暗闇
峡谷の奥深くでは、日没とともに影が長くなり始めた。高さ1,000寸もある険しい崖が、太陽の最後の光を阻み、峡谷は早くも暗くなりつつあった。
峡谷の中心部、貧しい峡谷住民の家と兵士たちの家を硬い障壁のように隔てる大宮殿の一室、中庭しか見えない部屋で、窓の前に置かれた革張りの肘掛け椅子に座った青年は暗闇を呪った。彼は気づかないうちに、肘掛け椅子の革を爪で引き裂いていた。
その時、遠慮がちにドアをノックする音がした。使用人の女が入ってきて、すぐに話し始めた。"お父様から、大広間での宴会に出席するようにとのことです。"
青年は振り向きもせず、を目を端にやった。「父上が尋ねているのか、それとも総督が命令しているのか。」青年は不敵な笑みを浮かべて尋ねた。使用人は黙っていた。彼女は片足で床を蹴り、今にも出ていきたそうにしていた。青年が「出て行け」と怒鳴ると、彼女は一秒も待たなかった。
総督の息子は我慢できずに立ち上がった。「峡谷でごちそうを食べるくらいなら、北の砂漠で喉がカラカラのまま取り残される方がマシだ。」
部屋を出るとすぐに、静かな宮殿の廊下に音楽の音が聞こえてきた。廊下の隅々で見張りをしている衛兵たちが敬礼をする中、彼はその状況に気づいていないようだった。音楽の陽気な音色も、大広間に途切れることなく運ばれてくる食事の食欲をそそる匂いも、彼の表情を変えることはできなかった。大広間には、宮殿の使用人たちと、高い階段の上にある玉座に座っている総督以外、誰もいなかった。総督は、息子が階段を上り、隣の玉座に座るのを満足げに見ていた。
青年は席に着くなり、皮肉たっぷりにこう尋ねた。「父さん、誰と宴会で会うのかな?」
「新しい果実だ」と、総督は冷静な笑みを浮かべて言った。
「ここにある果実以外のす全部の果実を食べ尽くすつもりだとは、なんという快挙だろう」と、彼は憤慨したように不敵に答えた。「そして、ここにいる私たち以外は誰も食べられない果物だ」と、総督は息子の普段の振る舞いに慣れた様子で付け加えた。
青年は歯を食いしばって笑った。「安心したよ。」彼は言った。
「とはいえ....ハエ以外誰も見当たらないな。」彼は左右を見渡しながら言った。
フルーツを運んできた使用人は、一瞬立ち止まり、マーティンを見た。皿が音を立てて置かれた時、マーティンは汚い笑いを漏らさずにはいられなかった。「こんなゴミ捨て場で果物を腐らせないでくれ。」
総督は息子をじっくり見て、深いため息をついた。"これ以上何が欲しい?"
しかし、息子の顔は突然、憎しみで強張った。「何もない」と彼は奇妙な落ち着きで父親の顔を見つめた。彼は言った。「何か欲しがれる?」
一人の兵士が総督に近づき、果物を栽培している峡谷主が中に入りたがっていると耳打ちすると、総督は彼に入るように合図した。広間の大きな扉にいた衛兵が扉を開け、彼を中に案内した。入ってきたのは、背の高い赤褐色の髪の男、テムリハだった。服は古く、靴は泥だらけだった。彼がゆっくりと広間に入ると、総督はテムリハを連れてきた兵士に尋ねた。
「あれは誰だ?」
「彼は預言者メクセリーナの息子です。」
総督は眉をひそめた。彼は続けた。「彼はこの果物が育つように屋根付きの庭にそれを植えた方であります。」
テムリハが総督の玉座がある階段に近づくと、総督は手を上げて彼を止めた。"私の絨毯を踏むな!"
