第10章 黒狼と夢魔の王 ③
魔王の遺産、宝具と宝玉。
宝具には先代魔王シャーロット・ウィルソンの『スキル』が宿っているとされている。
宝玉には、魔王が対人間用に造り出したとされる『欲望倍増装置』なるものが宿っているとされている。
この二つは魔窟の迷宮の各階層に配置されており、人間が迷宮に攻めてきた時に使用し防衛するために末期の魔王が造り出したものなのだと、報告書にはそう記されている。
この報告書の著者は、ローシェ・ルージュ。
彼女は人類最強の魔術師であり、約5000年以上も魔窟の迷宮を観測し続けている、聖霊教会最長の執行者、人類の守り手である。
そんな、伝記にも名が残る英傑の彼女は、僕の師匠でもあり、育ての母親でもあるのだ。
「今度の潜入は長いな・・・・・」
本を閉じて机の上に置く。
そして桶の中にあるタオルを手に取り、僕はそのタオルを使ってベッドの上に横たわる女性の顔を拭っていった。
この人、ローシェ・ルージュは、見た目こそは20から30くらいの様相をしているが、その中身は当に5000歳を越えている。
詳しいことは分からないが、肉体の時間経過を抑える魔法を使っているとか何とか・・・・前にこの御方、ローシェ様本人がそういったことを言っていたのをはっきりと記憶している。
だから、どんなに時が経とうとも見た目が若いままらしい。
まぁ・・・・一介の低七級魔術師である僕には、その魔法がいったいどんな名前でどんな効果のあるものなのかはまるで理解できないものなのだけどね。
時間に関する魔法なのだから、恐らく、神一級魔法のひとつであることは想像に難くないけど。
「んん・・・・・」
「!? 師匠!? 目が覚めましたか!?」
タオルを桶に浸け、ギュッと絞っていると、ローシェ様は薄っすらと目を開け、こちらに視線を向けていることに気が付いた。
目が合うと、彼女はいたずらっぽくニヤリと不敵な笑みを浮かべてくる。
「何だ、ルーク。寝ている私の顔でも見つめていたというのかい?? 思ったよりもエッチなんだな、君は」
「な、何を言っているんですか、師匠っ!? 僕は師匠のお世話をしていただけですよっ!?」
「フフフ、分かっているよ。久しぶりに君の顔を見たからね。少し、いじわるを言いたくなっただけさ」
そして腕をググッと伸ばすと、彼女はボサボサの前髪を後ろに持っていき、クマのひどい目を二三度パチパチと瞬かせた。
「さて・・・・今回は早めに戻らないといけないな。ベヒーモスを倒す活路が、ようやく見えてきたからね」
「!? 本当ですか師匠!? ついにあの魔窟の迷宮の主をッ!?」
「あぁ。今回が恐らく、最後のチャンスだろう。人形に魂を移せて、あと1,2回が限界だろうからね」
「もうそこまで、お身体にダメージがあるというのですか??」
「あぁ。でも、ここからが正念場だ。私はこれから、あのアンデッドがベヒーモスを倒せるレベルに成長するまでを観測し、奴と相対するように仕向けなければならない。彼こそがあの悪魔の王を殺すための鍵だ」
「アンデッド・・・・?」
「フフフッ、ここ5000年間、転移者狩りを続けてきたというのにミス侵すとはね。最後の最後までツメが甘い奴だ。その失敗はこちらの良いように使わせてもらうぞ? 悪魔の王」
そう言ってフフフと不気味に嗤うと、ローシェ様はゆっくりと身体を起こし、僕へと視線を向ける。
「・・・・・法王猊下に報告しなければならないことがある。手を貸してくれるかな? ルーク」
「勿論です!!!!」
師匠の手を取り、肩を貸し、僕は彼女をゆっくりとベッドの上から降ろしていく。
見た目こそは若いが、師匠の身体は何故か、まともに立っていられない程弱っていた。
ローシェ様曰く、時間魔法を使用した弊害とでも言っていたが・・・・果たして、肉体の時間を停止していて身体が弱るなんてことがあるのだろうか。
低級魔術師である僕には何故、彼女が弱りつつあるのかが、その原因を推測することなんて当然できるわけもなく。
ただただ、その具合の悪そうな彼女の顔を見つめることしかできなかった。
「そうですか。帝国のエーデリッヒ皇帝の病状が芳しくない、と」
「はい。西方教会の司教によると、どうやら来節までは持ちそうにないとのことです・・・・」
