105 開発者の矜持
みしっ、と床が軋む音とともに、部屋全体が緩やかに揺れた。――地震かな?
ベッドに横たわっていたから気付いた程度のごく小さな揺れ。部屋を見渡してみても物が倒れるような気配はない。でも、この世界に来てから地震を感じたのはこれが初めてだった。
少し不安になって窓辺へ向かう。外はもう、すっかり冬の装いだ。それでもこの辺りの冬はとても短いと聞いたから、きっとすぐに春の暖かさが戻るのだろう。外の様子に変わりがないことを確認し、安心してまたベッドに戻った。
シモンは魔法陣をすべて刻み終えて満足したのか、新たに魔獣を放つことも無く不気味なほどに静かだった。このまま何も起こらないのでは――そんな錯覚さえ覚えるくらいに。
でも、彼の存在を感じさせるものもある。呪いの手紙だ。
返事もせず、ほとんど目を通すこともないというのに、まったくもって律義なことだ。魔道具によって選別されたそれはシアさんにお願いして開封することなく燃やしてもらっている。
魔法陣から得た古代文字の解析はマーカスさんに頼んでいる。ミュゼに関する情報を扱えるのは彼にとって願ってもない機会だったようで、二つ返事で引き受けてくれた。ただ、魔術に関する記述には詳しくないからと、トーマ君と連携して対応してくれている。
解析が終わるまでは、いわゆる待ちの状態だ。おかげで最近は平和な日常を過ごせているけれど、今日は少し早めに仕事を切り上げ部屋で休ませてもらっていた。季節の変わり目で風邪を引いてしまったのか、喉の調子が悪いのだ。ライブ配信も今日はお休み。貰った蜂蜜をちびちび舐めながらベッドで横になっていた。
配信を見て過ごしても良かったのだけれど……せっかくならとサングレイスで流行っているという小説を手に取った。その内容は――恋愛小説。自分では得られない経験を本から補うべく、セレスに送ってもらったものだった。
「ううん……このすれ違い、エコーストーンがあれば防げたのに……」
作中の主人公は教会に勤める聖女。愛する婚約者である騎士は戦地に赴き、連絡もままならないままにすれ違いが生じ、第三の女の登場により二人の仲は引き裂かれてしまう。
もし通信ができていればこんな悲劇にはならなかったはず。――そう、すべてはエコーストーンが解決する。本を読み進めながらも、つい頭の中でエコーストーンの売り出し文句を考え始めてしまう。
っていうかさ、モーションをかけられたとはいえ、婚約者がいる立場で他の女になびくなんてこの男が悪くない? なんで聖女が悪者扱いされてるの? だんだんムカムカしてきた。これが今、サングレイスで流行している話らしいけど、納得いかない。
リカちぃとして紹介するような内容じゃないな――と思いつつも、先が気になってしまい続きを読んでいたその時。何の前触れもなく部屋のドアが勢いよく開かれた。作り直した際に強化してもらったはずなのに、また蝶番がギィィと悲鳴を上げている。
こんな乱暴な出入りをする人物はこの屋敷に一人しかいない。無遠慮に部屋に踏み込んできたのは……「ついに出来た!」と目を輝かせるロベリア様だった。
「あの、ドアを壊さないで欲しいんですけど」
「弱っちぃな、強化魔法でもかけておけよ」
「そもそもノックと言うマナーは持ち合わせてませんでした?」
「それ、妹にもよく言われたわ。……おやおや? リカちゃんはなんか疚しいことでもしてたのか?」
うん、絶縁されて当然だろうな。妹さんに心から同情しつつ、彼女が抱えている四角い箱に目を向けた。……あの形、見覚えがある。確か、シシル様が試作品として作っていたもののはず。
「もしかしてそれ……ゲームですか?」
「お、爺さんに聞いてたのか。そうだよ。美麗な3Dグラフィックや重厚なストーリー、斬新なシステムなんてものは何もないが……まぁ、やっぱ最初は原点だよな、原点」
私もさすがにそこまでの性能は期待していなかったものの、原点ってなんだろう。残念ながらレトロゲームに詳しいわけではないから「なんですか?」と素直に尋ねると、ロベリア様は胸を張って教えてくれた。
「ブロック崩しだよ、知らねぇか?」
「ブロック崩し……」
