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第十章  試しの森 03

 背後に狐狸こりのうなり声を聞きながら、食事をする。襲ってはこないとわかってはいても、落ち着かないものであるらしく、エルマとアーニャはしきりに繁みの方を気にしている。リオンにしても愉快ではないし、森に踏み入るためには、狐狸を何とかしなければならない。

 食後の茶をすすりながら、リオンは背後を振り返ると、茶の香りを楽しんでいるクリフに言う。


「背後の狐狸を退ける方法は、何かあるのだろうか」

「さあ、狐狸は他の獣とは違って、炎を恐れませんからね」


 しかも試しの森に棲まう狐狸であれば、その傾向はより一層顕著だろう、クリフはそう言って茶を口に含む。


「つまり、強行突破するしかないのか」

「野蛮だね」


 ディールの発言に、イズヴェルが首を横に振って応じる。その向かいで、優雅な手付きで茶を飲むレイシアが言う。


「場所を変えれば、事態は変わるのではあるまいか?」

「そうさ、何もここからでなくてもいいんだしさ」


 レイシアとは対照的に、豪快に碗を傾けて中身を飲み干したアーニャがそう言って、結論を求めるようにリオンをにらんでくる。エルマもリオンを見上げて、どうするのか、と無言で問いかけてくる。

 碗の中で揺れる液体に映り込んだ、自身を見つめて黙考することしばらく、リオンは決然と顔を上げて言う。


「ここから、森に入ろう」

「ですけど、リオンさま……」


 続く言葉を飲み込んで、エルマは背後を振り返ると肩を揺らした。そんなエルマの頭に手を置いて、リオンは自らに言い聞かせるように言う。


「ここまできて、逃げたくないのだ。逃げることを覚えては、立ち向かう勇気を喪失してしまいそうで、わたしには怖い」

「逃げることも勇気だと、おれは思うけどな」


 イズヴェルの意見も、もっともであるが、今はまだその時ではない。

 背後でうなる獣を視線で薙いで、リオンが立ち上がれば、ディールが不敵に笑ってリオンに続く。次いでレイシアが剣を片手に腰を上げれば、イズヴェルがひとつ溜息してから碗と匙を手にしたまま重い腰を上げる。それにはアーニャが弓に矢をつがえてやる気を示せば、エルマを促して片付けを始めたクリフが、頑張ってくださいね、とのん気に言う。


「あのさ、あんたの魔導でもって、あいつらを追い払うってのは、ないわけ?」

「イズヴェルには悪いですけど、ぼくとしては、魔力は可能な限り消費したくないのですよ」


 これから先、どんな不測の事態が生じるか知れない。その時、魔力の不足が原因で、取り返しの付かない事態に陥ったとあっては、悔やむに悔やめない。

 クリフにそう言われれば、イズヴェルとしても覚悟を決めるしかないようで、それじゃやりますか、とイズヴェルらしい軽い口調で言う。そんなイズヴェルに、いいことです、と返したクリフがリオンを呼んだ。


「リオンも、相手は妖魔でありませんから、無駄に魔力を使用しないでくださいね」

「わかっている」


 クリフの忠告に短く答えて、リオンは剣を抜くと、森へ向けて一歩を踏み出した。その横にディールが並んで、レイシアとイズヴェルが続く。アーニャは森の外から、援護射撃をするために、リオンには着いていかない。





 目には見えないだけで、境界線は確実に存在するようだった。狐狸を一匹薙ぎ払うことで作った空間に、リオンが足を踏み入れた瞬間、身体がふわりと浮き上がるような、いやな感覚がした。片足を大地に着地した次の瞬間には、覚えた不快な感覚は消えていた。

 それとも、襲ってきた二匹目に気を取られて、気が付かないだけであったか。

 横から跳びかかってきた狐狸を、リオンは身をひねってたたき伏せる。落ち着き払ってのどかに昼食を楽しんでいた間に、狐狸の数が増えてしまったのではないか。そう思ったのはリオンを含めた全員のようで、あちらこちらから、それぞれの声が聞こえてくる。


