1-7 農夫と宰相
【とある農村にて】
ベルゴ王国においてハレルド・シンの追放と、その功績で第三王子フェリペが憲兵隊長となった事は大々的に宣伝された。
それは地方の農村部にまで伝えられる異例の宣伝であった。
理由は宝玉が戻り盗んだ罪人が追放された事で、再び王国に神人類の加護が戻り今年も安心して冬を迎えられると言う安心感を与える為だ。
とある地方の農村にも領主の部下である騎士が連れてきた神官により、その話を聞かせられていた。
「――と言う訳で、フェリペ王子のご活躍で大罪人ハレルド・シンは死の山へと追放されました。これで神人類様の血を引く王家に、再びご威光が戻り、安心して今年も冬を越せるでしょう」
農夫達からすればフェリペ王子の事もハレルド・シンの事も知らない。
この国の王子様は凄いなぁ。騎士にそんな酷い奴がいたのか。程度の認識であった。
「良かったです」「これで今年も雪が降らなくてすみそうだぁ」「ああ、野菜もきっとよく育つ」
それでも彼らは皆一様に深く安堵した。
季節はこれから冬に入るのだ。
王家の秘宝である宝玉が奪われご威光が下がる。或いは偽りの恩寵魔術を使う罪人に、もしこの世界と神人類を造られた神である『ダウドナ神』がお怒りになられたら、王国を守っていると言われる加護は弱まり天候は大荒れとなるだろう。
農夫達はそれが怖いのだ。逆にそれさえなければどうでもいいと言える。
「……うそだ」
一人の農夫を除いて。
「嘘だ! あの御方は、シン様はそんな事するお人じゃねぇ!!」
突如、拳を握り締め神官を睨み付ける様に叫ぶ。
「おっ、おいナッタ!?」「なに言い出すんだ!」
村人達が騒然となる。
今の言葉一つで首が飛んでもおかしくはない。
「貴様……罪人を庇い立てする気か!」
当然騎士も一歩前に出て剣を抜く。
「――おやめなさい!」
「っ、神官殿?」
騎士を止めたのは他でもない話を聞かせていた、細身の男性神官であった。
「所詮、農夫の戯言です。そもそも罪人を知っているはずなどありませんよ」
「ちげぇ! おれ達は――っ」
前に出て反論しようとするも、神官が歩いて来て肩を掴まれる。
「あまり不敬な事を仰ると雪が降りますぞ?」
ナッタと呼ばれた農夫は言葉を詰まらせる。だが。
「――安心しなさい。我々も本当はあの御方を罪人だなんて信じてはいない」
「ぇ?」
細身の神官が肩を叩くふりをして呟いた言葉に目を見開く。
「さて。行きましょうか騎士殿」
「い、いいんですか?」
「ええ。大事な言葉は彼に伝えましたから。名も無き神々のご意思も理解したはずですよ」
「はあ」
神官は振り返ると騎士にそう促し、二人は次の村へと向かった。
その後、彼らの姿が見えなくなった後。
「おめー! なにしてんだナッタ!?」
「斬り殺されても、文句言えんぞ!?」
周りの村人がナッタに詰め寄る。
しかし当の彼は一人、静かに涙を流した。
「お、おいどうしたんだナッタ」
「いきなり涙なんて、どこか痛いのか?」
「……お前ら、まだ気付かないのか?」
顔を見合わせる村人達にナッタは叫ぶ。
「ハレルド・シンって名前は、山崩れの時、一人だけ助けに来て下さったあの騎士様の名だ!」
その瞬間、村人たち全員が目を見開く。彼らは、自分が詰っていた罪人が何者か知った。
――騎士学校には地方研修というものがある。
王国の地形を知り、取り立てや魔物の駆除、揉め事の仲裁など、見習い騎士達は地方を転々として、様々な領主の元で仕事を学ぶ。
とはいえ騎士学校の生徒はエリートだ。地方の代官や弱小貴族からすると、むしろ接待する相手の場合もある。
例年、そんな風に見た事もない偉そうなやたら若い騎士が村にやってきて、何もせず帰るか、逆にああでもないこうでもないと文句だけつけて帰る事があった。
