1-6 無頼騎士ハレルド・シン
【秘書】
――なら帰ってくればいいだけのこと。
まるで散歩に行く様な気軽さだった。
「……それが貴方様の答えなのですか」
マスターは軽く手を振ると外へと出て行った。
無鉄砲にも助けを求める声に応じ、あまりにも心許ない装備で戦場へ向かってしまった。
――このままではマスターは死んでしまいます。
敵は二百を超えている。
彼はその騎士道精神に則り勇ましく戦い、けれど残酷にその道に殉ずるだろう。
自分達バイオロイドにだってそれは理解出来た。
『お前ぇ、秘書ッ! なぜマスターのワープを許したッッ!?』
ドクターの怒声がマイクロチップを通じて頭の中で響く。
『そうだぜ!? まだドラグーンの充電は済んでないっ。大将は今、護身用の剣しかないんだ。戦いに行ける状況じゃなかった!?』
動揺した工場長が、聞いたこともない泣きそうな声で叫ぶ。
『護身用の剣って……まさか銃火器は何もないの!? 敵は武装した兵士達だよ!? 二百って剣だけで戦う相手じゃないでしょっ! 誰かが銃火器を武器を渡しに突入するしかないっ、誰も行かないなら僕が行くぞ!?』
建築物の施工や管理をしている管理人が走りながら伝えてくる。
『ダメ、ダメよ! 待ちなさいっ、人間に敵対行動を取れない私達だとマスターの足手纏いになるのがオチだわ! それに武器を渡した所で講習もなしに即座に使えるとは限らないのよ!?』
メイド長は冷静に、けれど焦りを込めて彼を止める。
『――長距離弾道ミサイルの発射体勢に移行した。王の転移先付近に威嚇として一撃打ち込み敵勢力を威圧する。発射までニ〇〇秒。カウント開始――私がアーマード四機と共に直接乗り込み王の盾となる。その間に工場長、貴様は銃火器を王へと渡せ。秘書は今すぐ私をあちらに飛ばせ。これは非常時権限を利用した厳命である』
感情が抜け落ちた様な冷酷な声。
マスターと喋った状態の時とは全く別な口調で淡々と軍曹は告げる。
『……ダメです! 貴方が死ねば……楽園の防衛施設は機能を失う……っ! 向こうには僕が行き、ます!』
普段は無口で表にも出ない黒い肌の青年、料理長が非戦闘職にもかかわらずその役目を果たそうとする。
次々とワープゲートを通してバイオロイドとして稼動し、マスターから『恩寵』を承った者達が集まってた。
みんな分かっているのだ。このままではマスターが死ぬ。
ドラグーンと名付けられたパワードスーツが起動するなら勝てたかもしれない。けれど今の彼は切れ味の良い剣を手にしただけの、我々の文化からすれば五百年以上前のただの雑兵。
二百倍の敵を突破するには間違いなく科学文明が必要なのだ。なければ話にもならず死ぬ。
『……いいえ。自らここを出て行かれた彼に渡す武器はありません』
――しかし私はマスターに銃火器を渡すつもりはありませんでした。
視界が揺れる。
スーツの胸倉を掴み、泣きながらドクターが揺さ振っていた。
『なにを言ってるんだ秘書!? マスターを見捨てる気なのか!? 頼むよっ! お願いだからあの人を助けてあげてっ。やっと私達の前に現れてくれた人なんだ……その上、私達の身体を本物にしてくれた人なんだ……それをどうして……っ!』
感情豊かな童顔を情けないくらい歪ませ、管理人までも涙を浮かべ訴える。
『そうだよ! 千年も待ったんだ!? 日本人の為に生きる事が存在価値の僕達をマスターだけが普通に使ってくれようとした。それどころかこの身体をくれたのに……!』
同意する様にメイド長や料理長も――そして軍曹もこちらを見た。早くワープゲートを開けと。
――それでもやはり助けに行くべきではないのです。
『命令に従え』
