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零時になるまでの幻想

 大きな揺れに襲われる。立っていられないような規模。這おうにも平衡感覚が狂わされる。

 軋む音だったのは最初の一瞬。すぐにコンクリートが砕け始めた。

 逃げようとドアに駆け寄るも、動かない。フレームがゆがんでしまったのか。わずかな隙間だけを覗かせるだけだ。通るには細すぎる。

 床がひび割れる。近くでコンクリート塊が爆ぜて、足場が抜けた。


「ぁ」


 背中から階下へと落ちていく。視線の先に、近づいてくるベッドが見えた。

 刹那と流れる風景に無事な箇所はない。

 骨子ごと崩れるのも時間の問題だろう。

 それに雨あられと巻き込まれれば、矮小な人間ひとつ、耐えられるはずもない。

 この命は、ここで途絶える。


「……でも」


 私の意識は冷静さを保っていた。

 血の気は引かない。心臓は高鳴らない。

 零時の鐘はまだ遠い。

 幻想はほどけない。


「物語は、まだ終わってない」


 だから揺れが収まったあと、たまたま下敷きとなっ(、、、、、、、、、、)たベッドから人間ひと(、、、、、、、、、、)りぶんに空いた瓦礫の(、、、、、、、、、、)隙間(、、)を通って外へと出る。

