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100 養護院の生活

 北地区の森の魔獣討伐後、いまだに各地で魔獣の出没は続いているものの、冒険者や騎士団の精力的な対応のおかげで状況は安定してきている。


 一方の私は魔法陣の調査も終え、少し余裕ができたことでようやく養護院に暮らす人たちの様子を見に行く時間が取れた。忙しさにかまけてすっかり後回しにしてしまった。反省しながら時間を調整すると、料理人として働いているケニーさんが施設内の案内を申し出てくれた。

 

 彼は養護院の三食を担当するだけではなく、日頃から子どもたちと積極的に交流し、少しずつ信頼を築いているようだ。「最近は笑顔を見せてくれる子も増えてきました」と、嬉しそうに笑いながら施設内を案内してくれる。


「こら、廊下は走っちゃだめだろう。ほら、リカ様にもちゃんとご挨拶をして」

「わぁっ、ごめんなさい!」

「お姉ちゃん、こんにちは」

「こんにちは。走りたいよね。今度、庭に遊具を設置しようか」


 廊下を駆けていたのは男の子と女の子の二人組。ケニーさんにすかさず注意され、素直に謝る姿に思わず微笑んでしまう。まだ何も話せない小さな子たちもいるけれど、リカちぃの配信や職員から少しずつ言葉を習い始めたところだという。


 二人は白いシャツに黒いズボンという簡素な服装だったけど、清潔感があり、ここに来たばかりの頃に感じた特有のすえた臭いはすっかりなくなっている。肉付きも良くなり健康そうな表情を見せてくれるのは、献身的に世話をしてくれている職員の皆さんのおかげだろう。


 施設内には新築特有の木の香りが漂い、廊下の窓からは太陽の光がたっぷりと差し込んでいる。板張りの床と相まって、一見すると学校のような雰囲気だ。集団生活をする上でこの構造はとても合理的なんだろう。


「他に不便はしていない? 困ったことがあったら遠慮なく教えて欲しいの」

「えっと……」


 遠慮がちにこちらを見上げる女の子の視線を受け、「大丈夫だよ」と優しく促すと、彼女はもじもじとしながら小さな声で口を開いた。


「なにか、お仕事がしたいの。タダ飯食らいは追い出されちゃうんでしょ?」

「……そんなこと、誰が言ったの?」

「ち、違うの。ここでは誰もそんなこと言わないよ。でも、前のところでは、いつもそんなことばかり言われていたから……」


 前のところとは、ロウラン家の地下のことだろう。基本的に放置されていたとは聞いたけれど、心無い言葉を投げかけられることもあったのかもしれない。その記憶が今もこの子の心に重くのしかかっているのだと理解し、悲しくなった。

 私の常識ではこんな小さな子どもが働く必要なんてない。そう伝えようとしたら、隣のケニーさんがそっと耳打ちしてきた。


「……このフォウローザでも、ある程度の年齢になれば見習いとして働き始める者も少なくありません。今は元奴隷という背景もあって同情を集めていますが、それも時が経てば妬みの対象になりかねません」


 ――なるほど。最近では職にあぶれる人が減り、生活に多少の余裕が生まれてきたとはいえ、この領地は元々はないない尽くしの土地だった。配給を受けに来る人々の大半は、貧困に苦しむ人たちだ。ここで心身を癒してもらうためとはいえ、ずっと働かずにぬくぬくと過ごしていると思われたら、いらぬやっかみを招いてしまうのだろう。


 格差がある程度生まれるのは仕方がない。でも、普通に働いている人たちと比べて、この施設の住人たちが「楽をしている」と受け取られるのは望ましくない。形式的であっても「仕事をしている」という姿勢を示さなければならないということか。ううん、領政って本当に難しい。


「分かったわ。あなたたちにもできる仕事がないか探してみる。でも、今は元気でいることが一番大事な仕事だってことを忘れないでね」

「うん、ありがとう、お姉ちゃん!」

 

 女の子は安心したように笑顔を見せ、男の子と一緒にその場を離れていった。そのまままた廊下を駆け出しそうになり、すかさずケニーさんが「走らない!」と注意を飛ばす。


「みんな元気そうで良かったです。任せきりにしてしまっていて申し訳なくて……」

「リカ様は多忙なんですから仕方ありませんよ。それに、教会勤めの奥様方とも連携して対応していますから、どうぞこちらのことはお任せください」


 そうフォローしてもらえると少しだけ肩の荷が下りた気がした。

 その後も、施設内の部屋を一つひとつ回り、住人や職員に挨拶をしながら不備がないかを確認していく。

 広々とした食堂の中ではエコースポットの周りに人が集まり、何かの配信を聴いていた。邪魔をしないようにそっと覗き込むと……なんと、リカちぃが昨夜投稿した動画を楽しんでくれているではないか。


