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116 親子

 体力は限界を超えていたし、何度ものアンコールに応えたのもいけなかったのだろう。それに、急激に魔力を取り込んだ影響もあったのかもしれない。

 配信を終えた記憶までは残っているのに、その直後、意識を手放してしまった。


 ぼんやりとした現実と夢の狭間で、見知らぬ銀髪の男が遠くへ歩いていくのが見えた。左足を引きずるような独特の歩き方で、ゆっくりと深い闇の中へ消えていく。


「……シモン?」


 私の呼びかけに男はピクリと肩を震わせた。そして、緩やかに振り返る。

 銀色の髪、紫色の瞳。目尻には刻まれた皺があり、ほうれい線も薄っすらと浮かび上がっている。それでもジュリアにどこか似ている端整な顔立ちに、こんな顔をしていたのかと今さらながら驚いた。

 写し絵を目にしたことは無かった。だから、これが初めて見る彼の本当の姿だった。


 シモンは一瞬だけこちらを見たが、私に何かを伝える気にはならないのか、再び前を向いて歩き始めた。その足取りはどこか重く、それでも足先はまっすぐ前を向いていた。


「結局、あんたは何がしたかったのよ」


 返事はないと思ったのに。シモンは立ち止まり、振り返りもせずにぽつりと呟いた。


「……ただ、見てほしかっただけだ」


 震えるような小さな声。その子どもじみた理由に、私は少し驚いた。けれども、それを完全に否定することはできなかった。……私も配信者だ。誰かに見てほしい――その気持ちだけは、理解できてしまったから。


 ――誰に見てほしかったの?

 そう問いかける前に、世界はシモンだけを残して白く塗りつぶされていく。


 彼は静かな顔で空を仰ぎ、手を伸ばそうとした。

 でも、無数の黒い手が足元から這い上がり、彼の体を飲み込んでいく。

 そして二本の白くて細い手が彼の足に絡みつくと、そのまま闇の底へと、とぷんと沈んでいった。


 


 ――長い夢を見ていた気がする。

 目が覚めると、これまでに味わったことのない爽快感が全身を包んでいた。

 

「ふあぁ……良く寝た~」


 大きく伸びをしながら、薄暗い部屋の中をきょろきょろと見回す。日が昇るのが早くなってきたとはいえ、まだ夜明け前のようだ。さすがに誰も部屋にはいないだろうと油断していたのに、視界の端に誰かの姿が映った。椅子に腰掛け、長い足を大股に開いている。その黒い脚を見ただけでわかる。――ハウンドだ。


 どうしてこんな時間に部屋の中にいるんだろう。もしかしてまだ夢の中なのかと一瞬思ったけれども、彼の小さな寝息が現実感を伴わせる。

 腕を組んで眠る姿はどこか無防備で、それでいて疲労の色が全身からにじみ出ていた。きっと後始末が大変なのだろうなと思いつつ、無精髭が伸びた顔に小さく笑ってしまう。


 私はそっとベッドから降りて、彼の目線に合わせるようにその顔をじっと眺めた。治りかけの傷跡がいくつも見える。それを目にして、あの激戦が現実だったことを改めて思い知った。


「……ん……」


 見つめすぎたせいだろう。彼が小さく呻きながら、ゆっくりと瞼を開けた。黒い瞳がまっすぐ私を捉える。まだ寝ぼけているのか、どこかぼんやりとした目つきに、私はまた笑っていた。


「おはよ。そんなところで寝てたら風邪ひくよ?」


 ハウンドは眩しそうに目を細めると、何も言わずに私の腕をぐいと引いた。そしてそのまま、強く抱きしめられる。突然のことに抵抗する間もなく、私は彼の腕の中に収まってしまった。


「ちょ、苦しいってば……!」


 ぎゅうぎゅうと締め付ける力に、たまらず彼の背中を二度、三度と叩く。それでも彼は力を緩めるだけで離れようとしない。頬に触れる無精髭がちくちくと痛くて、身じろぎしてみても効果はなかった。


「……心配ばかりかけやがって、この阿呆が」


 低く抑えた声に、どこか怒りと安堵が混ざっている。力加減はまたほんの少しだけ弱まったものの、彼の太くて大きな腕から逃れることはできそうになかった。


「ハウンド……? どうしたの、何かあった? まさか変なもの食べたから調子がおかしくなったとか?」


 いつもと違う彼の様子に戸惑いながら尋ねると、彼は顔を私の肩に埋めたまま、微かに笑い声を漏らした。


「別に俺はどこもおかしくない。むしろお前はどうなんだ? 身体は痛くないか? 具合の悪いところは?」


 そう畳み掛けるように聞いてくるものだから、私も笑いがこみ上げる。いつものハウンドらしい物言いが、どこかほっとさせるからだ。「大丈夫だよ」と返すと、彼はようやく顔を離し、じっと私を見つめた。


