1-9 助けてくれた相手は秘密国家でした
【リュセラ・ロウ】
――どうして僕達は人間だと認められないの?
――ただ角があるだけのに、なぜ神人類様たちは僕らを害虫と呼びこんなにも憎まれるの?
――僕たち魔族がいったい何をしたの? 答えてよ、父さん。僕達がいったい。
「――なにをしたというのか」
そう無意識に呟いた事で、自身がうたた寝していた事に気付いた。
今のは夢か。
私は壁に囲まれた見慣れぬ景色に、あの死の山で二百人もの追っ手からシン殿によって助けられた事を思い出した。
ここは恐らく死雪山脈の地下に作られた巨大空間。
雪山で助けられた我々はその後、目隠しをされこの窓のない空間に連れて来られテントを張る事を許された。
数時間前は天井部分に灯りがつき、昼間の様な明るさだったが、今はそれも月明かり程度に弱くなり各自が眠りについている。
――皆、充足感に満たされ緊張の糸が切れたのだろう。
温かい場所で空腹を感じる事なく、襲撃の恐怖にも怯えずに眠ることが出来たのは何日ぶりか。
こうして命を助けてくれた上にここへ招き、食事も医療も与えて下さったシン殿には感謝しかない。
「――が、そのシン殿は我らの正体を知らない」
テントの外で一人、物思いに耽っていたのはそれだ。
我々は人間ではない。
「まさか我らの正体が『魔族』だとは夢にも思っていないだろうな」
かつて神人類達に人間の出来損ないと憎まれ、国家ごと滅ぼされ皆殺しにされた存在、魔族。
その僅かな生き残りが我らだった。
魔族と人間の違いは角だけだ。
ならば角を削ぎ落としさえすれば見た目は変わらない。
それを利用し私の祖先は角を削り、王国の貴族の地位を手に入れる事で、同胞を王国西部に匿うことに成功した。
――だが数日前にフェリペ率いる憲兵隊に我々の正体が露見。
当時、王都では粛清の嵐が吹き荒れていた。
雪が降り続くのは他に原因があると、宝玉盗難に関わったと、様々な因縁をつけてフェリペは有力者を尽く潰していた。
その過程で憲兵隊になぜか血を採取され、それが元で正体が割れた。
魔族は神人類の敵。
討伐命令が下り憲兵隊に囲まれた燃え盛る屋敷で、父上が告げた言葉が甦る。
『伯爵と共に王国西部の魔族達を何としても逃すんだ。でなければ我々は根絶やしにされる。なんとしても生きて次代へ繋ぐんだ、ロウ』
伯爵はこの王国に根付いたもう一つの魔族の家系。
私は同族の伯爵と共に、父上や年老いた者を犠牲に王都から脱出を試みた。
途中、魔族ではないが反フェリペとして地下で活動していたシン殿の妹、フィーネ殿の協力もあり何とか脱出には成功。
しかし途中で捨て鉢となる者が後を絶たず追手も振り切れない。伯爵達とも道半ばに逸れてしまった。
同胞を助ける為に西へ行く事も叶わず、やがて北へ北へ追い立てられ我々は死雪山脈に突入。
過酷な環境に倒れるフィーネ殿。尽きる食料。迫る追手。
――もはや逃げ切れない。
そう絶望感に支配された時、全てがひっくり返った。
“お願いだからっ、誰か助けて――”
“――ああ、任せろ”
我らはあの瞬間、真の英雄を見た。
ハレルド・シン強襲。
生存していた事実にも、その圧倒的な人間離れした大立ち回りにも、誰も彼も言葉を失った。
何十人もの騎士を神速で斬り捨て、魔物を腕力のみで引き裂く武勇。終いには神人類にのみ許された奇跡を起こし同胞を救う姿は、英雄以外の何者でもない。
もっとも彼が何の為に私達を助けたのかは未だ分からない。
ただ妹であるフィーネ殿と一緒だった幸運により、こうして寝床と食事、医療まで提供して貰えたのだろう。
「しかし勘違いしてはいけない……フィーネ殿もシン殿も魔族ではない」
私達はあくまでフィーネ殿のオマケ。
ましてや魔族は神人類に敵視されている。彼が“恩寵魔術”を使った以上、むしろ神人類の方に、何らかの関係があってもおかしくはないの。
「……もしシン殿が本物の神人類だったとしたら」
私達は不倶戴天の敵。
フィーネ殿ともフェリペと敵対しているという一点だけの関係であり、正体は明かしていない。けれどなぜ王都を追われたかは知っている。
魔族をフェリペの難癖と思われたか、真実と捉えたかで状況は簡単にひっくり返る。
“足りねぇな。この俺の首を取ろうってのに、たかが二百じゃまるで兵力が足らねぇんだよ”
怖気が走った。勝てる訳がない。連中をたった一人で殺し尽くした英雄に何ができる。それに。
「……そもそも彼は、何者なんだ?」
内側から巨大な人工物と思わしきドームを見上げた。
雪山にいた我々が治療の為と、被せ物をされてここに連れてこられた事は仕方ない。
シン殿が生き延びていたという事は、何らかの拠点がこの死雪山脈にある事も意味していた。
「だがこの雪山にどうやってこんな地下空間を作った?」
私が拠点として想定していたのは雪山の洞窟程度のもの。
なのにこの巨大施設はなんだ?
