011 デュオ・ランヴェール
今日から始まる旅程は、まず北地区の兵舎に向かい一晩お世話になったあと、翌朝早く森へ出発して日中は素材になりそうなものの採取に費やす、というスケジュールだ。採取を終えたら再び兵舎に泊まり、次の日に帰る予定になっている。
この話をシアさんにしたとき、彼女はとても心配してくれてあれこれと荷物を持たせてくれた。便利な肩掛け鞄型の魔道具のおかげで重さは感じないけれど鞄の中はパンパンだ。
そうして小旅行が始まった。初めて会う相手――しかも奴隷という立場の人との長い道中。話題に困るかもしれないなんて、彼を紹介されるまでは思っていた。
だけど、その心配はまったくの杞憂だった。
「――そういうわけで、ランヴェール国は歴史上から消えたのさ。王家の生き残りは僕だけってわけ。傑作だろう?」
彼の『奴隷』という身分を気遣ってこちらからは何も質問しないでいたのに、驚いたことに彼の方から次々と話してくれた。おかげでこの人――デュオさんの素性は分かった。だからこそ、この人は国も家族も失ったのにどうしてこんなに明るいんだろう、という疑問しか湧いてこない。
異世界で出会った金髪碧眼の元王子様は、日本でいうところの爽やか系陽キャの頂点を極めているような人だった。
デュオさんは時折すれ違う人に愛想よく手を振りながら、私が凹凸の激しい道で足を取られそうになるたびにさりげなく支えてくれる。その動作がいかにもスマートで、どこぞの狂犬とは大違いだ。
その狂犬ハウンドからは事前に「悪い奴じゃないが気を許しすぎるな」と注意を受けていたけれど、すぐに仲良くなれそうな雰囲気を持っている人だった。
「う、うーん? 苦労されたんですね?」
「苦労、ねぇ……。王族時代の方がむしろ気苦労が絶えなかった気がするよ」
「そうなんですか? 私、奴隷制度のことはよく知らなくて……そんなに大変じゃないんですか?」
「一昔前ならいざ知れず、今は奴隷も国が管理しているからね。真面目にやってれば生きていくには困らないよ。それに主人に恵まれたのもあるかな。今の主人は昔馴染みでもあるから、僕の立場を尊重してくれているしね」
デュオさんと肩を並べて目的地へと向かう道すがら、話が途切れることはない。「真面目にやってないと殺されることもあるけどね?」と、それはもう楽し気に語ってくれる。
真面目にやってないと殺される世界なんて嫌すぎるけど、この世界ではそれが当たり前なんだろう。日本の常識はもうとっくに通用しないことを痛感する。私の中で、この世界を理解するための意識のアップデートは日々進行中だった。
「まぁ、僕のことはそんなところかな。何か質問があれば喜んで受け付けるよ?」
「う、うーん……?」
質問と言っても大体のことはデュオさん自らが語ってくれたしなぁ。本にしてまとめると一冊の伝記が出来上がりそうなほどの波乱万丈な人生を。
デュオ・ランヴェール。二十二歳。サンドリア王国の同盟国であった、ランヴェール国の元第二王子。サンドリアの豪商が今の彼の主人であり、奴隷の立場ではあるものの付き人としてその商会に勤めているらしい。言動は軽いけれど所作の一つ一つから品の良さが滲み出てて、話し方から推察するに、とても頭の切れる人だ。
十年前の戦争では、ランヴェール国がフレデリカの母国であるミュゼ公国への支援を密かに行い、間接的に反逆に与したことでサンドリアの王様の怒りを買い、戦争によって国は滅ぼされ一族郎党ほとんど処刑されたという。
彼が処刑を免れたのは、ランヴェール国の動向を、フォウ公国のロベリア様に密告したことが功績として認められたからだと教えてくれた。
「ランヴェール国を、いつかは再興させるって言ってましたけど……本当にそんなことができるんですか?」
そんな彼は、ランヴェール国の再興をいつか遂げると言った。一つの国を一から再び興すなんてあまりにも途方もない話のように思えるのだけれど、彼はなんてことはなさそうに笑った。
「もちろん簡単な道のりではないさ。でも僕はまだ生きている。死んでしまったらチャンスも何もないけど、生きていればどうにでもなるだろう?」
なんていうポジティブシンキング。初対面時の飄々とした軽やかさとは対照的に、重たい過去を背負っているからか彼の言葉には深みがあるし、見習うべきところがたくさんありそうな人だ。
優しい空気を纏う彼だからだろうか。初めは警戒していた『奴隷』という肩書への抵抗感も、言葉を交わすうちに徐々にどこかへ消えていった。
「さて、次はリカ嬢のことを聞かせてくれるかな。ハウンドめ、こんな可憐なレディをいつの間に囲っていたんだ?」
