第2話「生命の樹 セフィロト」
村に現れた機械兵を撃退し、ついに地底から旅立ったエルティとソフィア。彼女たちは地上で出会った二人の獣人とともにセフィロトの樹へ向かうことになるが、そこで待ち受けているものとは……
「……ーい!おーーーい!!」
「「人だ!!」」
エルティとソフィアは驚愕しつつ、揃って声を上げた。岩壁から見下ろすのは、土煙を巻き上げながら荒野を疾走する見慣れない鉄の塊。そこに乗っているのが二人の獣人であることからして、それがジニアの家で見た自走する機械と同種のものであることは自然と理解できる。
「ソフィ、行ってみよう!」
「あっ!ま、待ってよ、エルちゃん!」
興奮を隠し切れないとばかりに小高い岩壁をぴょんぴょんと飛び降りていくエルティ。それもそのはず、彼女にしてみれば村以外で初めて出会う人間だ。どんな相手か気になって仕方ないし、地上の文化に興味だってある。
ソフィアが気をつけながらゆっくり足場を降りていく一方で、その頃にはすでにエルティは箱型の大きな機械から出てきた二人の獣人と対面していた。
「よっ!お前らこんなところで何して…」
と、犬らしき獣人が気さくに声をかけたのもつかの間。
「うおっほーー!?おっぱいでっか〜〜〜!!!」
彼女のノースリーブのハイネックベスト…越しの豊満なモノに目を奪われて。
「のわあああああああっ!!??」
エルティはそれに向かって一直線に飛びかかり、鷲掴みにした。
「初対面で人の乳揉んでんじゃねえええーーーーーーーッ!!!」
「どはぁーーーーっ!!」
「エ、エルちゃーーーーん!!」
当然の報いと言うべきか、もっともなツッコミと言うべきか。渾身のアッパーカットによって優雅に宙を舞うエルティを呼ぶソフィアの声は天高く谺した。
ーーーーー
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!うちのエルちゃんがご迷惑を…!」
「まったく……初対面だってのにとんでもねえヤツだなお前……」
「いやあごめんね〜、あんまり立派なおっぱいだったからつい」
「反省してねーだろお前!!」
でへへ、とニヤけた顔で言うエルティと、白昼堂々セクハラされた犬らしき獣人。こうして同じ場所に立ってみると彼女はエルティたちよりひと回りほど大きく、逆に短い白髪の獣人の方はすっぽりと身体全体を覆うローブを身につけていて、とても小柄に見える。
「それで……二人とも、名前はなんて言うの?あ、私はアーニー……うん、アーニーでいいや」
先に行くほど焦茶色のグラデーションがかかった白髪が揺れる。小柄な獣人———アーニーと名乗った少女もエルティたちに興味があるようだ。犬らしき獣人も彼女に続いた。
「あたしはハーティンな。よろしく」
「私はエルティ!こっちは相棒のソフィね!」
「ソ、ソフィアって言います……先ほどはエルちゃんがご迷惑をおかけしました……」
「はは、人見知りか?そんなにかしこまんなくていいって」
「う、うん……」
ソフィアは人見知りがちなのか、初対面の相手にはどうにもぎこちない。今回は相手が気さくなおかげですぐに打ち解けられそうな気配ではあるが。
「で、さっきからずっと気になってたんだけど、きみってさ……」
「私?」
「お前、もしかして……真人だよな!?」
「うわ!?」
勢いよく言うと、アーニーとハーティンは揃ってエルティに手を伸ばして身体をまさぐった。
「獣耳、なし!耳羽もねえ!」
「尻尾もないよ!やっぱり本物だ!」
「ギャー!?な、なになになに!?」
「ちょっ、ふ、二人とも何を…!」
撫でくりまわされる頭頂部。ペタペタとまさぐられる腰の背中側。突然の出来事にオロオロするソフィアを見て、二人は落ち着きを取り戻した。
「あ、ああわりい。真人って初めて見たもんだからちょっと興奮しちまった」
「え?真人ってグランピアじゃそんなに珍しいの?」
「うん。私が見たのはきみが初めてだよ」
手を離したあとも興味深そうにまじまじと視線を向けてくるハーティンとアーニー。確かに村でも真人はエルティと母だけだったが、地上においても珍しい存在であることには変わりないらしい。