これを作るのにどれだけの金と労力、そして技術が掛かる?
あの天井から我々を照らしている光は一体何なのだ?
「なにより……これは、これだけはない」
私は地面に生える雑草を見た。
有り得ない。ここは太陽の届かない地下。そこに雑草が生い茂るなど常軌を逸している。
そしてこの温度。
「暖かい……魔術で火を焚べているなんてレベルの温度差ではない。どんな魔術を使えばこれだけの温度を雪山で管理できる。しかも変化はまさに一瞬ときた」
被り物をさせられ雪の上を歩かされるた時、最後一瞬だけ硬い地面に出たのは分かった。
待たされ少しすると平行感覚が乱れた様な妙な感覚があった。
それからだ。一気に周囲の温度が上昇したのは。
以降温度はずっと高い。
所要時間わずか数分でこの気候の劇的な変化は説明のしようがない。
「火山が近くにあるのか? だが……地面が暖かい訳でもない。暖かさの出所はいったいなんだ?」
考えれば考えるほど不安が過ぎる。
まるで何か決定的な見落としをしている様な、取り返しのつかない勘違いをしている様な。
「……よう坊っちゃん。寝ないのかい」
その声に思考が打ち切られた。
立っていたのは父の代から仕えてくれている大男のベンソンだ。
「君も起きていたのか」
彼は上半身を袈裟斬りにされ、腸が出掛かっていた。それが今じゃ雪山に入る前と同じ健康体だ。
湧き上がるのは深い感謝と敬愛――そして謎に満ちた彼の底しれぬ力と、背後に見え隠れする神人類の血に対する恐怖。
「……分かるぜ。ここはおかしい。帝都の神人類にも雪山にこんな施設を作れるとは思えねぇ。なにより」
彼はポケットから何かを取り出した。
「食事だ。旨いなんてもんじゃなかった。食った奴ら皆して涙を流したが、俺だってそうだ。使われる食材の種類、大きさ、調理の手間、全てが贅の限りを尽くしてやがる」
「……確かに死の山で貴族生活よりも良いものを食べているのだから、夢としか思えないな」
「それに気付いたかあの果実? あれは温暖な気候でしか取れないものだ。なぜこんな雪山の地下で惜しげも無く出せる? トドメにこの携帯食の包み……材質もさる事ながら、坊っちゃんなら読めるかこの文字?」
ベンソンが見せてくるものは私も持っていた。我々に配られたもの。
「いや全くだな。文字に関してはこの大陸は大方統一されているし、少数の言葉も調べた経験がある……だがこんな文字は未だかつて見た事がない」
謎の気候、謎の技術、謎の言語。
一瞬、触れてはならぬ世界へ来てしまった気さえした。
ベンソンは携帯食を仕舞うと真剣な顔で私を見る。
「――逃げますか?」
急に敬語に変わったのは主君として問われているから。その顔からも「死んでも逃がす」という覚悟が感じられた。
「……しかし」
「あの御方が俺達を助けてくれたのは事実。ですがやっぱり、あの御方にも角はありません。お館様の死に様、お忘れですか?」
――我々は人間です! 我々がいったい何をしたというのですか!?
