アイの工房
ゼファリーとラムレッダの二人は、アイが目覚めた事に安堵してスタンバーグ領へと帰宅の途に着く。
見送りたい気持ちはあったが、アイは動くことを二人に止められ断念し、代わりにリムルの手を借りて部屋の窓から二人の姿を見ていた。
リーンは、改めて二人に感謝の意を述べる。
「二人ともありがとう。君たちが居なかったら僕はあの場ですぐに動けずにいた。これからはアイを守れるよう精進するよ」
「いいえ、リーン様は立派に看病しておりましたわ。あ、それとアイ様に出来るだけ早めに工房建ててあげてください。それだけで、アイ様の体調はきっとすぐに良くなりますから」
「ああ。そうするよ。ゼファリー、出来れば君には残って僕の右腕になってもらいたい位だ。まぁ、君は望まないだろうけど」
ゼファリーは「俺が仕えるのはお嬢様だけですから」と囁くように言うと、クスッと笑みを浮かべ馬車の手綱を操りブルクファルト領を出立する。
ラムレッダは馬車の中から徐々に遠くなっていくアイのいる部屋の窓を、いつまでも眺めていた。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
ラムレッダやゼファリーが居なくなってから、はや一週間が経とうとしていた。
アイの容態も徐々に良くなり、リーンも見舞いに頻繁に訪れる。
相も変わらず、リーンのアイに対するセクハラ紛いの行いに、辟易するアイであったが、退屈はしなかった。
「お、着替えの時間か。それじゃ僕は部屋を出るよ」
リーンは椅子から立ち上がり、着替えを持ってきたリムルと入れ違いに部屋を出ていく。
パタンと扉が閉まる音がして、アイが上着を脱ぎ下着姿になった時間を見計らって「ああ、そうだ。忘れ物を」とリーンが扉を開いて戻ってくる。
ヒュンと音がしてリーンの顔に枕が投げつけられた。それは、まだ上着一枚脱いでいないアイの手によるものだった。
ここしばらく、着替えを偶然を装って見に来るリーンに、アイにも対策の一つも出来るというもので、部屋の前でタイミングを見計らっているであろうリーンに、着替えるフリをして枕を構えて待っていたのだ。
「全く、毎度毎度。大体、私の下着姿なんて見ても面白くもなんともないでしょうに」
ブルクファルト家に来てからアイはずっと不思議に思っていた。
リーンが、メイドや侍女といった自分より若く綺麗な娘に対して全く手どころか、セクハラ紛いな事すらしないことに。
もう三十路も近い自分に、何の魅力があるのかと。
「あ、あの。アイ様はとっても魅力的ですよ」
「ありがとうリムル。お世辞でも嬉しいわ」
「えっ、いえ、お世辞なんかじゃ……」
素直に褒め称えたつもりだったリムルにとってお世辞と返され困惑の表情を浮かべている。リーンも小さく溜め息を吐くと床に落ちた枕を拾い、アイの側までやってきて枕をアイのベッドに置く。
そしてリーンは小さく首を横に振ると「君は最高に可愛いし綺麗だよ」とアイの耳元で囁く。
顔が茹で上がったように赤くなるアイ。
リムルも愛のささやきが聴こえており、同じ女性として顔を赤らめていた。
「さ、それじゃ着替えの続きを──」
惚けている二人を置いて、リーンはアイの上着の紐をスルスルとほどいていく。
「ほら、手を挙げて」
素直に従い両手を挙げたアイの上着をめくり雪のような白い肌をしたお腹が見え始めると、ここでアイは今の自分の状況に気づく。
「どさくさ紛れに何してるのよっ!!」
挙げた手をリーンの鼻先に振り下ろすと「ご馳走さまですっ!!」とアイのチョップを鼻に受けたリーンの顔は嬉しそうで、そのまま床に伏したのだった。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
幸いと言うべきか、アイの容態は良好に向かい、激しい運動でなければ自力で動けるまでに回復していた。
