第3話「王冠を戴く者 ケテル」
生命の樹、セフィロトの麓にたどり着いたエルティたち。しかし、現れた機械神が行く手を阻む……
「で……で……」
エルティはわなわなと震えながら、声を高らかにして叫んだ。
「デカーーーーーいっ!!??」
眼前に立ちはだかるのは、蛇のような楕円形の頭部を持ちながら、背中に燃え上がる炎のごとくうねる無数の羽を揃え、それでいて胴体から下肢にかけては足を持たず、透き通った白い巨躯を誇る鋼鉄そのもの────機械神と呼ぶにふさわしい、圧倒的なまでの存在だった。
「こ、これが……セフィロトを守る機械神……!?」
「そう、こいつはセフィロトに近付く人間がいるとこうやって現れて威嚇するんだよ!」
機械神は両翼を大きく広げたまま、獣のように低く唸る。あるいはそれは未知の機械の駆動音なのかもしれないが、どちらにしても押しつぶされかねないほどの威圧感を与えるには十分すぎる迫力だろう。
「もしかして、機械神が攻撃してくるからセフィロトに近付けないってこと……?」
「そういうことだな。けど、こいつはこの断崖を越えようとしない限り大人しいから襲われる心配はないぜ」
身の丈を遥かに上回る巨躯を前に他の面々が気圧される中、ハーティンだけは落ち着き払っていた。その言葉を聞いて、エルティもソフィアも安心する……が。
『───!!────!!!』
「……な、なんか、めちゃくちゃ怒ってない?」
「……言われてみりゃ確かにそうだな……」
心臓ごと揺さぶられるかのような機械神の低い咆哮。明らかに尋常ではない様子を指摘すれば、ハーティンがそれを肯定したことによって先ほどまでかいていた冷や汗が再び戻ってくる。
「で、でもさ、あの断崖を越えようとしなければ大人しいままなんだよね?」
「……あ、あの〜……さっき言ってたこと思い出したんだけどさ……エルティってさ、機械兵に襲われたんだよね……?」
「……………」
一同の顔が、さーっと青ざめた。
「も……もしかしなくてもこれってさ……」
「すっごい嫌な予感……!!」
『──────!!!』
凄まじいまでの轟音。天に向かって吠え立てるその絶叫は、走る嫌な予感を現実のものとする。
「———え?」
その瞬間、エルティだけがどこか冷静に、怒れる機械神の頭部を見つめていた。
(———王冠戴く守護者……ケテル?)
そこに浮かんでいるのは文字らしき記号。それは見たこともない未知の言語のはずなのに、エルティはその文字の意味を直感的に理解することができた。
「ギャーーーーーーッ!!!」
甲高く響くアーニーの悲鳴が彼女を現実に引き戻す。機械神が持つ炎の如き翼からは無数の眩い光が飛び上がり、地面めがけて降り注ごうとしていた。
「に、逃げろおおおおおっ!!」
「うわあああああっ!!??」
ハーティンの叫びで一斉にセフィロトの反対側へ駆け出す四人。驟雨のごとく降り注ぐ光の槍は爆発と共に次々と地面を抉り取るほどの破壊力を持っていて、直撃すれば命はないと否応なく理解できるだろう。
「た、戦わないの!?」
「アホ!あんなデカブツとまともにやり合って勝てると思うか!?」
エルティは勢いのまま言ったが、ハーティンの言うことももっともだ。機械神の攻撃は地底で遭遇した機械兵のそれとはあまりにも規模が違いすぎる。
「で、でもこのままじゃどっちみちやられちゃうよ!?」
杖を抱えて全力で走りながらソフィアが焦りを零した。振り返れば相手は一行にぴったり追いつくように飛行しており、あれだけの物量の攻撃に曝されれば被弾するのは時間の問題と言える。
「おい、何か使える魔導変換術ねーのか!?」
「えーと、えーと……!あっ!」
ハーティンに言われるよりも早く、アーニーはローブの下に隠していたと思われる魔導書を開き、乱雑にページをめくっていた。
その開き方はどのページに何があるのか見当がついているようには見えなかったが、なにかを閃いたかのように声を上げる。
「ミ、幻夢と踊る舞踏会!!」
上げた手をぐるりと回すアーニー。すると、可視化したマナ粒子が彼女らの周囲に撒かれ、目くらましとなる。
それだけではない。マナ粒子の霧を抜けたかと思えば、いつの間にやら現れているのは四人の姿かたちを模した、透き通った光の幻影。それも一体や二体ではなく、複数のグループが生み出されていた。
「す、すごい…!これって囮の魔導変換術!?」
「無詠唱だからそんなに長持ちしないけどね!今のうちに!」
アーニーの言った通り、機械神は彼女たち本体を見失ったのか、マナ粒子で構成された幻影の方を攻撃し始める。しかしやはりその巨体から繰り出される攻撃は苛烈そのもので、口から吐く巨大な火の玉や、長い尾で薙ぎ払うだけで次々に幻影は消滅していく。
「やばいやばいやばい、想定よりずっと早い!」