燃え盛る屋敷で捨て鉢となり、無数の矢で射殺された父の叫びが蘇る。
魔族の訴えを聞き入れる者などいない。
神人類がそれを許す訳がない。私達は彼らにとって汚らしい虫でしかないのだ。
「……坊っちゃん。分かっているでしょう? ハレルド様は間違いなく神人類です。もしフィーネ殿から我らの正体が露見したら、俺達は確実に殺されるか、良くて対王国への尖兵にされます」
「だが彼は我々をっ」
「勘違いしてはいけやせん。我々に味方なんていないんです。安息の地は存在しない。そうしてここで休んでいる間に、西部にいる同胞達が根絶やしにされています。あの山賊の様なフェリペの私兵達が言っていたではありませんか。もう既に西部征伐の為の軍は動いたと。今まさに大虐殺が行われていても不思議じゃないんですッ」
無意識に顔を覆った。
なぜそうなったのか。
なぜここまで我々は敵視されるのか。
魔族が一体なにをしたと言うのか。
神人類が我らを敵視する動機など、父上ですら聞かされていなかった。ただお前達は人間ではない。だから死ねと。
魔族は国を持つことすら許されず、神人類達は見つかれば根絶やしにすべき害虫とすら思っている。
「……それともいっそハレルド様と戦いこの拠点を奪いますか? あの二百人を暴虐の限りを以て殲滅した人類最強クラスと殺し合いをして」
「やめろ! 我々の正体を知らなかったとしても彼は恩人に変わりはないっ。ああ……分かっている。明日、ここを発つとシン殿に伝える。なにより間に合おうが間に合わなかろうが、救えるだけ同胞を救うんだ」
「――もし我々の正体がハレルド様にバレていたら?」
「…………その時は命を賭けて私を逃がせ。最悪、私でなくとも西部に危機を伝えられるなら誰でもいい」
彼はようやく頷いた。
時間がないのだ我々には。またもし、正体が露呈していたとしたら……それが怖くて仕方ない。だからあんな夢を見たのだろう。
――父に角を削り取られた日。
そうしなければ魔族は人間と見做されないから。
“なんとしても生きて繋ぐんだ、ロウ”
分かっている。
自分達が何処で生まれ、何処から来たのかも知らない人間の出来損ないだとしても、受け継がれる血の為に我々は生きねばならないのだ。
「陛下がお呼びです。全員で城へと来て頂きます」
だが翌日、状況が一変した。
銀髪のメイドが現れ私達に登城せよと言ってきたのだ。
「え?」
当惑しかない。
一緒に来てくれと言われたからではない。あまりにも疑問が沸き上がったからだ。
まずこの環境でなぜメイド服を着た人間がいる。
そもそも陛下とは誰だ。いやそれよりもここは国だったのか。
何よりこの地下施設の何処に城があるというのか。
……ダメだ思考が追いつかない。他の者達も見ると困惑している。
私は一つずつ確認する様に尋ねた。
「ええと、まず陛下とは?」
「ハレルド・シン様にございます」
「だが彼は……いやそれよりここは死雪山脈、雪山だな? なのに国とはどういうことだ?」
「いいえ。ここは死雪山脈と呼ばれる場所でありません。そしてこの場所は昨日の夜より大和皇国となりました」
昨日の夜?
昨日の夜より大和皇国となりました??
言われている言葉は分かるが、意味がまるで分からない。
建国したと言うのか?
昨日の夜に?
「その、あれだ。皇国とはなんだ? 雪山の地下に新たに国を作ったという事か?」
「皇国とは神の許しを得て皇帝或いは大王が従える超大国です。そして繰り返しますが、ここは雪山の地下ではありません」
言葉に詰まった。
このメイドはなにを喋っている?
シン殿を王にして国を興したのかと思ったが、そもそも超大国だと?
神の許可を得たと言い張り誰の承認も得ず勝手に自分達で超大国と主張しているのか?
それは幾ら何でも名乗るのは勝手だが、強気過ぎると言うか……。
「……超大国ってそりゃあ」
後ろでベンソンも訝しんでいる。
また地下ではないと言われても、ここは地下以外にないだろう。
あの被せ物をさせられてから、我々は数分程度しか歩いていない。行ける範囲は地下を除けば、全て雪である。
……つまり地下は分かれていて、その中に別個にこの施設や城と呼ばれる場所がある? それを以て国とした?
「……いやいやいや」
妄言にしか聞こえない。
けれどそういった理解不能な部分を除いた場合、かなり危険な話でもある。
「とりあえず城や国の話は置いておくとしよう。しかしすまないが、全員を連れて行くのは勘弁して貰いたい」
ここで危険なのは登城、すなわちシン殿の前へ全員が連れ出されようとしている点だ。
今後の話は当然あるだろう。事情の説明も助けられた側の義務だ。
問題はその説明をするのに『全員』である必要はないにも関わらず、そう指名してきた意図。
「こちらには女子供も多い。せめて私と数人だけで――」
「駄目です。全員です」
「……理由を聞いても?」
「あなた方の祖先に関するお話があります」
「はっ?」
祖先?
祖先とはなんだ。それは何を指して……まさか私達の正体は既にバレて――。
「――坊っちゃん」
取り乱し掛けた時、肩をベンソンに掴まれる。一瞬、バレているのではとぞっとしたが彼のお陰で冷静になる。
「祖先とは……王国の始まりのことか?」
「お答えしかねます。なので全員が直接的に聞くべきと陛下は申しておりました」
――あくまで全員に拘るのか。
私達の正体に気付き、魔族だと確かめた上で殺そうとしている?
