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エンドリア物語

「恐怖と憎悪と復讐と」<エンドリア物語外伝84>

作者: あまみつ

「シュデルはいないか!」

 桃海亭に飛び込んできたのは、魔法協会災害対策室室長のガレス・スモールウッドさん。

 商品のロッドを磨いているオレに駆け寄ってきた。

「昼飯の準備中です」

「緊急事態だ!急いで旅の準備をさせろ」

「ムーでなくて、シュデルですか?」

「そうだ」

 理由は不明だが、かなり急いでいるようだ。

 オレは店の奥の扉を開いて、食堂にいるシュデルに声を掛けた。

「シュデル、至急らしい。ちょっと、来てくれ」

「いまはダメです」

 真剣な顔で鍋をのぞき込んでいる。

 シュデルの声が聞こえたらしい。スモールウッドさんが店の奥の扉を抜けた。オレは店に残るつもりだったが、スモールウッドさんオレの腕が握って、食堂に引きずりこんだ。

「プラキスの北部で感染性のピスハゾンビが発生した」

 シュデルは黙って鍋をのぞきこんでいる。

「感染性のゾンビなら、白魔術師が治療するはずですよね?」

 オレでも知っている常識レベルの知識だ。

「ピスハゾンビになってしまった者への治療方法は確立されていない。白魔法でできるのはホーリー系の防御結界を張り、ゾンビを近づけないことくらいだ。いま魔法協会が派遣した白魔術師たちが魔法障壁を作って感染が他国に広がらないよう防いでいる。シュデル、頼めないか」

「行く予定はありません」

 平静な声でシュデルが言った。

「頼む。いま本部の大型の魔法道具を使用した広域魔法の準備をしている。このままだと明後日の朝に障壁内をで高温のヘルファイアで焼きつくす。まだ感染していない人の含めてだ。シュデルの力なら………」

「僕は行きません」

 硬い声だ。

「シュデル!」

「僕に流れるキキグジ族の血が、プラキスに行くことを許してくれません」

「プラキスに遺恨があるのはわかる。だが、いまシュデルが行かなければ12000人の人々が業火に焼かれることになる」

「僕以外のキキグジ族の方に頼んでください」

「頼んで、どうなる。キキグジ族の現状はわかっているはずだ」

「キキグジ族がそうなった元凶が何か、スモールウッドさんはご存じのはずです」

「わかっている。だが、いまそのことを………」

「お帰りください」

 静かな言い方だったが、完全な拒絶だった。

 オレは食堂の扉の陰にいる人物に声をかけた。

「どうにかなるか?」

「ならないしゅ」

 寝起きのムーが姿を現した。飛び跳ねた白い髪に眠そうな目。いつものムーだ。

「ゾンビ使い以外、どうにもできないしゅ」

「そうか」

 オレは2階にあがった。

 部屋にあった背嚢を持って店に降りると、シュデルとスモールウッドさんがいた。

「店長、行っても無駄です」

「そうだろうな」

「危険な目にあうだけです」

「わかっている」

「なら、どうして行くのです」

「色んなゾンビを見たが、ピスハゾンビを見たことないことに気がついた」

「嘘を言わないでください!」

「本当さ。な、ムー」

 トテトテと店内に入ってきたムーはポシェットを掛けていた。

「ピスハゾンビを見るのは、初めてしゅ。楽しみだしゅ」

 店の扉を押した。

「シュデル、留守番を頼む」

「店長、ダメです」

 止めるシュデルを置いて、ムーの後を追った。

「来るかな」

「来るだしゅ」

 オレ達が待っていた相手は、オレ達を走って追いかけてきた。

「………この年になると走るのはきつい」

 追いついたスモールウッドさんは息を切らせながら、オレ達をにらんだ。




「説明してももらえますか?」

 魔法協会の大型飛竜に乗ったオレはスモールウッドに説明を求めた。

「ムーに聞け」

 スモールウッドは窓から外を見ながら、つまらなそうに言った

 一緒に来なかったシュデルのことをでも考えているのだろう。

「ムー、知っているか」

 ムーはうなずくと、話し出した。

「プラキスはゾンビ使いの国を、ロラムにあげるしゅ、したしゅ」

「キキグチ族は、ロラム王国の前はプラキス国に属していたのか?」

「違うしゅ。ロラムがキキグチを欲しがった時、ロラムのお手伝いをしたしゅ」

「ロラム王国とプラキス国は、お友達なんだな?」

「違う!」

 スモールウッドさんが焦れたように叫ぶと、一気に説明をしてくれた。

 プラキス国はロラムの北にある小さな国で、王はおらず、各地の首長が合議する形で運営されているらしい。

 今から120年前、ロラム王国がキキグジ族に侵攻した時に、対抗しようとしたキキグジ族の行動を、プラキス国が邪魔をしてキキグジ族はロラムに負けたらしい。

「それでプラキス国はどのような邪魔をしたんですか?」

「わからない」

「120年前のことですよね?」

「魔法協会の書庫に記録がない。地下書庫にあるのかもしれないが、閲覧は難しいだろう」

「記録はなくても、記憶には残っているのではないですか?」

「大規模な記憶消去魔法を使ったらしい。攻められたキキグジ族も、侵攻したロラム王国も、邪魔をしたプラキス国も、何があったのかわかっていない。ロラム王国に侵略された、プラキス国に邪魔された、というキキグジ族の恨みだけが残っている。もちろん、魔法協会の一部の人間は何があったのか知っているだろうが、口外することはないだろう」

