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114 大型アップデート

 ――誰かが、私にスマホを向けているから、いつものように私はそれに向かって笑いかけた。スマホを構えていた人もそれに応えるように微笑んでいる。

 

 それが、私が「撮られる」ということを初めて意識した日だったかもしれない。


 初めて自分のお金で買ったマイクは二千円くらいの安物だった。「お金ならあるんだから、もっといいものにしなさい」とパパは言ったけれど、私が選んだものは憧れの実況者と全く同じものだった。


 マウスを買って、キーボードを買って、PCを組み立て、防音室を用意する。『加藤さんちの蜜柑チャンネル』というチャンネル名はそのままに、私が主導となって企画を考え、動画を撮る。自分のために少しずつ環境を整えて、生配信を初めてした時の胸が高鳴る感覚は、今でも鮮明に覚えている。


 みんながチャンネル登録してくれるのが嬉しかった。

 みんながコメントで褒めてくれるのが嬉しかった。

 みんなが一緒に盛り上げてくれるのが嬉しかった。


 そう、嬉しかったの。


 この世界に来てからも、できることが増えるたびに少しずつ大好きな人が増えていった。

 エコーストーンを改良してもらって、配信ギルドを立ち上げて、配信者たちが次々と生まれ、それぞれの発信が広がって、みんなで一緒に盛り上げていく。その時間は、何にも代え難いものだったの。


 だから、お願い。


 目の前の小さな画面の中で繰り広げられている、目を背けたくなるようなこの光景も。

 ――フェイクだと言って。


 


『ロベリア、レオ、前に出ろ! ――スイガは下がれつってんだろうが! デュオ、そいつを押さえつけておけ!』


 ハウンドの怒声が私の耳に直接届くことはない。代わりに、画面越しに流れるその声をただ呆然と聞いていた。何もない空間に閉じ込められ、唯一外の状況を知る手段は、この四角い画面だけ。

 

 ――乗っ取られた。そう理解するのに時間はかからなかった。その画面は私の視点で映し出されているにもかかわらず、私の意思とは完全に異なる動きをしている。私の身体は、シモンに支配されていた。

 いつ、そんな小細工をしていたのか――分からない。ただ一つ分かるのは、シモンがどこかのタイミングでエコーストーンを呪具とすり替えていたこと。私がその呪具に触れた瞬間に発動し、シモンの魂が、私の中に入り込んできてしまったことだ。


『爺さん、何がどうなってやがんだよ! シモンがあっちに移ったのなら、どうしてジュリアは目を覚まさない!』


 結界の中に横たわるジュリアの顔は、元の肌の白さも相まってより青白く見える。微かに胸が上下しているもののその呼吸は苦しそうで、汗が絶え間なく流れていた。眉間には深い皺が刻まれていて、少しでも楽にさせようと、縄も猿ぐつわも外されているのが見えた。


『ジュリアの中にもまだシモンの魂を感じる。……おそらく、完全に切り離したわけではない。人質としての価値をまだ感じているのじゃろう』

『糞がっ! おい、どうすればいい! どうやったらリカを止められる!?』

『自らの意思でシモンの魂を追い出すか、死ぬまで止まらん!』


 画面の中に映る私――いや、シモンは、私の身体を完全に自分のもののように扱っていた。そしてあろうことかその口から、炎を吐き出しやがった。私が決して見せたくなかった魔法の使い方で、あいつはまるでおもちゃのように弄んでいる。愉しそうに狂い嗤う姿に殺意が湧いてくる。

 

 炎を撒き散らし、暴風を巻き起こし、近づく者は水の濁流で押し戻す。さらに、戯れのように雷まで落とし、まるで力を試すかのように、シモンは次々と魔法を放っていた。周囲を取り囲む騎士たちは盾を構え、必死に耐えながらも、じりじりと後退を余儀なくされている。


『あはははは! なんだこの尽きることの無い魔力は……! なんと愚かな娘だ。これ以上の力を持ちながらも、くだらないことにしか能力を使わなかったとは!』


 シモンの高笑いが耳障りに響く中、ハウンドたちは私に近づくことができず、苛立ちを露わにしながら遠巻きに囲っていた。もうみんな、先ほどの戦いで疲れ果てているのだ。気力で立っているような状態なのに、それでも誰一人、私を諦めて退こうとはしなかった。


 吹き飛ばされたロベリア様が軽やかに宙を舞い着地する。その拳が私に振り下ろされることはない。ハウンドもクロスボウを投げ捨て、私に掴みかかろうとしたが、『舌を噛み切ってやろうか?』という低い声に、一瞬で動きを止めて後退した。


 ――やめて、もうやめてよ!

