1-8 神人類の真実
【ハレルド・シン】
死ぬ。
比喩ではなく本当に呼吸が苦しい。
「――がはっ」
しばらくして肺の空気が一気に出た。それでようやく呼吸が落ち着く。
呼吸を整えてまず思ったのは一つ。
――何ともまぁ、無茶をした。
雪に膝をつき、自らが引き起こした惨状を見た。
死屍累々。二百を超える襲撃者は騎士や召喚術士も含めて全て死んでいる。
俺がこの手で殺した。
――本気を隠す必要もねぇ、と啖呵を切ったがまさかここまでとは……。
俺がした戦法は酷く簡単だ。口に咥えた杖で恩寵魔術を自分自身にかけ続け、二本の剣で力任せに敵を討つ。ニ刀一杖。
ただこれで戦ったのは二度目だった。
一度目は偶然。
かつて竜帝国と言う南部の大国に辺境を掠め取られた時の撤退戦で使った。
剣を使いながら自らに回復効果のある恩寵魔術を使えないか、そんなシンプルな考えからだ。
本来、魔術に杖は必要不可欠。しかし方向性を持たせる魔術は杖の先端を向ける必要がある。だから剣士と魔術は両立し難かったのだ。
だが恩寵魔術の様な自己強化なら狙いもへったくれもない。
口に杖を。両手に剣を。という変則スタイルで恩寵魔術を自分自身へと全フリした。
その結果が撤退戦での一騎当千の活躍と、今回の惨状であった。
なにせ治れと思えば傷が消え、人の数倍の速度で動け、蹴り一つで石柱が粉砕されるのだ。
「……恩寵魔術とは暗示なのだろうな」
同時に俺はこの魔術の真髄をなんとなく理解した気がした。
この魔術はただそうあれと信じ、願う。それが自分の身体に返ってくる。
だから二百の敵を前に自己暗示として強い言葉を吐き続け、己の内なる感情を爆発させると共にひたすらに強くなり殺戮の限りを尽くした。
――もはや隠す必要はない。
ふと、自分の言った言葉を反芻する。
「ハレルド・シンは王国に殺され生まれ変わったんだ」
騎士として国への忠誠はある。だが王家に対しては何も無い。裏切ったのはフェリペ、そして彼らなのだ。
彼らが道を踏み外したのなら、俺は俺の道を行くだけ。
雪降る空を見上げると、なんだか全ての枷が外れた気がした。
「……とりあえず、彼らの手当をしないとな」
重い体に鞭を打ち、本来の目的である攻撃されていた者達を助けに行った。
「無事か、卿」
そう声を掛けると仲間の止血をしている身なりの良い男は、顔を上げた。
「っ、やはり貴方様は」
「大罪人ハレルド・シンだ。たしかリュウセラ卿とお見受け致す」
男はベルゴ王国の有力騎士だった。
面識はない。会話した事さえない。なのになぜ分かったのかと言えば、彼の髪だ。
――やはり彼は俺と同じ黒髪。
その髪の色から短く刈り上げた精悍な顔立ちを覚えていた。
「こ、此度は――」
「その前に彼らを癒やそう」
俺はここに来る途中に死体から回収した杖を掲げる。
「――応えよ! 己が生を繋げたくば、この惨劇に怒り震えるのならば……この王の号令に奮い立てぇッい!」
ふと、初めて口上等というものを使った気がした。
魔術の詠唱などした事がない。ただ口から出た言葉は俺の内なる部分から出た。
全体に魔力が行き渡る。
瀕死の重傷者達が瞬く間に息を取り戻して行く。
至る所で先程の俺と同じく息を吐き出す者達。各地で歓喜の声が上がる。無論、助からない者達もいたが救える範囲では救った。
「――な、なんという奇跡っ」
リュウセラ卿が感嘆と敬意を感じさせる声色で呟いた。その目は今にも涙を流しそうになっている。
「やはり貴方様は冤罪だったのですね……なのに私はそれを助ける事もせずっ、ただ傍観してしまった。なんと愚かなことを!」
「気にするな。しかし疑っていたような口ぶりだな」
つい魔力をほぼ使い果たした疲労から敬語が抜けた。
「っ、そうだ! そうです貴方にお逢いさせたい方がいらっしゃいます! その方のおかげで我々は逃げられたのです!」
「俺に逢わせたい者?」
こちらに。そう言って彼は立ち上がり、放置されていたソリへと向かう。
