幸せは、永遠に続かせることを知っている
サチは阿呆だ。
『どこが』と聞かれれば『全部が』と答えが出るくらいに阿呆だ。
隙きあらば盗撮をするし、
隙きあらば身体を触ってくるし、
隙きあらば口づけをしてくる。
そしてそれが気づかれていないと思っている。
なぜあんなあからさまな状態で気づかれないと思っているのか。
甚だ疑問ではあるが、阿呆なのだからしょうがない。
だが、そんなところが可愛くて愛おしい。
サチは私の娘だが、本当の子供ではない。
当然だ。
私は神であって、人ではない。人の子など産めるはずもない。
だが、実は血はつながっている
サチはそのことを知らないし、今はまだ教える気もない。
サチはある時から『お母さん』と呼ばなくなった。最初は『千さん』、今では『千』と呼び捨てである。全く以て生意気なやつだ。何度も『お母さん』に戻させようとしたが、とんと聞くがない。
理由はわかっている。嫉妬だ。
サチは、この身体の持ち主と、自分の生みの親に嫉妬している。
そして、それも気づかれていないと思っている。
なぜあんな目で見ていて気づかれないと思っているのか。
甚だ疑問ではあるが、やはり阿呆なのだからとしか言いようがない。
私は神なのだが、所謂邪神に分類されるものだ。
昔はとある地方で、不浄を撒き散らし、人を喰い、田畑を枯らし、大飢饉を起こして散々暴れまわっていた。
当時の人間からは、不浄を撒き散らしすべてを滅ぼすもの、"不浄殲"として大層恐れられていた。
ある時、そんな私の前にひとりの巫女がやってきた。人身御供だ。
まあ、自分からのこのこ喰われにやってきたのだから一飲みにしたのだが、これが失敗だった。
こともあろうに、その巫女は魂だけの存在となって、私の中に居座り続けたのだ。
そして延々と祓詞を私にかけてくるのだ。私はその時初めてこの巫女が私を祓うために自ら喰われたのだと知った。
だが、気づいたときにはどうしようもなく、時が経つにつれてどんどん弱体化し、終いにはその巫女の一族に封印されてしまった。
全く以て情けない。不浄殲と恐れられた私が、だ。
私は封印されたのだから巫女は成仏するのかと思ったが、なんとこいつはそのあとも私の中に居座り続けたのだ。
ただ、祝詞はかけられず、『二人だけになってしまいましたね』とか、『ここは暗いですから、もう少し明るくしましょう』とか、『あ、あそこの影はうさぎに見えて可愛いです』とか、なんとも気の抜けるような会話を散々してくるのだ。
最初は何も答えてやらなかったが、いつしかポツポツと返答し、普通に会話をするようになっていた。
そして、『不浄殲という名前は縁起が悪いですから、短くして千にしましょう。ほら、字もこちらのほうがとても縁起がいいでしょ』と勝手に私の名前を変えたのだ。
その時から私の名前は"千"となり、姿はその巫女の姿となった。
そのあとしばらくしてその巫女は成仏したのだが、おそらく"千"と言うのは巫女の名前だったのだろう。名前という縛りを私に与え、満足して消えていったのだ。
私は巫女が居なくなったあと、ひどく退屈となり、いつの間にか深い眠りについていた。
それからどれくらいの時が経ったのかは分からない。
気がつけば、見慣れない着物を着た少女が目の前に立っていた。
私は一目みてそれが巫女の一族だとわかった。姿形はまるで違うが、血の匂いはそっくりだったからだ。
まあこいつがサチの母親なのだが、とてつもない阿呆だった。
何事かを話しているのだが、言葉がどうにも聞き取りづらく、そいつの記憶を読み取ってみると、世はかなり変化していることが分かった。
記憶を読み取ったことにより言葉も分かるようになったため、話しを聞いてみると、どうやら私を封印していた注連縄を誤って切ってしまったらしい。
しかもこの阿呆は『こんな暗いところに閉じこもっていたら気が滅入るでしょ。外に出ようよ』と、私を外に出したがったのだ。自分が何の封印を解いたかわかっていないらしい。
私は正直、世への興味は失せていたため、ここから出る気は更々なかった。
しょうがないから、私はどういう存在か、なぜ封印されていたか懇切丁寧に教えてあげて、私が外に出ると災厄となること、そもそも外に出る気はないことを伝えたのだ。
全く、何故私が教えなければならないのか。しっかり伝承しておけと心の中で悪態をついたものだ。