「私、どれくらい寝てたの?」

「十日だ」

「と、十日?!」


 これまでにも何度か魔力切れで寝込んだことはあるけれど、最長記録を更新してしまった。とても心配をかけてしまったのだろう。ハウンドのこの態度にも納得がいってしまった。

 

「お前、阿呆みたいにはしゃいでたのも覚えてねぇのか?」

「うっすらと……。みんなは大丈夫? 領内とか、サングレイスのほうも……」

「問題ない、とは言い難いな。配信ギルド宛には問い合わせが殺到してるし、屋敷にはお前目当ての奴らが押しかけてくる。地揺れの影響で被害も広範囲に出ているし、挙句、サンドリアの王から登城要請だとよ。鬱陶しいったらありゃしねぇ」


 そうぼやきながら、ハウンドは再び私の肩に顔を埋め、深く息を吐いた。


「スイガとデュオの傷もな。深手だったが、医者の話じゃ驚異的な回復力でほとんど塞がっていたらしい。……お前の力だろうな」


 二人の傷を目の当たりにしていたから、快方に向かっているという話に心から安堵した。

 騎士団や冒険者たち、そして各地の住民にも被害は出ていたが、心身に傷を負った人々の中には私の歌を聞いたことで命を取り留めた者もいるという。まだ詳細は調査中ながら、現時点での死者はゼロ。ハウンドはそれを「奇跡だ」と評した。


「良かった、本当に良かった……」

「ああ。ただ、もし死者が出ていたら、お前に対する周囲の見方も変わっていただろうな。今は逆だ。まるで女神だ救世主だって騒ぎ立てる奴らばかりだ。それを良しとするかは、また別の話だがな」


 どこか複雑そうな声色を残し、ハウンドはまた大きなため息をついた。私がどれだけ彼を心配させてしまったのか、彼の態度が雄弁に物語っている。普段はこんなにべったりするような人ではないのに、今も私を離そうとしなかった。


「――シアさんは? 彼女はどうしてるの?」

「シアは待機中だ。結果的にシモンに協力する形になっちまったからな。日が昇ったら会ってやれ。お前が直接話を聞いてやるのが一番だ」

「うん、そうする。……ジュリアは? 身体のほうは大丈夫?」

「だいぶ憔悴していたが、爺さんの見立てじゃ時間が経てば元気になるらしい。……問題はロベリアだな。療養のために接近禁止にしたら暴れるわ暴れるわ。仕方なく『ゲーム開発機』とやらを取り上げたら少しは静かになったが。……あいつ、本当にどうにかなんねぇのか?」


 最後のぼやきには、つい吹き出してしまった。

 シシル様も魔塔に戻り、少し体を休めているらしい。……みんなが無事で本当に良かった。


「ハウンドはどこも痛くない? ちゃんと寝てる?」

「お前はそればっかだな。……生憎と残処理が山積みで寝る暇なんてねぇよ。ここに来たのだって、ついさっきだ」


 ――なるほど。だからこんなにくっついてくるのかと納得した。たぶん、頭が働いていないんだろう。普段の彼なら絶対に見せない姿に戸惑いつつも、疲れと眠気に負けているだけかと思うと複雑な気分だった。


「だったら寝なよ。ベッド使っていいから」

「そんな真似できるか。ここでだって寝るつもりはなかったんだ。お前の顔を見ていくだけのつもりだったってのに」

「強情だなぁ」


 彼の顔を覗き込むと、まだ薄暗い部屋の中でも隈がくっきりと浮かび上がっているのがわかった。下瞼を引っ張って様子を伺うと、「おい」と不服そうな声が飛んできた。


「あ、ごめん、痛かった? 充血してるから気になって」

「それは構わんが……なんだ、さすがに今日は変な真似してなかったのか?」

「変な真似? 何のこと?」

「呪詠律だよ。お前、自分にかけてただろう。害はなさそうだから放っておいたが、あんまり多用するもんじゃねぇぞ」

「ああ……気付いてたんだ?」

「そりゃ気付くだろ。明らかに様子がおかしかったからな」


 知られていたことに少し気まずさを感じつつも、深く触れてこなかった彼の優しさに胸の奥がじんわりと温かくなった。


 ――不思議だ。あんなにも怖くて醜いものだと思っていたこの気持ちが、今はまるで憑き物が落ちたように軽くなっている。

 それも、きっとフレデリカと話をしたから――。


「あ」

「? どうした?」

「フレデリカ……! そうだよ、フレデリカ! 生きてたんだ、私の中で!」

「お前の中で? 今もお前の中にフレデリカがいるってことか?」


 突然の告白に、ハウンドは困惑したような表情で私を見つめた。その疑問に慌てて首を振る。そうじゃない、と否定しながら、攫われる前に起こった出来事を説明した。


「シモンに捕まる直前にね、フレデリカと話をしたの。彼女は、加藤蜜柑として日本で暮らしてるみたい」

「……日本に? 元のお前として?」

「そう。呪詠律で『加藤蜜柑になりたい』って願ったって。……あの時もあんな感じでエコーストーンが光っていて……」


 二人して窓際に目を向けると、そこに置かれた水晶玉ほどのエコーストーンが仄かに紫の光を放っていた。その色――ミュゼを思わせる色は、普段なら私を身構えさせるものだけれど、今はどこか穏やかで優しい輝きに感じられた。