ああ、そういえば、ブロック崩しをモチーフにしたソシャゲがあった気がする。ボールをブロックに当てて全部壊すゲームだよね? 私が想像していたものとは違ったものの、ロベリア様はすごく得意げな表情で私の反応を待っているようだった。
「えーと……どうやって作ったんですか?」
「魔塔にいる奴を何人か金で雇ってな。俺の要望を紙に書きだして渡したら、なんかうまいことやってくれたんだ。エコーストーンの技術も応用できたみてぇだし、あれに比べりゃ随分とシンプルだったみてぇだぜ? どれ、せっかくだから見せてやるよ」
最近何やら忙しそうにしていると思ったらゲーム作りに没頭していたのか……。みんながシモンの対策を練って働きまくっていたというのになんとも自由な人だ。
とはいえ私も興味はあるので、ふむふむと彼女の手元を覗き込んだ。
「……ふふん、これがこの世界における初めてのゲームソフトだ!」
彼女は箱をベッドの上に置いて何やら操作すると、光の画面が空中に浮かび上がった。青白い光で縁取られた枠の中に、真っ黒な画面が広がる。中央には「プレイ開始」とだけ書かれた文字。
ロベリア様が手に持つ四角い板……たぶんコントローラーのボタンを押すと、画面に四角いブロックが並び、それを弾き飛ばすための棒が画面の下に表示された。……いや、「棒」というより、曲がった棍棒みたいな形だ。ブロックも微妙に歪んでいて、見ようによっては崩れた石垣のようにしか見えない。
「すごい、ですね? ……この棒、何を模しているんですか?」
「ん? 棒はただの棒だろ? ほら、これを動かしてボールを反射するんだ」
「……なるほど、さすがロベリア様」
褒めるべきか迷いながらも彼女の説明を聞く。ロベリア様曰く、このゲームを作る際には魔道具に刻まれた術式の一部をプログラムとして利用し、動的に反応する仕組みを組み込んだらしい。もともと複雑な指令を処理するための魔道具に、彼女の知識とひらめきを注ぎ込むことで、なんとか動作するものを作り上げたそうだ。……うん、聞いてもさっぱり分からない。
「最初はこの画面をどうやって動かすかで悩んだんだよ。だけど、魔道具のエネルギー循環の仕組みを使えば、こうやって絵を動かせることに気づいてな。あとは術式にループ処理を組み込んで、ボールが壁に当たったら反射させるようにしたんだ」
手元のコントローラーを操作して画面を動かして見せながら、ロベリア様は得意げに語る。その言葉の中には「条件分岐」や「衝突判定」といった、異世界の住人には理解不能であろう単語がポンポン飛び出してくる。
なるほど、こうしてみると確かにゲームとしての体裁は整っている。背景が真っ黒で、石や棒が歪んだ形の白い枠で囲まれた味気ないもので、サウンドだけはやたら凝っていることを除けば……だけど。
「……定規って概念は忘れましたか?」
「それだと無機質になりすぎるんだよ。インディーズらしいチープさを狙ってるから、フリーハンドの方が温かみがあっていいだろ? それに、正直アートに関しては苦手なんだよな。ブロックは石っぽくしてみたし、棒も……まあ動けば問題ないだろ?」
棒どころか、ボールの形すら微妙に歪んでいる。ただ、見た目を差し引けば、魔道具の性能を最大限に活かしているようにも見えた。
「それにしても……なんで『ブロック崩し』なんですか?」
「簡単だからだよ。最初はゲーム性が高いのも考えてたけど、この世界の人間相手なら最初はこんくらいで十分だろ」
ロベリア様は誇らしそうに操作を始めるが、ボールを反射するのに失敗し続け、ゲームオーバーの表示が何度も出る。そのたびに「あれ? あれ?」と首をかしげるものだから思わず吹き出してしまった。
「凄いですね、こんなにも思い通りに進まないボールも。これはこれでランダム性が高くて面白い気がします」
「ま、まぁな。物理演算を活かしたゲームだと思えば悪くないだろ?」
「でもさすがに、何の背景も無いのはちょっと……」
決してつまらなくはない。でも、明確に足りないものがある。華が無いというか、目を引くポイントがないというか。そういえばブロック崩しって、ブロックの後にイラストが隠れていることが多くなかったっけ?