どの国の村人達も大抵は騎士達を快く思っていない。
いつも年貢ばかり奪っていき、いざと言う時は仕事をしない役立たず。
けれど強いので文句も言えない。そんな相手が村人達から見た騎士だった。
しかしシンは違った。
村を見回り建物を修復したり、怪我人を魔術で直したり、時折現れる魔物を率先して狩ってくれた。
むしろいつもの騎士の方が駄目な見習いに見える程だ。
そしてなにより、彼らのうち何人かはシンに命を助けられた事がある。
山崩れだ。
嵐の夜、村の外れにある山が崩れこの村の半数近くが土砂に呑み込まれた事があった。
「あんた! あんたぁ!!」「父ちゃん! 母ちゃん! どこだよぉ!」
地獄だった。山側にいた家の中の者達はみな土砂に埋もれた。
難を逃れた村人達も必死に土砂を掻き出そうとするが、雨で火がつけられず前も見えない。声を頼りに動いても農夫ごとき何とか出来る訳もない。ただ死を待つ状況。
「すまない! 遅くなった!」
そこへ単騎で駆けてきたのがシンだ。
領主が止める中、嵐の中で村々を回り無事を確認していたシンが、ちょうど土砂崩れの直後に来たのだ。
ナッタはその時、彼が魔術を使い辺りを照らすと不思議な魔術で農夫達に力を与えたのを見た。
ナッタ達はかつてない力で土砂を掘り返し、村の者たちを助け出す。そして息がない者をシンの元に連れて行くと、その大半が息を吹き返した。
なにより村人達が驚いたのは彼が来たとき、立ち所に嵐が去ったのだ。まるで嵐さえ、シンを避けているかのように。
「あの騎士様が村に来てくれなかったから、俺達はもうここにはいねぇ」
村はシンが来なければ再建不能な程のダメージを負った事は誰にでも分かる。
しかも彼はここだけだなく、他の村でも同じ様なことをして感謝されている。
「あの騎士様は結局、お礼をする時間もなく隣り村に行っちまって、それから一度も見てねえ。けど俺は領主のところの騎士が、あの若い騎士様を確かに『ハレルド・シン』と呼んでたのを覚えてる」
ナッタは確信を込めて言う。
村人達もナッタは彼らと違い、とても記憶力が良いのを知っていたので、誰もそれを否定しない。
「あの御人が宝玉を盗んだ訳がねぇ! さっきの神官様も、そう俺に耳打ちした!」
「え!?」「そ、そうなのか!?」
神官がそんな事を言ったなど考えられない。
それは彼らが信仰する『名も無き神々』とそれに認められた神人類に対する冒涜だから。
だがもし、本当にハレルド・シンは罪人でも何でもなく、嵐を晴らし彼らに不思議な力を与え村を救ってくれたあの騎士様だったなら――。
「……………………おい、雪だ」
誰かの言葉に、驚いた様に村人たちが次々と顔を上げていく。
そこには確かに、極めて珍しい雪が舞い落ちてきていた。
神人類様の加護が本当に発揮されているのなら、普段は降ることのない雪。
彼ら農村の者達はライ麦の様な穀物の他に、雪が降らなければ寒くても育つ旧文明にはない芋を育て、細々とそれを食べて冬を乗り越えていた。
当然備蓄は少ない。
降らないのが当たり前だったから。降っても少量で決して積もる事はなかったから。
だがもしこの冬、大雪が降ったなら。
「…………なぁ。この国は本当に罪人を追い出したのか?」
ナッタの声は降り始めた雪に掻き消えた。
【王都】
――ついに間者すら捕らえられなくなった。
ハレルド・シン追放後。
彼の罪を暴き立て憲兵隊長に第三王子フェリペが抜擢されてからしばらくして、宰相スタローンは部下からの報告に頭を抱えていた。
「……王国に紛れ込んだ間者は推定百人を超えただと? 虚偽の報告である可能性はないのか?」
「低いと思われます。実際、何度か怪しげな密会場が発見され摘発に動いておりますが、まるで成果が上がりません」