「……おい、あれは、大丈夫なのか?」

「うん、大丈夫だと思う」


 警戒を滲ませたハウンドが、私から体を離してエコーストーンに近づいていく。その後を追って私も近づくと、紫の光が一層強くなった。迷いを振り払うように手のひらをそっと乗せると、まばゆい光の中に映像が浮かび上がった――そこには、加藤蜜柑の姿があった。


『――気付いてくれてよかった。ずっと呼びかけていたんだけれど、応答がなかったから心配したわ』

「フレデリカ、だよね? もしかして……あの時もコメントくれてた?」

『ふふ、気付いてくれた? 私に残された魔力のほとんどを注ぎ込んだのよ。……ちょっと上限値を弄ったから、あなたの開発者さんには驚かれたかもしれないけどね?』


 悪戯っぽく笑うフレデリカに私の目は自然と見開かれる。隣に立つハウンドもまた、信じられないものを見るような表情でエコーストーンの映像を凝視していた。


「お前が……フレデリカなのか?」

『あら、あなたもいたのね。ちょうど良かったわ、もうあまり時間も残されていないしね』

「時間が残されていないって……どういうこと?」

『魔力のほとんどを注ぎ込んだって言ったでしょ? あなたとこうして話せるのも、今後は難しいと思うの。だからまずはお礼を言わせて? ふたりとも、あいつを止めてくれて、ありがとう』


 フレデリカが嬉しそうに笑う姿に、ハウンドは再び目を見開いた。そして、エコーストーンに縋るように手を伸ばし、低い声で問いかける。


「お前は……父親が死んでもなんとも思わないのか? あんな糞野郎とはいえ、お前の父親だろう」

『あなたね……私が何をされたか忘れたの? あんなの父親と呼ぶのも腹立たしいわ。正直、消えてくれてせいせいしたくらいよ。十年前だって、あなたが射殺してくれたじゃないの』

「それでも、お前の目の前で殺しちまったんだぞ。それに、俺はお前のことをずっと閉じ込めることしか出来なかった。……俺のことを憎んでいたんじゃないのか?」

『……あら、すれ違いがあったみたいね。ちょっと整理させて頂戴』


 フレデリカは人差し指でこめかみをトントンと叩きながら、しばらく考え込む。そして「ああ」と納得したような顔をして、ハウンドに向き直った。


『ええとね。まず、私はあなたのことを鬱陶しいと思うことはあっても、憎いと思ったことなんて一度もなかったわ。むしろ感謝していたくらい。でもね、喋るわけにはいかなかったから、それを伝えられなかったのよ。私の力が『声』だけとも限らなかったから、筆談も難しかったしね。それで誤解をさせてしまったなら、ごめんなさいね』


 そういえば、ハウンドに会ってすぐの頃、「あいつは俺のことを憎んでいる」と言っていた。あんなのとはいえシモンはフレデリカにとって肉親だ。目の前で父親を殺されたことで、彼女が感じたであろう喪失感や複雑な感情を、ハウンドは罪悪感としてずっと抱えてきたのかもしれない。

 

 けれども、フレデリカは全く気にしていなかった。それどころか、感謝の言葉さえ口にした。――その気持ち、少し分かるかもしれない。血が繋がっているからといって、親だからといって、必ずしも良好な関係を築けるわけではないのだ。

 ハウンドは親を知らない。だからこそ、親子と簡単に言っても、そんな複雑な関係もあるとは想像もつかなかったんだろう。


『喋れなかった理由については分かるでしょ? 閉じ込められてたことだって不可抗力だって分かってるから、気にしないでちょうだい。……私もあなたには意地悪をしたし、お互い様よ。これで分かった? それなら少し黙ってて。私は、蜜柑と話がしたいんだから』

「あ、ああ。……邪魔して悪かった」


 フレデリカからドライな言葉を受けて、ハウンドはさすがに閉口した。それでも、その横顔はどこか明るく見えた。長年抱えていたしこりが解け、少しだけ心が楽になったのかもしれない。

 

 そんな彼の横顔をぼんやりと見つめていた私の耳に、『こっち見てよ、蜜柑』と少し拗ねたような声が届いた。


「あ、ごめん。ええと、何から話せばいいのか……」

『そうよね、混乱するのも無理はないわ。私が一方的にあなたを知っている状態だったんだもの』

「それなんだけれど……どうして私のことを知っていたの? だって、ここは日本じゃないでしょ?」


 自分で言っておいてなんだけど、ここが日本のわけが無い。地球ですらないだろう。それならばどうして、と理解できないでいると、フレデリカは少し悪戯めいた笑みを浮かべた。

 

『ずっと見ていたのよ。そのエコーストーンを通じて、「加藤さんちの蜜柑ちゃんねる」をね』

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