 ムーが手を挙げた。

「はいしゅ!」

 オレとスモールウッドさんが無視していると、オレの目の前で手を左右に何度も振った。

「はいしゅ、はいしゅ!」

「なんだよ?」

「ボクしゃん、何があったか知っているしゅ」

「異次元モンスターからでも聞いたのか?」

「似たようなのから聞いたしゅ」

「シュデルかよ」

「はいしゅ」

 シュデルは空中に漂っている記憶から話を聞ける。死者の記憶ともはなせるシュデルなら知っていても不思議はない。

「話すなよ」

「すごーーーく、面白いしゅ」

「話すなよ」

「キキグジ族は…………」

 ゴンと重たい音がした。

 杖でムーを殴ったスモールウッドさんの目が座っている。

「痛いしゅ……」

 涙目のムーが両手で頭を押さえている。

「スモールウッドさん」

「文句があるか?」

「いえ、その杖、どこから出したんですか?」

 スモールウッドさんが杖を持っているのを見たことがない。

「大型飛竜の常備品だ」

「はあ」

「魔法協会の船だぞ。乗るのは、全員魔術師………たまに例外もあるが」

「魔法の杖って、誰でも使えるんですか?」

「この杖はほとんどの魔術師が使える汎用性の杖だ」

「いま手に持っている杖を、スモールウッドさんは使えるのですか?」

「これは簡易火炎放射器だ。飛竜が飛翔系のモンスターに襲われたとき、追い払うのに使う」

「それで、スモールウッドさんは…………」

「ムーを殴れる」

 どうやら、火炎放射器としては使えないようだ。

「ムー・ペトリ。何があったのかは口外しないように」

「ぶぅーしゅ」

 頬をパンパンに膨らませたムーが、そっぽを向いた。

「ウィル。しっかり、監視をしておけ」

「努力はします」

「プラキス国が何をしたのか詳しい内容は知らないが、非人道的な行為だったらしい」

「オレが見ているところで話そうとしたら、止めます」

 オレにできるのは、それくらいだ。

 スモールウッドさんは杖を壁に立てかけると、ため息をついた。

「シュデルは来てくれなかったな」

「シュデルでないとピスハゾンビに対抗できないんですか?」

「ウィル、ゾンビのことは知っているか?」

「知っています」

 オレは大きくうなずいた。

 ゾンビのことを習った日、オレは寝坊して朝食を食えず、腹が減っていて授業中眠ることができなかったのだ。

「授業で習いました。ゾンビには大きく分けて2種類あります。ネクロマンサーが使役する為に死者から作り出す人為的なゾンビと、人間がモンスター化したモンスターのゾンビです」

 完璧な解答だ。

 オレはスモールウッドさんが感嘆するのを待った。

 待った。

 待った。

 窓の外を見ていたムーが振り向いた。

「エンドリア王立兵士養成学校の教科書に載っているゾンビについての記述は、今ので全部しゅ」

 スモールウッドさんが驚愕した。

「ウィルが言ったので、すべてか?」

「はい」

「はいしゅ」

「本当にそれだけなのか?」

「オレが言ったことしか書いていません」

「モンスター各論とかないのか?」

「オレは格闘の方ですから」

「魔術師科の教科書にも載ってないしゅ」

「なぜだ!」

「エンドリアだからではないでしょうか?」

「エンドリアしゅ」

 平和にどっぷり浸かって400年。巨大モンスターも、凶暴なモンスターも、伝説のモンスターも、ムーがニダウに住むまでは縁がなかった国だ。

「エンドリアでもゾンビはいるだろう!」

「いるのかもしれませんが………聞いたことないなあ」

「この間、ゾンビ使いが作ったしゅ」

「シュデルがゾンビを作ったのか?」

「魔法協会の試験のとき、ゴキブリゾンビを作ったしゅ」

「ああ、そういえば、あれもゾンビか」

 スモールウッドさんが深いため息をついた。

 そして、ムーを見た。

「ムー・ペトリ。ウィル・バーカーにピスハゾンビについて説明するように」

 ムーがうなずいた。

「ウィルしゃん」

 オレの目を真っ直ぐに見た。

「ピスハゾンビというモンスターのゾンビがいるしゅ」

「わかった」

 ゴン、ゴン!

「痛いしゅ」

「痛いですよ、スモールウッドさん」

 魔法の杖に殴られたオレとムーが頭を押さえた。

「真面目にやれ!」

「オレに難しい話がわかるはずないでしょうが」

「そうしゅ。ウィルしゃんにゾンビモンスターの種類による変異細胞発現状況と魔法的対処方法について説明してもわかるはずないしゅ」

「私が説明して欲しいのは………わかった。私から説明する」

 握った杖を壁に立てかけたスモールウッドさんは、疲れたように座席の背もたれにもたれた。

「ウィル。ピスハゾンビはムーが説明したように、モンスターのゾンビだ」

 オレはうなずいた。

「モンスターのゾンビには様々な種類があるが、ピスハゾンビはモンスターによる憑依型のゾンビで、接触しなくても近くによるだけで感染する。ピスハゾンビになった人間に、他の人間が近づくと憑依しているモンスターは分裂して、近づいた人間に一方が飛びつく。飛びついたら憑依して、人間をピスハゾンビにする。それを繰り返して増えていく。ピスハゾンビになった人間を元に戻す方法はない」