 昨日の内容は――魔塔の魔導士さんの協力のもと作り上げた新曲の発表だ。コール&レスポンスと簡単な振り付けを取り入れた、この世界ではまだ馴染みのないスタイルの曲だった。

 

『リカちぃのステージ、はっじまーるよー! みんな準備はいい?』


 続けて『ハーイ!』と元気な声がエコースポットから響く。もちろん、それはリカちぃとは別の人たちの声――ということにしておきたいところだけれど、実際には、誰かに頼むにはハードルが高すぎたから、自分の声をベースに音程を変え、何重にも重ねたものだ。

 

 リスナーの皆が覚えてくれたら、いつかはライブなんかして披露したいなぁ――。そんな夢を抱きながら歌った、これからのリカちぃのテーマソングとなる曲だった。

 この新しい試みに対するみんなの反応を、背後からじっと観察してしまう。


『元気な声で応えてね! それじゃあ、いっくよー、せーの! みんなで! (リカちぃ!) 元気に! (リカちぃ!) くるっと回ってもういっかーい! (フー!) 笑顔で! (リカちぃ!) 楽しく! (リカちぃ!) ビシっとポーズでリカちぃビーム☆』


 うん、こうして改めて聞くと――恥ずかしい。いや、これだいぶ恥ずかしい。顔が赤くなるのを感じていると、隣でケニーさんがニヤニヤとした顔で、「ビームの時のポーズって、こうでいいんですか?」なんて聞いてきた。


「もう、違いますよ。親指と親指を下で合わせて……ほら、こうすると手がハートの形に見えるんです」

「なるほど。昨日聴かせてもらいましたけど、これは……兵舎の連中と一緒にやりたくなりますね」


 兵士さんたちがハートの形を作って決めポーズをしている姿……それはぜひ見てみたい。いま目の前で熱心に聴き入ってくれている子どもたちも、ノリの良い音楽に合わせて自然と身体を揺らしている。


『――ずっとみんなで、レッツパーリィ♪』


 どうやら曲も終わりに近づいたようだ。映像の中のリカちぃは最後に左手を腰に当て、右手の人差し指を頭上に掲げてキメのポーズを取る。その姿を見ていた小さな子どもが、同じポーズを真似し始めた。少し革新的過ぎたかなと思ったけれど、こうしてみんなが楽しんでくれるならやって良かった。


 さて、曲も終わったし、彼らはどんな反応をするだろう。背後でそっと様子を見守っていると――なんと動画を最初から再生し始めた。『準備はいい?』の掛け声に「ハーイ!」と手を挙げる声が聞こえる。そのまま映像が進むにつれ、少しタイミングを間違えながらもレスポンスの練習をし始めた。


「……邪魔しちゃ悪いですね、別の部屋をご案内しますよ」

「あ、うん。ありがとう」


 ここでリカちぃ本人が登場してしまったら収拾がつかなくなりそうだ。ケニーさんの提案に従い、私たちは静かに食堂を後にした。そして階段を上り、館の角部屋にたどり着く。中を覗くと、オレンジ頭のソルと目が合った。


「お嬢! 来てくれたんだな!」


 にっかりと白い歯を見せて笑う彼の顔を見たらなんだかホッとした。どうやら頼れる年長者として頑張ってくれているようだ。この施設を率先してまとめようとしている姿勢が表情からも伝わってくる。

 彼の周りには同年代の男女が数人集まっていて、私の姿を見ると慌てて立ち上がり丁寧にお辞儀をしてくれた。


「来るのが遅くなっちゃってごめんね。ここの生活はどうかな?」

「信じられないくらいに快適だよ。そこの兄ちゃんにうめぇ飯を食わせてもらって、風呂にも毎日入れるんだぜ?」


 なぁ? とソルが周囲に同意を求めると、彼らはどこかぎこちないながらも頷いてくれた。それは建前として言わされているからではなく、私に対する遠慮から来るもののようだった。もっと早く顔を出すべきだったかな。でも、こればかりは時間をかけて信頼を築いていくしかないか。

 お屋敷の人たちや領民も、今でこそ親しみを持って接してくれるけれど、最初はそうでもなかった。ハウンドの後ろに隠れるように歩いていた私との交流に、彼らも戸惑っていた気がする。


「もう少し落ち着いてきたらみんなに少し仕事を割り振ろうと思うんだけれど……何ができそうかな?」

「ああ、それはありがてぇや。オレ達もだけど……まだ文字の読み書きは出来ないから、そういう仕事は難しいと思う。でも単純作業は得意だぜ? 危ないことだって、全然任せてくれて構わねぇよ。この辺に鉱山があるなら全然行くし、なぁ?」