「なぜだ。なぜこうも間者の数が短期間で膨れ上がった。余所者など簡単に区別がつくだろう」
「理由は東の公爵閣下とフェリペ王子の商人組合入替えにございます。ハレルド・シンの追放後、彼と懇意にあった組合長を宝玉盗難に関わったとして潰し、その代わりに東の公爵に縁のあった他国の商人を捩じ込んだ結果です」
宰相は舌打ちをする。
事の発端は英雄の器を持つ少年、ハレルド・シンの追放。
自らが追放し、実際にはその後に暗殺者を放っているので事実上は処刑した男。その男は見習い騎士の身分ではあったが、有望株として軍事関係者には知れ渡っていた。
彼はかつて銀狼騎士団で研修騎士にも関わらず竜帝国との戦争で殿を勤め、僅か百人で千の軍勢を退けたからだ。
この件は軍を率いた第一王子の手柄として処理されているので一部の者しか知らないが、その名を轟かすには十分だった。
実際には五千対二千とも言われているが、以降、軍事関係者には一目も二目も置かれている。なんでも彼に鼓舞された騎士や兵達は倍の力を出し、その的確な指示で反転し圧倒的な戦闘力で逆に将に一太刀浴びせたとか。
ただ彼が竜帝国と裏で繋がっていたとされる証拠文書が、後にフェリペ王子から提供された。その時の活躍では既にハレルド・シンは裏切っておりあの戦いは自作自演の一つだと逆に提言された。
宰相スタローンも確認したが竜帝国の貴族からハレルド・シンに送られた文章は本物で、これが決め手となった。
追放後にフェリペが彼の関係者を次々と逮捕する行いは正当性があったのはその為だ。
兵が差し向けられたハレルド・シンの実家の者達は使用人共々逃走したそうだが、その後は行方知れず。
幼馴染の騎士爵の娘、リリスと呼ばれる女騎士は無実の証明とフェリペの罪滅ぼしと称して彼の妻とするらしいが、リリス本人の抵抗で上手く行ってないと聞く。だが彼の男の手を拒めるのも予定された二人の結婚式までの間だろう。
その他の彼の友人達も一時的に幽閉され、実家に圧力が掛けられている。
そんな中で逮捕された一人がハレルド・シンと親交があった王家御用達の商人である組合長だ。
なぜ一介の学生騎士と組合長が懇意の関係なのか、前々から疑問視されていたがそれが盗難幇助の疑いに発展し拘束された。
これを口実にフェリペは王国の商人組合を潰し、その蔵から彼らの持っていた食料を奪っていった。
代わりに組合の席に入り込んだのは東の公爵の息の掛かった商人達だ。しかも彼らも同じ様に食料を買い漁っている。誰が見ても分かる。
「……公爵の送り込んだその商人がどう考えても竜帝国の手先、間者達の元締めだろうが!」
「我々とてそう確信しております! けれど、それを捕えるはずのフェリペ王子が彼らを保護している以上、誰も捕えられないのです!」
宰相はあの優男の面を被ったクズの事に怒りを滾らせる。気付けば宰相である自分ですらフェリペに対して何も出来なくなっていたのだ。
フェリペは今、無敵だった。
奪われた宝玉を奪還し、友人である男を泣く泣く告発し、竜帝国との繋がりを突き止めた活躍は王都で尾ひれがついて拡散して、民や他の王族の支持が異様に高くなっている。バックには大貴族である東の公爵。
宰相のスタローンであっても武力と権力、そして支持を集めるフェリペに対して強くは出られない。不用意に咎めればこちらが冤罪で拘束される。
本来それを咎めるはずの王や他の王子も自らの恩寵魔術を過信し、王族なのに恩寵魔術を持たないフェリペを欠陥品と呼び蔑み危険視すらしない。
今やその行いを咎める者は誰もいない。だが実務に携わっている人間からすればその行動はまさに。
「――恐れながら王城が燃えるかもしれません」