「ピスハゾンビにする原因モンスターはスライムみたいな形状ですか?」

「形状は似ているがナノレベルの微小モンスターだ。目では見ることはできない」

「何メートルくらいに近づいたら、危険ですか?」

「2メートルと言われている」

「人間をピスハゾンビにする原因のモンスターを退治することはできないのですか?」

「退治する方法はある。だが、キキグジ族以外の人間にはできない」

「なぜ、キキグジ族はできるんですか?」

「キキグジ族だけはピスハゾンビに感染しないのだ。理由はわかっていない。推測だが特殊な血が原因ではないかと言われている」

「ムーが遠距離魔法で治療をできないんですか?」

「できないしゅ」

 ムーがつまらなそうに言った。

「モンスターを退治するにはピスハゾンビに触れて、特殊な魔法波を体内に流し込む必要があるしゅ」

「そうするとゾンビは死ぬんですか?」

「死体になる。感染しても発症するまでならば、この方法で治療ができるのだが、潜伏期が非常に短いうえに、症状がないので感染していない人間との見分けがつかない」

「長い杖で触れて魔法波を流し込むのは、ダメなのか?」

「ダメしゅ。ゾンビしゃんの表面はデロデロしゅ。接触部位が点だと魔法波が全身に伝わらないしゅ」

「なんか、大変だなあ」

 デロデロの表面に直接触って、魔法をかける。それを繰り返す。

「シュデルが嫌がるのもわかるよなあ」

 そこで気づいた。

「スモールウッドさん、シュデル以外のキキグジ族の人に頼めばいいのではないですか?」

「頼めたらしている。できないから、シュデルに頼んだのだ」

 店内でも同じようなことを言っていたのを思い出した。

「ウィル、キキグジ族の現状を知っているか?」

「ロラム王国の属国ですよね?」

「全員ネクロマンサーなのは昔とは変わらないが、戦えるだけの魔力を有しているのはシュデル、ただひとりだけだ」

 前に、シュデルを迎えにきたキキグジの男がシュデルの魔力量に歓喜していた。魔力が強いキキグジ族は少ないのだろうと思ったが、シュデルしかいないとは思わなかった。

「ロラム王は、長きにわたり魔力の多い女性を正妃に迎えてきた。そのため、ロラムの王族は魔力の保有量が多い者が多い。シュデルも例外ではない。ロラム王族の中でも1、2を争う量を保有している」

「それでシュデルに」

「現在のキキグジ族は、族長ですら骸骨戦士ひとり作れるか、どうかだ」

 落差の驚いた。

 桃海亭に居着いている魔術師どもは、骸骨戦士を何十、何百の単位で作り、オレの始末書は20センチをこえる。

「シュデルだけが、ピスハゾンビに退治して、感染をくい止められる。だが………」

「説明ありがとうございました。オレは寝ます」

「ウィル!」

「到着まで、まだ3時間くらいありますよね。起こさないでください」

「プラキス国を救えるのか?」

「可能性はありますが、ムーの手は2本なので」

「何を言っている?」

「それとスモールウッドさん」

「なんだ」

「オレはプラキス国が何をしたのか知りたくないんです。頼みますよ」

 スモールウッドさんは不思議な顔をした。そして、数秒後、唇をかんだ。

 オレは座席に丸って目を閉じた。

 スモールウッドさんは『知らない』で通すつもりだっただろう。その前にシュデルとの会話がなければ、オレも『知らない』と思っただろう。

 シュデルが『スモールウッドさんはご存じのはずです』と言ったとき、スモールウッドさんは『わかっている』と答えていたのだ。つまり、スモールウッドさんは何があったのか知っている魔法協会の一部の人間なのだ。

 何があったのか、オレは知りたくはない。

 プラキス国の人々がピスハゾンビなる前に、オレはできることをするだけだ。



 ロラム王国の北に大型飛竜は着陸した。そこから馬で西に向かい約2時間。低い山が連なっている道の谷間に作られたロラムの関所を抜けると、平らな開けた場所があり、大型のテントがいくつも張られていた。多くの魔術師達がテントの間をいきかい、テントの中からは討論するような話し声や怒声が聞こえてくる。