 その道半ばで、赤色を見た。そしてそれは当然、外にこそ広がっていた。

 死と生が満ち溢れている。崩れ去る景観を、失われた命やこぼれ落ちるあかい雫が埋めていく。

 それでも満ちることはない。

 揺れは収まった。しかし、地割れや不自然な陥没が連続していた。決定的な何かが壊れてしまったようにして、かたちを損なっていく。

 それは、中心に還っていくかのように。

 母なる地球。その悲鳴。

 うず高く積み上がった瓦礫を階段を登るようにして、その上から惨状を目に焼きつける。

 ふと、右頬を伝うものを自覚した。涙ではない。ぬめぬめとしたあかいろ。

 ふれてみれば、額から流血していた。瓦礫で切ったのか。認識すると薄情にもじくじく痛んできた。

 血を拭うついでに汗で前垂れる髪をかき上げる。鏡を見るまでもなくぼさぼさだ。スカートも裾が破けている。

 こんなボロボロの偶像だって、だれかが目ざとく見つける。その流れが波及して、安堵が広がった。


 ――これで助かる。


「はじめに言っておくわ」


 ガラスの靴を鳴らす。


「私はあなたたちを救わない!」


 困惑が広がっていく。言葉の意味を理解できていないようだ。

 どこかでまた建物が沈んだ。その鳴動で緊張の糸が切れた。

 じわじわと、言葉が染み込んでいくのが見て取れた。恐慌が花開く。

 疑惑の音があがった。各々が自己の我を通すため、鮮明な声は届いてこないが。


「祈りは心を支えてくれるでしょう。ときに、ひとを救うことだってあります」


 私の言葉は正しく響き渡る。怒声や汚らしい言葉が飛び交うなかでも。

 それは、何光年も離れた星の輝きが届くさまに似ていた。


「けれど、それでは願いは叶いません」


 だから、人々の期待は失意へ変わった。

 星は願いを叶えてくれない。

 そんな艱難辛苦を望んだわけではない。

 もはや助からぬ行き止まり。だから奇跡にすがったというのに。


「祈りとともに歩み、前に進んだあなたたちは、そこで夢に出逢うのです」


 狂気が揺らめく。か弱い女子高生ひとり、怪我をしているとはいえ大の大人ふたりいれば事足りるだろう。

 それを見て怯える、ことはない。

 感情が沸き立っていく。思慮は枯れて、思うがまま、吐き捨てるようにして祈り(シンデレラ)と成る私が言う。


「大体っ、こんな小娘ひとりに救われなきゃいけないおまえたち(、、、、、)なんてここで終わればいいのよ!!」


 彼らの求めた聖女はもはやここにはいなかった。私はシンデレラに成るだけで、決して救世の聖女には成りきれなかったのだから。

 必要な救世の力を持ったまま席を降りる。そのせりふはたしかに琴線を震わせた。

 ゆえに、だからどうした(、、、、、、、)。無理矢理にも従わせればいいだけ――そう、今にも駆け出そうとした信徒たちの瞳に、闇夜に浮かぶ紫色が映った。


「ああ、まったく無粋だよ、これは」


 物語を売り、ページの外へ消えたはずの魔女が私の隣へ降り立った。


「シンデレラは魔女が魔法を授けるお話だったね。まったく、魔女が少女へ希望を売ってどうするんだい」

「お久しぶりね」

「ええ。くすみにくすんだ灰かぶりがまあ、綺麗になっちゃって」

「今のほうが埃まみれな気がするけど」

「お色直しは?」

「いらない。それともまさか、綺麗なまま乗り越えられる艱難辛苦で満足してくれるの?」

「それこそまさかだね。さて……」


 ふたりが会話をしている間に乗じて忍び寄ってきた信徒へ目を向ける。金色の瞳には、いかなる謂れがあるのか。

 彼らは突然、動きを止めた。


「きみらにはもう、この物語に役割(せき)はない。観客として、世界が救われる様を見ているといい」


 彼らの役割は終わった。

 名もなき端役。積もる灰。

 意味のない役はひとりとしていない。

 だが。

 ときに精霊や妖精と同一視されることもある魔女は、彼らにこのシンデレラを説く。


「シンデレラは、シンデレラが幸せになる物語だ。そして、再会するための物語でもある。この世界は終わり――また、形を変えて再開する」


 それがこの世界が救われる方法。

 シンデレラも具体的な方法は初めて聞いたものの、なんとなくそうなんだろうと思っていた。物語の登場人物が、結末を知らずともそこへたどり着けるように。


「それにしても」


 魔女がため息でもつくように言う。


「こんな終盤になって役を与えられるとはね」

「幸せにしてさよならなんて、許さない」


 私はいつかに抱えたもやもやを吐き出す。


「ちゃんと終わらせるからさ、見ててよ」

「魔女に責任を求めるんじゃないよ」


 甲高く笑い、いつの間にか手にした杖をふるう。

 ポンっという効果音に白い煙がけぶる。

 シルエットが浮かび上がると同時に、煙が風にまかれた。

 姿を見せたカボチャの馬車。牽引する馬もカボチャだ。

 凝った演出にシンデレラは微笑む。


「やっぱり地味ね、あなたの魔法」

「うるさいよ。さっさと行きな。こいつは王子様のもとへ向かう。その一点においてどんな障害すらも〝乗り越える〟という因果を持っている」


 言われた通り、ひとりでに開いた扉から入る。中身をくり抜いたようなカボチャの中。温暖色の光がゆらゆらと。椅子はふかふかソファーのよう。

 扉が閉じて、そうして走り出す。

 その、刹那。


「待って」


 声があった。煙の臭いがした。

 光届かぬ地の底を歩く足は包帯で巻かれている。真っ白のはずの布は、内側からにじんだ血で真っ赤に染まっている。

 全身があざだらけなのは、何も瓦礫に巻き込まれたからではないだろう。

 腫れが落ち着いた顔にいつもの化粧はないけれど。

 見間違うはずがない。

 義母が、カボチャの馬の前に立っていた。


「どうして……」


 動けるのか。立ちふさがるのか。

 感情が渦巻いて、思考が言葉にならない。

 だから私の口をつくのは、いつだって彼女へ向けていた、どうして。


「変わりなさい。世界を救うのは私がやるわ」


 音が。

 聞こえた。

 