「ええ、以前はそういった仕事にも従事してました。も、もちろんリカ様がお望みであれば魔法実験も大丈夫です。以前もやってましたし、体は、頑丈な方なので……」

「どうか危険なことは私たち大人にお任せください。体を売ることも厭いません。だから子どもたちには……その、どうかご容赦を……」


 彼らの言葉にはら奴隷としての価値観がいまだ深く染み付いていた。ケニーさんもその事実を目の当たりにし、あからさまに顔を顰めている。


「何を言っているんだ。リカ様がそんなことをさせるわけがないだろう」

「で、でも私たちには学がありません。解放して頂いたご恩をお返しするにしても、この身一つで出来ることしか思いつかなくて……」


 悲しげに俯く彼らを見ていると何も言葉が出なくなる。過去に受けた仕打ちやその影響がいかに根深いものなのか、痛感させられた。


「オレだって好きにさせてもらってるけれど、本当はもっとちゃんと恩返ししたいんだ。なんでもいいんだ。オレ達がここにいてもいいんだって、そう思えるようなことをさせてもらえると、本当にありがてぇ」


 ソルの言葉には飾らない率直さがあった。――そうだ、彼らへの名付けもまだだった。やらなければならないことを後回しにしてきたツケが、今まさに目の前に迫っている。


「……うん、分かった。不安にさせてしまってたらごめんね。名前のことも含めて、もう少しだけ時間をくれると嬉しいな?」

「も、もちろんだよ! 我儘ばかり言って本当にすまねぇ……」


 申し訳なさそうに謝る彼らを見て、胸の奥がちくりと痛む。食事と安心して眠れる場所さえ提供すれば十分だと思っていた。でも、それは傲慢な考えだったのかもしれない。彼らの気持ちに寄り添うことを怠っていた自分が少し恥ずかしくなる。


 体力を取り戻しつつある彼らは、時間を持て余してしまっているのだろう。ただ遊んでいればいいと言われても、むしろそれが重荷になっているのかもしれない。

 思い浮かぶのはハウンドやロベリア様の言葉――忙しくさせれば、余計なことを考える暇もなくなる。その言葉が、今さらながら説得力を帯びて響いた。


 彼らに別れを告げ、部屋を回り終え私たちは玄関へと向かう。その途中、考え込んでいた私にケニーさんが遠慮がちに声をかけてきた。

 

「料理人見習いとして受け入れることも出来ます。刃物を扱うことになるので、ある程度の年齢が望ましいですが」

「ありがとうございます。いくつか仕事を提示して、得意なことや希望するものから選べるようにしてあげたいですね。……本当に申し訳ないんですけれど、他の職員の方にも回せそうな仕事が無いか確認してもらえますか? 私は別の方面で探してみるので」

「それくらい、お安い御用ですよ」


 ケニーさんの頼もしさに自然と頭が下がる。料理人の見習いとはいえ教育にはコストがかかるはずだ。それを快く引き受けてくれる彼には感謝しかない。


 養護院を出てお屋敷へと向かう道中。「おーい!」と後ろから声が飛んできた。それはデジャブのような光景で、声の主はソルだった。彼の足の速さには驚かされるばかりだ。


「どうしたの? 他にも相談事?」

「あ、ああ。他の連中にはちょっと聞かれたくなくて……」


 気まずそうに視線を逸らす彼の様子に、何か問題が起きたのかと一瞬不安になる。私の表情にそれが出てしまったのか、ソルは慌てて手を振った。


「大したことじゃないんだ。……シアさんに、礼をしたいんだ」

「……シアさんに?」


 シアさんは、ソルがお屋敷にいる間、献身的に彼の世話をしてくれた。騎士の訓練に参加できるよう取り計らったのも彼女だったらしい。ソルが養護院へ移ってからはその役目を終えたけれど、きっとソルはその時のお礼がしたいんだろう。


「お世話になったから、そのお礼? ええと……お金って持ってる?」

「ああ。屋敷にいるときに薪割りとか手伝ってたんだ。その時に少しばかり貰ってる。そんなのいいよって言ったんだけど、貯めといて良かったよ」

「そっか、使わないでいたのは偉いね」

「使う場所も無かったしな。……屋敷を出る直前のシアさん、なんか落ち込んでいるみたいだったんだ。少しでも元気になって欲しくて」


 そう言われると……最近のシアさんの様子はどこか不安定だった。もちろん仕事に大きな支障をきたすことはない。この間は心中を吐露してくれたけれど、やっぱりソルがいなくなった寂しさを抱えているのかもしれない。


「それじゃあこの後に時間はある? ちょっとお買い物にでも行ってみようか?」


 誘ってみれば、ソルは顔をパっと輝かせた。どうやら中央区にはまだ行ったことがないらしい。その表情に、外の世界に恋い焦がれた、かつての自分を思い出した。



100話になりました…!

当初は100話くらいの予定だったんですが、あと20話ほどで本編完結となります。

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