「現在、プラキス国の周囲を魔法障壁で囲っている。あと1時間もすれば完成する」

 スモールウッドさんが暗い顔で言った。

 障壁が完成すれば、生存者も含めた大規模な焼却を行うのだろう。

「あと1時間か」

 空を見上げた。薄い雲が空全体を覆っている。

「足りるか?」

「足りないしゅ」

「そうだよなあ」

「だしゅ」

「準備にかかる時間は?」

「1時間ちょっとだしゅ」

「どっちのだ?」

「あっちとこっち。別のは30分しゅ」

「わかった。スモールウッドさん、お願いがあります」

「助ける方法があるのか?」

「いまのところありません」

「そうか」

 スモールウッドさんは目を落とした。

「可能性はゼロではないので、手伝って欲しいのですが」

「何をすればいい」

 スモールウッドさんの声に力がない。

「ムーが、魔法障壁をちょっとだけイジりたいそうです」

 スモールウッドさんが嫌そうな顔をした。

「壊さないしゅ。ちょっと、堅くしたいしゅ」

「ファイアに対する耐性は計算してある。一般人が武器などで攻撃しても耐えられるだけの強度もつけたある。堅くする必要はないだろう」

「あるから、言っているしゅ」

 ムーの頬が膨れた。

「スモールウッドさん、弱くするなら問題ですが、強くするんです。いいですよね?」

「ウィル。ムーは、何をするつもりだ」

「聞かなくてもスモールウッドさんの始末書は10センチを越えると思いますが、聞いた場合はその10倍になると思います」

「また無茶をする気だな?」

「やったらまずいような無茶でも、しないよりいいと思いませんか?」

 スモールウッドさんは考え込んだ。

「時間がありません」

「わかった。何をすればいい」

 切り替えが早いのは助かる。

「ムー」

「ボクしゃんが指定した方法と場所で、障壁を作るしゅ」

「それだけか?」

「そうしゅ」

「障壁の責任者を呼んでくる」

 すぐに若い魔術師を呼んできた。20代前半で白のローブに黒と灰色の線が斜めに入っている。キリッとした甘い風貌で、エリート臭を全身から垂れ流している。

「ムー・ペトリ。大勢の人の命がかかっている。現場をひっかき回さないでいただきたい」

 スモールウッドさんが目で謝ってきた。

 面倒くさい御仁らしい。

「焼き殺すことしかできない無能は、ボクしゃんの下僕でちょうどしゅ」

 若い魔術師はオレをにらんだ。

「ウィル・バーカー。ムー・ペトリの監視だは君の仕事だろう。手綱の紐はしっかり握っていてくれ」

 関わりたくないタイプだ。

 時間さえあれば、スモールウッドさんに任せて逃げたい。

 オレは若い魔術師と視線を合わせた。

「ムーが言ったこと、聞こえなかったんですか?それとも、罪もない人々を12000人、焼き殺してみたいんですか?」

 怒ってくれれば、次の手が打ちやすい。だが、魔法協会のエリート様は鼻先で笑った。

「必要とあれば、100万人でも焼き殺してみせよう」

 手が伸びて、若い魔術師の襟をつかんだ。

「取り消せ!」

 スモールウッドさんが、自分より役職が上の若い魔術師の襟をつかんで締め上げている。

「今の言葉を、取り消せ!」

 若い魔術師がスモールウッドさんの暴挙に驚いている。

「何を」

「自分が何を言ったのかわからないのか!」

 若い魔術師は、わずかに首を傾げた。

 スモールウッドさんの言葉の意味がわからないらしい。

 若い魔術師はスモールウッドさんの手に自分の手をかけると、力づくで引き剥がした。

「スモールウッド室長、今回の件については…………」

「バカは嫌いです」

 オレの後ろから声がした。

 涼やかな声。

 振り返らずともわかった。

「遅かったな」

「僕はロラム王国には入れません。リラブリ王国を回ってきたら、この時間になってしまいました」

 軽やかな足音が近づいてくる。オレの横を通り、若い魔術師の前に立った。

「初めまして、リトルフ上級魔術師殿」

 怪訝そうなリトルフの顔が、次の瞬間驚愕に変わった。

「シュデル・ルシェ・ロラムか!」

「僕のことをご存じのようで話が早いです。ムーさん、さあ、どうぞ」

 ムーが、リトルフのところまでタタタッと走っていった。

「とりゃぁ!」

 頭突きがリトルフの腹にめりこんだ。

「ぐっ!」

 前のめりになったリトルフの頭を、拳で一発殴った。

「ちびっと、気が晴れたしゅ」

「よかったです。では、リトルフ上級魔術師殿、ムーさんの要望に沿ってお願いします」

「何を言う!ロラムの王子だからと言って」

「僕が誰だか、ご存じですよね」

 シュデルの目が細くなった。

「リトルフ上級魔術師殿は、なかなか面白いことをされている」

 リトルフの顔が真っ赤になった。身体がワナワナと震えている。

「ボクしゃんは、奴隷を手に入れたしゅ」

 リトルフが、ものすごい顔でムーをにらんだ。

「とっとと来るしゅ」

 ムーが下手くそなスキップをして離れていった。その後ろをリトルフが渋々ついていく。

 シュデルの隣に立った。

「嫌われるぞ」

「店長には負けます」

 狙われる回数。オレの方が多い。

 ニダウでの評判。オレの方が悪い。

 だが。

「世界的にみれば、オレの方が嫌われていない」

 シュデルは権力を持つ者達に蛇蝎のごとく嫌われている。

「僕もそう思っていました。でも、最近は店長の知名度が高くなりました。負けている気がします」

 シュデルがさらりと言った。

「あのな」

「シュデル、よく来てくれた」

 スモールウッドさんが感激している。

「勘違いされていませんか?僕は助けにきたのではありません」

 シュデルが顔をあげて、遠くを見た。

「復讐にきたのです」

「へっ?」

「シュデル!」

「僕は来るつもりはありませんでした。桃海亭でプラキス国が死に絶えるのを待つつもりでした。食堂で食事の支度をしていたときに、ハニマンさんに言われたのです。『プラキス国に復讐するチャンスはこれが最後だぞ』と」

 シュデルが手を握った。拳を強く握りしめると、絞り出すような声で言った。

「そうです。僕がここに来た理由は、ピスハゾンビで死んでいくプラキス国の人々に、かつてキキグジ族に何をしたか、知ってもらう必要があると思ったからです」

「シュデル、もう、終わったことだ」

「終わっていません!何があったのか、あったはずの出来事を魔法協会が消してしまったからです。キキグジ族は消された過去に苦しんでいます。プラキスの人々はもう死ぬのです。死ぬ前に過去の出来事を知ったからといって、彼らは何もできないでしょう。でも、キキグジ族はプラキス国の人々が真実を知ったことで救われるのです」