「…………は?」


 声が、耳を覆う。

 どうしてか、カボチャの馬車のなかに鮮明に言葉が届いた。

 脳が意味を咀嚼するのに、時間がかかる。

 何を言っているのだ、このひとは。


「わからない? やっぱりばかね、あんた」


 それが意味のわからない言葉を続ける。


「そんな役割あんたには任せられない。おとなしく私に譲りなさい」


 貫かれる。

 拒んでいた。腐った食べ物を嚥下できないように。

 脳がそれの言葉を理解しないために、処理を滞らせていたのに。

 決定的だった。


「どうしてそうやって、私から何もかも奪うの!?」


 ようやく見つけたのだ。

 言いたいことを言えた。やりたいことをやれた。

 前に進もうと思えた。

 それが失うための道のりでも、奪われる居場所ではない。

 それなのに。


「なんで! 最後の……最後まで、あなたはっ!!」

「奪ってきたからだよ」


 彼女の声に、バラの棘の鋭さを感じる。


「その責任を、果たさなければいけない」


 握りしめていた手のなかから、赤いものがにじみ出る。

 それの言葉は、傷を開く。


「責任? ……何、今さら反省でもしたの?」

「私は、私が間違っているなんて思わない。恥ずべきところはひとつとしてないし、反省しなければいけない事柄なんて、あなたに対してはない」

「なら、無関係でしょ。邪魔しないでよ」

「でも、私は大人で、あんたの親なの」

「……お、や? ……私の親は、あなたなんかじゃない」

「知ってるよ。でも、私がそう思っているんだ」

「私から奪ってばっかりのくせに……!」

「そうだね。だから責任を果たす。あんたから夢を奪った、責任を」


 奪われた、夢。

 破けた紙片。

 物語が、燃える。


「夢見る子どもから夢を奪うのは、親として絶対にやってはいけないことなんだ」

「……間違えているじゃないですか」

「大人は間違えてはいけない。だから、責任を果たすんだ」


 そう息苦しそうに言う。


物語(シンデレラ)に成るのは私でいい。そうして消費されて、忘れ去られる存在に、あんたが成る必要はない」


 掛け違いを感じた。

 価値観の相違。

 交わらない地点。

 結ばれることのない平行。

 だからこそ正面に、彼女の姿を見た。


「私は……忘れませんよ……」

「いいや、忘れるんだ。そうして現実に向き合うんだ。それが大人になるってことだよ」


 義母は酸素を求めるように、煙草に火をつけた。

 その先端が赤く灯り、かんばせを照らし出す。

 長く、ながく息を吸った。

 葉が燃えていく。

 顔をしかめるのは、口の端の傷にしみるからか。

 息を吐き出す。


「その道ゆきは艱難辛苦に彩られているだろう」


 紫煙が空に昇る。


「けど」


 彼女はそれを目で追った。

 その瞳に、空に届くことなくほどけていく煙を見る。


「生まれてきてくれたきみが、幸福とともにありますように。そう、ここから祈るよ」


 うずたかく積み上がった瓦礫に、月も星も、その光を遮られた地の底で。

 脚色に照らされることもなく、ただひとりとして、たたずんでいた。


「……身勝手すぎる」

「理解してもらうために話してるわけじゃないよ」

「じゃあなおさら、信用なんか、できると思いますか?」

「それをできない関係を、私たちは築いてきたね」


 終末に至るこのときまでも、理解のひとつなく。

 それが私と義母の関係の終着点。

 これより先はない。

 もう、何をしようとその結末は変わらない。


「……手を」


 私の言葉に、義母は首をかしげる。


「手を、握ってくれるだけで……よかったんです」


 だから、伝えるのだ。

 心の底に秘めた、思いを。

 告白する。


「抱きしめて、なんて望みません。ただ、手を握って一緒に歩いてくれれば……それだけで前に進めたのです」


 それは。

 私は。


「愛を求めてたんだね、あんたは」


 愛されたかったわけじゃない。

 愛が、存在していてほしかった。

 それさえ夢見ていられれば、私は生きていけた。


「愛はないよ」


 どうして――それに対する、答え。

 今の私は――それでも、と言う。


「愛はあります」

「……そう」


 唇を吸い口から離す。

 ぼとり、と。

 地面に灰が積もった。


「あんたがシンデレラ、か」


 そうして、物語は走り出す。

 終わりに向かって。


「私にも物語を見せるんだね、あんたは」

「あなたにだって、おとぎ話が寄り添ってくれます」

「忘れてしまっていても、か」

「ええ、いつだって見つけられるんですよ」


 カボチャの馬車はその触れ込みの通り、物理的な鳥かごである人垣を超える。ひとっ飛びだ。