「なるほど・・・・。であれば、次の皇帝の座を巡って、来節には皇子たちの『巡礼の儀』が行われることが予想されますね」
「はい。恐らくはこの法国、いえ、法王庁にも帝国の兵が入ることになると思います」
「・・・・・まったく、タイミングが悪いですね。各国の情勢が芳しくない時に政争が行われるとは・・・・何とも間が悪い話です。魔窟の迷宮の魔物の動きも良くないと聞きますし・・・・・・あら?」
ローシェ様に肩を貸しながら謁見の間に入ると、法王猊下は大司教との会話を中断し、玉座の上からパァッと華やかな笑顔をこちらに見せてきた。
「ローシェ!? お久しぶりですね!!」
その眩しいくらいの微笑みに、師匠はフフッと小さく笑い声を上げる。
「法王猊下も、お変わりがない様子で。前に会ったのは・・・・・14・・・いや、15歳くらいの時でしたかね??」
「10歳の時です!! もう、まさかこうして再び再会するときが10年後の20歳になる時だとは・・・・・まったくもって想像できませんでしたよ」
そう言って大きくため息を吐く法王猊下。
この御方の名前はクレリテニアス・セイン・グレイシス。
聖霊教会のトップであり、魔王を倒したとされる英傑の子孫、王国六大貴族の一角、グレイシス家の当主でもある。
その美しい金髪と緑色の碧眼から『至宝の乙女』とも呼ばれており、王国、帝国、共和国、法国の四大国から、世界で最も美しい女性だという呼び声が多い人物のひとりだ。
「それで、ローシェ。貴方が目覚めたということは・・・・いえ、こうして私に会いに来たということは、何かあってのことなのでしょう??」
その言葉に師匠が神妙に頷くと、クレリテニアス法王はさっきとは打って変わって、真面目な表情を浮かべ始める。
そしてその後、彼女は眉間に手を当てて、やれやれと頭を振るのだった。
「・・・・・魔窟の迷宮に、何か動きがあったのですか??」
「その通りでございます、猊下。これから話すのは私が見てきたことの全て。どうかけっして、精神を強くお持ちになるように」
そうしてローシェ師匠は、新たなる調律者の誕生とその残虐性と恐ろしさを、謁見の間にいる僕、大司教、そして法王猊下へと語っていった。
一匹のカボチャ頭のアンデッドのことを。
「最悪、ですね。知らない間に、まさかそのようなアンデッドがこの世界に発生しているなんて・・・・」
「はい。見た目は低級アンデッドのジャック・オー・ランタンですが、その身に宿る力は尋常ならざるものです。ひとつは、A~SS級アンデッドを何の代償もなく容易に造り出せる力。もうひとつは、死体の肉体に寄生し、その者が持つ能力を全て奪う力。そして、三つ目が・・・・・病原菌を、世界に撒く力です。生きた人間をアンデッドに変える菌を、世界に蔓延させる力と言っても良いでしょう」
「・・・・・・正直、そんな超常の力を持ったアンデッドがいるなんてとてもじゃないけれど信じられないわ・・・・・けれど、貴方が言うのですから、本当のことなのでしょうね」
「はい。全て、人形を通して見てきました事実です」
「はぁ・・・・聞いてるだけで頭が痛くなってきますね。それで、話を聞く限り、その者の性質は『善性』ではないのでしょう??」
「はい。最初こそはその性質も不安定なものでしたが、第五階層支配者との闘いで何かあったのか。今のあの者は間違いなく『悪性』の魔物です。先代魔王のシャーロットの時とはまるで違う、間違いなく我ら人類に対して牙を向いてくる存在となるでしょう」
師匠のその言葉に、法王猊下はフラリと玉座から崩れ落ちそうになる。
「猊下!?」
法王を心配してか、大司教が慌てて駆け寄ってきたが・・・・・そんな彼を手で押しとどめ、大丈夫だと口にする法王。
そして彼女は佇まいを正すと、ローシェ師匠を玉座から見下ろした。
「報告、ありがとうございました。この情報を先んじて法王庁が握れたのはとても幸運なことです。素晴らしき働きに感謝します、ローシェ」
「いえ・・・・それと、あのアンデッドの情報を握っている国は、他にもあると思います」
「まぁ・・・・貴方以外に神二級魔法【ビジョン】が使える者が他にもいると?」
「はい。あのジャック・オー・ランタンに付いていた監視の目は三つ。ひとつは私で、もうひとつは帝国の『宵闇』のものだと思います。最後の三つ目は何処のものなのかは分かりませんでしたが・・・・体感的に人の魔力のような気がしなかったので、恐らくはどこかの階層支配者のものだと思われます」