「あはは……。ごめんなさい、実は私、自分のことはあんまり覚えていなくて」
ハウンドと何度も復唱したから自分の偽りの生い立ちを語ることなんてもう慣れたものだ。十年前の戦争に巻き込まれた貴族の娘、というだけで大体のことは話が通じる。デュオさんも同様で「それは気の毒だったね」と整った眉を下げ同情してくれた。
「それで今はハウンドの手伝いをしているんだ? 彼は粗暴だから心配だな」
「あ、はい。たまにしばかれることもありますけど、良くしてもらってると思います」
「しばかれるんだ……」
「女子供にも容赦ないですよ、あの人」
共通の知り合いの軽口で盛り上がるのはどこの世界でも同じようだ。北の兵舎へ向かう道のりは、そんなやり取りのおかげで軽快なものとなり、まるでピクニックに出かけるような気分だった。
兵舎に辿り着いたのは、日が傾き始めた頃だった。あらかじめハウンドが連絡を入れてくれていたのだろう、兵士さんが私たちを出迎えてくれる。
「デュオ様とリカ様、ですね? お待ちしておりました。狭いところですが、二階の部屋をご利用ください」
案内された部屋は簡素なベッドが置かれただけの狭い部屋だったけれど、掃除が行き届いていて居心地は悪くなさそうだ。ロベリア様も利用されることがあるらしいから清潔に保たれているのだろう。デュオさんもすぐ隣の部屋に案内されていた。
「あ、一応連絡入れておかないと」
ベッドに倒れこみたい気持ちをぐっとこらえて、鞄から携帯型のエコーストーンを取り出す。これはハウンドが使っているものと同じ型で、私が求める配信に関連する機能はまだ何も搭載されていない、携帯電話代わりに連絡用に渡されたものだ。私の送った魔晶石を利用してシシル様が作ってくれて、「純度が高くて良いものじゃ。おかげで作成時間が大幅に短縮されたぞい」と嬉しそうに語っていた。
えーと、と呟きながら指先で画面を操作する。魔力がなくても扱える便利な代物だけど、少し操作性に不便を感じる部分も多い。これも今後の改善点だな、と頭の中でメモを取ってから、表示されたタッチパネルの中から『ハウンド』を選択する。着いたら連絡しろ、何かあったらすぐ連絡しろ。これが噂に聞く過保護すぎるお父さんなのか、と謎に感心してしまうくらいだった。
『――もしもし』
「あ、わたしわたし。聞こえる?」
頬杖をついたハウンドの横顔が画面に映る。せっかく私が連絡してるのにエコーストーンを横に置きながら話してるな……! ちらりとこちらを見ながらも、手元で何かを書き込む音がうっすらと聞こえてくる。
『おう。着いたか』
「うん、特に問題なく。もう少ししたらご飯の時間だって。楽しみだなー」
私の呑気な発言に呆れたのか、画面越しのハウンドが鼻で笑った。良く食うやつだと日頃から言われるけど、魔力を使うとやたらお腹が空くのだから多めに見てほしい。
『明日はくれぐれも無理はするんじゃねぇぞ。いいのが見つけたらそれを持ってすぐ帰れ。そうすりゃ今後、わざわざ取りに行かなくても採取依頼が出せるだろう』
「そうだね、そうするよ。そっちはどう? 変わりない?」
『半日で変わるわけねぇだろうが。……まぁ、煩ぇのがいねぇからか屋敷の中も静かなもんだがな』
「へぇ〜……私がいなくて寂しいってこと?」
『ふざけたこと抜かす元気はありそうだな。帰ったら覚えてろ、仕事を増やしてやるから』
しまった、調子に乗りすぎた。これ以上藪をつつくと本当に鬼が出てきそうなので、「じゃ、じゃあまた明日ね!」と慌てて通話を切る。これ以上仕事を増やされるなんてたまったもんじゃない。
沈黙したエコーストーンを鞄に閉まって、念願のベッドに体を委ねた。今日は歩いた。たくさん歩いた。それに、とても口も動かした。――だから、私はとても疲れていた。
外はもうすっかり暗くなっていて、壁に取り付けられたランタンの灯りだけがゆらゆらと揺れている。――ねむい。うとうとと、浅い眠りと覚醒を繰り返す。ご飯食べて、体を拭いて、着替えないと。
頭ではわかっているけれど、瞼がゆっくりおちていく――――――……。
「―――リカ嬢」
優しい声に反応して、ううん、と重たい瞼を無理やり開ける。ぼんやりとした視界に映ったのは――デュオさん。まだ半分夢の中にいるようで、この人、もし顔出し動画とかアップしたら絶対バズるよなぁ、なんてことをぼんやりと考えていた。
「ううん……もうちょっと……」
「起きて。今寝てしまったら色々と面倒だろう?」
――それとも、目覚めのキスが必要かい?