その大きなソリに掛かった毛布を捲ると、予想外な人物が横たわっていた。
「――フィーネ!?」
「っ……兄、さん」
死にそうな程に弱りきっていたのは他でもない、俺の妹だった。
「ドクター! この子を頼む!」
その後、体温を感じない妹を抱え生き残ったリュウセラ卿達を一旦廃墟に避難させ、俺は楽園へと戻った。
見るとワープする前は秘書だけだったのが人数が増えている。
眩しそうにこちらを見る秘書、涙を浮かべるドクター、むしろ泣き崩れている工場長、神妙な顔のメイド長あたりは分かる。
しかし柱の影に隠れているコック帽を被るインド系の肌の黒い青年。
壁に凭れている白衣を来た小柄な少女。
黄色いヘルメットを被り汚れた作業着を来てキラキラした目で見てくるパーマの青年。
彼らは誰か知らない。
とにかくフィーネの衰弱と外のリュウセラ卿を放置する訳にも行かず、ドクターと秘書、メイド長に妹と彼らの救護を頼んだ。
それから数時間後。
妹のフィーネは軽度の低体温症らしく治療が施され現在は回復し寝ている。
リュウセラ卿達もドクター率いる医療班に救護され、ヘルメットで視界と音を遮断した状態で楽園の居住区にあるドーム型の保安施設に詰め込まれた。
今は施設内でメイドと執事、医療班から食事や治療を受けているそうだ。
結局、全員が落ち着くのに丸二日は掛かった。
また今回の件でバイオロイド達から俺に対していろいろ話があるらしい。……正直、心当たりが多過ぎてつらい。
それまでの間、俺は妹フィーネに連れ添っていた。
なんでも治療中はずっと俺の事を呼んでいたらしい。
俺も聞きたい事がある。
なぜあんな場所にいたのか。なぜ一人だったのか。父さんや母さんは――。
「――兄さん」
ふと長い淑やかな黒髪を垂らし妹がベッドから身体を起こしていた。
「フィーネ!」
俺は無意識に抱き締める。
下手をすれば二度と逢えなくなっていた大切な妹が愛しくてならなかった。
「えっ、ちょ、に、兄さん!?」
「本当に良かった……。すまない、俺が不甲斐ないばかりに……っ」
「いえっあの、お気持ちは嬉しいんですが、今はちょっとその!」
「ああ、すまない。思わず感極まってしまって……でも本当に良かった」
少し照れた顔の彼女に謝罪する。病み上がりの人物にして良いことではなかった。
「それでその、一体なにがあったんだ? どうしてリュウセラ卿達と一緒にいたんだ?」
「その前にあの、ここの見た事もない施設や人々は一体」
「彼らはその……味方としか言えない」
「――まさか旧文明の、ですか?」
思わず妹の顔をマジマジと見る。
「なぜそれを知っているのかという顔ですね……実は私も兄さんに伝えなくてはならない事があるのです」
彼女は見た事もない他人の顔で俺に告げた。
「私と兄さん、いえ……王家の血を引かれるシン様と私とその家族に血縁はないのです」
「ま――」
まさか。
そう言おうとしたが声が出なかった。
俺も考えていたから。恩寵魔術を受け継ぐ俺と、父さんや母さん、そしてフィーネと血が繋がっていないのではないかという。
「やっぱりというお顔ですね。はい。私と兄さんはそもそも親族ではありません。兄さんは……かつて根絶やしされた本物の神人類の末裔なのです」
「やはりそう…………待て。今、なんて言った?」
「兄さんの出生を語る上で大事な要素がございます。それは」
直後、洞窟の日本語に匹敵する程の衝撃が俺にもたらされた。
――現在のこの大陸にいる神人類こと王族達は、本物の神人類達をかつて殺して成り代わった偽りの征服者達なんです。
【とある敗走兵】
「はぁっ……はぁっ……はぁっ!」
――伝えねば。
俺は凍りつく涙と鼻水を撒き散らして雪の上を走った。
二百を超す兵団がたった一人に皆殺しにされた。人間が出来る所業ではない。それでも唯一雪崩に巻き込まれながら奇跡的に生存できた俺は必死だった。
――王家に奴の生存をなんとしても伝えねば!