「なるほど。帝国、ですか。それで、『宵闇』というのは・・・・いったい何者なのですか?? 正直、私にはまったく聞き覚えががない二つ名なのですが・・・・・」
「帝国の銅等級冒険者の二つ名です。彼女はサポート魔法に特化した森妖精族でして・・・・このルーク以外の、現存する私のもうひとりの弟子になります」
「!? 僕以外にも、弟子がいたのですか師匠!?」
「うん、そうだよ。まぁ、彼女は500年前に私の元を離れてから会ってはいないんだけどね。人類で【ビジョン】が使える魔術師は、もう、あいつくらいしか残っていないと思うよ」
「しかし、おかしいですね。神二級魔法を使えるのに、銅等級冒険者なのですか??」
法王猊下のその疑問の声に、ばつが悪そうに後頭部を掻きながら、師匠は口を開く。
「ええっと・・・・『宵闇』は戦闘に関してはからっきしなんですよ。あの者は用途の分からない魔法を自分で産み出すことが生きがいの変態でして。冒険者業は生活費を稼ぐだけの手段としか見ていないんです。だから、まぁ・・・・・帝国でもそれほど高位な立ち位置は築いていないと思われますよ。かのアンデッドを監視しても、一人であわあわすることしかできていないと思います」
「・・・・そうですか。では、帝国にアドバンテージを取られることはありませんね。法王庁より先に脅威となる魔物を発見されたら、こちらのメンツが丸つぶれですから」
そう言って、クレリテニアス法王はほうっと小さく安堵の息を吐く。
その姿を静かに見つめた後、ローシェ師匠は肩を貸している俺に前へ歩くよう促すと、玉座の横に立つ大司教の元へと向かっていった。
そして懐から取り出した朱色の水晶玉を取り出すと、それを大司教へと手渡した。
「これは・・・・?」
「これは【色欲の宝玉】だよ。第五階層の魔王の遺産のひとつさ」
「なッ!?」
目を見開き、両の掌に収まるその水晶玉を、驚き呆然と見つめる大司教。
そんな彼の様子にフフフと笑うと、師匠は再び玉座に座る法王へと視線を向けた。
「実は、もうひとつの【暴食の宝玉】も取りに行ったんですけど、どうやら先に黒狼族に取られていたみたいでしてね。第四階層の神殿はもぬけの殻でした」
「い、いえ、ひとつの宝玉を奪取できたことでも物凄い偉業ですよ。今まで、魔窟の迷宮に挑戦した者たちで魔王の遺産を持ち帰れた者は一人もいなかったのですからね」
そう言って法王は大司教から宝玉を受け取ると、それをまじまじと見つめだす。
「あっ、どうやって発動するかは分からないから、気を付けて扱ってくださいね。そうだな・・・・第三秘席のあの小僧にでも【停止】の魔法を使わせて、結晶化してしまう方が早いかな。うん。とにかく、そういうことでお願いしますよ」
「わ、分かりました。グレゴール、これをオックスへと」
「はっ!!」
法王は宝玉を手渡すと、大司教はそれを慎重に両手に持ち、謁見の間から去っていった。
そんな一部始終を見つめ終えると、ローシェ師匠は僕に帰るように促してきた。
指示通りに師匠の肩を支えながら踵を返し、僕たちは謁見の間を後にする。
すると、そんな師匠の後ろ姿に、法王猊下は少し寂しそうな様相で声をかけてきた。
「ローシェ。もう・・・・会うことは無いのですか??」
その声に、振り向くことなく師匠は小さく言葉を発する。
「私も、聖霊神に召される時が来たのですよ」
師匠はそう一言口にすると、そのまま真っすぐと謁見の間から出ていくのであった。
「ルーク。私が死んだら、お前はこの国から出るんだ」
「・・・・・え?」
師匠の部屋へと向かう途中、法王庁の廊下にて。
誰もいない静寂に包まれた、窓から差し込む夕日によって紅く染まったその廊下で、師匠はポソリとそう口にした。
その言葉に、僕は目を見開いて唖然とする。
「な、何を言っているんですか師匠!? 僕は執行者になるために、今まで師匠から教えを教授させてもらっていたのではないのですか!?」
「・・・・・この国、法国に未来はもう無いよ」
「な、何故、突然そんなことを? ま、まさか、師匠が見たというアンデッドは、それほどまでの力を有しているというのですか??」