そのことをロベリア様に聞くと、彼女は目を丸くして驚いた表情を浮かべた。
「お前……いや、さすがにそれはまずいだろ」
「え? なんでですか? イラストが描けないならどっかで撮った風景写真とかでも……」
「だからってリカちぃのエロ画像はまずいだろ。年齢制限が必要になっちまう」
「誰もそんなこと言ってないですよね!?」
この人は一体何を想像しているんだ……! ゲームがこの世界でも一大産業になればいいなと思って一緒に考えてみたのに、どうしてこの人の頭の中は思春期の中学生で止まったままなんだろう?
「あー……エロは論外ですけれど、普通のプロマイド的な写真ならありかも? です?」
「……ふむ、悪くねぇな。他の顔出し配信者のもいくつか用意すればバリエーションが増えるし、リスナーを購買層として取り込める点でも面白そうだ」
「もちろん、著作権料は頂きますからね」
「せこい……!」
何を言っているのか。人の写真を使うなら、著作権料を払うのは当然だろう。配信者たちだって、無料で使われるよりお金をもらった方が嬉しいに決まっている。それに、その方がこちらとしても交渉がスムーズになる。新たな収入源の可能性を感じ、私は前向きに考え始めていた。
「私にもやらせてくださいよ。十字キーと、スタートとセレクト? 右側のボタンは二つだけなんですね」
「過去の遺産には敬意を払うべきだろう?」
「それって、いわゆるパクリでは……?」
「……法務部なんてこの世界には存在しねぇから大丈夫だ」
うん、深く考えるのはやめよう。気を取り直して〇ボタンを押し、ゲームを始めてみる。見ていた通り、棒の動きは滑らかだ。ただし、ボールの動きは思いがけない方向へ進んでいく。大きなバグは無さそうだし、見た目以上に難易度が高くつい熱中してしまった。
「なんで音楽だけこんなに豪華なんですか?」
「魔導士の趣味だな。楽器をたくさん持ってるらしい」
ああ、私の曲を作ってくれた人だろう。それならば納得ではあるが、やっぱりグラフィックに難がある。
「トーマ君なら、見た目をもう少し何とかしてくれそうですけど……」
エコーシリーズの開発者を貸し出すのは苦渋の決断ながらも、このままではグラフィックのせいで売れるものも売れなくなってしまう。もう少し体裁を整えればもっと流行るはずなのに――そう提案してみたら、ロベリア様は渋い顔をして答えた。
「……本体自体のデザインは任せてもいいが、ゲーム内容については駄目だ」
どうしてそこまで渋るんだろう? 少しでもデザイン性を高めた方が絶対に売れるし、ゲーム全体の印象だって良くなるはずなのに……。
私が不服そうな顔をしていたのに気づいたのか、ロベリア様は頭を掻きながら、明後日の方向を見てぽつりと呟いた。
「背景とかキャラデザとかのイラストは……ジュリアに任せたいんだよ」
「ジュリア?」
突然出てきた名前に思わず聞き返す。彼女は「そーだよ」と、あっさり肯定した。
「……ジュリアって絵が上手だったんですか?」
貴族の娘なら芸事に通じていても不思議はない。そういえば小物屋さんにも絵が飾られていたっけ。思い出しながら尋ねると、ロベリア様は「そうなんだよ!」と目を輝かせて答えた。