そう耳元で囁かれて、一瞬で覚醒した。
勢いよく顔を上げた瞬間、デュオさんの頭とゴチンとぶつかってしまい、二人して頭を抱えるというなんとも間抜けな光景が広がる。
「いったぁ……デュオさん、セクハラですよ……!」
「せくはら?」
あ、伝わんないか。伝わんないよね。額をさすりながら抗議してみたけど残念ながら意味は伝わらなかったようだ。デュオさんも「いてて」と頭を撫でているが、端正な顔立ちのおかげで何をやっても様になっている。
「ご飯の時間だよ。楽しみにしていたんじゃないのかい?」
「わぁ、すみません。わざわざ起こしに来てくれたんですね」
「ノックはしたんだけど返事がないから心配になってね。ほら、口元を拭いたら下においで」
指摘をされて、ようやく自分がよだれを垂らしていたことに気付く。ひぇ! イケメンに恥ずかしいところを見られた……! 袖でゴシゴシと口元を拭いながら、慌ててデュオさんの後を追う。
食堂に入ると、すでに食事を始めていた数人の兵士さんたちが一瞬こちらを見て、少し困惑した表情を浮かべていた。ハウンドがどんな説明をしたのかは分からないけど、彼らにしてみれば得体のしれない来訪者なんだからそりゃそうか。「狭いところですが、どうぞお座りください」と、やや形式的な言葉で案内される。
「ありがとうございます、いただきます」と、私はにっこりと微笑みながら席に着いた。隣に座っていた兵士さんが目を丸くして私を見ている。貴族らしい高慢な態度を返されるのでは、なんて身構えていたのかな? 予想外の私の反応に少し驚いた様子だった。
「粗末な食事で申し訳ありません」
広いテーブルにはパンとスープが並び、私とデュオさんは客人扱いなのか申し訳程度のサラダも添えられていた。確かにお屋敷で食べるものに比べればだいぶ質素なものとはいえ、こうして食事を準備してもらっている身分で文句なんて言ったらバチが当たる。
「とんでもないです。こうして温かい食事を頂けるだけでもありがたいのに、みなさんとご一緒させてもらえるなんて嬉しいです」
目をしっかりと合わせながらお礼の言葉を述べれば、一人の年若い兵士さんが少し戸惑いながらも「いや……こちらこそ、こんな機会は初めてでして……」と返してくれる。兵士さんたちの緊張した雰囲気が徐々に和らいでいくのが分かった。
私とデュオさんなら話を振っても大丈夫と判断されたのだろう。その後も兵士さんたちはぎこちなさを残しながらも話しかけてくれて、会話は徐々に盛り上がっていった。
「北の森に行く用事があるとか。あんな場所に、一体どんな目的で?」
「マナをたくさん含んだ素材が欲しくて……。何か、心当たりはありませんか?」
気さくに話しかけてくれる人たちで良かった。もちろん、現地で探すつもりではあるものの、手掛かりがあるに越したことはない。兵士さんたちは「マナが含まれているどうかかはわかりませんが」と前置きをした上で、滋養強壮に良い草や甘くておいしい果物、毒茸や木の実などの情報を教えてくれた。
「先日の遠征で数は減りましたが、まだ魔獣はうろついています。どうか、くれぐれもお気をつけて」
「この間ハウンドたちが討伐して来たって聞きました。それでもまだ多いんですね」
「あのおかげでここまで魔獣が出てくることは減りましたが、森の中までは手をつけていないですからね」
「あの日は大変だったよな。夜遅くまであちこち見て回る羽目になって」
「ハウンド様がわざわざ来てくださったんだから仕方ないさ。あの日、俺、誕生日で非番だったんだぜ?」
そう笑って話してくれたのは、さっき美味しい果物の話をしてくれた優しそうなおじさん兵士さんだった。「まぁ、誕生日に休みをもらったところで、やることなんて特にないけどさ」と冗談めかして話していたけど、せっかくの誕生日のお休みを潰されてしまったのは確かに気の毒な話だ。
その後も会話を楽しみながら、兵士さんたちは名残惜しそうに食事を終えて席を立っていった。
二人きりの時には饒舌だったデュオさんは、まるで空気のように静かに聞き役に徹していた。