 零時になるまでの幻想(シンデレラストーリー)。そんな一冊(まほう)に、世界は塗り替えられる。

 だから、知っている。

 魔女が遠ざかる光に目を細め、謡うように唱えるのを。


「――さあ、物語を()じよう。

 夢の果て。

 幻想の果て。

 きみらは艱難辛苦を乗り越える。

 ならばその終わりは………わかるね、シンデレラ」



 ◇ ◇ ◇ ◇



 カボチャの馬車は、空を駆ける。

 地上にはもう、まともな踏み場が残っていなかった。シンデレラがいなくなった今、あの病院前も無事ではないだろう。

 窓から風景を見る。現実を塗り替えた物語の象徴である天蓋もおかしな歪みを生んでいた。

 月がない。星はきらめくことなく停滞し、今にも落ちてきそうだった。

 世界が終わる。世界の見る、世界が終わる。頭のなかに収まった宙の風景が終わる。

 あるのはシンデレラの見る世界だけ。

 だからきっと、目を背けてしまえば終わってしまう。

 そんなに醜悪なものでも、どんなに綺麗なものでも、見なければなくなってしまう。

 今まではそんなものは欲しくないとうずくまってきた。

 でも今は、どうありたいかの答えを出している。

 幻滅するような現実を飛び越えよう。艱難辛苦を乗り越えて、幻想的な夢の果てへたどり着く刻が来た。

 示し合わせたわけではない。だけど、やはりそこであると思ってた。

 学校の屋上にカボチャの馬車は降り立つ。

 扉が開かれた。差し伸ばされる手。それを取り、シンデレラは最後の舞台にガラスの靴を鳴らした。


「こんばんは、シンデレラ。よい夜ですね」

「こんばんは、王子様。ええ、世界が滅びるにふさわしい夜ですね」


 手をつなぎ、ともに空を見る。

 同じ場所、同じ時に同じ空を見上げる。

 すべてはここに帰結した。やるべきことはない。

 言うべき言葉も見当たらず、ただただ零時を迎えるのを待つ。

 この屋上以外の場所は暗く落ちた。食べられてしまったかのようにぽっかりとくらやみを覗かせている。いずれこの場所も消えてなくなるのだろう。

 そんな閉じる世界の様子は、鳥かごから飛び出て世界を知った()には窮屈に感じられた。


「流れ星が見たいなあ……」


 ぽつり。願望がこぼれた。

 そのことを自覚し自嘲する。過ぎた冗談だ。

 だってもう世界は終わって、あとは救われるだけなのだ。

 奇跡はだから、もうおしまい。

 なのに、王子様はこんなことを言うのだ。


「魔法みたいな話だ」

「ええ。私をたぶらかした魔女でもできないでしょうけど」

「そうなんだ……。けど、ひとつだけなら、できることがあるよ」


 あなたは空に手を振りかざす。

 視界が一瞬さえぎられ――開いた世界は一変していた。

 零れ落ちる夜空。綺麗な尾を引いて星たちが流れていく。


「魔法だって言ったら、信じてくれるかな?」


 どこかから鐘の音がする。心が安堵で満ちていく。

 終末の福音。

 だからそれは、なんてことはない、終わる世界では必然の出来事。


 ――けれどそれは、何よりも尊い、魔法と呼ぶべきものだった。


「……ああ、そうだった」


 こんな当たり前のことを忘れていたなんて。

 特別なものを望んでいたわけではなかった。それはキラキラとしたものだったから。それを叶えられる魔法も、キラキラとしたものだと思ったのだ。

 失くしたと思っていたなんて何たる傲慢だ。はじめから手放していたのに。


 ――ああせめて、この瞬間(とき)が永遠に続けばいいのに。


 だけども、それを願いはしない。記憶も、この胸に宿る感情もいつかは燃え尽きてしまうとしても、この光景はたしかに私に刻みこまれたから。

 歩いて行ける。ここからまた、歩き出せる。

 だから、無慈悲に終わる世界を受け入れよう。

 欠けた空は燃え尽きた。地面は剥がれ落ち、空間は色彩を失う。

 透明な白色が私たちを覆った。

 鐘の音が遠くなる。残された時間はあと少し。

 そういえば、そう。

 言わなきゃいけないことが、あった。


「……私はさ」

「ん?」

「私はやっぱり生きたいとは思えない」

「……」

「けど、生きようとは思った」

「そっか」

「だからいつか、いつかちゃんと私を見つけてね」

「見つけ出すよ。夢の果て、幻想の果てでも絶対に。だから、待ってて」

「うん」


 あなたの瞳のなか。

 純白の花がほころぶように、私の笑顔が咲く。


「待ってる!」


 そして、終末時計は零時を迎えた。

 これにて(ものがたり)の時間は終わり。


 ――からん。


 ひとつ、その残滓を残して。

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