表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/60

第十一章  忠誠と代償と 05

 




 その瞬間、何かが弾ける音が聞こえた。あるいは、何かが砕ける音であったかもしれないし、何かが崩れる音であったかもしれない。だが、非常に微かで、渡る風にかき消されてしまいそうなその音を、確かに男の耳は聞き取った。

 長く伸びる廊下の中ほどに足を止めて、そこにある窓から天空にあって泰然と地上を見下ろす太陽を見上げると、男は陽光のまぶしさに目を細めながらも片頬を上げた。いかに太陽とて、夜の帳が降りれば退場を余儀なくされる。いつまでもわがもの顔で、天空に居座り続けることは不可能なのだ。


「魔導師長さま、いかがなさいましたか?」


 傍らを歩いていた別の男が、一歩だけ先に進んで振り返るとそう言って首を傾げる。ここリアンデル王国にあって、魔導師長と呼ばれるのはシュメールがただひとりだけだ。

 目深に被ったフードの下で、シュメールは病的なまでに青白い顔を男に向けると、皮肉の笑みをたたえて言う。


「あの者は、今ごろどうしているのだろうかと思ったのだ」

「あの者、とは?」

「わからぬのなら、それでいい」

「は? はあ」


 怪訝な顔をする男から、シュメールはふたたび窓外へと視線を向ける。この同じ空の下、リオン・ハーンという若い騎士は、この瞬間何を考え何を思っているのだろうか。

 光の時代が終焉を告げて、闇の時代が到来したことを、あの若者は知っているのだろうか。意志の強そうな翠玉色の瞳を思い出して、シュメールはほくそ笑む。

 リオンが本当に聖剣を手にするとは、シュメールでも予想しなかった。だが、シュメールは聖剣の封印が解ける音を聞いた。マントの下、片手でにぎりしめた黄金の玉は、リオンに持たせたそれと対を成すもので、その玉に宿る精霊に問えばより確実となるだろう。

 しかし、今はそれをする時ではない。


「王子殿下の元へと急ごうか」


 そう言ってから、シュメールは男を追い越して廊下を進む。

 呪詛に犯された幼い王子の診察が先で、シュメールは現在、王子が眠っている部屋へと向かっている途中である。ただし、診察とは偽りで、呪詛の具合を確認しているだけだ。強すぎては王子の寿命を早めてしまうことになるし、弱すぎては効力が失われてしまう。

 生かさぬよう、または殺さぬよう、常に調節する必要がある。


「だが、どうしたものか……」


 知らず知らず口からもれ出た思考の一端に、何か、と男が声をかけてくる。何でもない、短くそう応じて廊下を右に曲がりながら、シュメールは見えてきた扉を見つめて考える。

 王子をこのまま生かしておく必要が、あるのだろうか。

 リオンが聖剣を手にしたのなら、この国に留まることなく、妖魔は頻繁に出没することになる。その原因は、リアンデル王国の王カエサルが聖剣を望んだからだと触れ回れば、リアンデル王国は孤立する。さらに加えて、世継ぎである王子までもが身罷ったとなれば、どうなるだろうか。

 それとも、聖剣の姿と力をこの目で確かめるためにも、王子には生きてもらう方がいいだろうか。

 どちらであるにせよ、結果に大した違いなどなく、いずれであれシュメールは生きてはいられないだろう。だが、事ここにいたって、今さら惜しむ生命いのちでもない。


「ご様子はいかがですか?」


 形式に従って扉をたたいて、王子の寝室に足を踏み入れたシュメールは、これまた形式通りの言葉を口にする。シュメールの来訪に、王子が眠る寝台の傍に控えていた女官が立ち上がって、一礼と同時にその場所をゆずってくれる。

 広い寝室の中央に、天蓋付きの寝台が置かれてある。露台に通じる大きな窓からは、明るい陽射しが射し込んでくるが、室内に漂う雰囲気は暗く沈んでいる。吹き込む優しい風も、室内の空気を一変させることができないでいる。