そして、相手のことが気になっているのはエルティとソフィアも同じだ。
「猫人以外にも他の獣人がいることはばーさまが教えてくれてたけど…えっと、アーニーちゃんは鳥人なのかな?」
「そうそう。ワシがご先祖の鳥人だよ」
言いながらアーニーはくるりと背を向け、ローブの裾から出た、白と焦茶色の入り混じる尾羽を見せる。猫人以外の獣人を見るのは初めてな二人は、頭頂部にはなくても尻尾にあたる部分に種族的な特徴が表れることもあると知り、揃って「へえ〜」と声を上げた。
「なるほど、アーニーが鳥人。で、ハーティンが犬人なんだね!」
「犬じゃねえ!あたしは狼の獣人、ウェアウルフだ!」
と言い張るハーティン。それに対し、エルティもソフィアも首を傾げ、さらにはアーニーまでもが訝しげに続けた。
「って言ってるけどさ……実際犬人と見分けつかないよね」
「ウェアウルフってなに?ばーさまからも聞いたことないけど、犬人となにが違うの?」
「ぜんぜん違うだろ!見ろ、この三角の尖った耳!そして大きい立派な尻尾!これが誇り高きウェアウルフだ!」
「う、う〜ん……」
地底から出たばかりの二人はそもそも犬人を見たことがないので違いが分からない。アーニーも何が違うのとばかりの視線を向けていて、ハーティンの味方がいないのは明白だ。
「ま、それはいいとして」
「いいとか言うなよ!」
食ってかかるハーティンを気にせず、どうでもよさげなアーニーは話し始める。
「二人とも、ここでなにをしてたの?」
「私たち、アガルピアの村から出てきたばっかりなんだ。ノアって人を探してるんだけど、初めてグランピアを見たからどこに行けばいいのか分からなくって」
「初めて?じゃあ筋金入りの田舎娘ってわけだ」
「そうそう、そういうこと!」
地上で初めて出会ったのが気さくな相手だったからか、四人は早くも打ち解けた様子だ。
「ほんのついさっき、そこの穴から……あれ?」
エルティはほんの数分ほど前に自分たちが出てきた穴を指差したつもりだった。だが、そこに見えるのは周囲と同じ赤褐色の地面ばかり。
「あ、あれあれ……?あっちだっけ……それともこっちだっけ……?」
きょろきょろと見回してみても、記憶に新しい黒い鋼鉄のハッチは見当たらない。
「エ、エルちゃん、もしかして……砂で埋め立てられたんじゃ……」
「うそぉ!?さっき出てきたところだよ!?」
故郷への道が断たれたことにさぁーっと青ざめる二人。それを見かねてか、アーニーが口を出した。
「二人とも、ちょっと下がってて。砂まみれになりたくないならね」
「「え?」」
そう言うと、アーニーは右手を頭上に掲げる。すると、そこへ集まるのは可視化できるほどに濃くなっていく翡翠色のマナ粒子。それが魔導変換術の予兆であることをいち早く察知したソフィアはエルティの手を引いてその場を離れる。
手のひらで渦巻くマナ粒子が風を起こし、彼女のローブの裾を大きく翻した。
「小さく強く風は吹く!!」
振り下ろした腕と共に、地面へ叩きつけられる突風。思わず腕で顔を覆うエルティとソフィアは、風が収まると同時に目を開ける。
「どう?これでスッキリしたでしょ」
得意げに笑ってみせるアーニーの足元にあるのは黒い鋼鉄のハッチ。巻き起こした大きな風で積もった砂塵を吹き飛ばしたようだ。
「あ……あぁーっ!そうそう、あれあれ!私たち、あの穴から出てきたんだよ!」
「す、すごい…触媒も詠唱もなしにこんな魔導変換術を使えるなんて……」
故郷への入口が見つかったことに興奮するエルティとは反対に、ソフィアは目を丸くして驚いていた。
魔導変換術の発動には、術者が自分自身にもっとも適していると思える触媒が必要だ。それは人によって様々で、ソフィアにとっては母から譲り受けた杖が一番だし、魔導書を使う者もいれば、ペンを使う変わり者もいるだろう。
そして、魔導変換術の効力を十全に発揮するには頭の中でイメージした現象を正しく出力するための詠唱も必要となる。……というのが常識であるはずが、目の前の少女はそのどちらもの前提を覆して魔導変換術を行使したのだから、ソフィアの驚きも当然のものだった。