「もうちょっとだ!気張って走んぞ!!」
車まであと少し。
ほんの十数メートルというところで、アーニーが召喚した幻影は全て押し潰されていた。そして、最後の標的———四人へ再び狙いを定める。
「うわあっ!?」
「アーニー!?」
機械神から放たれる巨大な火の玉。それは直撃こそしなかったが、巻き起こる爆風でアーニーの足元を掬い、勢いよく転ばせる。
先頭を走っていたハーティンが振り返り、彼女を助け起こそうとするが、機械神はすでに追撃の一発を吐き出していた。
「クソッ———」
アーニーをかばおうと小さな身体を抱きすくめるハーティン。
しかし、その二人の前にソフィアが立つ。
「城塞!!」
杖を地面に突き立てた彼女の目の前に現れる、蜂の巣構造に編み上げられた光の障壁。ソフィアが誇る魔導変換術は機械神の放つ火の玉を、余熱さえも通さずに受け止めて見せた。
「二人とも、怪我はない!?」
「す、すっげえ……」
「あ……ありがとう、ソフィア!」
「お礼はあとでいいから!走って!」
ソフィアの声掛けに応じて、アーニーを小脇に抱えて走り出すハーティン。だが、エルティとソフィアはその場から動かない。
「ソフィ、手!」
「うん、わかった!」
ソフィアが差し出した手にハイタッチでもするかのように手を合わせ、明後日の方向へ駆け出していくエルティ。車に向かいながらも振り向くハーティンは驚きを隠せなかった。
「お、おい!どこ行くんだお前!?」
「あいつは私のことを狙ってる、なら……!」
エルティは腰のホルスターから双剣を抜き、交差するように機械神へ向かって投擲する。遠心力を乗せ、回転しながら飛んでいく双剣は鋼鉄の体と言えどいくらかのダメージにはなるかもしれない。
しかし、エルティの希望的観測とは裏腹に、その刃は機体に届くどころかその直前で見えない壁にでも阻まれるかのように打ち落とされた。
「は、反則でしょそれー!」
攻撃は通じなかったが、予想通りに機械神はエルティに向き直る。弾かれた双剣は、触れたものに強い引力を発生させる能力によって彼女の手に戻った。
「ちょ、ちょっと、エルティひとりにして大丈夫なの!?」
「エルちゃんを信じて!きっと無事に戻ってくるから!」
「そら、着いたぞ!アーニー、エンジンかけろ!」
「い、言われなくても!」
先に車にたどり着いた三人。運転席に下ろされたアーニーは車体中央のパネルに手のひらを置き、掌紋認証を済ませる。エンジンが唸りを上げる頃には、向こうでは凄まじい土煙が上がっていた。
「ッ……っぶなぁ!」
圧倒的な質量を持った尻尾による叩きつけ。
地面を転がるように飛び跳ね、クリーンヒットを免れるが、飛び散る砂塵や石片が肌を傷付けていく。
こうして向かい合ってみれば、一目瞭然だった。相手は、今まで戦ってきたどんな敵よりも大きくて強い。
(ケンカふっかけちゃったけど、ホントに勝ち目なんてなさそうだなぁ……)
生き物が相手なら、刃に毒を塗ったり罠にかけることで仕留めようもあっただろう。だが、エルティの何十倍にもなる巨躯と、刃すら届かせない鋼鉄の躯体の圧力は一縷の望みすら感じさせないほどだった。
「や、やばっ……!」
再び振り上げられる尻尾。
それはあらぬ方向を叩きつけたかと思えば、轟音と共に地面を削り、薙ぎ払うように向かってくる。
「────!」
しかしエルティは逃げるどころか、その攻撃に向かっていくようにすら見える。なぜなら、その視線の先には────
「エルちゃーーーーーん!!」
「乗ってーーーーーーッ!!」
けたたましくエンジンを駆動させながら疾走する車。先に車にたどり着いた三人が、囮になった彼女を助けに来ていたのだ。
「こんなところで……死んで……!たまる、かぁっ!!」
土煙が迫る寸前、エルティは勢いをつけて足を上げ、手は反対に地面を叩く。その直後、彼女の身体は尻尾による薙ぎ払いよりも大きく、高く跳躍した。
それは、エルティの持つ能力。触れたものと自分に、強く引っ張る力と、強く突き飛ばす力を発生させるもの。触れた地面から強い斥力を生み出し、常人離れしたムーンサルトで機械神の攻撃を飛び越えたのだった。
「エルちゃん、わたしのところに!!」
ガタガタと揺れる車体でどうにかバランスを保ちつつ、中空に向けて手を伸ばすソフィア。同じようにエルティも手を伸ばした時、二人の手の間にマナの光が浮かぶ。
「届けぇっ!!」
空中からソフィアに向かって急加速するエルティの身体。これもまた、彼女の能力だ。ソフィアの手を支点にした引き寄せる力。一直線に飛翔し、抱きすくめるようにキャッチされたエルティは無事に座席へと転がった。
「ありがとソフィ、助かった!」
「うん!アーニーちゃん、全速力でお願い!」
「了解!」
「やべえ、まだ追ってくるぞ!」