気付くと拳銃が突きつけられていた。同格のはずの軍曹が有無を言わさぬ口調で命じる。
『――転移の権限を私に移せ。さもなくば叛逆と判断し射殺する』
『出来ますか? 今の私は本当にバイオロイドなのかどうか分からな――』
パァンッ――という発砲音がした。
弾は髪を焦がしただけで逸れた。
『最後通告だ。私に全ての権限を移せ』
驚きはしたものの全員が彼女を止めない。
それが彼らの総意なのだろう。マスターは本当に求められているのだと思った。
『それでも、やはりここから出て行かれたマスターに銃火器を渡す意味はないでしょう』
全員の視線に敵意が宿る。
軍曹は冷めた目でこちらに手を伸ばし――。
『あー、でもさぁ。これ、その必要ないよね?』
――私の事を掴もうとした時、さっきまでこの場にいなかった女性の声が聞こえた。
全員が振り返るとそこには子供の様に小柄な、白衣を着た銀髪の女性が一人。
AIにしてバイオロイドの博士だった。
彼女が身体を手にしていたのは誰も知らず全員が驚く。
『……貴方も身体を手に入れていたのですね』
『まぁね。そんな事より、なにさこれ? 合衆国の名作映画ターミネーターかい?』
彼女は壁に向かってマスターが転移した先の映像を投影して見ていた。
引き寄せられる様に全員が向こうへ行った彼の姿を見た。
『マス…………え?』
『なん、だ、これ』
ドクターと管理人はその映像にただただ驚愕し。
『うそでしょ』
『どうやってこんな……』
メイド長や料理長も呆けて映像を見ている。
『――あの御方は、本当に人間なのか?』
自分が最初にこの映像を見た時と同じ感想を抱いて軍曹も目を見開いている。
――まぁそうなりますよね。
自分だって最初に後悔と不甲斐なさに震えながら見た時、あまりの姿に全て忘れて魅入ってしまったのだ。
そこに映っていたのは他でもない。
「きっ、聞いてない! 聞いてないぞ!? あんな化物なんて!?!?」
「いや無理だろ……おかしいだろ……あれは人間の動きとパワーじゃねぇって!?」
「あの撤退戦の伝説は嘘でも誇張でもなかった! 本当にやつが千人殺しだったんだ!」
「嫌だ!? 俺はまだ死にたくない! あんなのと戦いたくない!」
――兵士達の夥しい数の死体。
二百人いた彼らの半数、百十人は既にその屍を野に晒した。
廃墟と雪原に地獄を作り出した人物はたった一人。
『彼』だ。
閃光が走る。
対物対魔力剣の光が廃墟の壁を駆け抜けると、流れる様に敵兵の身体が真っ二つになっていく。
「そこだっ! そっちだ!」
「速すぎて捉えられねぇよ! ――ッッ!?」
攻撃しようとした遠くの魔術師の頭部が、投擲された剣で頭蓋骨ごと粉砕される。
近くの兵士達も盾で顎を粉砕され、すれ違い様に金的を膝で破壊された。
「壁際に追い込むんだ!」
「囲めっ、逃がすな!」
敵に周りを囲まれながら彼は投擲した壁に突き刺さった剣を回収する。――と同時に建物の支柱を蹴った。
轟音と共に幅二メートルはあろう支柱が粉々に粉砕される。
「なっ!?」
「馬鹿押す――あああっ!?!?」
支柱と共に廃墟の建物が倒壊し周囲の兵士達ごと押し潰す。
その粉塵に混じり三度閃光が走ると、倒壊に巻き込まれなかった者達も全て死体となった。
まるで演舞。
両手には剣。口には杖。
二刀一杖という極めて変則的な戦闘スタイルで彼が舞い踊る度に生首が宙を舞い、鮮血が飛び散り、断末魔が響く。
そして出来上がった死体の山。
山の頂に君臨するのは我々の価値観を覆す様な物語の中に暮らす一騎当千の英雄、或いは戦場で無数の敵兵を葬り去る死神。
百を超える敵兵の屍の上に立つ彼の名は。
「――足りねぇな。この俺の首を取ろうってのに、たかが二百じゃまるで兵力が足らねぇんだよ」
