第十一章 忠誠と代償と 04
リオンの前にここに立った者はなく、リオンの他に足跡もない。そして、目の前には、大地に突き立つ剣が一本ある。これが目指してきた聖剣であるのか、疑えば際限がなく、信じるしかないのかもしれない。
「……わたしに、呼びかけたのは、あなたか?」
誰にともなく語りかけて、リオンは黄金色に輝く剣の柄に手を伸ばす。その指先が触れるか触れないかの瞬間、金色の光芒が生じて、リオンは反射的に目を閉じた。
温かな空気がリオンの頬に触れて、柔らかな風がリオンの髪をなでる。規則正しい拍動が聞こえて、リオンはおそるおそる目を開ける。そこに映るのは、色のない白い世界だった。前も後ろも、右も左もそうなら上も下も同じで、目の前にあったはずの剣の柄も、白い世界に飲み込まれて消えていた。
「わたしは、ここにいる!」
声を上げたのは、不安からであったか。
「あなたに、会いにきた!」
応える声はなかったが、微かに空間が揺れるのがわかった。
「どこにおられる!」
「……汝が目の前にある。われが見えぬか?」
声と同時に、白い空間に浮かび上がる影があった。影は次第に形をなし、像を結んで、人の姿を現す。その人物は、リオンをはるかに凌駕する身長で、高い位置からリオンを見下ろしてくる。ただし、それが実体ではないことを証明してか、男の全身は蜃気楼のように揺らめいている。像が崩れてはふたたび像が現れるという具合に、ひどく不安定だった。
それでも、男の燃え上がるような金の髪が、流れるような美しさを有して、その背を覆っていることは見て取れる。見下ろしてくる瞳の色も髪と同じ金色で、見上げる者を威圧する鋭さも秘めている。若くも見えるが、老いているようにも見え、整った容貌は男らしい精悍さが感じられた。
長く裾引くマントで身を包んだ男が、口の端を片方だけわずかに持ち上げる。
「改めて、汝の名を聞こうか」
男は口を動かすことなく、声を発する。おそらく、リオンの脳に直接語りかけているのだろう。それに対して、リオンは自らの口を動かして、男の耳に語りかけるしかできない。
「リオン・ハーン、と言う……」
「では、リオン・ハーン、われに忠誠を約せ」
「あなたに?」
リオンが問い返せば、そうだ、と男は力強く答える。
「わたしは、リアンデル王国国王カエサル陛下に忠誠を誓った、王朝騎士団所属の騎士だ」
「ほお、それで、その王は汝に何をあたえた?」
カエサルがリオンにあたえてくれたもの、王朝騎士としての地位があるが、男が言うものとは違うのだろう。だから、リオンは沈黙を答えに、男を見返した。
見上げる視線の先で、男の姿が大きく崩れて、ふたたび形をなす。その様は嘲笑しているようにも見えたが、リオンに言い返す言葉は見付からない。
「……われには、汝に力をあたえてやれる」
それこそ、リオンが求めてきた聖剣のことだろう。
「力をほしくはないか?」
ほしい、リオンがその三つの音を口にすれば、男はリオンが求めるものを、あたえてくれるのかもしれない。だが、リオンはたった三文字を口にすることをためらう。
そして、別のことを口にする。
「何故、わたしを選んだ?」
聖剣を求めてこの森に足を踏み入れた者は、リオンが初めてではない。多くの者が自分こそは、と森に挑み、森に敗れてきた。その大半が私利私欲からであったかもしれないが、リオンのように止むに止まれぬ事情で、森に向かった者もあったはずだ。
しかし、そうした数多の者を退けて、リオンに力をあたえるという。それは何故なのか、純粋な興味がリオンにその問いを口にさせた。
「汝がわれを呼んだのではないか」
「……?」
「正確には、汝の魔力がわれの魔力に反応したのだ」
それはつまり、クリフから注がれた魔力が影響しているということだろうか。リオンが問えば、男は口元をゆるめた。