だが彼女に一切の敵意はなく、護衛の兵士すらいない。
危険視されていない? むしろ本当に分かっていないのか?
あまりにも無防備ゆえ、彼らが祖先と言ったのは魔族ではなく、王国の祖先だと言っているのではないかと思い始める。
「と言うよりも……知りたくはないかしら?」
「えっ?」
途端にメイドが初めて表情らしい表情を作り、ニヒルに笑った。
「ここは何処か。私達が何者か。なぜあなた達は救われたのか。今、この時、この場所で、何が始まろうとしているのか……世界がたった一人の男の前に震え慄き、平伏す瞬間を見たいとは思わない?」
「は? いや君は、いったいなにを言って」
まるで煽る様に言った後、真顔に戻ったメイドは私達に背を向ける。
「――お喜びなさい!」
彼女が手を高く広げる。
直後、応える様に轟音と地揺れが起こりドームが崩壊していく。
「なんだ!? 地揺れっ!?」
「逃げろ崩れるぞ!?」
騒然となる私やベンソン達を無視して彼女は続ける。
「あなた方は許されたのです! 国主たるマスターにより真の姿をお見せするに値する存在だと、不遜にも選ばれました!」
「おい何をトチ狂っているッ、このままでは地下が崩れ――いや違う!?」
壁が崩れているのではない。
裂けているのだ。
天井と壁が回転しながら地面へと規則的に沈んでいく。
「え……馬鹿なっ!?」
差し込んできたのは朝日。
分解され見えた上空は雲ひとつない快晴。
絶対に止む事がないと言われた死雪山脈の空が、雪一つない晴天へと変わっていた。
「なぜ雪が降ってない!?」
私の疑問に答える事も振り返る事もせずメイドが叫ぶ。
「で――あるならば! 感謝と共にその御力にひれ伏しなさい! そして至極なる恐悦に震え、崇めたてるのです!」
地面に消えていく壁。
存在しないはずの晴天。
止まらないメイドの宣言。
何が起きているのか。何を言っているのか。
変容し急変する事態にただただ困惑する事しか出来ない。
だがやがて壁が地面に完全に消えた時、その全ての元凶を見た。
「――みず、うみ?」
違う。
壁がなくなりむき出しになった地平。
そこは無限に続く雪山――ではなく一面が水に囲まれた世界。
「嘘だろ……」
「なん、で」
無限の水平線。
暖かな日差し。
空を飛ぶ海鳥の群れ。
間違いないここは。
「…………海? 海だと? なんで海なんてものがここにあるんだっ!?!?」
「坊ちゃん! ここは死の山なんかじゃねぇ!? 島だ! 俺達はずっと地下じゃなく島にいたんだ!?」
慄きと困惑の入り混じったベンソンの声が遠い。頭が状況の激変に追いつかない。
「なにが、どうして……どうやってっ?」
我々はいつの間にこんな場所に連れて来られていたッ!?
されどメイドだけは叫び続ける。
「さぁ! これよりあなた方は千年の文明を生み出した、全ての始まりにしてその正当後継者たる陛下の、あなた方にとって本物の使徒の御前へと出るのです!」
瞬間、地面が発光する。
謎の緑色の丸い光線が連続的に浮かび上がってくる。
「よって皆々様は活目し、そのお姿の前に、ただただ」
――くらっとした。
あの被せ物をされて温度が上がった時と同じ感覚。
その感覚と同時に世界が歪む。
そうして変容した景色は――。
薄暗い巨大な広間。
周辺に並ぶのはメイドや執事、鋼鉄の身体を持つ異形達。さらに後ろには同じく鋼鉄の身体の巨人兵たち。
けれどそんな巨人達より高くそびえる七本の柱。その上で光に照らされる六人の男女。
その中で一際高い場所に黒く長いコートを羽織り、エンジのスーツを着た男が玉座に座る。だが何より特徴的なのは顔の上半分を隠す白い仮面だろう。
「彼の御方を前に……最大限の感涙と平伏を以って敬いなさいませッ!」
メイドが高らかに告げると男が立ち上がり、他の者達が一斉に跪いて頭を垂れる。そして男が口を開いた。
「よく来てくれたリュウセラ卿」
間違いない。その声には聞き覚えがある。
「こちらの顔で会うのは初めてだな。そうだ、私だ。ハレルド・シンだ。そしてまたの名を」
その男の顔は見えずともその声はそれは我々を救った英雄のもの。
だが目の前の姿こそが彼のもう一つの王としての顔なのか。それともこれこそが本物の姿か。
「――この秘密国家大和の王、神埼真一である」
なんでこうなったかは次で。
※現在、私生活の不幸で少し作者のメンタルがきついので予防措置として感想とレビューを閉じさせて貰いました