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101 止まった時間

 早速中央区まで出向くことにした私たちは、せっかくだからとスイガ君も誘って三人で商業区をぶらぶら歩くことにした。


 いつもならすぐにリカちぃの存在に気付かれてしまってちょっとした騒ぎになってしまうのだけれど、今日はブレスレットで姿を変えているおかげで「リカちぃだ!」とリスナーに囲まれる心配はない。周囲の目を気にしなくていい、というのは思ったよりも快適で、自然と足取りも軽くなる。


 そして、ついてきてはくれるけれど表に姿を見せないスイガ君が、今日は私たちと一緒に歩いている。これは先日あるものを彼に渡していたおかげだった。


 

「――これを私に、ですか?」


 それは執務室でのこと。報告をしに訪れたスイガ君を呼び止めて、私は日頃のお礼として魔晶石を手渡した。この魔晶石には、目くらましの魔法が込められている。諜報活動で役立つと思い準備していたもので、これなら隣を堂々と歩いてくれるんじゃないかという密かな期待も込めていた。


「うん。これを身に着けていれば他の人に認識されづらいの。いろいろ便利だと思うんだけれど、どうかな?」

「……それはありがたいのですが、私が頂いてもよろしいのでしょうか?」


 スイガ君は目を見開き、驚いたように聞き返してきた。自分に贈り物が渡されるなんてまったく予想していなかったような顔だ。手のひらに乗せられた魔晶石を、戸惑いを含んだ瞳でじっと見つめている。

 

「もちろん。スイガ君のために用意したんだから。あ、でもごめんね。加工まではしてないから、アクセサリーにしたいなら細工師さんに頼んでね」


 私がやってみたところでせいぜい紐でくくる程度。それに指輪やブレスレットに加工してしまうと、彼の仕事の邪魔になるかもしれないと思ってそのまま渡すことにしたのだ。


「お嬢様がこれを作ってくださったんですよね? ……ありがとうございます。大切にします」


 スイガ君は大事そうに魔晶石を両手で包み込み、静かに目を細めて微笑んだ。――そんな顔も出来るんだ。日頃お世話になっているささやかなお礼のつもりだったけれど、喜んでもらえたみたいで良かった。


 

 そして今日、その魔晶石を持ってきてくれたスイガ君が、私たちと並んで一緒に商業区を歩いている。どうやらエコーストーン用の紐に通して持ち歩いているらしい。実際に使うのは今日が初めてのようで、隣を歩く彼はどこか落ち着かない様子だった。

 

「なんだかソワソワしているけれど、どうしたの?」

「いえ、こうして表を歩くこと自体が滅多にないので……。認識されないと分かっていても、どうにも落ち着かないんです」

「なるほどねー」


 普段は人目につかない場所で活動している彼にとって、こうして人通りの多い場所を歩くこと自体が非日常なのだろう。


「そんなにコソコソしてねぇで堂々と歩けばいいじゃねぇか。逆に怪しいぜ?」

「……うるさい。お前みたいに目立つ奴と一緒にしないでくれ」


 ベージュのシャツに茶色いパンツ、黒のサスペンダーという落ち着いた装いのスイガ君。その隣で、オレンジ色の髪だけでも目立つソルは、さらに黄色いシャツに赤い緩めのパンツという派手な出で立ちだった。センスが悪いわけではないけれど、彼には何の魔法もかかっていないから周囲の視線を自然と集めている。とにかく目立ちたくないスイガ君とはまるで正反対な二人だ。


「オレと歩くのが嫌なら、無理してついてこなけりゃ良かったじゃねぇか」

「お嬢様をお前と二人きりになんてさせられるはずが無いだろう。自分が何をしようとしたか、忘れたとは言わさないぞ」

「あれは……! だって……仕方ねぇじゃねーかよ……」

「はいはい、喧嘩しないで。スイガ君、その話はもういいでしょ? ソルもあんまり突っかからないの」


 私が間に入ると、二人はそっぽを向いて拗ねたような顔をする。かつての出来事――命令に逆らえず、ソルが私に危害を加えようとしたことを、スイガ君は完全には許していないんだろう。未遂で終わったことだし、ソルはその代償としてハウンドに怪我を負わされる罰を受けている。私としてはそれで十分なんだけれど……。