「そうか、汝の魔力に別の魔力が加わったことで、われを呼び覚ましたか」
そう言った男は、初めて口を開けると愉快そうに声を上げて笑ったが、リオンには疑問が残る。それはクリフの正体のことで、リオンの推測が正しいものであるのかどうかだ。
そのリオンの問いに、男は声だけを飛ばして言う。
「答えを求めるのであれば、汝がその者に問うがよかろう」
そして、質問は終わりかと男が逆に問い質してくるのに、リオンは首を横に振る。
「あなたの目的を知りたい」
「目的?」
「わたしに、何をさせたいのか、それを知りたい」
聖剣を手にすれば、聖剣の魔力で封じられている麒麟が甦る。甦った麒麟は、今よりも多くの妖魔を、この世界に招喚することになる。クリフはリオンにそう言ったが、クリフの知ることを、この男が知らないはずがない。
果たして、男は何と答えるか。リオンは射るような金の瞳から視線を逸らすことなく、正面から見据えて男の答えを待つ。
「……われが未だ肉体を保有していた当時に、なし得なかったことだ」
「あなたに不可能であったことが、わたしに可能だと言われるのか?」
「汝はひとりであるまい?」
そう言うと、男はその姿を大気に溶け込ませるようにして、リオンの前から消えてなくなる。だが、男の声だけは健在で、色のない白の空間に、吹き荒れる嵐となって響く。
「わが騎士となり、剣を受け取れ、リオン・ハーン!」
哀願にも似た声音が消え去った後、リオンの前に現れたのは、大地に突き刺さっていたはずの剣だった。黄金色の柄と白銀色の刀身をした、一本の剣が中空に浮いている。抜き身のままであるから、もちろん鞘はない。飾りの一切ないその剣に、リオンは手を伸ばしたが、リオンの手は剣をすり抜けてつかむことができない。
剣がほしければ、忠誠を誓って、自らの騎士となれということだろうか。
忠誠の代償としての剣、そして、麒麟を封印しているという剣であると同時に、その麒麟を討ち取ることができる剣でもある。
しかし、何よりも呪詛に犯された幼い王子を、助けることのできる唯一の道具でもあるのだ。何のためにここまできたのかを思えば、剣を受け取らずに帰るわけにはいかないだろう。
「……わかった。わたしでよければ、あなたの騎士になろう」
リオンが言えば、空気がやわらいで、男が笑ったような気がした。
「わが名を教えたが、覚えているか?」
「もちろん……」
そう言って、リオンはあごをわずかに上げると、夢の中で男が名乗った名を口にする。そして、両手を差し出せば、剣はリオンの両手に重く乗った。
その次の瞬間、リオンの周囲の大気が揺らいで、渦をなした。うなる大気の中に、リオンは獣の上げた咆哮を聞いた。そして、リオンの脇を風が走り抜け、風は金色の獣へと姿を変えると、いずこへともなく飛び去っていった。
リオンが振り返った時には、すでに何者もそこにはなく、それどころかリオンを囲んでいた白い空間に亀裂が生じた。生じた亀裂はまるで蜘蛛の巣のように、音もなく四方へと広がっていく。崩れる、リオンがそう思い身構えたその時、リオンの名を呼ぶクリフの声が聞こえた。
「リオン、いえ、わが悲願の騎士よ……」
声に驚いてリオンが振り返れば、剣の鞘を持ったクリフが片膝を付いてそこいた。リオンだけだった足跡がもうひとつ増えているのは、クリフのものだろう。緑の梢も見上げた空にも、何も変わりはなく、ただ大地に突き立っていた剣だけが、リオンの手にあった。
発する言葉もなく、リオンはクリフの手から鞘を受け取ると、剣を収める。
そして、リオンは剣を持つ手を、剣と一緒に胸に当てると、視線を上げて声を上げた。
「……聖霊王陛下、確かに剣は賜った!」
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