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第九章  王者の剣 04

 

「それが何故あなたたちの悲願であるのか、それは聞いてもかまわないだろうか」


 どこかから風に乗って、オオカミの遠吠えの声が長く尾を引いて聞こえてくる。声の大きさからして、ここからはまだ遠いようだったが、こちらに向かってこないとも限らない。リオンが警戒を強めたことがクリフにもわかったのか、結界を張りましょうか、と申し出てくれる。

 結界を張って空間を切り取ることで、オオカミに備えようというのだろうが、相手が妖魔であるのならともかく、ただの野生の獣を相手にそこまでする必要はない。リオンはゆるく首を横に振って、それを伝えると言葉を続けた。


「聖剣を手にすることで世界を混乱に陥れる、それがアシュタールの悲願だったというのだろうか?」


 リオンの問いかけに、違いますよ、とクリフは苦く笑って、肩から落ちそうになる毛布を直す。


「妖魔に怯えることのない世界、それがアシュタールの国を作った魔導師の願いです。そして、それを叶えることが、ぼくたちの願いでもあるのです」

「……」

「もちろん、リオンに聖剣を手にすることができるかは、わかりません」


 そう言って皮肉げにゆがめられるクリフの口元から、リオンは視線を逸らしてたき火の炎へと移す。夜の闇を照らす唯一の明かりが、リオンの心を映したかのように揺らぐ。


「ただ、リオンは違う」


 クリフの言葉の中に、あるいは語る口調の中に、確固たる意志のようなものを感じて、リオンは顔を上げる。わずかに何かを期待して、リオンはクリフに向き合う。


「わたしの何が、何と違うと言われる」

「きみは聖剣がいかなるものであるのかを、知ったのです。何も知ることなく、己の欲望のままに聖剣を求めてきた過去の誰とも違って、きみは聖剣に対して畏れることを知っています」


 それは、リオンが期待した答えとは違っていたかもしれない。そんなリオンの胸の内を読んだわけでもないだろうが、クリフは意地悪く笑うと言葉を続けた。


「ぼくは、聖剣を手にする者が、きみであったらいいと、そう思うのですよ」


 そこに深い意味も理由もない、クリフはそう言って、リオンの代わりにたき火に枝を放り込む。


「だから、というわけではありませんが、リオン、魔導を覚えてください」

「まだ聖剣を求めると決めたわけではない」

「だったら、引き返しますか?」


 そう問われれば、リオンとしては返答に窮する。


「リオン、難しく考えることはないのですよ。麒麟を討ち取ることのできない者に、聖剣を手にすることはできないのです。つまり、聖剣を手にすることができるということは、麒麟を討ち取ることができるということです」


 そして、その判断を下すのは、剣に宿る魔導師の意志なのだとクリフは言う。


「それにね、リオン、聖剣とは関係なく、魔導を覚えて損はないと思いますよ?」


 クリフから言われて、リオンに思い出されるのは帰らずの森での一件だったか。あの時、リオンに魔導が使えていたなら、襲ってきた兎鬼ときの群れを、もっと早くもっと簡単に追い払うことができていたかもしれない。そうしていれば、エルマが蜘蛛百合草の毒に冒されることも、なかったかもしれないのだ。

 もしもリオンに魔導が使えたなら、クリフにあの村で出会うこともなかったのだろうか。

 今はこうしてクリフという魔導師がいる。リオンが魔導を覚えたところで、クリフの足元にも及ばないだろうが、クリフとて常に万全ではいられないことも証明された。

 このまま旅を続けるのであれば、七人の中でもうひとりくらいは、魔導の使える者がいてもいいのではないか。リオン自身にも、まるで興味がないわけでもない。


「……わたしは、何をしたらいい?」

「何、とは?」


 本気でわからないらしく、不思議そうに目を瞬いてクリフは首を傾げる。リオンは溜息でごまかすと、視線を明後日の方向へとやって口を開く。これまで散々拒み続けて、今さら魔導を習いたいと言うには、やはりどこかはばかれる。


