リーンの企みと辺境伯の野望
自分の息子が女性に背中を踏まれて縄で縛られた格好を見たとき、普通の両親なら動揺するであろう。
しかし、ブルクファルト辺境伯夫妻に関しては、眉一つ動かさず、スッと続けたまえと言わんばかりに右手を差し出し促す。
「あ、いえ。その、これは……」
この場で唯一動揺したのは、アイだけであった。リーンなどは平然と「なんだよ、いいとこなのに」と言う始末。
結局、リーンはアイの着替えを望遠鏡で覗いてた事を咎められることなく釈放される。リーンはアイに対してニヤニヤといやらしく笑みを浮かべた。もしかしたら彼は、今後も覗き見を容認されたと思っているかもしれないということに、アイは気づかずブルクファルト夫人の相手をし始めた。
「鏡が見たいわ」と夫人に言われて、アイは夫人を連れて早々に工房へと消えて行った。
リーンは周りで働いていたメイド達に話しかけると、メイド達は辺境伯とリーンに頭を下げてリビングを去っていく。
リビングにはリーンと辺境伯の二人きりになる。
「父上、お待ちしてました」
「全く……急に来いなどと、それで何か用か?」
リーンと辺境伯は差し向かいに座り話を始める。
「はい、元々は別件で来ていただいたのですが、取り敢えずまずはこれを」
テーブルの上にリーンが置いたのは先ほどまで覗きに使っていた望遠鏡である。
「それは?」
「はい、アイが作った物の試作品です」
望遠鏡を受け取った辺境伯は、使い方が分からず怪訝な顔をする。リーンは立ち上がって辺境伯の側へと寄っていき使い方を教えた。
「おお! なんだ、リーンがすぐ側に!!」
使い方を教えてリーンは一度リビングの端にまで離れてみせると、望遠鏡を覗いた辺境伯は、大きく眉を吊り上げて驚く。
「それは、望遠鏡と言うそうです。どうです、父上、使えると思いませんか?」
「……素晴らしい。いざ戦争において密偵の役割は大きい。これを使えば相手の軍の動きは、まさに丸見えだな。リーン──」
「既にアイには二十本作るように言っております。それと、同時に他軍に望遠鏡の事を知られないように、売りに出さない口外しないように伝えております」
「はっはっは! さすが、リーンよ。しかし、これで、これで我の野望が確実に一歩進んだ。感謝するぞ、リーン」
辺境伯は満足げに高笑いをするが、リーンはあくまでも冷静なまま席に戻る。
「いえ、僕よりもアイのおかげです」
「そうだな。元々何か役に立つものの一つでも作ってくれればとの、使い捨てのつもりの婚約であったが、お前の見込んだ以上の成果だな。それで、あの娘はどうする? 理由をつけて婚約の破棄でもするか? それともいっそう、口封じに望遠鏡を作り終えたら……」
「いえ、当分は続けます。また何か作ってくれるかもしれませんし」
「そうか。まぁ、その判断はお前に任せよう。それと、このザッツバード領を正式にお前に譲るように陛下に話も通しておこう」
「はい、父上。……父上、それでは僕は一旦これで席を外します」
「そういえば、望遠鏡の他に何かあったのではないのか?」
「いえ……望遠鏡に比べれば些事ですので。それでは失礼します」
リーンがリビングの扉を開き出ていくと扉の側にはゼロンが立っていた。足を止めリーンは、なるべく小声で目を合わせることなくゼロンに話しかける。
「話は聞いていたか?」
「はい」
「やはり父上の野望は止まりそうにない。それ故に父上の配下としてゼロンを送り込んでいたのだが……。今後も父上の動向は逐一僕に報告してくれ」
「はい、我が主よ。それと、一つ。もしお父上がこの国に刃向かうとしたらリーン様はどうなさるおつもりで?」
フッと笑みを溢したリーンは、一言だけ「止めるさ」と言い残し、リビングの前を去っていった。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
辺境伯夫妻は、夕食を一緒に食べ終えると、早々に帰宅の途に着く。見送りを終えたリーンは書斎に、アイは工房へと日常へと戻る。
書斎に籠ったリーンは、何かするわけでもなく、ペンを指先でクルクルと回し考え事をしていた。
(課題は多く残っている……。アイの実家とバーリントン商会の不審な動き、アイの暗殺未遂の件もある。しかし、最大の問題は父上だ。もし、父上が動くとなると、首都と辺境伯領の間にあるラヴイッツ公爵がどう動くかが問題だ。一度行って見極める必要があるな……敵か、味方か)
ふと、窓の外を見ると既に真っ暗になっており、リーンはペンを置き寝室へと向かった。
寝室に入ると既にアイはシフトドレス姿となり椅子に座って鏡の前で髪を梳かしている。
薄手のシフトドレスには魔晶ランプの明かりに照らされアイの肢体のシルエットが妖艶に映っていた。
辺境伯の言うように初めはアイを利用するつもりであったリーンであったが、たまらずリーンはアイの背後から抱きつく。
「リーン──んっ!!」
振り返ろうとしたアイの唇を塞ぐように突然リーンが唇を重ねてきた。驚き戸惑い固く閉じたアイの唇に、リーンの舌が触れてくる。いつまでも離れないリーンの唇に、徐々にアイの肩の力は抜けていき、少しずつ閉じた唇を開いていく。
リーンの舌を受け入れてしまったアイは、されるがままで動けない。卑猥な音が寝室に響き、ようやく唇が離れると二人の間には唾液の橋が。
「アイ……君は絶対に僕が守る。愛しているよ」
耳元で囁かれた後、屈託のない笑顔を見せるリーン。
「全く……なんて顔をしてるのよ」
しかし、アイはその笑顔が無理矢理作ったものだとすぐに見抜く。いずれ近いうちに父親と相対することになると悲痛な胸の内のリーンの心中を。
「まだ婚約中だから、ね」
この夜、リーンの手を繋ぎベッドへと誘導したアイは、二人して倒れこむと向かい合いながら一度ギュッと強く抱きしめ初めてアイから唇を重ねてきたのであった。
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