「・・・・魔物のランクはSS級までしか想定されていないけど、あのジャック・オー・ランタンはそれ以上の力を有すると私は見ている。だから、今の温い執行者たちじゃあのアンデッドを止めることはできはしない。法王も、状況をまるで分かっていない。今こそ他国間で協力しないといけないって時に、帝国との衝突ばかりを気にしているだけだとはね。本当に、酷い話だ」
そう口にし、ハハハと呆れたように師匠は笑い声を上げる。
そして廊下の奥へと視線を向けると、彼女は穏やかな表情をしながら口を開いた。
「ルーク。王国の魔道学院にでも行くと良い。あそこには私の知り合いが多いからね。もう一度迷宮に行く前に、推薦状でも書いておくとしよう」
「師匠・・・・僕は・・・・僕は・・・・・」
涙が溢れては、零れていった。
この人はもう長くないのだと、その表情を見て理解してしまったから。
そんな泣きじゃくる僕を見て、師匠は困ったように眉を八の字にした。
「こらこら。男が簡単に泣いてはダメだ。君はこのローシェ・ルージュの最後の弟子なのだから」
「師匠にとってはほんの瞬く間の出来事だったのでしょうが・・・・僕は、師匠と出会えて、幸せでした! 孤児の僕を拾って、ここまで育ててくれてっ」
「君を拾ったのは、ただの気まぐれだよ。そんなに恩を感じることはない。・・・・っと、そうだ、法王に宝玉は渡したんだけど、宝具は渡していないんだよね。だから私が死んだ後、機会があったら渡しておいてくれないかな?」
「え?」
「一応、何があるかは分からないからさ。護身用として持っておこうと思ってね。あっ、このことは誰にも言うんじゃないぞ?? 遺物の私的流用は法王国では大罪だからね。とはいってもこの法律作ったの私と初代法王だし、まぁ、いっか」
そう言ってカラカラと笑う師匠。
その笑顔は、今から死ぬ人間の笑顔では断じてなく。
いつもの、飄々とした、彼女の笑顔だった。
「おやすみなさい、師匠」
薬を飲み、眠りにつくローシェ・ルージュ。
彼女は、今世に生き残る唯一の英傑、生ける最後の伝説のひとり。
彼女は人類最強の魔術師とされており、約5000年以上も魔窟の迷宮を観測し続けている、聖霊教会最長の執行者、人類の守り手。
僕は、そういった外聞的な情報以外、彼女のことは何も知らない。
いったい何故、師匠が魔窟の迷宮にそんなにも執着するのか、何故、魔術によって寿命を延ばしてまで観測を続けているのかは、まるで分からない。
それでも、最期の最期まで僕は彼女の傍にい続けるだろう。
何たって、僕は彼女の最後の弟子なのだから。
だから、最期の観測の旅に出ていく師匠の姿を、目に焼き付けておこう。
誇りある人形使いの、最後の弟子として。
「はぁ? 第四階層との連絡が取れない?? それに、貢ぎ物が遅れている、ですって??」
第三階層 死神の巣穴。
黒い蜘蛛たちがうぞうぞと洞窟の壁中に張り付いている中、彼らの母親である第三階層支配者のタナトスは、苛立った様子を見せていた。
その怒りの気配に、デス・スパイダーたちは身を震わせ、怯えた様子でタナトスの姿を見つめ続ける。
そんなタナトスとはいうと、目の前にいる普通のデス・スパイダーよりは一回り大きい2匹の黒い蜘蛛に向かって、はぁと、大きく呆れたため息を吐いていた。
「ケルベロスの坊やも、いったいどうしたのかしらねぇ。この第三階層には月に一度、第四階層で獲れた魔物の肉を献上してくるというのに。貰えるはずのものが貰えないというのは、非常に不愉快になるものだわ」
そう言ってタナトスはのそっと巨体を動かすと、そのまま洞窟の奥へと、黒い蜘蛛たちを引き連れて進んで行く。
「まったく、ゴブリン・ロードは何を血迷ったかこの私に牙を向いて来るし、あのジャック・オー・ランタンのようなイレギュラーな魔物が発生してしまうし・・・・最近は苛つくことが多すぎてしょうがないわ。ひとつひとつ、私の手で歯向かう者たちを殺して回らないといけないのかしらね」
顔を歓喜で歪ませ、タナトスは暗い洞窟の中に甲高い嗤い声を響かせる。
「まぁ、良いわ。とりあえずは第四階層に貢ぎ物の催促をしてやるとしましょうか。エンライ、サンデル、行きなさい」
その声を聞いた瞬間、中サイズのデス・スパイダー二匹は頷き、闇の中へと駆けて消えて行くのであった。