高く掲げられた両翼が無数の光を上空に放つ。つい先ほど見た、広範囲への爆撃だ。
「右だ!」
「避けて!左!」
「えっ!?」
食い違うハーティンとソフィアの方向。
アーニーは先に言われた右へとっさにハンドルを切ったが、そこはかの光に直撃するコースであり、かろうじてソフィアが防壁を張って被害を食い止めていた。
「ぜんぜん違うじゃん!!なんで別々の方向言うの!?」
「ちげえって!あたしは右に来るって意味でだな…」
「違うよー!避ける方向だってばー!」
揉める三人をよそに、機械神は同じ攻撃をもう一度。
「あっほら、また来る!今度は右だよ!」
「左だろ!左から来るって!」
「ちーがーうー!右に避けるのー!!」
「左だっつーの!次、右からだぞ!!」
「おおおお願いだからどっちに逃げるかハッキリしてぇぇぇーーー!!!」
降り注ぐ光、左右に揺れる車体、その都度張り直される防壁。その爆音と悲鳴は、機械神が四人の追跡をやめるまで止むことはなかった。
ーーーーー
四人が命からがら逃げおおせたあと。
セフィロトの樹に近付く、ひとりの影があった。
『───!!─────!!!』
鋼鉄の摩天楼を守護するかのように、いまだ鎮座する機械神がその人物に向けてけたたましく咆哮する。しかし、彼女は歩みを止めようとしない。
「フフ……まっすぐにセフィロトの樹を目指してくるとはね。キミにとっても誤算だったかな、ケテル」
機械神の巨躯を見上げる、ローブに身を包んだ女。
その表情は仮面に覆われていて窺うことはできない。
「そう興奮しなくていい。キミの出番はずっと先さ」
『─────…………』
女が制止するように手を出せば、ケテルと呼ばれた機械神は低く唸り、吠えるのをやめる。それはちょうど、飼い犬を躾けているみたいな光景だった。
ーーーーー
セフィロトの樹から程遠く離れた荒野。
機械神の追跡から逃げ切った一行は停めた車の中で放心していた。
「ぜぇ……ぜぇ……も、もう追ってきてない、よね……」
「わ、わたしもちょっと……休みたいかな……」
ずっとハンドルを握っていたアーニーと、エルティとハーティンの滅茶苦茶な指示で車が攻撃を受けるたびに防壁を張っていたソフィアは特にぐったりとした様子だ。
そうでなくとも、エルティもハーティンも疲弊しているのには間違いない。
「はぁ……なんか泣けてきちゃった……ホントに死ぬかと思ったもん……」
「ご、ごめんね……私のせいで……」
「まあまあ、みんな無事でよかったじゃねーか。あんま気にすんなよ」
沈んだ表情を見せるエルティに声をかけるハーティン。まだ知り合って間もないが、彼女のからっとした性格はこういった時とても嬉しく思える。
「そういやアーニー、今どこだ?」
「ん……えっとね…うわ、SCAの方面からだいぶ離れちゃったなぁ」
アーニーはオーディオスペースのパネルをいじると共にげんなりとした表情を見せる。機械神に追われている時は無我夢中で方角を気にしていられる余裕などなく、気が付けば目的地から真逆に進んでいたようだ。
「今から移動して間に合うか?」
「う〜ん……もうじき夕方になるし、ここで泊まった方がいいかも。というか……もう疲れた!早く寝たい〜!」
またワガママが始まった、とばかりに呆れ顔になるハーティン。とはいえ運転手がそう言った以上、動くわけにもいかないので四人は見晴らしのいい安全そうな丘を見つけて野営することとなった。
「ねえねえ、グランピアの夕方ってどんな感じ?」
「お、そうか。二人とも日天球の明かりしか見たことないんだったな?じゃああっちの方見てみな」
ハーティンは西の方を指差す。
その方角では、日中頭上にあったはずの太陽が地平線と重なりつつあり、燃え上がるような茜色を映し出している光景があった。
「わぁ……綺麗……」
「ホントだ…アガルピアの日天球も夕方になると赤くなるけど、こんなに鮮やかじゃないもんね」
地底では見られない景色が二人の胸を打つ。
「それだけじゃないぜ。地上では夜になるとな……」
その横でどこか得意げに言うハーティンの台詞を、アーニーのお腹の鳴る音がさえぎった。
「うっ……ごめん、お腹空いちゃって……」
「あ、そういえばお昼抜かしてたっけ」
「あッ!!」
「ど、どうしたの?」
突然大声を上げるハーティン。少し驚きつつもソフィアが訊ねる。
「なあお前ら、料理ってできたりしねーか?こっちのチビ助は包丁も持てなけりゃ料理のりの字も知らねーから……」
「料理できないのはお互い様!きみも肉焼くぐらいしかできないしいっつも焦がすし!あとチビ助言うな!」
どうやらハーティンもアーニーも料理の腕は芳しくないようだ。美味しい食事というものはそれだけで毎日の充足感となる。今まで二人で旅をしていたのなら、食事の時間はさぞ味気ないことだっただろう。