 スモールウッドさんが小声でオレに聞いた。

「何を言っているのかわかるか?」

「プラキスの人にロラム侵攻の時の出来事を伝えるのだと思います」

「そこは私もわかる。わからないのは、なぜそれをしようとしているのかだ」

「クソ爺が焚きつけたからです」

「ウィル、ハニマン殿に恨みでもあるのか?」

「山ほど」

「わかった。シュデルを止めてこい」

「止める理由がありません。どうせ、このままだとプラキスの人々は死ぬことになります」

「ムーが助けるのではないのか?」

「条件が揃っていません。このままだと死にます」

「どうすれば助けられる?」

「とりあえず………」

「とりあえず?」

「シュデルの好きにさせるでしょうか」

 スモールウッドさんに足を蹴飛ばされた。

 そして、シュデルは空に向かって微笑んでいた。




 20分ほどでムーが戻ってきた。

「第一段階終了しゅ」

「第二段階になる前に手伝っていただけませんか?」

 シュデルがムーに頼んだ。

「何したいしゅ?」

「プラキス国の人々の脳内に直接映像と音声を伝えたいのですが」

「どのくらいの範囲しゅ?」

「プラキス国全体にお願いします」

「足りなくなると困るしゅ」

 ムーがあちこち見回した。

「あれがいいしゅ」

 ムーが指したのは、リトルフ上級魔術師。ムーと一緒に戻ってきたらしい。少し離れたところで、他の魔術師達から話を聞いている。

「いいタイミングです」

 シュデルが微笑んだ。

 ムーがトテトテと歩いて、リトルフ上級魔術師の側までいった。1メートルくらいのところに落ちていた木の枝で魔法陣を書き出した。

 オレとシュデルも側に移動した。

「何の魔法陣だ?」

「秘密しゅ」

「全員に届きますか?」

「チビっ子は脳が未熟しゅ。だから、見えないし聞こえないしゅ」

「その方がいいのでしょうね」

 シュデルが少し寂しそうに微笑んだ。

 ムーが枝をポイと捨てた。トテトテと歩いて、リトルフ上級魔術師のところに行き、ローブを握った。

「こっちくるしゅ」

「私は忙しい」

「こないとゾンビ使いに言いつけるしゅ」

 リトルフ上級魔術師は顔をしかめた。それでも、ムーについてオレ達の方に歩いてきた。

 魔法陣に、ムーが入り、リトルフが入り、ムーが出た。

 魔法陣が発動した。

「な、なんだ!」

 光の円柱に閉じこめられたリトルフが出ようと光の壁を手で叩いている。

 その光の壁にムーが指で何かを書き始めた。

「ちょい、ちょい、ちょしゅ」

 光の壁に魔法陣が浮かび上がる。

「使っていいしゅ」

「では、遠慮なく」

 シュデルが光の円柱の外側に右手をあてた。そして、目をつぶった。

「なぜ、止めない」

 駆けつけたスモールウッドさんに叱られた。

「それには先ほど答えました。それより、シュデルは何をしているのですか?」

「プラキスの人々にキキグジ族に何をしたのかを見せるつもりだろう。あの魔法陣は脳内に直接映像を送り込むものだ」

「そんな便利な魔法があるんですか?」

「あるが、使われない。魔力を大量に使うからな」

「もしかして、あの光の円柱は」

「魔力吸収システム。魔術師を魔力の発生源にする、きわめて非人道的な魔法陣だ」

「つまり、リトルフさんは魔力をたくさんお持ちなんですね。よかったです」

「シュデルの方が多い」

 怒鳴ったスモールウッドさんは、眉をひそめた。

「なぜ、シュデルは自分の魔力を使わないのだ?」

 オレの答えを言う前に、映像と音声が頭に飛び込んできた。

 ほんの十数秒。短い映像と音声が、点滅するように次々と映っては消えた。

 広場は静まりかえっていた。

 たくさんいる魔術師達は、身じろぎもしない。

 あの日、何があったのか。

 消された事件。

 それがいきなり頭の中に映し出された。

 光の円柱が消え、リトルフは地面に座り込んだ。肩で息をしている。魔力をたっぷり吸われたようだ。

 オレはシュデルの頭を後ろから手で叩いた。

「なにするんですか」

「オレは知りたくないと、スモールウッドさんにもムーにも言ったんだ」

「僕には言いませんでした」

「オレがこの手のことを知りたがらないのは、お前だって知っているだろう」

「店長だけ、特別扱いできる魔法なんてありません」

「あるしゅ」

「ムーさんは黙っていてください」

「ポイすればよかったしゅ」

「ポイッ………あっ」

「ウィルしゃんも魔法陣の中に入れておけばよかったしゅ」

「そうでした。光の円柱が遮断してくれました」

 2人でウンウンとうなずいている。

 円柱が遮断。

 リトルフは円柱の中にはいた。

「おい、リトルフは今の映像を見なかったのか?」

「そうしゅ」

「はい」

「現場の指揮官が知らないとまずいだろ」

「もう1度やるのは難しいです」

「他の人は見たからいいしゅ」

 ムーは軽く『いいしゅ』と言ったが、映像を見た魔術師達の様子は『いいしゅ』というようなものではなかった。

 ほとんどのものが青ざめており、数人は屈み込んで吐いていた。

 スモールウッドさんは、うつむいていた。

 事実を知っていることと、実際に見ることとは違う。スモールウッドさんは災害対策室室長として、様々な災害を見てきた。だから、内容の惨さに驚いたわけのではないだろう。

「なぜ、消したのだ」

 スモールウッドさんがつぶやいた。

 おそらく、詳細には知らされていなかったのだろう。映像を見たことで、情報が増えて、キキグジ族がロラムの属国となるきっかけの事件は、記憶を消すべき事件に該当しなかったのだろう。