「これくらいの魔導変換術なら無詠唱でも使えるんだけどね。もっと大がかりなものになるとさすがに仕込みがいるかな」
「すごい…すごいよ、アーニーちゃん!わたしなんて火を出すのすらものすごい時間がかかったのに!すごい才能だよ!」
「……あー……ううん、そんなにすごいものでもないよ。私なんて……」
「……………?」
しかし、アーニーの反応は芳しくない。どこか引け目でもあるかのように、翳りを持った表情を見せている。
「ねえ、でもこれって放っておいたらまた砂で埋まっちゃうよね?」
不思議に思ったソフィアが訊ねるより早く、エルティが口を挟んだ。
「お前らの村ってSCAの加盟は……」
「えす……しー、えー?」
「…ま、知らなくて当然か」
村から出てきたばかり。聞き慣れない単語に首を傾げるエルティに、ついさっき聞いたことに納得するかのようにハーティンは肩をすくめる。
「アーニー、確かテンプビーコン積んでたよな?」
「取ってこいって言うんでしょ。分かってるよ」
ハーティンが言い終わるよりも早く、アーニーは小走りで自走する機械の方へ向かう。
「テンプビーコン?ってなに?」
「簡単に説明すると目印だな。ほら、荒野ってなんにもないだろ?だから地底への入口が砂に埋もれても見失わないように信号を発信する装置があるんだよ」
「へーっ、便利だなぁ」
詳しいことまでは理解できていないが、分かりやすい説明に感心しているとまたまた小走りで戻ってくるアーニー。彼女は持ってきた箱型の機械を地面に立て、そこから三方向に伸びる脚で固定すると頂点にアンテナらしきものを立てた。
「これでよし。半月はバッテリーが保つようになってるから、SCAに登録すれば加盟申請もできるよ」
「そのエスシーエー?っていうのはいったいなに?人?村の名前?」
「あ、そっか。そこからになるんだ」
「ご、ごめんなさい、知らないことだらけで…」
申し訳なさそうにするソフィアに、顔を見合わせていいからいいからと宥めるハーティンとアーニー。落ち着いたところで、これからどうするかを話し合うことになった。
「とりあえず、こんなところでずっと立ち話をしてるのもなんだ。人探しするんならもっとデカい街で聞いた方が分かることもあるだろうぜ」
「そうそう、ここで会ったのも何かの縁かもしれないし。私の車、乗って行かない?」
「乗せてもらえるの!?すっごくありがたいよ〜!!」
「あ、あれってやっぱり車なんだ…!」
なんとも素敵な提案に目を輝かせる二人。それを見てか、アーニーは待ってましたとばかりに声を大にする。
「そう!その通り!何を隠そう、この車は私が一から組み上げた特製自動車!その名も偉大なる探求者!!」
「あー…盛り上がってるとこ悪いけど、もう二人とも車の方行ってるぞ」
「えぇ!?」
停めたままの車両を色んな方向、角度から興味津々で眺めるエルティとソフィア。自信満々のアーニーに呆れつつその場を離れるハーティン。かくして、四人の道中は幕を開けた。
ーーーーー
砂煙を巻き上げ、荒野を行く大型車。
エルティたちにとって車とは人力で引く荷車のことで、燃料によって動く自動車に乗るのは初めての体験だ。オープンルーフで荒野の風を感じるのも、ガタガタと振動するのも、機械ならではだとジニアに伝えればどんな顔をするだろうか。
「…で、SCAっていうのはスヴァストラ・セントラル・アドミニストレーションの略称でね。私たちが住む世界、スヴァストラ……その中央管理局って機関のことを意味する言葉なんだ」
「へ〜、スヴァストラって名前があったことすら知らなかったなぁ。村のみんなもグランピアかアガルピアとしか覚えてなかったから」
「今から向かうのはそのSCAの本部がある都市だね。すごく大きい街だから人探しをするならうってつけだよ」
と、そこで助手席のハーティンが口を開いた。
「そのグランピアとアガルピアって響きも久々に聞いたな」
「えっ?言わないの?」