車を走らせてもらっている恩もあるし、とエルティとソフィアは顔を見合わせて言った。
「そういうことなら、腕によりをかけて作っちゃおうかな」
「うん!料理なら任せといて!」
「おおっ!本当か!?」
「期待していいの!?」
目を輝かせる二人を喜ばせるべく、料理の時間が始まる。それぞれが車から調理器具と食材、そして調理台を取り出して並べ、まず野菜の皮を剥くところからスタートした。
「おぉ……すごい、向こう側が透けて見えるくらい薄く剥いてる……」
「ソフィアはともかく、エルティまで料理できんのは意外だな……」
「むっ、それどういう意味ー?」
「わたしたちの村ではね、子供がまず大人から教えてもらうのが料理だったんだ。だから大人も子供も、みんな料理が得意なんだよ」
へー、と二人が相槌を打っている間にもエルティとソフィアの手は止まらない。用意したジャガイモとニンジン、タマネギの下ごしらえはあっという間に済んでしまった。
「よし!じゃあソフィ、火起こして!」
「おっ、火起こしなら任せな!」
そう得意げに言ったハーティンは拾っていた枯れ木を集め、手を近付ける。彼女がそこへ力を込めると、手から吹き出した炎が勢いよく燃え上がる篝火となった。
「へへっ、どうだ」
「すごっ!今の、魔導変換術の応用?」
「ま、そんなところだな。あたしは火のマナ傾向に適性があってな、本気でやればもっとデカい爆発も起こせるぜ!」
「お願いだからホントにやろうとしないでよ。これからご飯なんだから」
見たことのない技術に感心するエルティとソフィアとは真逆に、欠片ほども興味なさげにつぶやくアーニー。食ってかかるハーティンと騒ぎ立てながらも準備は進んでいく。
ソフィアは用意した鍋を火にかけ、刻んで小さくした野菜に熱を通し、その間にエルティが切っていたランチキンの肉も入れ、ひと通りしんなりとしてきたらあとは水とミルクを注いで煮込むだけ。
「く〜、出来上がりが待ち遠しいな!こんなしっかりした飯、久々にありつけるぜ!」
「ねえねえ、ハーティンってさ、身体動かすのは得意だったりする?」
ふとましい尻尾をブンブンと振り、テンションの上がっているハーティンに声をかけるエルティ。
「大得意だけど、どうした?」
「村だとね、ご飯が出来上がるのを待ってる時はいつも誰かと組み手で特訓してたんだ。よかったら付き合ってもらえないかなーって」
「おっ、特訓とはいい心がけだな!腹ごしらえ代わりにやっとくか!」
「よーし!じゃあソフィ、とっておきの準備、よろしくねー!」
大きく手を振って走り出すエルティ。ハーティンもそのあとに続いて、二人は遠くの方に走って行った。
「ケガはしないようにねー?」
「あのノリ、体育会系だなー……」
「アーニーちゃんはああいうの、苦手?」
火に薪を焚べながらソフィアが微笑む。村でたくさん見てきた光景なのか、こういった流れは慣れているようだ。
「苦手っていうか……ほら、さっき魔導変換術使ってたのを見てもらえればわかるけど、私は導士型でしょ?だから身体を動かすのはあんまりね」
「えっと……導士……型?」
苦笑するアーニーの前で、聞き慣れない単語に首を傾げるソフィア。それを見て、アーニーは彼女が田舎から出てきたばかりということを思い出した。
「んーとね…どんな生き物にもね、マナ傾向っていう体質があるんだ。得意な属性だったり、身体能力の上がり幅を左右する指標になるんだけど……」
薪にしていた枯れ枝で地面に絵を描き始めるアーニー。剣を手にしている棒人間と、杖を手にしている棒人間だ。
「一般的に大きく分けて闘士型、導士型の二つがあってね。私とソフィアはこっち……導士型。杖や魔導書みたいな触媒を使って、魔導変換術の詠唱を得意とする体質だよ」
「そうなんだ!?ぜんぜん知らなかったぁ……」
「まあまあ、地上に出たことがなかったのなら無理もないって。私も本格的にマナ技術を学び出してから知ったことだし」
と言いつつも、アーニーは明らかに年下に見える。いったいいつ頃からマナ技術の勉強を始めたのかと、ソフィアはなんとなく考えた。
「で……導士型は得意な属性が多くて大気中のマナを変換する技術に長けている反面、体内のマナを循環、放出させるのが苦手。その逆がハーティンやエルティみたいな闘士型、ってわけ」
目を向けた先ではエルティとハーティンが組み手のルールについて説明しているようだ。
「エルティ、お前の村ではどうやってたんだ?」
「まずはお互い構えて、手だけを使うの!こうしていっぱいに開いた手で、先にどこかに当てた方が勝ち!」
「なるほど。手ぇ開いて練習すれば、実戦なら握り拳相手にゃ当たらないってワケだ」
「そういうこと!じゃ、早速やってみよー!」