テムリハが大きな絹の絨毯の前に立ったとき、総督との距離はかなりあった。テムリハはためらいがちに話し始めた。「御馳走をお楽しみ下..」
総督は不躾にも彼の言葉を遮った。「何を言っているんだ、聞こえないぞ。」
テムリハは唾を飲んだ。この距離では音楽にかき消されてしまうため彼は声を張り上げた。「お食事をお楽しみ下さい、総督。」
「聞こえないと言っている。」総督は怒ったように遮った。
テムリハは立ちすくんでいた。テムリハは立ったまましばらく黙って総督を見つめていた。総督が言った。「話せないなら、なぜここに来た?」
しかし、テムリハは、閉ざされた口を開くことができないように見えた。まるで常軌を逸したことをしようとしているかのように、彼は深呼吸をし、無理やり体をまっすぐにした。そして、彼はほとんど叫ぶように話し始めた。「屋根つきの庭で育てた野菜や果物を宮殿に送る代わりに......」。
総督は怒ってまた遮った。「私に頼みごとをするとは何様だ?」
総督が声を張り上げると、音楽が止まった。「お前に今息があるのはご褒美だと思え。今すぐに出ていけ!」
衛兵たちがテムリハを連れ去ろうとしたとき、テムリハは冷静に言った。「そうでしたら、もう野菜や果実を育てれないかもしれません。」
総督は手を挙げ、衛兵たちを呼び止めた。彼は玉座に進み出ると、怒りに満ちた目をテムリハに向けた。凍てつくような沈黙の中で、マルティンは意味のない笑いを浮かべた。「でも父さん、その果物は私たちの好物でしょう?」
総督の怒りは目に見えて増した。しかし、その怒りの矛先はマーティンではなく、峡谷のテムリハに向けられた。「これは罰ゲームではない。だが、もしお前が要求と脅迫の違いを知らないならどうなるか分かっているな......」
総督は隣の兵士に合図した。テムリハは慎重に話した。「峡谷に住む人たちのために、薬草を育ててみたかったんです」。
総督は鞭を持って戻ってきた兵士に向かって、「要求と脅迫の違いがわかるまで打て」と命令した。
テムリハは後ろによろめいた。二人の衛兵が駆け寄り、彼の両腕をつかんだ。衛兵が鞭を持ってテムリハに近づくと、テムリハは総督を見た。そして、感情が爆発したように、誇らしげに闊歩しながら声を出した。「私はもう違いを知っております。」
総督は怒りを抑えきれずに立ち上がった。そして唾を飛ばしながら叫んだ。「物乞いを覚えるまで打ち続けろ!」
応接間にいる使用人たちのささやき声が響く中、使用人たちはテムリハのボロボロの服の背を引き裂き、鞭で叩き始めた。マーティンは父親が部屋から出ていく前にささやくように言った。「私はこの男を知っている。たとえ預言者のか弱い息子でも、敢えて父さんに立ち向かえたみたいだ。」
総督は怒った様子のまま息子を見た。しかし、息子はためらうことなく続けた。「父さんの終わりは近い。」
総督は唸った。「お前が息子だろうが、私はお前をこの峡谷に埋めることだってできるんだぞ。」マーティンは一瞬立ち止まり、周囲を見回した。そして深呼吸をすると、眉間にしわを寄せ、唇をきゅっと引き結んだまま、静かに広間を後にした。
マーティンが彼の部屋に入るなり、彼は素早く部屋を1周して独り言をつぶやいた。「この老ぼれは、ゴミ捨て場のハエも処理できないのか。」その年寄りは首を左右に振った。「ダメだ!ダメだ!俺はここの人間じゃない。」窓際まで来ると、年寄りは空を見上げて言った。「もう少し待ってくれ、マーティン。頭上にはまだ光がある。」マーティンは革張りの肘掛け椅子に腰を下ろし、頭を掻きむしりながら、こう愚痴をこぼした。 「あの訪問者が誰を知っているのかさえ分かれば..そうすれば、 私の仕事はもっと楽になるだろうに。」