「今日日聞かねえな。今じゃ地上か地底としか呼ばないんじゃねーか?」
「うそぉ!?」
エルティを襲うカルチャーショック。
それだけでなく、ハーティンとアーニーにはこの世界、スヴァストラの色々なことを教わった。
地上には天井がなく、空があること。空に浮かんでいる光は日天球ではなく太陽と呼ばれるものであること。煙か綿に見えていたものは雲であること。それ以外にも、たくさん。
「ねえ、二人とも男の子って見たことある?」
「さあ…見たことないよ」
「あたしも長いこと旅を続けてるけど見てねえな。少なくとも真人よりは珍しいと思うぜ」
まず、地上にいると聞いていた男性と呼ばれるものが地上の世界にもいないこと。
「……あっ!?あれ、機械兵じゃない!?」
遠くに見えた、人型の機械兵に指を差すエルティ。
「ん?あー、そうだな。別に珍しいものでもねえけど」
「そ、そうなの?わたしたち、村に落ちてきた機械兵に襲われたんだけど……」
「襲われた!?そんなの聞いたことないけど…ホントなの?平気だった?」
そして、機械兵が荒野を徘徊している光景が珍しいものではないこと。襲われたということには二人とも驚いていたが、普段は何か目的があるようにも見えず、ただふらふらとさまよっているだけという認識が普通のようだ。
「ねえ、あれってさ…セフィロトの樹って言うんだよね」
それと、もうひとつ。
車窓の向こうに佇む巨大な鉄塔をエルティが指差し、ハーティンもアーニーも目を向けて頷く。
「私たちの村の伝承だと、グランピアでは毎日セフィロトの樹からマナの恵みがもたらされて、緑豊かな大地を形作る……って言われてたんだ」
彼女の言わんとしていることはなんとなく理解できるだろう。流れゆく外の景色は、空の青を除けばどこまでも赤褐色の岩と砂に覆われた大地が広がっているだけ。村に伝わっていた話とは程遠い光景だ。
「残念ながら迷信だな。たまに頂上の方がキラキラ光ってるのは観測されてるらしいが、地上を緑で埋め尽くしてるところなんて見たことないぜ」
「そもそも今の時代、草木が生い茂る土地なんて地上にはほとんどないからね……」
アーニーは正面に向き直って続ける。
「スヴァストラにおける人類有史以前、地上や地底にはいくつか人が生きていた文明の名残があったんだ。スヴァストラ各地で植物の化石が見つかってて、今よりずっとたくさんの森林があったって言われてるんだけど……」
「だけど?」
聞き返したのは意外にもソフィアの方だった。村の外の歴史について興味があるのは彼女も同じようだ。
「A.G.D暦……今の私たちの時代になるまで、旧文明との歴史には不自然なくらい活動の痕跡が残されていない期間があるんだ。通称、歴史の大空白って言われててね」
「A.G.Dって…村の昇降機に書かれてたやつだよね」
「ん?あー、さっき見たやつ!」
「二人とも、A.G.Dって単語も初めて聞いたりする?」
エルティが元気よく肯定すると、今度はハーティンが話し出した。
「アフター・グラウンド・デス。地上の文明と人類が死に絶えて、獣人が姿を現してからの暦のことをそう呼ぶんだ。なにが原因で旧文明が滅んだかってのは未知数らしいけどな」
「獣人が姿を現した?ということは、旧文明の人間ってみんな私みたいな真人だったってこと?」
「一説にはそう言われてるな。なんせ旧文明と今の時代じゃ期間が空きすぎてるから、詳しい背景が定かじゃないんだよ」
「だから今となってはまともに調査しようって人もいないんだよねぇ。この時代、地上はどこもかしこもこんなふうに荒れ果ててるからさ」
そう聞いて、エルティは「なーんだ」と残念そうに言いながらシートにもたれかかる。見渡す限り荒れ果てた土地。こんな景色が続くばかりなら、地上は地底よりもずっと退屈な場所なのかもしれないと思えた。
「……旧文明が滅びた理由、かぁ。セフィロトの樹に行ったら何か分かったりしないかな?ちょっと、けっこう、割と興味あるんだよね!」
「えぇ、セフィロトの樹まで行くの?あそこなんにもないよ?」
「こっからなら近いしいいんじゃねーか?ほら、地上に出てきたばっかりなら色んなとこ行きたいだろ?」
