第十一章 忠誠と代償と 03
「……わたしは、試されているのだろう」
自嘲気味につぶやいて、リオンはふたたび足を進める。それでまたこの場に戻ってくるのなら、もう一度進めばいい。何度も何度でも、足が動かなくなるまで、それでもたどり着けないのなら這ってでも進む。
恐れるのは、このまま夢に見たあの場所にたどり着けないことだけだ。霧が晴れないでリオンを待っていてくれるというのなら、霧が晴れるまでリオンには進むしかない。思い出せない何者かの名は、その間に思い出さなくてはならないだろう。
どれだけ寛大な人物でも、限度はあるはずだ。
「急がなくては……」
しかし、そのためにはどうすればいいのか。どうすれば、何者かの名を思い出すことができるのか。
すでに何回目かわからないだけ、同じ場所を巡りながら、リオンは自問自答を繰り返す。不思議なことにどれだけ歩いても、疲労を感じなければ空腹を覚えることもない。それはリオン以外の面々も同様のようで、軽口や冗談は時折聞こえてくるものの、不平や不満の声は聞こえてこなかった。
そうはいっても、確実に時間はすぎていく。霧に閉ざされた空に、太陽の姿を見付けることはできなかったが、すでに昼をすぎていることだろう。
「少し、休憩しようか」
ディールが手折った枝が下がる大樹の前で、リオンは足を止めると溜息と一緒にそう吐き出した。リオンの言葉にエルマが食事の仕度にかかれば、クリフが魔導で火を熾す。鍋がかけられると、水筒から水を注いで、エルマはそこに手際よく具材を入れていく。味付けは塩だけだったが、量だけはあるので腹は充分に満たされる。
簡単に食事を摂って、片付けも終わると、リオンはふたたび当てもなく歩き始める。
「このまま同じところを巡りながら、気が付いたら老人になっていたりしてな」
「そなたは、老いるまで歳を取ったことに気が付かぬのか」
「いやいや、レイシアどのなら、老いても美人だと思うよ」
そう言って何度もうなずくイズヴェルに、ディールが皮肉を込めて言う。
「イズヴェルは歳を重ねても、今と変わらんのだろうな」
「それ、どういう意味だよ」
「うらやましいと言っているだけだ」
だから気にするな、と笑うディールの声に重なって、アーニャがクリフに声をかける。
「あたしとクリフは、どんな風に変わってるんだろうね」
「何も変わりませんよ」
背後で交わされる会話に、リオンは微かに苦笑をもらす。そして、傍らを歩く少年の、未来に思いを馳せる。このまま自らの従者として傍に置くか、それとも、少年は自ら歩む道を選んでリオンから離れていくのだろうか。
いかなる形であるにせよ、未来を思い描くことができることに、リオンはささやかな幸福を見付ける。
「リオンさま、何だか楽しそうですね」
「ん? そうだな……」
笑顔で見上げてくるエルマに、リオンも笑顔で返して続ける。
「ひとりではない、それが、わたしにはうれしいのだ」
たったひとりで旅立つつもりだった。それをエルマが一緒に着いていくと言ってくれて、ディールがそれに加わった。そして、レイシアが同道を申し出てくれて、イズヴェルがそれに引っ付いてきた。さらに、アーニャに出会ったことで、クリフが仲間になってくれて、旅は賑やかなものになった。
妖魔に遭遇し獣の襲撃を受けたが、リオンがひとりであったなら、その道はもっと険しく困難なものとなっていたはずだ。
「わたしは、果報者だ」
本心からそう思って、リオンが笑みを深めたその時、すぐ後ろを歩いているクリフが声を上げた。
「リオン! 霧が……!」
霧が晴れる。幾筋もの陽光が、霧を裂くように地上へと突き刺さる。白くかすんでいた緑が、リオンの近い場所のものから順番に色鮮やかに見え始める。
「そんな……っ」
待ってくれ、心の内でリオンは叫ぶ。まだあなたの元にたどり着いていない、あなたの名も必ず思い出す、だからもう少し待ってほしい。だが、リオンの思いに反して、霧は薄れていく。
「リオン、あきらめるのは、早いようですよ」
その言葉に、リオンはクリフを振り返る。
「感じませんか? きみになら、わかるはずです」
そう言われて、リオンは周囲に視線を走らせる。だが、何かを視覚に捕らえることはできない。同じように、聴覚も風の音しか拾わない。それならと、リオンは両の目を閉じて、感覚を研ぎ澄ます。すると目には見えなかった姿が、耳には聞こえなかった声を、はっきりと感じ取ることができた。
それはまるでリオンを誘っているようでさえあり、その小さな存在が、あらゆる種類の精霊なのだとリオンは理解する。
「……王が、わたしを呼んでいる」
リオンのつぶやきに、クリフを除いた全員が、いぶかしげな顔をした。だが、目を開けたリオンに、もはや一切の迷いはなかった。
*
何故、この名を思い出せなかったのだろう。今となっては、それがリオンには不思議でならなかった。ただし、今リオンを呼んでいるのは、夢の中で語りかけてきた「王」ではない。それは、リオンを取り巻くあらゆる自然に息づく、数多の精霊たちだ。
それは、枝葉の先に宿った水滴であり、きらめきながら降り注ぐ陽光であり、頬をなでる風であったかもしれない。リオンが踏みしめる大地が、リオンの見上げる天空そのものが、リオンに語りかけてくるかのようだった。
「さっきと同じところ、じゃないよな?」
森の中であるから、どちらを見渡しても、それほど代わり映えはしない。イズヴェルが不安に思うのも当然だったが、リオンには自信があった。
「確実に、目的の場所に向かっている」
「目的って、そいつは聖剣のことだよな?」
「……そうだ」
一瞬だけためらってから、リオンはイズヴェルの問いかけに肯定の言葉を返す。だが、リオンに呼びかけてきた「王」が、聖剣そのものであったのか、別の何者かであったのかはわからない。そうではない、もしかしたら、そこに聖剣など存在しない可能性だってあるのだ。
それでも、リオンは前に進む。
やがて、森の緑が途切れて、目の前に空間が現れる。木の根はもちろんのこと、草の一本さえない、むき出しの大地がそこにあった。まるで広間のようなその空間は、掃き清められたかのように、土地が均されてある。
獣の足跡ひとつないその中央に、大地から伸びるのは、黄金色に輝く剣の柄だった。そして、白銀色に映える刀身が覗いていた。
「……っ!」
言葉はなかった。
風の音も消えて、そこへ降り注ぐ陽光の音さえ聞こえてきそうなほどの静寂に、脈打つ鼓動の音が一際高く響く。
どれだけの間、そうして佇んでいただろうか。静寂を破ったのは、クリフのささやきだった。
「リオン、お行きなさい……」
「……」
「ここまできて、待たせるのは無礼ですよ」
そう口にしたのは、クリフであってクリフではない何者かであったかもしれない。何の感情も読み取れない、仮面のような表情をして、クリフは紫の瞳でリオンを見返してくる。他の面々はと見渡せば、誰もが一様にリオンを見つめている。
もう一度、クリフに視線を戻して、それからリオンは大地に刺さる剣を振り返る。
目を閉じて、大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。そして、ふたたび剣を視界に捕らえる。
畏怖と戦慄、それに緊張からリオンは身体を震わせ、願望と希求、それに渇望からリオンは身体を動かした。
真新しい大地の上に、最初の一歩を踏み出す。リオン以外の何者も踏んだことのない大地に、足跡を刻んでいく。一歩、また一歩と足を運んで、リオンはその前に佇立する。