しばらくしてマーティンは立ち上がり、ドアまで歩いて行き、ドアを開けて廊下をそっと覗いた。音も動きもない。頭を覆い、毛布を肩にかけ、静かな廊下を歩いた。「ミロンを連れてきて、道を空けてくれ」彼は自信たっぷりにそう言うと、角を曲がって見張りに立っている兵士たちに向かって歩き出した。
兵士たちは彼の声に気づくと、すぐにマーティンの言うとおりに動いた。マーティンはしばらく、角を曲がって彼らがいなくなるのを待っていた。しかし、マーティンは我慢の限界が来て、自分を抑えることができずに前に進み始めた。彼が歩いている間、行く手にいた衛兵たちは、彼が通り過ぎるときに迂回したり、敬礼したりした。
宮殿の庭の門に着くと、最初に会った二人の衛兵と、新しく入隊してきた峡谷人のミロンに会った。「配属感謝致します。あなたの専属兵になれて光栄です。」ミロンはマーティンを見て言った「あぁ、そうだね。」マーティンは淡々と答えた。三人の衛兵とマーティンは、宮殿の庭の裏門から静かに抜け出し、彼らを待っていた馬の背に飛び乗った。
峡谷の南壁の影の中で、ゆっくりと移動した。宮殿の庭から十分に離れると、峡谷に住む人々の間に家が見えてきた。木造の建物は谷のさまざまな場所に置かれていた。斜面に浮いているものもあれば、頑丈な木のポールの上でバランスをとっているものもあった。平地に不規則に並ぶ家もあった。渓谷の緩やかな石造りの床に合わせて、それぞれの高さに建てられていた。
峡谷の弱々しい建物は、倒壊を防ぐために頑丈な木の柱で支えられていた。この支柱が家屋の強度と耐久性を高め、まれではあるが、峡谷の強風や洪水から家屋をできる限り守っていた。屋根から屋根へロープで橋をかけ、家と家の間を行き来するのが一般的だった。この橋のおかげで、渓谷の住人たちは簡単に谷を移動し、互いに連絡を取り合うことができた。
峡谷の住人は夜間の外出が禁じられていたため、完全な静寂が広がっていた。昼間は農作業や採掘などの重労働に従事する人々でさえ、夜の休息時間は非常に長かった。日が暮れてから、家々をうろつく総督府の兵士たちの注意を引かないように、ろうそくの明かりの下で静かに座っていた。女性たちはロウソクの明かりの中で布や絨毯を織ったり、翌日の食事の準備をしたりもした。
総督の兵士たちが峡谷警備に当たっているときは、どんな口実でも使って住人たちの家に押し入り、好きな者を連れ去ることができた。だから峡谷の夜は長く、不気味で暗かった。マーティンは警備兵の一人を送り、峡谷の通りをパトロールする兵士たちに知らせを伝えた。総督の息子が視察に加わったことを伝えるためだった。その後、マーティンはペースを上げた。彼は馬で峡谷の最東端にある洞窟に直行した。
この地域には、峡谷の壁に大小の洞窟があった。ある洞窟は地面に近いところにあり、簡単に入ることができたが、ある洞窟は峡谷の壁の高いところにあり、登らなければならなかった。このような高い洞窟に家を建てようとする者は、石を巧みに配置して入り口を作らなければならなかった。
ある洞窟には、ある人々が住んでいた。「ホワイツ」と呼ばれる彼らは、峡谷の住人たちのゴミを食べ、人工物はできるだけ使わなかった。彼らは皆、喪を象徴する白い服を着ていた。昼間は黙々と峡谷の道を歩き回り、食べ物を漁り、夜になると洞窟の入り口を毛布で覆い、中で哀歌を唱った。
哀歌の中で彼らが語ったように、ホワイツたちは峡谷に閉じ込められた自分たちを神の天罰とみなしていた。罰が終わって初めてこの状況から解放されるのであり、それまでは人生のあらゆる楽しみを慎むべきだと考えていた。そのため、夜になると、峡谷の静かな通りとは対照的に、ホワイツたちの住む地域は、大声で嘆き、泣きながら歌う彼らの轟音に支配された。