 こんな姿をみんなに見せないで……!

 こんな醜態を、これ以上晒さないでよ!


 画面を殴りつけても状況は変わらない。それでも見ているだけなんて、そんなことは出来なかった。私の意思で、早くこいつを私の中から追い出さなくちゃ……!


「シモン!」


 私が強く呼びかけると、画面の向こうのシモンの動きが一瞬止まった。――届いている。私の声が、あいつにも確かに届いているんだ。


「いつまでも見苦しい真似をしないで! いい加減に諦めなさいよ!」

『煩いぞ小娘! お前はそこで黙って見ているがいい!』


 突然叫び出したシモンに、ハウンドが眉を顰めた。そして、何かに気づいたような表情で私に声をかけてくる。

 

『聞こえてんのか? お前の意識はまだ残っているのか?!』

「残ってる! まだ完全に取り込まれていない!」


 せめてこの声が誰かに届けばと思ったのに、私の声はハウンドたちには届かなかった。届いているのは、シモンの脳内にだけだ。


『無駄なことを……! じきにあの娘の意識も消え失せるだろう。さすればまた禁術により力を得ればいい。いや、そんな手間もいらん。その魔晶石を再び取り込めば良い……!』

 

 シモンの目が、シシル様の手にある黒い箱に注がれる。その中には、ミュゼの民たちの魂が封じられている――!


 こんな状況でも、さらに力を得ようとしている執念に身震いする。今ですら最悪なのに、もしもあの魔晶石まで取り込んでしまったらいったいどうなってしまうの……!

 

 ――嫌だ。こんな奴に支配されるのも、こうしてただの見ているだけの存在でいるのも、絶対に嫌!


 怒りに任せて、再び画面を殴りつける。もしもあいつの魂が目の前にあったなら迷わず締め上げてやるのに。あたりを見渡すが、残念ながらその気配はどこにも感じられなかった。

 

「はやく私の中から出ていきなさいよ……!」

 

 もう一度画面に手を叩きつけようとしたその時、地面に転がったままの本物のエコーストーンから、画面がポップアップされた。その内容には――『アップデートが完了しました!』と大きな文字が表示されていた。

 相変わらず詳細は分からない。けれど、次の瞬間、画面の外が見えなくなるほど、華やかなスタンプエフェクトが咲き乱れ始めた。そのスタンプの間を縫うように、ぽつぽつと文字が浮かび上がってくる。


《リカちぃ、頑張れ!》

《そんな得体のしれない人に負けないで!》


 これは――コメント機能だ! 私がずっと待ち望んでいたコメント機能が、ついに解放されたんだ……!


 シモンは目に見えて動揺している。デュオさんも驚いた表情で文字を追っている。私はその一つ一つを読みたくて、画面に食い入るように顔を近づける。――ああもう、そんなに周りを見なくてもいいから、コメントをちゃんと目で追ってよ! 苛立ちに任せて画面を殴りつけると、一瞬、視界が切り替わった。


「――え?」


 気づけば、瓦礫の山の中でぽつんと立っていた。遠くには、身構えるハウンドが私を見て目を見開いている。


「お前……リカか?」


 その呼びかけが聞こえた瞬間、視界が再び切り替わり、また何もない空間へ強制的に戻された。この奇妙な現象に困惑しているのは私だけではなかった。身体の主導権を再び握ったシモンも明らかに戸惑った様子で、周囲を見回している。


『ええい、忌々しい! 何故だ、うまく、定着できない……!? やはり半分の血では――』


 シモンが苦々しい表情で自分の両手を睨みつけていると、その周りを囲むように、次々とコメントが流れ始めた。


《早くリカちぃから出ていけ!》

《デュオ様推しです。シモンとかいうおっさんは邪魔です!》

《領主代行のもっとかっこいいところ見せてよ~》

《あなたなんてリカちぃの足元にもおよびませんわ!》


 浮き上がるコメントを目で追って、思わずふっと笑ってしまう。さっきまであんなに絶望的な気持ちだったのに。どうしてだろう。リスナーのみんなに元気をもらっている……そんな感覚が体の中を満たしていく――!