竜帝国への売国と国家転覆の根回し。
「くそがぁッ!」
増える間者。機能不全の憲兵隊。食料の値上がり。国境沿いの貴族達に行われる調略。公爵率いる東部離反の気配。
「ッ……この動きを私以外に危険視している者はどれだけいる?」
「神殿と一部の貴族のみです。神殿はハレルド・シンの追放に何故かずっと反対しておりましたから。あとは銀狼騎士団が動いておりますが、ただ……」
「ただ? そうだ。過去最強と謳われた北の公爵率いる銀狼騎士団は何をしている?」
「それが……騎士団は弱体化したのです」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味です。ハレルド・シンの追放以降、目に目えて騎士の質が落ちました。理由は分かりませんが、とにかく魔力量や筋力が弱まったのです。引き抜きや実家への脅迫も多く騎士の数は千人にも満たなくなっております。対して王都の憲兵隊はフェリペ王子の手の者が大量に流れ込み、その数を日に日に増しております状況…………その、騎士団の弱体化ですが……可能性として……」
宰相スタローンは部下が何を言いたいのか察した。
――恩寵魔術。
様々な魔術の中でも効能は多岐に渡り、肉体の再生だけでなく味方の強化や天候の操作など、その周囲への強化は幅広い王族にのみ使える伝説的な魔術。
しかし今の王族は怪我を治すのがやっと。ハレルド・シンが重症を負った姫様を治したが、実は王も第一王子も第二王子もあれ程の治癒は出来ないのだ。
――スタローン。欠陥品のフェリペが上手くやったぞ。あの少年は必ず消せ。
だからこそ現国王は宰相である彼に殺せと厳命した。
宰相スタローンもその為にフェリペ側の主張を一方的に受け入れてしまったのだ。
しかしもし、彼が現在の王家を超える本物の力の持ち主だったなら。
今まさに外で降っている雪を止めていたのが彼の存在なら。
銀狼騎士団を北国最強まで高めていたのが彼の恩寵だったのならば――。
「違う。そんなはずはない」
宰相は苦しむ様に一人で否定する。
もはや処理はなされた。あの力があれば、いずれ王家と殺し合いになるのは間違いなかった。
排除すべき事に変わりはない。例えフェリペが不穏に台頭しようとも。
「そうだ私は……間違ってない。間違ってはいないのだ。でなければ私は……」
フェリペに王都を密かに掌握され、気付けば自分の発言力を取り返しのつかない所まで削られていた宰相スタローンの自分に言い聞かせるその姿は、徐々に蝕まれ始めた王都と同じく実に弱々しかった。
「失礼致しますっ!」
そこへ別な部下が息を切らして入ってきた。
「どうかしたか? 今度はなんだ?」
「そ、それがフェリペ王子が捕らえた者の中にいたのです!」
宰相は先に来ていた部下と顔を見合わせる。
「なにがだ?」
「――魔族です! 西部にある貴族の執事が魔族だった事が判明致しました!」
魔族。
それはかつて滅んだ国の種族達。頭に小さい角を持ち神人類の敵と呼ばれる。見てくれも能力も人間と変わらない人種の一つ。
彼らも普段は角を隠しており王家に伝わる道具でなければ判別は出来ないと言われている。
それがなぜ今このタイミングで……。
「これを理由に第一王子と第二王子が西の伯爵を征伐するとお達しされました! 雪が止まないのは西部の貴族達が魔族を匿っているからだと!」
「馬鹿な! このタイミングで内戦でもしようと言うのか!?」
「分かりませんっ。ただ王家は雪を降らせているのは魔族であり、彼らを最優先討伐対象に指定しました」
宰相は思わずたじろいだ。
分からない。
今この国で何が起きているのか。誰が敵で誰が味方なのか。そしてなにを信じればいいのか。
ただ雪だけが静かに王国に降り続いていた。