「まあ、ガソリンはあるからいいけどさ…」
ハンドルを切って方向転換するアーニーにエルティは礼を言う。それから、気になったことを訊ねた。
「ところで、A.G.D暦って言ったけど…今って何年なの?」
「ここ、見てごらん」
指差される場所は運転席と助手席の中央にある電子画面。そこには周囲の地形らしきものを映した地図と現在地である矢印に、A.G.D.3154という記号が書かれている。
「えーと…今はA.G.Dの3154年ってことだよね」
「そう。獣人の歴史は3000年以上も続いてるんだよ」
気が遠くなるような年月だと思うエルティに、ソフィアがひそひそと話しかけた。
「エルちゃん、今が3154年ということは昇降機のパネルにあった3142の数字は……」
「……あっ、もしかして12年前にお母さんたちがあの昇降機で外に出た時の記録ってこと?」
「うん、きっとそうだよ」
二人は地底の出入口で見たパネルの意味を知る。どうやらあの昇降機は母たちが使ったきりのようだ。
「ん〜……あんなふうな設備があるってことは、私たちが生まれるより前はもっと自由に村の外にも行き来できたんじゃないかな?」
「わたしもそう思う…お母さんたちが出て行ってから村の外に出ちゃダメって決まりができるなんて変だよね」
しかし、それ以上の情報はなく、会話は行き詰まる。う〜んう〜んと唸っても何も出てこないので、エルティは気分転換がてらもうひとつ気になっていたことを訊ねた。
「そういえばさ、ハーティンとアーニーはどうして旅をしてるの?」
「……あ〜……」
「……………」
しかし、返事は芳しくない。アーニーは気まずそうに適当な声を上げるだけだし、ハーティンに至っては無言のまま。
「…な、なんかまずいこと聞いちゃった?」
「い、いやぁ…その、ほら……色々ワケありというか、なんというか……。ねぇ、ハーティンもあるでしょ、旅の理由」
「狙い逸らしてくれたな、お前…」
恨めしそうに言うハーティンは、どこか遠くに視線を投げながら続ける。
「…あたしもお前らとおんなじで人探しをしてるんだ」
「人探し?どんな人なの?やっぱり大事な人?」
「……そうだな。あたしと同じウェアウルフで、あたしにとっちゃ何より大事なことだ」
サイドミラーに映る彼女の表情は、少なくとも楽しいとか懐かしいとか、そういった明るい感情を帯びたものではない。ハーティンがそれ以上話そうとしないので、エルティも追及することをやめたようだ。
「……な、なんか変な空気になっちゃってごめんね。カーステレオでも点けよっか」
アーニーはそう言うと電子画面を片手で操作する。すると、エルティとソフィアの耳には馴染みのない楽器の音が響き出した。
「わっ!なにこれ、どこで演奏してるの?どうやって!?」
「はは、ホントに機械のことは何も知らねえんだな」
「これはね、録音した曲を車の機能で再生してるだけだよ」
「車ってそんなことまでできるんだ!?なにがなんだかぜんぜんわかんないけど、とにかくすごいのはわかるよ!」
村にはない楽器の音。村にはないリズム。初めて聞くアップテンポな曲調でも、エルティが笑えば自然と明るい雰囲気が生まれる。
「う〜、音楽を聞いてると踊りたくなるね〜!」
「このギュイーンって鳴る音、わたしけっこう好きかも……」
「エレキギター?ソフィアって、意外と派手なロックが好みだったりする?」
「顔に見合わずイカついな!」
ハーティンの反応に「えっ!?」と素っ頓狂な声を上げるソフィア。楽しげに笑うエルティ。先ほどの気まずい雰囲気はどこへやら、BGMを乗せてにぎやかな一行はそびえ立つ鉄塔———生命の樹、セフィロトへとひた走る。
ーーーーー
「うっわぁー……!おっきい〜〜〜!!」
「これがセフィロトの樹……どこまで続いてるんだろう、これ……」
車を降りたエルティとソフィアは揃って驚きの声を上げた。眼前にそびえ立つのは、めいっぱい首を上に向けてもまだ全貌が見えないほどに天高くにまで続く鉄塔。大きいのは全長だけでなく、数百メートルはあろう横幅もだ。先に車から降りていた二人のあとにもう二人もやってきた。