『アップデートが完了しました!』


 エコーストーンから更に新たな通知が流れた。その瞬間、コメント欄はさらに盛り上がりを見せ、一際目立つ赤枠の吹き出しで『リカちぃ大好きです!』の文字が画面に躍り出た。これってまさか……投げ銭ならぬ投げポイント機能? トーマ君が言っていた大型アップデートって、これのことだったんだ!


『な、なんだこの不気味な赤いのは』

『ええと……自分の魔力をエコーストーンに注ぎ込むとポイントに変換できるらしいよ』


 デュオさんが自身のエコーストーンを開いて、アップデートの概要を読み上げる。


 なんでも魔力を持たない人でも広告を視聴することでマナポイントを得られるらしい。私のアイデアが、こんな形で落とし込まれるなんて――。

 こんな状況にもかかわらず感心している間にも、画面には爆撃のように赤枠の吹き出しが広がり、同時に私の中にものすごい勢いで魔力が流れ込んでくるのを感じた。


『ちょ、ちょっと待て。このままだとシモンが強くなるんじゃないのか?』

『いや……見る限り、全く使いこなせていないようじゃな。どうやらその効果は配信者にしか及んでおらんらしい。……まったく、不思議な娘じゃ』


 そう呆れたように笑うシシル様とは対照的に、シモンの様子はみるみるおかしくなっていった。私の魂が魔力と共に膨れ上がり、彼の存在を圧倒しているからだろう。


『な、なんなのだこの身体は……! 私を受け入れぬどころか、訳の分からぬ力が流れ込んできよる……。このままでは――』

 

《シモンとかいう変なおっさん、マジでダサいんですけど。早く消えちゃえ!》

《配信文化を汚さないで! 私たちから楽しみを奪わないで!》

《リカちぃにもっと魔力を送りたいよ~! がんばって!》

 

 コメントやエフェクトがどんどん私の力へと変わっていくのを感じる。導かれるように画面の向こうに手を伸ばすと、私の身体が画面の中に吸い込まれるように入っていく。それと同時に、シモンの魂が逃げ出そうとする姿が、まるで幻影のように浮かび上がった。


 ――お互いの魂が、交錯する。


 ねぇ、あんたは一体何がしたかったの?

 問いかけても返事はない。ただ、シモンの記憶の断片が、私の脳内に押し寄せてきた。

 

 ――ミュゼの当主としての重責と、宮廷魔導士としての栄光。歴史を断ち切ろうともがいた男の視線の先にいるのは……シシル様?

 そして、シモンの魂に混じり合うのはシモンと似て非なる女――。


 記憶は、冷たい奔流のように私の中を駆け抜ける。その深淵に触れようと、私はさらに手を伸ばした。

 ――でも。

 拒絶は激烈だった。シモンの意識が私を弾き返し、強い衝撃が脳内に走る。


「――ハッ……!」


 視界が再び切り替わる。今度こそ、完全に自分の身体に戻った――! 失われた自由を取り戻し、体内を駆け巡る魔力が、全身を一気に満たしていく感覚が湧き上がる。溢れる力に飲み込まれそうになりながら、私は拳を強く握りしめた。

 

《あなたは、最高の配信者よ!》


 金色の枠に囲まれたコメントが頭上で輝き、これまでに感じたことのない魔力の昂りに身が震えた。すぅ、と息を吸い込むと、清々しいマナが体内に満ちていく。身体が軽い。どこにも痛みはない。私はもう――一人じゃない!


「――どもどもー! リカちぃ、完全復活でーす!」


 両手を広げて呼びかけると、大量の花のエフェクトが夜空へと舞い上がった。

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