご覧になったのでしょうね。……記憶が少しだけ戻られたようです」
「そう……。おばあさん、もし気分が悪くなったら遠慮なく声をかけてくださいね。でも、もし辛くなければ、どうか最後まで見届けてくれると嬉しいです」
「ええ、ええ。ありがとうね。……お嬢さんも本当に頑張ったわね。私、見ている途中で泣いてしまったの。でも、あなたが一生懸命だったから最後まで目を離さずに見ていたのよ。……ありがとうね、シモン様を解放してくれて」
優しい声でそう言いながら、ぎゅっと手を握ってくれるおばあさん。その労りの言葉に胸が温かくなる一方で、鼻の奥がつんと痛んだ。私のことを責めてもおかしくない立場の人なのに、彼女の言葉にはただ感謝と優しさしかなかった。
「――リカ、こっちよ」
「サントスさん! それに、リリーさんも!」
「私たちもおりますわ!」
関係者席には配信ギルドに所属する配信者たちの姿が見える。私は彼らの呼びかけに応じるように駆け寄った。