「……魔導を覚えるには、何から始めればいいのかと問うている」


 一言で表現すれば、照れくさい、ということになるのだろう。だが、クリフはリオンのそうした心情を、一笑に付して言う。


「何も、ただ、ぼくの手をにぎってくれるだけでかまいません」


 そのクリフの言葉に、今度はリオンが首を傾げる。そんな簡単に魔導を覚えることが可能なのだろうか、と疑問に思うリオンに、クリフは人が悪いというにはどこか危険な笑みを浮かべて言う。


「少しばかり強引で乱暴なやり方ですけど、リオンの内にぼくの魔力を注いで、無理矢理覚醒させるのです」


 リオンほどの騎士であれば耐えられるだろうし、時間の短縮にもなる。さすがに怯むリオンに、クリフは事もなげにそう言って、毛布の下から右手を伸ばしてきた。

 およそ労働とは無縁であるのだろう白い手と、目を細めて見返してくるクリフの顔を交互に見やって、リオンはためらいから右手をにぎりしめる。


「たき火なら、ぼくが見ていますので、心配はいりませんよ?」


 時間がくれば次の当番であるディールも、自分が起こすからリオンは朝まで眠っていればいい。オオカミの遠吠えも聞こえなくなったので、そちらの不安もなくなったと、それが当然のようにクリフは言う。だが、リオンが案じるのは、もちろん別のことだ。


「朝になっても、目が覚めないということはないのだろうか?」

「それはありませんよ。このぼくが付いているのですから……」


 自信に満ちたクリフの顔には、一切の迷いは感じられなかった。後はリオンの問題で、クリフを信じることができるかどうかだ。

 ためらうことしばらく、リオンはクリフの右手に、自身の右手を重ねた。





 あれからどうなったのか、リオンの記憶にはない。

 クリフの掌に自身の掌を重ね合わせた、リオンの記憶にあるのはそこまでだ。眠っていた間に、何か夢を見ていたのは確かだが、内容も含めてリオンは覚えていない。クリフの呼びかける声音で目を覚ました時には、すでに夜が明けていただけでなく、朝食の仕度まで整っていた。

 ただし、身体は鉛でも飲んだのではないか、そう思えるほど重くあったし、喉がひどく渇いてもいた。全身にかいたいやな汗で、衣服が身体に貼り付くのが気持ち悪い。到底自分のものとは思えない身体を、エルマの手を借りることでどうにか引き起こす。


「リオン、水です、飲めますか?」


 その言葉と一緒に、クリフが差し出してくれた碗をリオンは震える手で受け取る。中身の水がこぼれなかったのが不思議なくらいで、リオンは流し込むようにそれを飲み干して、大きな息をひとつ吐き出した。


「リオンさま、大丈夫ですか?」


 リオンの手から碗を引き取りながら、エルマは今にも泣き出しそうな顔をしている。エルマを引き取って三年、リオンは一度としてエルマの前で弱さを見せたことはない。泥酔するほど酒を浴びたこともないので、醜態も失態もさらしたことがない。熱を出して寝込むようなこともなかったので、病臥する様も見せたことがない。

 帰らずの森では気を集中させすぎた上に、魔力を枯渇させて身体をふらつかせはしたが、エルマはその時意識はなかったのでそうしたリオンを知らない。


「大丈夫だ……」


 無理に作った笑顔で、リオンが頭をなでてやれば、エルマもようやく笑顔を見せた。だが、食欲のあろうはずがなく、リオンはそのままふたたび横になると目を閉じた。沢に降りて身体を拭きたいところだが、指の一本も動かすことが億劫に思えば、それはあきらめるしかないだろう。


「まったく……人が気持ちよく眠ってる傍らで、何をやってるんだかね」


 そう言ったのはイズヴェルで、その口ぶりから察するに、どうやらリオンの身に何が起きたのかを知っているようだった。

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