その二人のやりとりを見て、アーニーは足元に視線を戻して剣を持った棒人間に絵を描き足していく。
「闘士型のマナ傾向は得意な属性が少なくて、私たちみたいな魔導変換術も苦手。その代わり、さっきハーティンがやってたみたいに瞬間的にマナを放出する技術……魔導放出技が得意で、体内でマナが循環しやすい体質だから、走って飛んで戦う肉弾戦に向いてるんだ」
「なるほど……あれ、でも……」
説明の最中、何かに気付いたようにしゅん、と猫人の耳を寝かせてしょんぼりとした表情に変わるソフィア。突然のリアクションにアーニーが顔を覗き込みながら訊ねる。
「どうしたの?」
「うう……導士型の人って、得意な属性が多いんでしょ?でもわたし、治癒と防御以外はてんでダメダメだから、何が得意なんだろうって……」
ソフィアがエルティのサポートのために攻撃系の魔導変換術を覚え始めたのは最近のことだ。しかし、まともに使いこなせるのは地底での機械兵との戦いで見せた火の魔導変換術くらいしかなく、この話を聞いてよりそれを引け目に感じてしまったようだ。
「ううん、そんなことないって!さっきの防御術だってものすごい強度だったし、回復までできるのは世界中探してもなかなか見ないほどなんだから!」
そんなソフィアの認識とは裏腹に、アーニーはえらく興奮した様子。ソフィアの目から見てもアーニーのマナ技術は天才的で、そんな彼女が言うのだから自分の操る魔導変換術は実際にすごい技術なのかもしれない、と思うことができた。
「それにね、得意な属性が少ないっていうのも悪いことばかりじゃないんだよ。ひとつのことでも極めれば唯一無二なんだから」
「そっか……えへへ、ありがとう」
「私の見立てだと、ソフィアは光の属性に強い傾向があるんじゃないかな」
「光?」
ソフィアは疑問符を浮かべた。なぜならそれは、彼女が村で教わった知識と違ったからだ。
「えっと……わたし、村ではマナの属性は火、水、風、雷……の四つが主な属性って教わったんだけど……」
「確かにその認識で間違ってないよ。光属性のマナは存在しているのかしていないのか学術的にも議論が分かれるところで、通説ではマナ粒子の活性化を促すことで回復力を高めたり身体機能の強化を行うのが光属性の…………あっ、ご、ごめん。いきなり言われても分からないよね」
「んと……もともと人体に備わってるマナを活性化させたり、大気中のマナの結び付きを強固にしたり、マナそのものの働きを助けるのが光属性……ということで合ってる?」
「おぉ……!そう、そういうこと!ソフィア、頭いいね!」
アーニーはさらに興奮した様子だ。ソフィアの理解が早いのもあるが、ハーティンに話しても「分かるように喋れ」であしらわれるマナ理論を真剣に考察してくれることに喜びがあるのだろう。
「だからソフィアは攻撃に使う魔導変換術も他の属性より、得意な光のマナから考える方がいいと思うよ」
「光の攻撃、かぁ……うん、自分で色々考えてみるね。ありがとうアーニーちゃん、やっぱりアーニーちゃんはすごい才能だよ」
ソフィアは本心からアーニーを褒めるのとお礼のつもりでそう言った。
……が。
「あ……ううん、そんなことないよ。私の才能なんて大したことないからさ……」
当の本人はさっきのハイテンションぶりはどこへやら、翳りのある表情を見せて俯く。少し前に褒めた時も同じような反応をしていたのが気になって、どうしてそこまで自分を卑下するのか訊ねようとした時だった。
「ふぎゃ!?」
響くエルティの悲鳴。
振り向けば彼女は顔を押さえてしゃがみこんでいる。
「エルちゃん!?」
慌てて立ち上がるソフィアだったが、エルティはそれを手で制して怪我ではないことをアピールした。
「いったぁ……鼻つぶれたかと思った……」
「わ、悪い……大丈夫か?まさか初っ端からこんなキレイに直撃するとは……」
赤くなった鼻を擦りながら、涙目のエルティが構え直す。これまでたくさんの害獣と戦ってきた彼女はこれくらいの痛みではへこたれない。
「へーき!思ったより速くてビックリしただけだから!」
「そうか?じゃ、気を取り直して……」
「うりゃ!」
ジャブのように突き出した左手は首を捻り、軽く躱される。動きの少ない胴を狙った次の手はいとも簡単に払い除けられる。
ハーティンの反撃をすんでのところで避ける、が。
「うぎゃ!?」
「あ…また当たっちまった」
続く連撃が額を弾いた。
「うぐぐ……な、なんの!」
「おし、その調子だ!どんどん打ってこい!」
エルティが誰かと組み手をしているのは村でよく見る光景だ。ハーティンも本気でやっているようには見えないし、大丈夫だと判断してソフィアは腰を下ろす。
「ねえソフィア、よかったらこの魔導書、読んでみる?」
「魔導書?」