「あいつ、水彩画だけじゃなくて、デフォルメの利いた動物の絵なんかも描けるんだ。学習院で俺がゲーム作りに誘ったときも、なんやかんやで嬉しそうだったんだぜ? ……だから、俺のゲームのデザイナーはあいつしかいねぇんだ」
なるほど、そういう経緯があったんだ。それならば私が口を挟む話じゃない。きっとロベリア様にとってゲーム作りは特別な意味を持つのだろう。……私にとっての配信と同じように。
「それなら、早くジュリアを助けないとですね」
きっとこのブロック崩しも、ロベリア様にとってはまだα版に過ぎないのだ。ジュリアがデザインを手掛けて、初めて完成形になるんだろう。
「ああ、それまでは他のゲームの構想でも練ってるよ。見てろよ? 一、二年もしたら、日本の最先端のゲームと同等のものを作ってやるからな」
「それは楽しみです。……っと、ゲームクリアしました。うーん、もう少し難しくてもいいかもしれないですね?」
真っ黒な画面に白い文字で「おめでとう」とだけ表示される。まるでやる気のない祝福だ。もう少し演出に力を入れてくれたらクリアした達成感が増しそうなのに……と提案しかけたとき、ロベリア様は悔しそうに顔を歪めた。あれ、もっと褒めてもらえると思ったのに?
「……お前、ゲーム得意なんか」
「うーん、普通だと思いますけど……。でも、どのゲームでもリスナーには褒めてもらえてましたね」
「くそっ、ノーマル舐めプのにわか娘のくせして……!」
「あ、酷い! ロベリア様って、最高難易度の死にゲーこそ至高とか思ってるタイプですね!」
いるんだよね、そういう人。あくまでも私の経験上だけれど、そういう人に限って大抵指示厨なんだよなぁ。つい蔑むような目を向けてしまうと、ロベリア様はなぜか涙目になっていた。
「覚えてろよ……! 簡単にクリアできねぇもんを用意してやるから!」
「難易度は分けてくださいね、この世界には初心者しかいないんですから」
「分かってるわ! 開発者舐めんな!」
あれ、本当に日本では開発者だったのだろうか? そう聞いてみようとしたその時――床がきしむような音がして、部屋全体がゆらゆらと揺れ始めた。最初は静かな横揺れだったが、徐々に揺れ幅が大きくなっていく。
「地震、ですかね?」
揺れはそれほど大きくない。震度で言えば二くらい――日本での経験がそう教えてくれる。たださっきも揺れがあったばかりだし、机の上のグラスが落ちそうで少し焦ってしまう。
「……地震なんて、こっちに来てから覚えがねぇな」
「さっきも揺れてましたけど、気付かなかったですか?」
「そうだったか? 立ってると分かんねぇもんだからな」
さっきの揺れはそれくらい小さかった。でも、今の揺れはさすがに立っていても気付くレベルだ。これが自然災害なのか、あるいはシモンの悪だくみなのか――徐々に違和感が強くなる。
「あれくらいなら被害は少ないですかね?」
「……いや、この世界の建物に耐震性能なんて期待できねぇからな。仕方ねぇ、ちょっと領内の様子を見てくるわ」
ロベリア様が率先して動くなんて珍しいことだ。彼女は神妙な顔をしながら立ち上がると、ゲーム機の箱を小脇に抱えて部屋を出ていった。ドアが開くたびに、蝶番から嫌な音が響いている。
私もお屋敷の中の様子だけでも見ておこうかな。そう思って立ち上がりかけたその時、再びドアが開かれる。入れ替わるように部屋へ入ってきたのは――ハウンドだった。