「食後の運動にしては、重すぎる」

「何ぞ、薬にでもならぬものであろうか」

「こいつら、後で汁物にして食ってやろうか」

「それって、美味いわけ?」


 そして、最後に、未だ森の外にいるクリフが言った。


「こちらの片付けは終わりましたよ」

「こちらも終わった」


 敵わないと悟ったのか、戦意を喪失した狐狸は鼻を鳴らして森の奥へと立ち去っていく。リオンが剣を払って見せれば、最後の一匹も背中を見せた。


「さすが、リオンさまです!」


 狐狸の一団が消え失せれば、森はふたたび静けさを取り戻す。エルマの手から手綱を受け取って、リオンはその背にまたがる。

 馬の背に揺られて、ディールを先頭にして森へと踏み入って行く。


「……リオンさま、何だか気味の悪い森ですね」


 となりでエルマが眉をしかめるのに、リオンは無言でうなずいて賛意を示す。

 森を渡る風が揺する梢の音と、枝や草を踏む音以外に、この森には音がない。鳥の鳴き声もなければ、獣の咆哮も聞こえてはこない。


「生物の気配が、まるでしない」


 しかし、気配を感じないだけで、獣は確かに存在する。それは、すでに狐狸が証明している。

 大樹の陰か草むらの中に潜んでいるのかもしれないし、大地の起伏に身を隠しているのかもしれない。それとも、はるか頭上の枝の先に翼を休めているのかもしれない。

 五感では感じ取れない敵に対して、警戒するのは想像以上に精神を消耗させられる。いつどこから、何が襲ってくるのか知れないのだ。頼りになるのは、クリフが放っている精霊から得る情報だけしかない。その心許なさに、リオンの視線は忙しなくなる。魔導が使えるようになったとはいっても、クリフのように高位の精霊を自らの手足同様に扱えるわけではない。


「この先に、水の流れがあるようです。そこで少し休憩にしませんか?」


 昼食を摂ってから、時間はそれほど経ってはいないはずだ。休憩するにしても、早すぎはしないだろうか。リオンが指摘すれば、クリフは珍しく緊張した表情で言った。


「この森では、何が起きるかわかりません。休める時に休んでおいた方が、賢明かもしれませんよ」


 その言葉に、わかった、とうなずいてから、リオンは前を行くクリフに問いかける。


「それで、道はこれで合っているのだろうか?」

「さあ、どうでしょうね。道などありませんし、聖剣がどこにあるのかなんて、ぼくは知りませんからね」


 そう言って、最後にリオンを振り返ると、クリフは意地の悪い笑みを見せる。


「案内すると、クリフどのは言われなかったか……」

「言いましたね」

「だったら……」

「ただし、聖剣から発せられているだろう魔力を、感じ取ることができたら、という意味です」


 そんなことは聞いていない、それを口にしてみたところで、今さらだろう。あきらめの感情を深い溜息でリオンが表わせば、クリフはさらに笑みを深めて言う。


「簡単に聖剣を手に入れられるなどと、思わないでくださいね」

「聖剣はそれでいいが、目的の水場には簡単にいけるのだろう?」


 そう言ったのはディールで、水場までの安全を確認しているのだ。


「今のところ、獣の姿はないようですよ」

「今のところって……まるで一寸先は闇だな」


 クリフのとなりを行くイズヴェルが溜息すれば、それを聞いたレイシアが、イズヴェルを振り返って言う。


「そなたの行く末には、闇しか広がっておらぬのであろうから、今さらなげくこともあるまい」

「おや、レイシアどのは、おれの行く末を案じてくださるので?」

「巻き込まれるこちらの身を案じておるだけじゃ」

「ふむ、おれとレイシアどのは、一蓮托生というわけだな」

「誰もそこまでは申しておらぬ」


 そんな遣り取りがなされている間に、水の細く流れる音が聞こえてくる。

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