第十一章 忠誠と代償と 02
リオンの一言で、今夜の野営地が決定する。
野営に必要な薪を、ふたたびリオンがイズヴェルとレイシアと共に拾いに行く間、クリフがディールとアーニャの傷を魔導で癒やす。その前に水で濡れた身体を温めるために、リオンが熾した炎は魔導によるもので、リオンが魔導を覚えて初めての使用になる。
「なかなか、筋がいいですよ」
本音か立前か、クリフはそう言って賛辞をくれた。
そして、慌ただしく夜を迎えて、エルマの様子がおかしいことにリオンは気が付く。黙々と夜食の仕度を進めてはいるが、どうやら落ち込んでいるようだった。湖に魚がいるかもしれない、そう言い出したのはエルマで、その結果がディールとアーニャに怪我を負わせたと自らを責めているのだろう。
薪を拾いに行く前も、ごめんなさい、とディールとアーニャに詫びていた。もちろん、ふたりともエルマを責める言葉を口にはしなかった。水中に妖魔が潜んでいたなどと、誰に想像することができただろうか。
「エルマが気に病むことはない」
使い古された常套句でなぐさめてみても、エルマは笑顔を見せない。そんなエルマを尻目に、イズヴェルがたき火に枝を放り込みながら口を開く。
「ところで、ずっと気になっていたことがあるんだけど、クリフは何だって水の中に入ったわけ?」
「そんなの、あたしを助けようとしてくれたのに、決まってるさ」
答えたのはアーニャで、クリフはといえば、ふて腐れたような顔をしている。
「村長には世話になりましたからね、その娘であるアーニャを無事に帰すのは、ぼくの義務のようなものです」
「助けようとしたことは、否定しないのか?」
明らかな揶揄を込めてディールが口にした言葉に、アーニャが表情を輝かせる一方で、クリフはますます機嫌が悪くなる。そんなクリフに、ディールは意地の悪い笑みを見せると、言葉を続ける。
「だったら、いっそのこと、好きだと肯定してみたらどうだ?」
「ちょ、ちょっと……な、何言ってんのさ」
わずかに頬を朱色に染めて動揺を示すアーニャを、レイシアが目を細めて見守る傍らで、イズヴェルが愉快そうに声を押し殺して笑っている。エルマは表情の選択に戸惑っているようで、視線をさまよわせた結果リオンを見上げてきた。リオンにしても、どう対処すればいいのか、誰かに聞きたい気分である。
そして、当事者であるクリフは、盛大な溜息をもらすと、目を閉じたまま言葉を紡いだ。
「ぼくは、色恋沙汰に興味ありませんから」
「つまんない人生だな」
そう言ったのはイズヴェルだったが、クリフはそれに対して、冷ややかな笑みを浮かべると答えた。
「ぼくは、ぼくの血統を残すことは、おそらく許されないでしょうから……」
それだけ言うと、今日は疲れたので休ませてもらいます、とクリフは背中を向けた。薄い一枚の毛布を楯に、クリフは一切を拒むようにして、そのまま大地に横になる。
誰も何も言わなかったが、クリフが抱える孤独を垣間見たのではないだろうか。ただし、その孤独が何によるものであるのかを理解できたのは、リオンだけであったかもしれない。
こうして、夜は静かに更けていった。
*
その翌朝、森は深い霧に包まれていた。湖から立ち上ったのか、森の中からわき出てきたのか、とにかく互いの顔がわかるだけで、右も左も白一色の世界に変わっていた。
「……進むのは無理だな」
そう判断を下したのはディールで、その意見には誰もが賛成だった。ディールもアーニャも、クリフの治癒の魔導で傷は癒えたとはいえ、この濃い霧でははぐれてしまう可能性もある。不本意ではあるが、少なくとも霧が晴れるまではこの場に留まるのが賢明だろう。
しかし、リオンはそれらの意見に否を口にした。霧に包まれた光景は、リオンがクリフから魔導の伝授を受けた夜に見た、夢の中の光景に似ていた。だからそれがどうしたと言われてしまえば、それまでであったかもしれない。だが、霧に包まれたことで、それまでは見えてこなかったものが見えるような気がした。