「キキグジ族族長の娘アデレードの子としての、僕の復讐は終わりました。ムーさん、手伝ってくださいましてありがとうございました」

 シュデルがムーに深々と頭を下げた。

 ムーが目一杯、胸をそらしている。

 額を突っつけば、転がりそうだ。

「気が済んだか?」

「はい」

「なら、今度は桃海亭の店員シュデルとして、店長の命令を聞いてもらう」

「店長が偉そうです」

「偉いに決まっているだろ。オレはオーナー店長だぞ」

「そういえば、そうでした。それで、何をすればいいのですか?」

「3本目の腕がいる。できれば、キキグジ族がいい」

 シュデルが困った顔をした。

「やりたくない作業のようですね」

「この為に魔力を温存させたんだ。嫌でもやってもらう」

「わかりました」

「あと翼がいるよな」

「優秀な翼を用意してください」

「オレに言うなよ」

 スモールウッドさんが大股で近寄ってきた。

「シュデル、許されることではないぞ」

 表情からすると、かなり怒っている。

 オレが間に入った。

「スモールウッドさんはプラキスの人々を助けたくはありませんか?」

「助けられるのか?」

 すがるような目でオレを見た。

「条件がほぼ揃いました。実行するために、浮遊魔法を使える魔術師を用意していただけませんか?腕が良くて、命を失っても文句を言わない魔術師をお願いします」

 スモールウッドさんは少しだけ考えた。

「わかった。私がやろう」

「へっ?」

「私がその役を引き受けると言ったのだ」

「スモールウッドさん、飛べるんですか?」

「何度も見ているはずだ。ナメクジ事件の時は協会内を浮遊魔法で移動してただろ」

 ムーが制作した白ナメリン事件の時、オレの前でスモールウッドさんは浮かび上がった。

「そういえば、浮かんでいました」

「何をすればいい」

「ムーがセッティングした第一段階はご存じですよね?」

「現在行っている魔法障壁を、ムー・ペトリが一時的に強化する魔法をかけることは聞いている」

「オレが合図したら、シュデルを抱えて浮かび上がってください。そして、障壁を越えて、シュデルを障壁内に置いてきてください」

「わかった。いまから戦闘魔術師を手配する」

「スモールウッドさんが置いてきてくれるのではないのですか?」

「シュデルは私が連れて行く。シュデルが障壁内に着地して、ピスハゾンビ達に順番に魔法波を流し込んでいる間、シュデルが無防備になってしまう。上空から戦闘魔術師がシュデルを攻撃しようとするピスハゾンビを牽制しなければシュデルが危険だ。それ以外にもピスハゾンビになっていないプラキスの人々が誘導をしなければならない」

「そっちは考えなかったな。わかりました。戦闘魔術師の準備をお願いします。戦闘魔術師の方々には、これから行う内容と手順について、オレから説明します。スモールウッドさんがシュデルを置いて戻ってきたら、出動させてください」

「先に上空にいたほうが良いのではないか?」

「いや、それは………」

 スモールウッドさんが疑いの目でオレを見た。

「何をしようとしている?」

「スモールウッドさんには、説明したくないんですが」

「私が知らない方がいいということか?」

「シュデルを傷つけないよう運んでください。高いところから落としたりしないでください。スモールウッドさんが、心配するのは、そこのところだと思います」

 スモールウッドさんはため息をついた。

「ウィルの提案に乗るとろくなことにならないとわかっているが、この状況だ。乗らざる得ないだろ」

 スモールウッドさんの顔つきが引き締まった。

「いつ、始める」

「ムー」

「時間がないしゅ。5分後に第一段階の魔法をかけるしゅ」

「それまでに私は戦闘魔術師の手配をして、ここに戻ってくる」

 ローブを翻して、スモールウッドさんが他の魔術師のところに駆けていった。

「スモールウッドさんに僕を運ぶが危険な作業であることを話さなくて、よろしいのですか?」

「オレはちゃんと言ったからな」

「説明されていなかったように思うですが」

「言ったぞ。『命を失っても文句を言わない魔術師』を用意してくれと」

 ムーが「ブッヒョィ」と笑った。




「いくしゅ!」

 ムーの右手から黄色い光が魔法障壁に向かって伸びた

 第一段階。

 プラキス王国を囲っている魔法障壁が輝きを増した。

「いくしゅ!」

 ムーの左手から青い光が空に向かって伸びた。

 空間の一部が裂けて、そこから水が地上に流れ出した。細い水の流れは裂け目から地上に続く水色のロープに見える。

「あれは何だ!」

 スモールウッドさんが焦った声でオレに聞いた。

「水です」

「ただの水なのか?」

「ほぼ水です」

「ウィル!」

 焦れたスモールウッドさんに、シュデルが冷静な声で答えた。

「ムーさんが極微量の塩分を含んだ水を流し込んでいます。非常に薄い濃度ですのでプラキス王国の人々には影響ありません。また、水が引いた後土に塩害がでることもありません」

「なぜ、天空から水を流し込んでいる。プラキス王国の人々があの光景を目にすれば不安になるだろう」

「あれは警告です」

「何をするつもりだ」

「時間がありません。僕を障壁内に連れて行ってください」

 スモールウッドさんはシュデルの脇から背中に手を回した。

「行くぞ」

「はい」

「シュデル、面倒だからお前から説明しておいてくれ」

「わかりました」

 浮き上がっていくスモールウッドさんとシュデル。シュデルの口が動いている。これから何をするのか説明しているらしい。

 スモールウッドさんの顔が青ざめたのが見えた。

「そろそろかな」

 スモールウッドさんとシュデルが障壁を飛び越した。

 ムーの指が動いた。

 天空の亀裂から、水が噴き出した。大量の水が一気に流れ込んでくる。最初に細くしたのは、いきなり大量に水を入れて、プラキスの人々がパニックといけないからだ。次に大量にいれたのは、プラキスの人が逃げるのを防ぐためだ。全員に水に浸かってもらう。もちろん、例外はでるだろうが、そこはまもなく投入される戦闘魔術師が全員が浸るよう、うまく誘導するだろう。

 あとはスモールウッドさんがシュデルを地面に下ろせばいい。降りたシュデルはプラキスの国土に広がっている水に手をつけて、魔法波を流せば終わりだ。人間の体内はほとんどが水だ。魔法波は水に接触しているピスハゾンビとプラキスの人々の体内を流れ、モンスターを退治する。

 問題なのはシュデルを下ろすとき、落下の衝撃をなくすために地面に近いところで下ろさなければならない。その時、スモールウッドさんも水に近づいてしまうのだ。ピスハゾンビのモンスターにシュデルは大丈夫でも、スモールウッドさんには感染する可能性がある。水をピスハゾンビの体内の延長とすれば、水面より2メートル以上の高さからシュデルを落さなければならない。