「殿下……?」


 それまで女官が座っていた椅子に腰を下ろすと、シュメールはフードを外す。事実上の関係がどうであれ、名目上シュメールはカエサルの臣下であり、昏々と眠り続けるのは主君の子息である。その王子の前で被り物を取らないのは、無礼に当たるだろう。

 フードを背中に落とすと、シュメールは幼児の額に右手を乗せて呼びかける。シュメールの呼びかけに応じるように王子が目を開ければ、シュメールと一緒に入室した男と女官が、感嘆の声を上げて喜びを表わす。およそ二日ぶりとなるだろう王子の覚醒に、ふたりが喜びを分かち合うのは当然のことだ。

 顔を見合わせ、陛下に報告をと女官は部屋の外に控える、別の女官の元へと足を急がせる。その様を内心で嘲笑いながらも、表面的には安堵の顔を見せてシュメールは言う。


「お目が覚めましたか?」

「……シュメール?」


 幼い声音が弱々しくシュメールを呼んで、王子は今にも泣きそうな顔をする。


「大丈夫です、殿下は必ずお元気になられます」


 これまで数え切れないだけ繰り返してきた言葉を、何食わぬ顔をで口にして、シュメールはうなずいてみせる。シュメールを疑わない王子が、それに応えて小さくうなずくのを、昨日までは滑稽に思ってきた。だが、今日はどこか哀れみを感じさせる。

 王子の額に置いた手をすべらせて、髪をなで付けてやる。目を細める王子を目にして、シュメールは王子を生かしておこうと決める。今ここで王子を殺めてしまうのは易いが、それでは興に欠ける。この幼い王子同様に、シュメールを信頼して宮廷魔導師長にまでした、国王カエサルの顔が驚愕に染まる瞬間を見てみたくなった。

 だから、王子を生かす。


「また、夜にでも様子を見にまいりましょう……」


 そう言ってシュメールが椅子から腰を上げれば、王子は小さな手を振って見送ってくれる。それに深く頭を下げて、そして、フードを被り直すとシュメールは踵を返す。カエサルがくるのであれば、その登場を待つのが礼儀であったかもしれないが、シュメールには一刻も早く確かめたいことがあるのだ。

 自然と速くなる歩調を制御して、シュメールは自身にあたえられた居館に戻ると、ただひとり居間の一室にこもる。誰も入れるなと言い付けて、掌に乗せた黄金の玉を覗き込む。精霊を介して、リオンの居場所を確かめれば、試しの森を示している。


「闇の時代の訪れか、それとも……」


 挑むように窓の外を見つめて、シュメールは続ける。


「……それとも、新たなる、光の時代の幕開けとなるのか?」


 歩を進めて露台に出ると、はるか天空の高見を見上げてシュメールはつぶやく。太陽はやがて西の彼方に沈んで、昼はその座を夜へとゆずる。だが、夜が太陽の一閃によって、ふたたびその座を追われるように、闇は払われて真の光に満たされる日が訪れるのだろうか。


「リオン・ハーン……剣を受け継ぐ者よ」


 聖剣の話を王にしたのは、この瞬間の訪れを期待していたからではない。リオンのことを剣が強いだけの、線の細い騎士だと思った。こんな騎士に王国の未来をゆだねる者たちが、心底哀れでならなかった。どうせ叶いはしないのだと、侮蔑し嘲笑した。そして、王子は騎士リオンの帰還を待つことなく、黄泉へと旅立ってもらうつもりだった。

 しかし、リオンが聖剣を持ち帰る。これまで誰にもなし得なかったことを、リオンは可能にしてしまった。それを思うとシュメールの内側からは、こらえきれない愉悦がわき上がってくる。シュメールが受け継いできた血統にとって、これ以上ない喜びであるからだろうか。


「わたしも、所詮はそういうことか」


 それも悪くはない、と目深に被ったフードの下で自嘲して、シュメールは続ける。


「リオン・ハーン、おまえは、われらが悲願の騎士となるか、それとも……?」

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