死霊術師の嫁がなかなか眠らせてくれない
私はもう死んでいる。ダーリン・アダムスは"生ける屍"である。
幼い頃、私は帝国のそれなりに裕福な家庭に生まれたのもあり、なに不自由のない生活を満喫していた。両親は私をとても愛してくれていたし、そんな両親を私も愛していた。
転機は私が7歳の頃。悪戯盛りだった私は同年代の子供たちの間で流行っていた怪談話を聞いて、それを利用して両親を脅かしてやろうと考えた。
私は夜、自分の部屋に向かったふりをして両親の寝室のベッドの下に隠れ、必死に笑いを堪えながら息を潜めていた。
少しして両親が寝室に入ってきた。両親は子供から見ても仲睦まじく、その時も仲良くちゅーしたりおしゃべりしたりしていたので、子供ながらに"パパとママは本当に仲が良いな~"と考えていたのを覚えている。暫くすると段々両親の口数は少なくなったが、何やらゴソゴソしていたので"まだ起きている"と隠れ続けていた。
そんな時だった。寝室は2階にあるのだが1階の玄関の方から激しいノックの音が響いてきた。
両親は揃って寝室から出ていってしまい、出るタイミングを逃した私は"絶対に驚かせてやるんだ"と、意地になって隠れ続けた。
玄関から両親のものではない怒鳴り声が聞こえてきた。怒鳴り声は段々と近付いてきて"はんこーせーりょく"とか"はんぎゃくざい"だとか、当時の私には判らない難しい事を言いながら寝室に入ってきた。足元しか見えなかったが、入ってきた怒鳴り声達は"兵隊さん"の履いている靴とよく似た靴を履いていた。
何故か猿轡を噛まされた父が床に押さえ付けられ、母はベッドに投げ飛ばされてしまったようだ。その時偶数にも父と目が合った。計画とは違うとは言えとても驚いていたようだったが、"パパとママを助けなきゃ"と本能的に思ってベッドの下から這い出ようとした私を、父は見たこともないほど怖い顔で睨んできた為、身動きが取れなくなってしまった。
その間にも母は何かを叫んでいたようだがよく判らなかったし、パンパンと叩かれているような音が怖くて判りたくもなかった。怒鳴り声はいつの間にか嗤い声に変わっていた。
それからまた暫くして、お腹の底がなんだか冷たくなってきて今にも吐きそうな恐怖の中、隠れていた事を後悔していると突然絹を裂くような悲鳴が聞こえた。ずぶずぶと生ゴミを踏み潰すような音と一緒に聞こえた悲鳴は母の声と似ている気がしたが、やがてすぐに聞こえなくなった。それよりも目の前で床を引っ掻いて爪に血が滲む父が心配になり、先程から鼻を刺激するヘンな臭いも気になった。
ベッドから降りてきた"嗤い声"達は睨む父に剣を突き刺していく。剣には何故か父を刺す前から血がついていた。
私は父に睨まれていなくても恐怖で動くことが出来なくなっていたが、父は朝まで私を睨んで守ってくれていた。
私は外が明るくなったのでベッドから這い出た。父は動かなかったし何も言わなかったが、多分そう言った気がしたのでベッドの上は見ずに家を出た。
後日、又聞きで聞いた話ではあるが、どうやら"悪い強盗"が押し入ったらしく、詳しくは聞かなかったがそれは酷い有り様だったそうだ。
それから私はスラムと呼ばれる身寄りのない子供や、仕事や家を失った人が集まる場所で生活していた。
そこはとても過酷で、そこに来るまでは捨てられたゴミが御馳走に感じるなどと思った事もなかったし、空腹の限界で死を感じた事もなかった。そんな環境の中でも自分はまだ底辺ではなかった。
もし見た目がもう少し綺麗だったり、女の子として生まれていたならば、きっと私は"嗤い声"に物言わぬゴミにされて捨てられていただろう。昨日見て見ぬふりをした目の前の少女だったモノのように。
そんな私が12歳になれたのは奇跡だったのだろうかと言えばそんな事はない。確かにここに住む他の子供と比較して運は悪くなかっただろうが、それ以上にやりたい事やなりたいモノを明確に思い描き、絶対にそうなろうと生きていたからだと思う。何を蹴落としても、何を見捨てたのだとしても。