 シュデルの不器用さを知っているスモールウッドさんは苦しい選択を迫られる。

 オレは魔法障壁を見上げた。

「小さい国だよな」

 小国と言われるエンドリア王国より、はるかに小さい。都市と同じくらいだ。

 国土が広ければ使えない手法だ。

 小さいから、大国のロラム王国を恐れ、特殊能力を持つキキグジ族を恐れたのだろうが、国を守るために選んだ方法は最低だった。

 聞き慣れた声が響いた。

「うわぁーーーーー!」




「知っておる」

「へっ?」

「はうっしゅ!」

「本当ですか?」

 プラキス国ピスハゾンビ感染事件から1週間。スモールウッドさんが事後報告とシュデルへの礼金+慰謝料金貨30枚を持って桃海亭にやってきた。3メートルの高さから落とされたシュデルは、予想に違わず足首を捻挫した。軽かったので生活に支障はなかったが、足首に巻かれた包帯は商店街の女性陣に話題を提供した。

 オレとムーの礼金がなかったので、スモールウッドさんに請求したら『魔法協会がプラキス国の後始末にどれだけ金を使ったと思っているんだ!』と、怒鳴られた。

 シュデル落下後、ムーが上空から水を流し込むのをとめた。すぐ後に戦闘魔術師がプラキスの上空に散り、水を操りピスハゾンビとプラキスの国民達が水と接触している状態を作り出した。合図を受けたシュデルが魔法波を水に流し込んだ。温存していた魔力を使い切る前に、プラキス内のピスハゾンビの死滅が確認された。ムーが壁の強化を解いて、戦闘魔術師が壁の内側からシュデルをオレ達のところに運んできた。

 ムーが壁の強化を解いた直後から、壁がたわみ始めた。内側に流し込んだ水の重量で、壁がもたないは誰の目にも明らかだった。オレとムーとシュデルで、ムーのフライで脱出。翌日、魔法協会がプラキス全域の水没被害の調査と回復に乗り出したことを魔法協会エンドリア支部経理係のブレッドから聞いた。

 スモールウッドさんは桃海亭の食堂にオレとムーとシュデルと爺さんが揃うと、オレ達が帰った後のプラキスのことを話してくれた。

 水による被害は家屋と一部の作物のみにとどまった。家屋の被害は家屋や家財が濡れたが、プラキスの人々が各自で修復できる程度の軽いものだった。作物も魔法協会の学術チームが手助けすることになり、いままでよりも収穫は増えることになりそうだ。

 ピスハゾンビによる被害は初期に感染した者達の死亡にとどまった。感染していたものは多くいたが発症する前に魔法波による体内のモンスターが退治で、ピスハゾンビになることを免れた。

 プラキス国はピスハゾンビ事件の終結した。形とすれば、桃海亭が救ったということになるのだが、オレ達はいつも通り感謝されなかった。

 シュデルの脳内投影事件のせいだ。

 あの日、魔法協会の魔術師達が青ざめた映像はプラキスの人々に衝撃を与えた。プラキス国の人々の多くは映像が事実とは認めなかった。シュデルによるでっち上げだと騒いだ。魔法協会本部が地下倉庫にある資料を公表して、真実であることを証明した。その結果、プラキスの人々は非難の目にさらされることになった。

 シュデルだが、復讐の成功を喜ぶどころか、地下2000メートルまで落ち込んだ。キキグジ族の無念ははらせたが、今のプラキスの人々はキキグジ族を滅亡に追い込んだ人たちではない。復讐は正しかったのかと、あと一週間くらいは地下をさまよいそうだ。

 最後までわからなかった『なぜ、魔法協会は記憶を消去したのか』について、オレとスモールウッドさんで話していたところハニマン爺さんが割り込んできたのだ。『知っておる』と。

 テーブルを指でコツコツと叩きながら、話始めた。

「当時のロラム王は愚昧な男でな、キデッゼス連邦を率いることのできる器では無かった。リュンハ帝国との戦は、連戦連敗。キデッゼス連邦の盟主国の地位を失いかけていた。ロラム王は負けるのは軍が弱いと考えた。軍の増強の為に、キキグジ族を手に入れようと考えた」

 オレは首を傾げた。

 ムーは口に出した。

「へんしゅ。軍が弱いなら、強いキキグチ族に勝てないしゅ」

 ハニマン爺さんは、小さく笑った。

「そのとおりだ。だが、愚昧な王はそのことに思い至らなかった。愚かな王に諫言する者はなく、キキグジ族を手に入れるための作戦は実行された」

 シュデルの映像は、当時のキキグジ族の族長の記憶だった。

 ロラム軍の侵攻の連絡が届き、族長や長老等キキグジ族の主要なメンバーがあつまり対抗措置を考えた。キキグジ族は建国時に比べ衰退していたが、死者を使った人海戦術ではロラムに対抗するだけの力を持っていた。

 布陣が決定して、ロラムを迎え撃つだけになったときに、隣国のプラキス国の使者が飛び込んできた。使者は集まっているキキグジ族の主要メンバーに『ピスハゾンビが発生した。助けてくれ』と叫んだのだ。ピスハゾンビが広がってもキキグジ族には影響はない。ロラムの軍勢が迫っており、キキグジ族に他国に人を派遣する余裕など無かった。自分たちの部族が危機にさらされている状況にも関わらず、キキグジ族は隣人を見捨てられないと、力のある主要メンバーがピスハゾンビの治療に行き、治療が終わり次第、戦いの場に駆けつけることにした。

 プラキス国の使者が案内した場所に、ピスハゾンビが固まっていた。使者は近寄らず、キキグジ族の人々が治療の為に近寄った。ピスハゾンビにキキグジ族の人々が接近したとき、地面が毒沼に変化した。長年、キキグジ族を殺すこと考えていたプラキスの人々の研究の集大成の毒沼だった。

 キキグジ族の人々はネクロマンサー以外の魔法を使えない。力のあるキキグジ族の人々は毒沼に沈んで消えた。ピスハゾンビも泣き叫びながら死んでいった。彼らは本物のピスハゾンビではなく、プラキス国の身よりのない子供達だった。キキグジ族を呼び寄せるために外見をピスハゾンビに似せて置かれていたのだ。