洞窟までの道のりの長さにマーティンの忍耐力が試されたが、彼は、総督でさえ放っておいたホワイツの集落が最も安全な仕事場だと判断した。長い旅の終盤、峡谷の家々はまばらになり、揺らめくろうそくの光がついに消え、暗闇が増してきた。洞窟が近づくにつれ、馬は暗闇に怯え、あるいはだんだん大きくなる洞窟の音に怯え、這うようにスピードを落とした。
「もう十分だ」とマーティンは愚痴をこぼした。「登れる場所などいくらでもある。そんなにこだわる必要はない」
「いいえ、違うのです。」ミロンは震える声で抗議した。「あなた様の命を危険にさらすことはできません。」
マーティンは馬から飛び降り、こう答えた。「私を引き上げてくれ。」
衛兵たちは、暗闇が自分たちを隠してくれると信じ、しかめっ面を顔に張り付けていた。峡谷の家々は遠かった。しかし、彼らはまだ洞窟に住むホワイツの集落には到達していなかった。衛兵の一人が人里離れた場所に馬を繋いだ。マーティンが不安そうに辺りを見回していると、ミロンが近づいてきて、「ご心配なく、ホワイツたちは誰が登り、誰が下ろうとも気にしませんから」と心得たようにつぶやいた。そして、彼らはミロンの指示に従って高い岩壁を登り始めた。
3人の衛兵は全員、マーティンの背中にくっついていた。こうすることで、3人が並んで登るとき、マーティンの体重を簡単に支えることができ、マーティンが落下する危険性は3分の1に減った。時々、彼らは峡谷の壁にある小さな洞窟に入り、マーティンを引っ張り上げた。しかし、この方法で頂上に達するには何時間もかかった。ようやくゴンドワナの大地に足を踏み入れたときには、彼らは疲れ果てていた。
マーティン達が丘の頂上について喜ぶよりも前に、ゴンドワナの国境警備隊が彼らを見つけ、マーティン達は足元に放たれた矢に驚いた。マーティンは命からがら叫んだ。「やめろ!」
しばらく音がしなかった。マーティンは勇気を出してさらに数歩歩いた。しかし、数歩歩いたところで、ゴンドワナ兵の下品な笑い声が聞こえ、自分が彼らに囲まれていることに気づいた。「止まりまろうか?」とゴンドワナ兵の一人が言った。
マーティンはできるだけ大きな声で言った。「ああ、お前達の司令官と話させてくれ。」ゴンドワナ兵が言った。「話したいなら話せばいい。止めるつもりは無い。」
「私が司令だ。お前と話したい理由が見つからないな。」ゴンドワナ国境軍の司令官は皮肉たっぷりの声で言った。「私は峡谷の総督の息子です。」マーティンが言った。「だから何だ?」
「あなたに知らせがあります。」司令官は暗闇の中でも見えるほどマーティンに近づいた。「何の知らせだ?」
マーティンは慌てて答えた。「カプラ。カプラの血統についてです。」
ゴンドワナの司令官からうなり声が上がった。マーティンは司令官が興味を示したことに気付き、体の力を抜いた。「父はラヴラシア貴族と結託して、あなた方の同盟を裏切っている。カプラの血筋について、重要な秘密をあなたに隠しているのです。」
さらに数歩進むと、司令官が懐疑的に尋ねた。「峡谷の総督はラヴラシア人ではなかったのか?「その通りです。」とマーティンは答えざるを得なかった。司令官は荒々しくハスキーな声で笑った。「おかしいのは、元ラブラシア人で新峡谷のクズがゴンドワナで何をしているんだ?」
マーティンは顔のどの筋肉も動かせないかのように硬直した。彼は歯を食いしばり、笑おうとした。「おそらく」彼は力強く言った、「私も裏切りたいのかもしれない」
静寂が訪れた。その静寂の中で、司令官が唾棄するようなうなり声で独り言を言っているのが聞こえた。「カプラの子供たちが近くに住む者に裏切られるのも無理はない。」そして彼は振り返り、暗闇の中に足を踏み入れた。次の瞬間、マーティンは膝の裏に突然の痛みを感じ、地面に倒れ込んだ。頭は袋で覆われていた。