「お嬢様の貴重な時間を、こんな奴に使う必要なんてないのに……」


 スイガ君がぼそりと呟いた。私は軽く眉を上げて「リカ、でしょ」と指摘する。この領地で「お嬢様」と呼ばれる人なんてほとんどいないのだ。変装した今の私には相応しくない呼び方だし、何より周囲の注意を引いてしまう。


「リカ……様」

「リ、カ」

「……恐れ多いです」

「慣れてちょうだい。今のあなたは……そうね、お友達なんだから」


 友人に様付けなんてしないでしょ? と軽く冗談めかすと、スイガ君は小さく呻いた。どうしても抵抗があるらしい。でもこれからはこうした機会が増えるんだから、今から慣れてもらわないと困る。そもそも私たちは主従関係でも何でもないはずなんだから。

 

 通りを歩いて気づいたのは、商業区の空き地が随分と減っていることだった。書類上では新しいお店が増えていることを確認しているけれど、こうして実際に目にすると、その変化がより実感として迫ってくる。

 

 新たに店を構えたのは、商機を見出した商人たちやサントスさんのように独立した個人事業主たちだ。そういえばサントスさんのお店も最近できたはずだけれど、まだ顔を出していなかった。帰りに寄ってみようかなと思いつつ新しいお店を見て回っていると、ソルが私の服をちょいちょいと引っ張った。


「なぁリカ。シアさんは何が好きなんだ?」


 サングレイスに比べればまだまだだけれど、ソルにとってはこの商業区一帯だけでも十分に情報量が多いようだ。困ったように首を傾げる彼の姿はどこか子犬っぽくて、ハウンドは彼をトリだと言っていたけれど、むしろこちらの方が犬だと思ってしまう。感情表現豊かで正直な彼を見ていると、私より年上だということもつい忘れてしまいそうになった。


「甘いものは好きみたいだけど、どうせなら食べ物より小物がいいと思うんだよね。好きなモチーフとかあるのかなぁ? スイガ君、何か知らない?」

 

 シアさんとの付き合いの長さでいえば私よりもスイガ君の方が詳しいはずだ。話を振ってみると、店先に並ぶ看板を眺めていた彼は少し考え込むような表情を浮かべた後、静かに答えた。


「……紅茶を好みますので、茶器が良いと思います」

「ああ、そうだね。紅茶好きだもんね。ティーカップとか、スプーンがいいんじゃないかな?」


 アレクセイ商会なら上質な茶器を扱っている。でも、あそこはソルの予算には少し合わないかもしれない。他にもっと手頃なお店はないかと辺りを見回していると、スイガ君が「あちらの店にも取り扱っていますよ」と指を差して教えてくれた。


「さっすが。ひょっとしてどこのお店に何があるか全部把握しているの?」

「すべての商品、というわけではありませんが、ある程度は」

 

 そう涼しい顔で返答するものだからソルが「凄ぇな……」と素直に感嘆の声を漏らした。

 そう、スイガ君は本当に凄いのだ。記憶力は抜群だし、知識も豊富。年齢に似合わないほど機転が利くのは職業柄なのだろうか。それとも、こういった資質があるからこそ今の仕事をしているのだろうか。諜報を主とする彼の生業は、まさに天職といえるだろう。


 スイガ君がソルに予算を尋ねると、ソルは少し恥ずかしそうに金額を伝えた。しかし、スイガ君は表情一つ変えず「それならばこの奥の店がいいだろう」と淡々と先導を始める。その態度に拍子抜けした様子で、ソルは慌てて彼の後を追った。


 すれ違う人たちは、目立つソルにだけ視線を向ける一方、私のことはほとんど気にも留めていない。スイガ君に至っては存在すら気付かれていないようだ。――うん、魔法の効果は完璧。スイガ君もそれを身をもって実感したんだろう。最初のそわそわした様子は消え失せ、今ではいつも通り背筋を伸ばしている。それでも足音一つ立てないのは職業病みたいなものだろう。