アーニーがローブの中から取り出したのは褐色のカバーの分厚い本。受け取ったそれはずっしりと重く、色がくすんでいてところどころが剥がれており、相当な年季を感じさせるものだ。手に取り、ベルトを外して中を開いてみるとマナの名残が感じられ、導士型であるソフィアにはそれが魔導変換術の触媒だと理解できた。
「ほとんど私の独学で作ったメモみたいなものだけど、色んな属性へのアプローチや魔導変換術のイメージが載ってるから。何も見ずにやるよりはきっとヒントになると思う」
「いいの?大切なものなんじゃ?」
「そこに載ってる魔導変換術はほぼマスターしてるから。ほんのお礼ってことで、受け取ってよ」
「わぁ…ありがとう、大事に使わせてもらうね!」
エルティとハーティン、ソフィアとアーニー。朝に出会ったばかりの彼女たちは、それぞれ共通する要素から仲を深めていく。組み手をする二人を横目で見つつ、火の番をすることしばらく。
「だぁー!!だめだぁ、一発も当たんないよ〜!!」
「わっはっは、まだまだ脇が甘いな!」
大の字に伸びてぜえぜえと息をするエルティ。対するハーティンは汗ひとつかいていない。通常、真人と獣人の身体能力には差があるものだが、それでも普段から組み手に臨んでいたエルティが一発も当てられないのは彼女の実力によるものだろう。
「もしかしたらソフィより強いかもぉ……はー、はー……」
「お?ソフィアも組み手、やるのか?」
「わ、わたしはいいよ…強いとかそういうのでもないし……」
ソフィアは両手を振って否定する。そんな彼女の方にハーティンが気を取られていると。
「スキありィーーーーー!!!」
「のわあああああああっ!!??」
背後から飛びつくエルティが、豊満な胸を鷲掴みにした。
「てめえいっぺん死ねや……」
「うわあああああ!!?わああああああああ!!!??」
両足を脇に抱えられたまま、ぐるぐるとぶん回されるエルティの悲鳴にソフィアは自業自得だと呆れながら思う。手元に視線を戻し、鍋を閉じていた木蓋を開けると隣で見ているアーニーが歓声を上げた。
「おおおおおお!!」
それにつられて見に来たハーティンも。
「お、できたのか?どれどれ……うおおおおお!!」
立ち上る湯気、ふわりと香る濃厚なミルクの煮えた匂い。よく火の通った肉と野菜がぐつぐつと揺れる様はそれだけで大いに食欲をそそり、久々にありつけるまともな料理に二人は揃って歓喜している。
「ふふふ、わたしたちの村の伝統のミルクシチューだよ」
「めちゃくちゃ美味そうじゃねーか!やべえ、テンション上がるぜ〜!」
「わ、私我慢できないよ!早く食べよ!?」
しかし、今すぐにでも飛びつきそうな二人に待ったをかけるソフィア。
「まだとっておきがあるの」
「とっておき?」
火にかけていたもうひとつの鍋から、大きな葉で包まれているバスケットボール大のものを取り出す。平皿に乗せたそれに、二人の視線が食いついた。
「はーい、ご開帳〜!」
「「お……おおおおおお!!?」」
さらに大きな歓声。
それもそのはず、広がる熱気と甘く馨しい芳香の中心には、これ以上なく空腹を誘う焼けたチキンの塊が鎮座していたのだから。
「村の名物、丸ごとランチキンのバニラリーフ包み焼きで〜す!」
「い……いいのかホントに、こんな豪勢なモンご馳走になって!?」
「いいのいいの、どうせ私たちだけじゃ食べきれないし腐らせてももったいないからね!」
目を回していたはずが、いつの間にか復活しているエルティ。四人が揃い、チキンをそれぞれの器に切り分け、シチューも行き渡る。焚き火を囲んでの食事はすでに楽しげで和やかな雰囲気だ。みんなでいただきますをして、さっそくチキンから食べようとした時。
「あ、二人ともちょっと待って!」
ソフィアが待ったをかける。
取り出したのは紐で括られた小さい巾着袋。
「ランチキンにはこのアンガースパイスをかけてみて。もみ潰して振りかけるの」
「こうか?」
渡された黒く小さな実を指で潰す。すると、乾いた果実はちょうど荒い胡椒のような粒となって降った。
「そんじゃ、改めて……」
「いただきまーす!」
嬉しげにチキンへかぶりつくハーティンとアーニー。エルティとソフィアは、そんな二人を見てニヤリと笑みを浮かべた。
「か———」
「辛ぁーーーーーーーーーッ!!!???」
絶叫しながら火を噴くハーティンとアーニー。
比喩でもなんでもなく、彼女たちは本当に火を噴いたのだ。
「か、か、か、辛っ!?あんじゃこりゃあっ!?」
「ゲホッ、ゴホゴホッ!み、水っ、水ちょうだい!」
真っ赤になった顔、一瞬にして吹き出る汗、盛大にむせる姿。予想通りのリアクションに笑顔が止まらない。
「あははは、ハーティンすっごいね〜!今まで見たことないくらいおっきい火!」