にも関わらず『そうか。寂しかったんだね。じゃあ私が時間があるときに話しをしに来てあげるよ』と、何をどう曲解したのか、そんなことを言いやがったのだ。
巫女の再来である。
私はうるさいから来るなと何度も言ったのだが、全く言うことを聞かず、暇があれば私のところへとやって来て『千、聞いて、千』とくだらない話しをするのだ。
こいつがこんなだったから、サチも言うことを聞かないのだ。阿呆の血は恐ろしい。
私のところに来る頻度が徐々に減り始め、ようやっと私の平穏が戻ったかと思ったのだが、しばらくして赤子を連れてきてやってきた。
どうやらいつの間にか、この阿呆も人の親になっていたらしい。
なんでも私に抱いて欲しくて、帰省をしたついでに来たのだとか。
だが、それは失態だ。
私は力は弱くなっているが、もともと不浄の神だ。赤子のように生気がまだ弱いものは、私の瘴気に耐えられず、たちどころに死んでしまう。
こいつは、私が不浄の神だから近づくなと言っているのにも関わらず、私に近づき、赤子を死なせてしまったのだ。
本当にどうしようもない阿呆である。
気づいたときには既に赤子の息はなく、阿呆はびーびー泣き喚いている。
全く以て度し難い。
幸いにも魂の剥離は起きる前だったから、私の血を与え、蘇生させてやったのだが、『千ありがとう~!! 命の恩人だよ!! 本当にありがとう~!!』と、自分の赤子を殺した元凶に向かって、更にうるさく今度は礼を言ってくるのだ。
本当にとてつもない阿呆である。
そして私が赤子を抱けるようになったのだから、抱いてくれとせがむのだ。
抱いてあげたら『この子に千の血も流れたのだから、私達は夫婦同然だね!』などと言うのだ。
頭を引っ叩いてやった。
その後は旦那との惚気話を散々私に聞かせ、満足したところで帰っていった。
そうして私の平穏は再び取り戻されたのだが、少ししてあの赤子の命が希薄になっていることに気が付いた。血の繋がりができたため、赤子の命を感じ取れるようになっていたらしい。
あの阿呆があんなことを言うから、居ても立っても居られず赤子の気配がする場所に行くと、車が炎上していた。
崖上の道から転落したらしい。
あの阿呆とその旦那は即死。魂もすでに剥離していてどうしようもない状態だった。
ただ、赤子だけは虫の息で生きていた。おそらく私が血を与えたためだろう。
本当は赤子を生家へ連れて行ってやるべきだった。それは分かっている。だが、この赤子は私の子でもあるのだ。
私はこの赤子を拾い、逃げるように立ち去った。
こうしてサチは私の子となり、育てることとなった。
サチという名前はよだれかけに書いてあった。あの阿呆が考えたのか、旦那のほうが考えたのかは分からないが、真名がわかったのは良かった。真名があるのとないのとでは、生命にとって大違いだからだ。
サチを育てるために、色々とかっぱらって来たのだが、困ったことが起きた。
こいつはミルクを飲まないのだ。私の血を与えたせいだろう。
しょうがないので、ミルクに私の生気を流し込んだら美味しそうに飲み始めた。
私の生気とは、即ち瘴気だ。普通の生命にとっては毒以外の何物でもない。
だが、サチにとってはその瘴気が糧となってしまっている。
サチが食べるものはすべて私の瘴気が入っている。おかげで普通の人と大きく味覚が異なってしまった。
あの子は牛乳だけは美味しく飲めると思っているようだが、それは違う。サチは牛乳を飲むときは自分で瘴気を混ぜている。おそらく赤子の頃に与えていたミルクを身体が覚えていて、それに合わせようと無意識にしているのだろう。
味覚だけではない。長いこと瘴気を取り込んでいるから、身体そのものが私と同質のものに作り変えられている。おそらくあと数年もすれば完全に人ではなくなるだろう。
サチはどうやら私の心を縛りたいようだが、私がすでにサチを私の色で塗りつぶし、縛り付けている。
だが、私は後悔していない。
私が愛する阿呆共は、もうサチしか残っていないのだ。この子だけは手放す気はない。
たとえ、それが永遠に縛り付けることであろうとも、この子となら幸せになれると信じている。
読んでいただき有難うございました。
第一部冒頭の一文は好きな作品のオマージュです。ご存知の方がいましたら嬉しいです。