「セフィロトの樹……生命の樹と呼ばれることもあるこの塔はずっと昔からここ、スヴァストラの中心にあるんだ」
「けど、それがどこに向かってるのか、なんのために作られた施設なのかは誰も知らない。これまで何度かSCAの調査隊が組まれたらしいが、分かったのはこいつが旧文明の遺物だってことだけだな」
「これって建物…だよね?中には入れないの?」
「もうちょっと近付いてみたら分かるよ」
アーニーに言われるがまま鉄塔の基底部へと近付いていく。すると、眼前に広がるのは。
「わっ!な、なにこれ、すっごい深い崖……!」
「し、下が見えないよ……もし落ちちゃったりしたら……」
進入禁止、と書かれた柵の向こう側にあるのはまさに深淵の大口。それは100メートル以上もの距離があろう巨大な空洞であり、セフィロトの樹の外周はすべて切り取られるように奈落に覆われていたのだ。
「は〜、なるほどぉ。こんな大穴があるから向こう岸に行けないってことなんだね」
「それがね、問題は物理的な話じゃないんだよ」
ちっちっちっ、とアーニーが得意げに指を振った。
「この距離くらいなら、行こうと思えば魔導変換術でひとっ飛びだよ。でも、それができない。そうさせてくれないヤツがいるんだよ」
「そうさせてくれない……ヤツ?」
「……あっ!!」
含みのある言い方にエルティが首を傾げる一方で、ソフィアはひとり合点がいったように声を上げる。
「ソフィ、どしたの?」
「ほら、昔ばーさまがお話ししてくれたでしょ。樹を襲う邪悪な竜と、樹を守る機械神のおとぎ話」
「そんなことあったっけ?」
人差し指をくるくると回して説明するソフィアだが、エルティはさっきと逆の方向に首を傾げるだけ。
「もう…何回もしてもらったよ?このおとぎ話」
「覚えてるような…覚えてないような〜…」
「なに、それ?」
「あたしも竜の話は初耳だな」
アーニーとハーティンが同調すると、ソフィアは二人にもくるくると人差し指を回しながら説明を始める。
「わたしたちの村に伝わるおとぎ話があってね、地上には人間のことが大嫌いで、セフィロトを燃やしてしまおうと狙ってる竜と、それをやっつける巨大な機械神がいるっていうお話で……」
「へー、私はどっちも初めて知ったよ」
「地域によって違いがあるみたいだな」
細かい差異はあれど、樹にまつわるおとぎ話はある程度の共通点があるようだ。年寄りの話をあまり真面目に聞いていなかったエルティは、そんなことよりとばかりに聞き返す。
「じゃあ、ここにいるのはその機械神とかってやつなの?」
「……あっ!そんな話をしてたら……ほら!」
「な、なに、この音……!」
アーニーが言うと共に、地の底から響いてくるかのような重低音が鼓膜を揺さぶる。徐々に大きくなるその音と地響きは、何かとてつもない存在がこの場に近付いてくるのを予感させた。
「来た……!」
奈落の底から姿を現したモノ。
その全貌と、神経全てを震え上がらせるようなけたたましい咆哮に全員が身を竦める。
『───────!!!』
「な———」
浮かび上がるその影は、異様な形をしていた。
それは、燃え上がるようにうねる光沢を持つ数十枚もの羽が重なってできた翼だった。
それは、鳥のようでありながら蛇に似た楕円形の頭部と、しなやかでいて木の幹のごとくふとましく強靭で足のない下肢だった。
「で……で……」
それは二人が地底で見た機械兵など比べ物にならないほどの、数十メートルにも及ぶ白く透き通った、神々しさすら感じさせる鋼鉄の巨躯を持った……
「デカーーーーーいっ!!??」
まさに、"神"と名がつくのに相応しい圧倒的な質量。ちょうど、翼を持つ蛇と形容するべき体躯をした機械神が、エルティたちの前に立ちはだかった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。気付けば前回の投稿から一年経過してて時間の速さに目が回りそうですね。
できるだけ短い内容で、早めに更新するのを目標にしたいと思います。