「お、お前、なんつーもん食わせ……あれ?」
そこで気付く。さっきまで文字通りに火を噴くほどにあった辛味がすっかり消えていることに。
「アンガースパイスは村に伝わる香辛料でね、温泉地帯で育つ特性がある変わった植物なの。乾燥させた果実をもみ潰して振りかけるとものすごい辛味になるんだけど、不思議と一瞬で消えちゃうんだよ」
「ゲホ……そ、そっか、この感覚……食べた瞬間に体内のマナと反応して、火属性のマナが爆発的に増幅するんだ。だからこんなに辛味も強くなるんだね」
「そうそう、そういうこと!」
「絶対わかってねえだろお前……」
村秘伝のスパイスの詳しいメカニズムはともかくとして。
「ふふ、でも必ず次を食べたくなる味でしょ?」
ソフィアの言う通り、強烈な辛味が過ぎ去れば後に残るのは程よい塩味と鼻腔をくすぐる香ばしさ。すぐにもう一度かぶりつきたくなる不思議な中毒性があった。
「言われてみれば……」
「確かに、今まで食べたことない味なのにすげえ美味いぜこれ」
「じゃあ私たちも食べよっか!」
「うん!」
そして全員がスパイス付きのチキンにかぶりついて、四つの火が噴き上がった。
「はひぃ、ひぃ……この辛さがクセになる……」
「このスパイス、村ではよく食べるの?」
「ううん、お祝いごとの時くらいだよ」
「お〜、こっちのシチューもうめー!」
表情を綻ばせ、熱いミルクシチューを頬張るハーティン。続いてアーニーも同じように乳白色のスープを口に運べば、広がるのは溶け出した野菜の旨味。濃厚でいて優しいミルクの口当たりに、ほろほろと崩れるジャガイモの食感はどこか懐かしさすら覚える親しみがあった。
「ほんとだ、すごく安心する味……なのにしっかりした感じ」
「実はね、そのシチューにもアンガースパイスが入ってるんだよ」
「そうなのか?でもぜんぜん辛くないぞ?」
「あのスパイスは水に溶かすと辛味が抜けて香ばしい風味だけが残るんだよ!だからスープに入れると食べ味が引き締まるんだ〜」
「へー、便利〜」
美味しい料理に舌鼓を打つ四人の空気は和やかそのもの。空気が良ければ話も弾むもので、相変わらずハーティンとアーニーは自分のことはあまり話そうとはしないものの、そのぶん村での暮らしに興味を持って聞いているようだった。
「エルちゃん、おかわり食べる?」
「食べる!」
器を受け取り、シチューを並々注いで返す。しかし、エルティはそれを見て苦い顔を浮かべる。
「ちゃんと野菜も食べなきゃダメだよ。さっきジャガイモばっかり入れてたでしょ?」
「えー!だってニンジンあんまり好きじゃないもん!」
「ダメ、体にいいんだからちゃんと食べるの」
「うえ〜……」
渋るエルティを前に、ソフィアは笑顔を浮かべた。
どこか張り付いたような、影が落ちるのを感じるものを。
「エルちゃん……わたしの言いたいこと、分かるよね?」
「ひえっ…!は、はいっ、食べます食べます!」
優しく包み込むような、柔和であったはずのソフィアの笑顔が一気に圧のあるものに変わる。その恐怖はハーティンとアーニーをも震え上がらせるほどだった。
「あ、あの〜……ソフィア、ちょっといい?」
「どうしたの?」
おそるおそる、アーニーが口を開く。
「ホントのこと言うと…実は私もニンジンって結構苦手で……」
エルティのように圧をかけられるのかと想像がよぎったが、その反応は意外にも。
「吐き出しちゃうくらい苦手?」
「そこまでではない……けど」
「小さく割って、お肉と一緒に食べてみたら嫌いなものでも少しはおいしく感じるよ。ほら、がんばってみて?」
「う、うん」
子供を諭すように優しい言い方。温もりと親しみを感じさせるそれはアーニーにとって思うところがあったのか、素直に言う通りにニンジンとチキンを口に運んだ。
「んむ……むむ……」
「どうかな?」
「……ん、思ったより楽になったかも……」
「うん、頑張ったね!いい子いい子」
わ、と声を上げつつも頭を撫でるソフィアの手を拒まないアーニー。それどころか、彼女は口元を緩ませている。
「ソフィアって村でもいつもあんな感じなのか?」
「うん、いつも優しいから子供に人気だよ」
「なるほどな、子供にな。子供になー」
「こらそこ!子供言うな!」
子供扱いされて怒るアーニー、それを微笑ましそうに見ているソフィア。からかうハーティンがさらにエルティにからかわれ、夕暮れの宴はにぎやかさを増していった。
ーーーーー
「っはー、食った食った!」
「久しぶりに人間らしい食事ができた気がするよ。はぁ、なんか泣けてきちゃうなぁ」
後ろに手をつき、足を伸ばして完全にリラックスした様子のハーティン。アーニーも満足気にひと息吐いている。
「ふぅ……わたしも腹八分目くらいにしておこうかな」
(ん?三杯は食べてたよな……?)