神崎真一にしてハレルド・シン。――マスターであった。
ニ刀一杖を構え悪辣に笑う姿はもはや人間には見えない。
飢えた獣だ。
初めて見た頃の弱々しさや優しさは消え去り、獰猛としか言い表せない覇気が全身から発せられる。
「あ、あそこだ! あの裏切り者を撃て! 何でもいいから撃てぇ!!」
敵もその異様さは分かっている。
けれど二百倍の戦力を以て挑んだ以上、引く事も出来ず指揮官らしき男が恐怖を顔に貼り付かせ叫ぶ。
魔術師や弓兵も錯乱した様に一斉に死体の山の上に立つマスターへ攻撃を放つ。
「裏切り者ぉ? 先に俺を裏切ったのはテメェ等だろう。だから俺も無頼として好きにやらせて貰うぜ。なに、記憶も戻った。隠す秘密も最早ない。ならば……本気を隠す必要はもうねぇんだよオッ!」
再びの閃光。
矢や炎などを避けながら他者の倍以上の速度で近い兵士二人に肉薄すると、彼は二つの剣をそれぞれの兵士に当て。
「ほらよプレゼントだ」
「な、ちょっ、おまっ――」
「う――ああああっっっ!?!?」
次の瞬間、払い投げた。
装備込みで100キロ以上の人間が二人同時に、片手で地上十メートルの高さに吹き飛ばされ肉の砲弾と化す。
「なっ、ばっ、来るなっ!?」
「逃げ――があああっ!!」
飛来した肉の塊が離れた弓兵や魔術師を叩き潰す。直撃した者達はほぼ即死。
「が……がはっ!?」
「いてぇ……いてぇよ……」
人間砲弾の直撃を避けた残りも装備や腕がかすっただけで骨があらぬ方向へ曲がっていた。
「おい」
『え?』
そこへ声が掛かる。
軽症な弓兵や魔術師数人がそれに反応して顔を上げてしまい――彼ら五、六人の首が跳ぶ。今のわずか数秒の戦闘で二十人近くが死んだ。残り七十名弱。
「きええええええッ!!!」
「っ!?」
しかし二十人程を瞬殺したマスターのすぐ横、雪の中から身なりの良い騎士が現れる。
雪に身を隠していた騎士の剣が彼の右側面に叩き込まれる。
防御の剣は間に合わない。肉が絶たれ、このままなら死ぬ。
「なら右やるよ」
「っ!?」
迫る剣に対して彼はその右腕で迎え討った。
差し出される折り畳んだ右腕――正確には上腕骨と二の腕の骨。
「このっ!?」
それが剣を受け止めた。
当然、肉は切れている。けれど三本の骨を断つまでには至らず。
「代わりにその首いただこう」
逆に彼の左手の剣が、騎士の頸動脈を切り裂き首筋から血を噴出させる。騎士はすぐに絶命した。
ただその右手はズタズタでもはや使い物にならないだろう。
「今だ! 奴の右腕は使えない! 騎士達よ今こそ一斉に行け!!」
指揮官の命令に従い様子を見ていた上位の騎士八人がマスターに襲い掛かる。
片手を失った彼は――笑った。
「命ずる。治れ」
吐き捨てられた言葉に肉体が、いやその魂に宿る王の号令により二秒に満たず右腕が元に戻る。
「なっ!?」
「っ、なんだそりゃあ!?」
規格外なノータイムの完全回復。
彼へと襲い掛かった騎士達の優位は僅か二秒で消し飛んだ。
「――見切れ」
けれど今更引けず、勢いを増し八方から同時に迫る八つの剣。
それをマスターは僅かに……右に半身引き。
一歩半左足を後退。
上体を十度ほど仰け反り。
百八十度身体を回転。
頭を少し下げ。
右手の剣の柄を上に小突き。
目で斜め後ろを牽制。
最後に左手の剣を下に払う。
そんな八つの小さな動作。八人の渾身の斬撃。それが同時に過ぎ去った。
『…………』
残ったのは異様な光景だ。
騎士八人は彼を囲み剣を振り抜いたまま動かない。いや動けない。
全員が冷や汗を流し僅かに震えながら他の騎士へと視線を向けていた。
――誰か、斬ったのか?