そこで、快気祝いにと、リーンがアイを連れて行きたい場所があると言われて、アイとリーン、そして付き添いでリムルが馬車に揺られ出発する。
「何処に向かう気?」
「ナイショだよ」
いたずらした少年のようなリーンの表情に、アイは煮え切らない、とモヤモヤしながら車窓からの風景を眺めていた。
車窓から望む景色は燃え盛る炎のようにオレンジ色へと染まっていた。日帰りかと勝手に思い込んでいたアイは、何度もリーンに目的地を聞くが教えて貰えず、息苦しいと外の空気を吸うために馬車の窓から顔を出す。
「あら? あの村ってたしか……」
馬車の進む方向に見える点在する家屋。アイには見覚えがあり村の名前を思いだそうと頭を悩ませる。
「あ、そうそう。ナホホ村だわ。以前ブルクファルト領に向かう途中、立ち寄った……えっ、となると此処ってザッツバード侯爵領?」
「そうだよ。旧侯爵領。今はうちが治めているけど」
「じゃあ、目的地ってもしかして此処?」
「当たらずとも遠からずって所かな?」
馬車の窓から頭を出して、馬車の動向を見ているとナホホ村には入るものの、停まる気配がない。
馬車は村を通り抜けて、木々が立ち並ぶ場所へ近づいていく。
「キレイ……」
アイは溜め息混じりに呟く。水面が波立つことなく鏡のように夕焼けの光を反射させる湖。反射された光に周囲の木々が茜色に染まっていた。
以前、ナホホ村に立ち寄った時、避暑地であるとリーンから聞かされたことを思い出したアイは、馬車の進む先にある小屋を見て愕然とする。
てっきり、大きな別荘でも……そう考えていたのだ。
「もしかして、彼処に泊まるの?」
「いや、違うよ。今後僕らは此処に住むのさ」
「住むって……あの小屋に?」
「小屋? ははは、あれはアイの特効薬だよ。住むところは別さ。隣は、まだ建築中だろ?」
特効薬と言われても何のことか分からないアイは、頭を馬車の中へと引っ込めてリーンの顔を見る。
微笑んだままのリーンに、アイは首を傾げるばかりであった。
馬車が小屋の側に到着すると、すぐに馬車から降りて、誰に断ることなく小屋の中へと入っていく。
「これって……もしかして、工房!?」
一階建て平屋の小屋の中には、アイが実家から持ってきた工具が綺麗に並べ立て掛けられている。
アイは、一人用の作業台の前にある椅子に座ると台の高さや椅子の座り心地を確かめ始めた。
「うん、悪くないわね。でも、此処に住むってどういうこと?」
「ほら、うちに工房を作っても良かったのだけど、どうせアイの事だから人手を増やすつもりだろ? だけど、うちにあまり人の出入りは好ましくないからね。婚約を機に二人で此処に住もうって思ったのさ。それで、どうだい? 気に入ってくれたかな?」
アイは狭い小屋の中をぐるりと見渡し、滑り出しになった木窓を開け、備え付けの棒で立て掛けて外を眺める。
目の前には湖があり、避暑地になるだけあって眺望も文句無しに良い。
「ええ、気に入ったわ。ありがとう、リーン。それにしても特効薬か……多分ラムの入れ知恵ね」
バレたかとリーンは舌をぺろりと出す。「こっちに来て」とアイの手を引いて外へと出ると、工房の小屋の近くには積まれた建材や、まだ下地程度の建物を見せる。
「リーン。まさか、私に家を建てろと?」
「えっ、自分で建てれるのかい!? いや、家は此方で作る予定だったのだけど……」
「冗談よ。いくら私でも本格的なのは無理。それにしても、私はいいけど、リーンには不便ではないのかしら。此処に住むって」
「問題ないよ。元々ザッツバード領に来る予定だったからね。まぁ、いずれなる領主の練習みたいなものさ」
ひらりと一枚の紙切れをアイに見せつける。そこにはブルクファルト辺境伯からリーンへ、このザッツバード領を治めるようにとの命が書かれていた。
(これって実質領地支配よね……。国からではなくて辺境伯の命令……か。不味くないのかしら?)
工房自体は嬉しかったが、どうも素直に喜べないアイであった。
次回12/29頃予定