「おそらく、この向こう……」
周囲をぐるりと見渡して、リオンは一方を指差した。昨日は気が付かなかったが、木々の並びは夢の中で見たのと同じなのではないか。それとも、リオンがそう思いたいだけなのだろうか。
理由も根拠もなければ、確証もない。信じられるのは、己の直感だけでしかない。だが、それでもリオンは、霧の中に一歩を踏み出した。
「リオンさま、危なくないですか?」
リオンの馬の手綱まで引いて、エルマがリオンのとなりに並んで言う。心配そうに見上げてくる少年に、大丈夫だとリオンは答えて見せるが、笑みを向けてやる余裕はなかった。
「せめて、明かりを……」
そのクリフの言葉と同時に、周囲が淡く照らされる。
常に先頭を歩いてきたディールを殿にして、その前をイズヴェルが歩いて、イズヴェルの前をレイシアとアーニャが並んで歩く。
クリフがかざす小さな明かりしかなかったが、リオンの足に迷いはなかった。目覚めた時には半分も覚えていなかったはずの夢の内容、それが一歩一歩進めていくうちに、リオンの脳裏に少しずつ甦り始める。そして、その夢の記憶が、リオンに新たな一歩を踏み出させてくれる。
「リオン、ここはどこなんだ?」
背後からは、イズヴェルのそんな声が聞こえてくる。
ここがどこなのか、自らがどこに進んでいるのか、そんなことはリオン自身にもわからない。だが、この先に、リオンを待っていると言った何者かがいる。その何者かは、リオンの夢の中で何と名乗っていたか。それ以外のことはすべて思い出すことができるのに、何者かが名乗った名だけがどうしても思い出すことができない。
「リオンどの、ここは先ほど通った場所だ」
ディールの指摘に、そんなはずはないと思いながらも、リオンは足を止める。
「この枝は、おれが折ったものに、間違いない」
「それって、堂々巡りしてるってことになるじゃないさ」
「やはり、リオン卿、霧が晴れるのを待ってはどうじゃ?」
ディールに加えて、アーニャだけでなくレイシアまでもが、リオンに再考を求めてくる。それに瞑目すること一瞬、リオンは首を横に振った。
「いや、このまま進もう」
「そんで、またここに戻ってくるというわけだ」
皮肉と厭味のこもったイズヴェルの言葉に、リオンは視線を振り返らせはしたが、言葉にしては何も言わなかった。そのまま無言でリオンが歩を進めれば、何のかんのと言いながらも、イズヴェルはリオンの後を着いてくる。
そして、しばらく歩いて気が付けば、ディールが手折ったという枝の下がる場所に出る。ほれ見たことか、言葉ではなくイズヴェルは肩をすくめることで訴えてくる。だが、こうも正確に同じ場所を巡っているというのも、この場所に何かがあるからではないか。
「結界が張られてあるようでもないのですが……」
そう言って、クリフは首を傾げてから続ける。
「リオンには、何か思い当たることでもあるのですか?」
「この場所は、夢の中でわたしに呼びかけてきた、何者かがいた場所だ」
「何者、とは?」
「それだけが、どうしても思い出せない」
だから、前に進めないのではないか。
「クリフどの、聖剣を作ったという魔導師の名は、何と言われる?」
「……マーハルシャイン」
しかし、リオンはその名に覚えがなく、首を横に振った。
おそらく、この霧が晴れてしまったら、リオンを夢の中で呼んだ何者かが待つ場所には、たどり着けなくなるのではないか。
そんな恐怖がリオンを襲う。
リオンを呼んだ何者かが、本当に聖剣それ自体であったのか、それとも聖剣を作った魔導師であったのか、リオンに知る術はない。それでも、その何者かはリオンを待っていると言った。そして、夢と同じ場所にリオンはいるのだった。