奴、ハレルド・シンの生存を知る者は俺以外に誰もいない。
その死は公然とされていのだ。「死の山に放たれた暗殺者達がハレルド・シンを殺した」そうベルゴ王が話しているのだ。皆、それを信じている。
「あの男だけは必ず殺すのだぞ」
しかも追放と同時に王が放ったのは王家直轄の不死連隊だと聞く。
不死連隊、インモータルズ。
彼らがいつも何処にいて何をしているのか誰も知らない。
王家の切り札と囁かれる彼らはただ王家の号令に合わせ現れ、あらゆる職務を遂行する。
そんな懐刀を抜いてまで殺したはずの男が。
「なぜ生きていた!? 今まで何処にいたんだ! 雪山に消えて一体、何日経ったと思っているんだよ! それにあの力、もはや人間じゃないっ」
きっとあの男は地獄から、王家へ復讐すべく甦ってきたのだ。悪魔と契約を交わして……王国を滅ぼす為にっ!
「必ず伝えねばっ、でなければこのままじゃ王国は」
――ざっ。
だが不意に目の前に人が現れた。
『こんばんわ。少し、わたくしの質問に答えて下さいな』
口と鼻を覆う黒い鋼鉄のマスクをつけた異様な人間がいた。
騎士の礼装を黒くより厳格にした服を纏う男装の麗人。
絶世の美女だ。
男装でも分かるグラマラスな体つきと、ゴージャスな金髪が片側にロール状に巻かれている姿は、王女といわれれば間違いなく信じる。
だが雪が降り続けるこの死の山にいてよい存在ではない。あまりに異端。
なにより俺は彼女の言葉がまるで分からない。
「なんだお前は! 退けっ、さもなくば――」
『静粛にせよ』
瞬間、俺の右足が弾けた。
「あああああああああああああっっっ!?」
気付くと右足が爆発しなくなっていた。
『日本語は通じないか……ある程度の解析しか済んでないが、仕方あるまい』
痛みに蹲る俺に彼女は何かを突きつけながら告げる。
「十秒以内、答えろ。貴様のモクテキ、ドウキ、アルジ」
「まて俺はっ」
「ジュウ、キュウ、ハチ」
「……っ、俺達は王から、人間に成り済ましていた“奴ら”を殺せと言われたんだ! 王族達は“奴ら”の存在を絶対に許さない! 奴らは害獣だから! それを見つけたら女子供も含めて必ず皆殺しにしろと言われていて――」
――パァンッ!
再びカタコトの女が手に持つ黒い筒……武器らしき物を動かすと今度は俺の左足が爆ぜた。
「ああああああっっ! いっ、いてぇ! いてぇよォ……まってくれ。話すから、今はな――ひっ!?」
俺は両足からくる激痛に崩れ落ち、涙を流しながら女へ懇願する。
しかし顔を上げこの目に映ったのは。
「し…………しんぺい?」
いつの間にか女の背後に現れた木より背の高い逆関節足をした鋼鉄の鎧の巨人、四体。
そして火傷するくらい熱い例の筒を頭に押し付け、虫でも見るかの様に俺を見下す女の姿だった。
『――ああ』
雪の上に脳髄と鮮血、そして涙が散っていた。
それを撒き散らした男が顔を恐怖と嘆きに歪め雪の上で絶命している。
王国へとハレルド・シンの生存を伝えようとした敗走兵は死んだ。
『素晴らしいッ……素晴らしいですわっ。やはり王に導かれし私達は既にバイオロイドを超越した存在となったのです!』
それを成した人物は、うっとりとした恋する乙女の様な顔で呟く。
『アーマードでは殺せなかった。けれどただの道具を使い私が手を下すのならば拒絶感はもはやない。羽虫の脳髄をぶちまける事に一切の抵抗は消えた! ならばわたくしでもお役に立てる。あの御方に騎士として尽すことが出来る……何よりっ!』
女はその旧式デザートイーグルをリメイクした愛銃を仕舞い、軍帽を深く被り笑みを浮かべる。
『――これであの御方が真なる人類王として君臨なされる、まッこと正しき世界を作り上げられるのだッ!』
恋する令嬢の顔は狂信たる軍人の顔に変わっていた。
『世界よ! 恐れ、慄き、跪けェッ! これより始まるは、偉大なる古き王による大進撃であるぞッ! ははっ、はははははっ、あははははは!!』
狂気に満ちた高らかな笑い声と共に名もなき死体を一つ残し、彼女は四体の鋼鉄の巨人と共に雪山へと消えていった。