 目当ての店は、大通りから一本外れた静かな道沿いにあった。看板も無いこじんまりとした外観で、危うく通り過ぎるところだった。こんな場所にもお店があったんだ。扉を押し開けると、「いらっしゃい」というしわがれた声が私たちを出迎えてくれた。


 店内はそんなに広くない。洗練された雰囲気と言うわけでもない。けれども、どこか温かみがあった。

 木目が美しく浮き出たカップは丁寧に磨かれ、控えめながらも艶やかだ。壁にはぶら下げられたドライフラワー。鼻腔をくすぐるのはポプリの香りだろうか。そして店の奥にある暖炉のそばで、白髪のおばあさんがロッキングチェアを揺らしてゆったりと本を読んでいた。


「……おや、珍しいね」


 おばあさんが丸眼鏡のフレームに手を添え、目を細めながらこちらを見つめてきた。その視線の先には――スイガ君。魔法がかかっているにも関わらず、彼の存在だけをまるで見透かすような目つきだった。

 

「……おばさんの目は誤魔化せませんね。ご無沙汰しています」


 スイガ君は一歩前に出て、静かに言葉を紡いだ。その声におばあさんの顔が少し和らいだ。

 

「もうほとんど見えちゃいないけどね。懐かしい空気を感じただけさ。今日はどうしたの? ママのお手伝いかい?」

「……いえ、お世話になっている方へのプレゼントを買いに」

「そう。それなら、ゆっくり見ていくといいよ」


 そう言っておばあさんはゆっくりと目線を本に戻した。暖炉の周りだけが外界と切り離されたような、穏やかで静かな時間が流れている。


「ママって……お前、母親がいたのか?」


 ソルが小声で問いかけるも、スイガ君は無言で首を横に振った。その様子でなんとなく察してしまう。あのおばあさんの時間は、どこかで止まってしまっているのだと。


「茶器ならばその棚の辺りにある。他にも雑貨やアクセサリー、編み籠なんかもシアなら喜ぶだろう」


 スイガ君は棚を指し示しながら説明し、その言葉に背中を押されるようにしてソルは棚の方へと足を向けた。店内を漂う不思議な空気に少し戸惑いを残しながらも、手に取る商品を探し始めたようだ。

 

 私も中央の丸テーブルに並べられた木彫りのネックレスに目を留めた。なんとなく懐かしさを感じるデザインだ。――あぁ、温泉宿のお土産屋さんで見かける寄せ木細工に似ているんだ。違うのは埃一つかぶっていない点だ。どれも大切に手入れされていることが伝わってくる。


「……おや、お嬢さんも久しぶりだね。今日も妹ちゃんにお土産かい? それとも絵の具がなくなった?」


 不意に声をかけられ、驚いて手元の小物入れを落としそうになった。振り返るとおばあさんがにこにこと微笑みながら私を見つめている。けれど――私はこの店に来たことなんて一度もない。妹なんていないし、今の私は茶髪に普通のワンピース姿だ。いったい誰と勘違いしているんだろう?

 

 とりあえず「こんにちは」と声をかけると、おばあさんは更ににっこりと笑顔を返してくれた。


「この間の編みぐるみは喜んでもらえたかい? 今度はリボンもいいかもしれないね」


 その優しい表情を見ていると「違います」なんて否定できなくなってしまう。私はちらりとスイガ君に視線を送って助けを求めてみたけれど、彼も少し困惑しているようだった。


「おばさん、彼女は……」


 スイガ君が言いかけるのを遮るように、おばあさんは続けた。

 

「ジュリアちゃんだろう? こんな寂れたお店に来てくれるのは貴女くらいだよ」


 ――ああ、なるほど。おばあさんは私のことをジュリアと勘違いしているんだ。

 雰囲気が似ていたのか、それとも魔法では変えきれない顔立ちに面影を感じ取ったのか。おばあさんの止まってしまった時間の中に、ジュリアが存在していた。

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