今の一斉攻撃で誰一人として斬った確信がないのだ。
逆に剣を振り抜き無防備な姿を晒してしまっている彼らは、縋るように周りを確認し間違いなく恐怖に震えていた。
もし今、マスターが無事ならば――。
「――諸君らは仕える相手を間違えたな」
『あああああああああああああッッッ!!』
堪えきれず恐怖を払拭する様に騎士達が雄叫びと共に返す剣を振るう。
と、同時に二本の閃光が円を描き――八人の騎士全員が剣を振り返す間もなく絶命した。
「後悔と絶望の中で……死ねい」
彼は倒れた八人の屍に彼は慈悲と侮蔑を込めて呟く。
強い。
強過ぎる。
マスターも彼らと同じ騎士だったはず。いやむしろ見習いですらあった。なのに八人の騎士を瞬殺したその力量は明らかに異端。
けれど突如、黒い影が現れてそんな彼すら押し潰す勢いで呑み込んだ。
――雪原から巨大なワームが飛び出し丸呑みしたのだ。
「やった…………殺した! 殺したぞ!!」
「ははっ、いくら化物でも魔物には勝てまいッ! これが力というものだ!」
遠くで歓喜の声が上がる。
それは自分達の知らない技術を持つ者達。ローブを着た彼らはなんと魔物を使役しているらしい。後ろには同じ巨大なワームが二匹も控えている。
それは我々がここに引き篭もっていた間に生まれたであろう人間の知恵。
魔物の軍団となれば、科学文明にとっても十分な驚異となるだろう。
――が。
『GYROOOOOOOOO!?!?』
ズボッ! という肉が吹き飛ぶ音と共にワームの腹から腕が飛び出した。
「……ぇ?」
そのままワームの体躯は突き出た腕によりチーズの様に引き裂かれる。
『GYROOOOOOOOO!!!!』
ただただ腕力にして怪力。
信じ難い事に腕の力だけで二つに裂けてのたうち回るワーム。それも瞬く間に絶命し、中から血塗れながら全くの無傷のマスターが出てくる。
「――で。誰を殺したって?」
「ぁ……ぁぁ……ッッ!?」
驚愕し言葉を失う魔物使い達。
さらにそれどころか彼は半分に裂けた巨大ワームの死体を掴み、なんと振り回し始めた。
「ひぃッ!?」
もはや恐怖しかないのだろう。
ローブの者達も声にならない悲鳴を上げて、我先に逃げ始め二百人は瞬く間に崩壊した。
『……動物としての人間って、こんな強かったっけ?』
理不尽なまでの暴力。
博士がその映像を見て頬を引き攣らせる。他の者達は口を馬鹿みたいに開けたまま動かない。
強いなんてものじゃない。
援護なんて、ましてや盾なんて入る余裕すらない。銃火器すら戦闘速度が速すぎてついていけず、邪魔にしかならない。
『……私が要らないと言った意味、分かりましたか?』
全員が壊れた人形の様に頷いた。
自分だって最初は後を追おうとしたのだ。
けれどいざ戦闘が始まるとその圧倒的な強さに驚愕し、やがて見惚れてしまった。
ただの人間が魔力で身体を強化しただけでここまでの強さを発揮するのか、と。
『……そりゃ、僕達に闘えなんて強要しないわな』
管理人の呟きが全てだった。
自分達は兵器で迎撃も出来るし、楽園内なら制圧目的で戦えもする。
マスターもミサイルには勝てないし軍隊には勝てないだろう。
しかし局地的な対人戦闘において、こちらが武装したとしてもまるで勝てるイメージが湧かない。マシンガンくらい当たり前に避けそうである。
さらにバイオロイドでは今のところ人間を殺せない。どう考えてもこの戦闘に介入すれば自分達は足手纏いだった。
『……わたくしは自分達なら彼を援護出来るなど……なんて傲慢な思い違いを』
口調が戻った軍曹がどんよりした顔で顔を伏せる。
『……いやぁでもさ軍曹。私らバイオロイドの機能が本物の人体機能に変化し始めた時も、そりゃあ目玉が出るくらいビックリしたけど、やっぱり主って世界的に相当にアンタッチャブルな存在だよ。下手したら我々なんかよりずっと、生物及び科学的におかしいってあの人。は、ハハハッ……』
博士の何処か呆れた声に全員が心の中で同意した。
映像の中で涼しい顔で敵を蹂躙するマスターの姿を自分達はただただ、呆然と見つめている事しか出来なかった。
『あ』
――ゴォンッッ!!
さらに軍曹が放った大陸間弾道ミサイルが隣の山に着弾。
マスターに影響はないもののその音と衝撃で敵兵が可哀相になるくらい錯乱し阿鼻叫喚となっていた。
しかも着弾した山で雪崩が生じ、安全な場所に逃げ出していた敵兵までが雪崩に呑まれ総崩れしている。
控えめに言って地獄だった。
『おい! 銃火器持ってきたぞ!? マスターは無事か!? 早くコイツを持って行かないと――』
そんな時、工場長がアンドロイドと共にありったけの銃火器を抱えて飛び込んで来たのだが、全員が言葉なく彼を見る事しかできない。
『早くこれを――え? なに、これ』
『ごめんなさい工場長。たぶんそれ、要らないですわ……科学文明の兵器なんて、王には要らないっていうか……』
軍曹が申し訳なさそうに告げた視線の先では。
「アハハハッ! 銃火器? パワードスーツ? 科学チート? ――んなもん要らねぇんだよ三下ァッ!」
『GYROOOOOOOOO!?!?』
怯え逃げ惑うワーム達を獰猛な笑みを浮かべ切り裂くマスターの姿があった。
『…………は?』
それを見て一人だけ間抜けな声を出す工場長に、全員が同情した。