 力のある者を失い、キキグジ族はロラムに属国にされた。

「ロラムは予定通りキキグジ族を手に入れたが、戦えに使えるキキグジ族はひとりもいなかった。キデッゼス連邦は分裂の危機に陥った。いまキデッゼス連邦が分裂すれば、リュンハ帝国が領土を大きく広げる。ルブクス大陸のパワーバランスが崩れると魔法協会は考え、リュンハ帝国とキデッゼス連邦に一時停戦を勧告した。キデッゼス連邦は乗り気だったが、リュンハ帝国は渋い顔をした。停戦をしてもリュンハ帝国にはメリットがない。魔法協会が間に入り、ロラム王国の北西にあるドニ湖一帯をリュンハ帝国に譲り渡すことで一時停戦が成立した。停戦期間の10年の間にロラム王の交代が行われ、キデッゼス連邦は政治的な安定を取り戻したというわけだ」

 スモールウッドさんがため息をついた。

「そういう事情だったのですか。教えていただきありがとうございました」

「ふむ。交渉に当たったリュンハ帝国の者が記録に残しておいた。帝国でも上層部のものしか見られないようにしてあるから安心するがよい」

「ご配慮、いたみいります」

 オレは手を挙げた。

「スモールウッドさん、オレにはわかりませんでした」

「わからなくていい」

「キキグジ族の弱体化を隠したかったんですか?」

「違うしゅ」

 ムーが眠たそうに言った。

「ウィルしゃん、ドニ湖を知ってるしゅ?」

 爺さんはロラムの北西にあると言った。北西。デムシロン火山の事件でロラム王国の北、リュンハ帝国と接している場所に大型飛竜で行った。周辺に湖があった記憶がない。

「知らない。デムシロン火山は見たけど、ドニ湖は見ていない」

「ボクしゃんも知らないしゅ」

 歩く辞典。

 動く百科事典。

 そのムーが知らない。

「隠語か……」

 ドニ湖が、金塊とか、権利とかなら話が通じる。

「はて、なんのことかな」

 爺さんがとぼけた。

「そうなら【ドニ】と【湖】は別の意味だ。【北西】というのも方向じゃなくて、場所とか数とかを示しているのか……」

 オレがつぶやくと、爺さんがスモールウッドさんの肩を叩いた。

「届けてくれ」

「何をでしょうか?」

「ウィル・バーカーに決まっておる」

 スモールウッドさんがひきつった顔で聞いた。

「どこにでしょうか?」

「リュンハの王城まで頼む」

「それは………」

「給金はいらんからな」

「ちょっと待て!」

 このままだと、オレは北の地でただ働きさせられることになる。

「ひとりだと寂しいか?」

「へっ?」

「これも頼む」

 爺さんの手がムーの肩に置かれた。

「ほよっしょ!」

 ムーが座ったまま、飛び上がった。

「リュンハ王城の地下には、長年集めた古文書が堆く保管されておる」

「いくしゅ!」

「ほれ、行くと言っている」

「お待ちください」

 額から汗を滝のように流しながらスモールウッドさんが両手を前に広げた。

「それは、お許しください」

「何か問題があるか?」

「リュンハ皇帝陛下がお許しになるはずがありません」

「何を言っている。わしはウィルがいると楽しい。だから、本当は手放したくはないのだ。だが、ナーデルも毎日の公務で疲れているだろう。日々を少しでも楽しく暮らせるよう、ウィルをしばらく貸してやると言っているのだ」

「この2人を王城に入れるなど狂気の沙汰です。リュンハの王城が瓦解でもしたら、どうなさるのです」

「面白いではないか」

「どうか、思いとどまってください」

 話が長くなりそうだと、オレは椅子から立ち上がった。店に行って、休憩中の札をはずして、店番をやるつもりだった。

 食堂を出ようとしたオレの背中に声がかかった。

「【ドニ】は呪いよ」

 ハニマン爺さんの声は重かった。

 オレは振り向いた。

「オレも変だと思っていた」

 キキグジ族の力ある者達が、何もせずに毒沼に沈んでいったとは思えなかった。だが、いままでのそれに関しての情報は一切無かった。

「【北西】は時だ。いまも続いておる」

「【湖】は?」

「話せん」

「わかった」

「リュンハに行かんか?」

「寒いのは苦手だ」

 オレは店に続く扉を開いた。

 キキグジ族の首長達は最後の力を振り絞って、呪いをかけたのだ。キキグジ族の魔力には制約がある。その制約の中で、何かの呪いをかけた。

 シュデルの流した映像と音声だけでは、オレにもスモールウッドさんにもわからなかった。だが、当時の関係した人々の記憶にはキキグジ族が【呪い】について情報があったのだ。だから、記憶を消さなければならなかったのだ。

 どんな【呪い】だったのか。プラキス国が呪われた国だという話をムーはしていない。もし、呪われていたら、大型飛竜の中でオレに注意したはずだ。『続いている』のならば、未来に発動する呪いのなのか。

 店の扉にかけておいた休憩中の札を外した。壁に飾ってある銀のナイフを取り、カウンターで磨き始めた。

 衰退したキキグジ族。たとえ、首長達が殺されなくても、いつかはこうなることは予見されていたはずだ。

 ひとつの推論が頭に浮かんだ。

【呪い】がプラキス国への復讐ではなく、別の形で行うものだとしたら。キキグジ族の首長として、部族の将来を考えて行ったものだとしたら。

 エンドリアの日差しは暖かい。

 400年間、戦いがない国。

 この国で、いまオレがするべきこと。

 銀のナイフはピカピカに磨かれた。

 店内に客はいない。

 オレはカウンターに銀のナイフを置いた。

 そして、立ったまま、ウトウトと眠りをはじめた。

 



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