余裕なんて幻想は何もない世界で、私は"いつか嗤い声を自分で掻き消す事"だけを考えて生きていたのだから。
だから限界に近かった12歳でほんの少しだけでも余裕ができたのは、本当に幸運だった。
12歳からはギルドに所属して"冒険者"になれる。それまで必死に貯めた銅貨を握ってギルドの門を叩いた。冒険者になる為に必要なのは銀貨3枚、銅貨なら30枚。
特に大きな問題もなく冒険者になれた私は、ベテランの先輩に冒険者として必要な知識だけでなく剣術や魔法も教えて貰えた。自尊心など畜生に喰わせて尻を振らねばならなかったが、それでも生きるのに必要な知識を得る為ならば形振り構ってはいられないだろう。
幸いにも私は魔法の…中でも珍しい闇属性の適正があったらしく、成人する15歳になる頃には同期の冒険者に私の右に出るものはいなかったし、私の師になったベテランは私に知識を与えきった辺りで、不幸にも私の兄弟子にあたる同業者に襲われ命を落とした為、変な枷に縛られ続ける事もなかった。念の為に言うが、私は「何も」していない。彼がせめて私の稼ぎをピンはねする程度の小悪党だったならば「警告」くらいはしていたかもしれないが。
ともあれそれなりに稼いでいた私は、自分とよく似た境遇の者を含め、他の子より目立っていたり、女の子として生まれたスラムの子供を集めて匿っていた。私が長期クエストを達成させるまでに、子供の浅知恵がバレて1人残らず貪られ尽くすまでは。
帰ってきたら文字通り、残らず全てが黒焦げになっていた。
私はその後、逃避するように冒険者業に没頭したよ。その結果かいつの間にか私は国に5人もいないSランク冒険者になっていた。
Sランク冒険者とは、国家の危機に個人でも立ち向かう事が出来る化物揃いだ。いや、私もその1人なのだが。
だから私は嬉しかったんだ。私の正体を知っても物怖じせず、態度も変えないで花のように微笑む女性。私の半生を私以上に泣いて憤る子供のように純粋な女性。私のように命を奪うのではなく、救ってAランクの冒険者にまで上り詰めた女性。
マリア・イヴに心の底から恋をした。幸せだったよ。君の為ならば何でも出来ると思った。それは幼き頃からの暗い願い、"自らの手で嗤い声を掻き消す"事を忘れさせる程の日々だった。
だから本当に、出会ってから君が子供を産むのに無理をして母子共に死んでしまうまでの3年間は、私の人生で最も幸せだったと胸を張って言うよ。だからこそ。だからこそ君のいない人生に堪えられなかった。
もし君に軽蔑されたとしても、その言葉が罵倒だったとしても、もう一度だけでも言葉を交わしたかった。
だから、君がいなくなり暗い願いを思い出してしまった私は、我慢できずに帝国10万の兵士と1000人の貴族と100人の将軍と10人の皇族と1人の皇帝を贄として、1000人の罪無き犠牲者と100人の不幸な子供達と2人の両親と最愛の女性を蘇生してしまったんだ。それだけの為に全てを捧げた。
それでも君は私のような人間を一切責めずに私の胸に飛び込んできて喜んでくれた。それは聖皇国に"魔王"認定された程度で翳らないし、多くの帝国民に"悪しき皇帝を滅ぼした救世主"と讃えられるより遥かに幸せな事だったんだ。今後、これ以上はないってくらい本当に幸せな事だったんだよ?
だから赦しておくれ、私は君に愛されたままで幸せのうちに眠りに就いてしまいたいんだよ。
「いいえ駄目よ。貴方はこの国を救ってしまったんだもの。この国の民全てを貴方と、そして私と同じくらい幸せにする義務が生まれてしまったの。私は死霊術師の嫁として、それを赦す訳にはいかないわ。それに、私と違ってお爺ちゃんになれる貴方を見て"生きて"いたいんだもの。」
そんな呪文を聞いてしまったら、もう逆らえないじゃないか。ならばせめて、私が眠る時は君の胸に抱かれながらにさせて貰うからね。
嗚呼、それならば人生を頑張れそうだ。生命蘇生の為に動いていた"生きる屍"は一人の冒険者に戻るとしよう。
そうして二人で幸福になろう。