鍋の中身はまだ残っているが、ソフィアもエルティも皿を置き、少し休憩の様子。いつの間にか辺りは暗くなっていて、焚き火がそれぞれの顔を照らしている。
「それにしても助かったぜ、こんな豪華な飯をいただけるなんてな」
「うん、生き返った気分。ほんとにありがとう」
「いやいや、お礼なんていいよ!ただちょっとおっぱい触らせてくれたら!」
「要求がゲスいぞおめー!」
わきわきとにじり寄る手をはたき落とし、ふと空を見上げるハーティン。すると、彼女はエルティとソフィアに向き直った。
「そういや二人とも、地上の夜も初めてなんだろ?上、見てみな」
「上?」
そう言われて、素直に首を上に向ける。
「う……わぁ〜!」
「わぁ……綺麗……!」
二人は思わず感嘆の息を零した。
空が暗くなるのは地底と同じだ。しかし、そこに散らばるのは無数の光の粒。初めて見る地上の夜の空は胸を打つほどの美しさだった。
「すごい……すごいよ!やっぱりグランピアって、私たちのまだ知らないワクワクがいっぱいあるんだ!」
「アーニーちゃん、あの大きな丸い光はなに?」
「あれは月だよ。地底で言う夜天球で、夜になると太陽の代わりに顔を出すんだ」
月と星。昼間には見られない美しい光景は二人の心を沸き立たせる。荒野から見上げる夜の空は、慣れ親しんだはずのハーティンとアーニーにも格別なように感じられた。
ーーーーー
「うわ、広〜い!」
日が暮れる前に設置しておいたテント。
実際に中に入ってみてエルティは嬉しげな声を上げる。
「今まであたしらだけだと持て余す広さだったからな。四人でちょうどいいくらいだろ」
「このテント、結構な値段だったからね。ようやく真価を発揮させられて私も鼻が高いよ」
「見栄張ってデカいの選んだだけだったろ?」
「違うし!どうせなら広々してる方がいいって思っただけだし!」
そんな二人をソフィアがまあまあと宥めつつ、寝る支度を進めていく。寝間着に着替える中で、ハーティンとアーニーが見慣れない服を着ていることに気付いた。
「二人とも……その服、なに?」
「あたしのはシャツだな。軽くて動きやすくて寝る時も邪魔にならないんだよ」
「そんなに薄着で寒くないの?」
「あたしは火のマナ傾向が強いから、これくらいの寒さはなんともないぜ」
荒野の夜はひどく冷える。気温は一桁近くまで落ち込み、布団をかぶっていないと寒気を感じるほどだ。そんな環境の中でも、火属性のマナ傾向を持つハーティンは体温が高く保たれており、半袖でも平気らしい。
「私はパジャマ。昔っからこれじゃないと眠れなくて」
「へー……どっちもわたしたちの村にはないファッションだよね」
「私はシャツの方が気になるなぁ、動きやすそうだし」
「街なら割とどこでも売ってるぜ?そう高いもんでもねえし」
それを聞いて、村出身の二人は首を傾げた。
「「売ってる……?」」
「あー……もしかしてアレか、貨幣の概念ってモンもなかったやつか?」
「うん、聞いたことない」
村での物のやりとりは基本的に物々交換だ。欲しいものがあればそれに見合った価値のものを渡すのがほとんどで、貨幣と呼ばれるものを二人は知らない。
「ふあ〜ぁ……」
ハーティンが説明しようとしたところを、大きなあくびが遮る。いつの間にか寝転んでいたアーニーは枕を抱えてウトウトと眠たげな様子だ。
「ま、金の説明は街に着いてからにするか。チビ助もおねむなことだし」
「チビ助言うな……」
反論しつつもその言葉はどこかむにゃむにゃとまどろんでいて、ついには枕に突っ伏してしまう。なんだかんだ言ってもまだ子供だ、と思いつつソフィアは彼女の頭を撫でながら言った。
「そういえば、アーニーちゃんっていくつなの?」
「十四歳って言ってたな」
「じゃあ私たちの二つ下になるね」
「そうするとあたしはお前らの二つ上ってことか。最年長になっちまうな」
頼りになるねー、と茶化しているのかいないのか、エルティの言葉に褒めてんのか?と返しつつランタンの火を消すハーティン。先に寝たアーニーのために配慮しようという彼女なりの気遣いだった。
「今日は色々あって疲れたし、もう寝ようぜ」
「うん、おやすみ!」
「おやすみなさい……」
それぞれ布団をかぶり、目を瞑る。
キャンプの時のにぎやかさはどこへやら、穏やかな夜の静寂に意識が溶け込んでいくかのような心地良さがあった。
ーーーーー
……それから、幾分か時間が過ぎた頃だろうか。
布の擦れる音に、ソフィアの猫の耳がぴくりと反応する。
「……ん…うん……?」
うっすらと目を開けてみると、隣で眠っていたはずのエルティの姿がない。ぼんやりとした意識のまま身体を起こし、テントの出口の方を見た。
「……エルちゃん……?」
足を放り出して寝ているハーティンの布団をかけ直してからソフィアは外に出る。すると、そこでは持ち出した布団に包まるエルティが空を眺めていた。
「エルちゃん、眠れないの?」
「ん?」
声をかけられ、ソフィアも目を覚ましたことに気付くエルティ。彼女が布団を開き、入るように誘うとソフィアもそこに収まり二人の体温が共有される。
「眠れないっていうか……なんか、これからのことを考えるとワクワクして寝るどころじゃなくなっちゃって」
「それを眠れないって言うんじゃないかなあ」
くすくすと、二人は可笑しそうに笑った。
「とんでもない機械神に襲われたりもしたけどさ……新しい友達ができて、夜の空みたいな見たこともない景色を見られて、グランピアには私たちの知らないことがまだまだたくさんある。そう思うとこれからが楽しみでたまらないんだ」
「ふふ……そうだね。二人とも優しい子でよかった」
エルティは期待と高揚を表情にしながら、大きく天を仰ぐ。
「私……この感動をずっと忘れない。そうすればきっと、星空を見るたびに新しい気持ちを思い出せるから」
「……うん。わたしもきっと、ずっと覚えてるよ。エルちゃんと初めて見た世界のこと」
とん、と肩に頭を乗せるソフィア。
それきり二人は何も喋らず、空を眺めたまま。しかし、その心には同じ感動と未来への希望が満ちている。
これから、きっとたくさんの出会いや様々な出来事があるだろう。数多くの苦難に直面することもあるだろう。けれど、きらきらと輝く星々が見守る中……二人の絆が離れることはないと示すかのように、ひとつの温もりを共有し続けていた。
ここまでお読みいただきありがとうございました。前回より早いペースで投稿できましたが、まだ内容を詰め込みすぎてる感が否めないので頑張っていきたい所存…




