第九章 王者の剣 03
枝を半分に折ってから、リオンはそれをたき火に放り込む。夏でも冷える山の中であるから、たき火の炎も苦にはならない。もう一本、新たな枝を取るとそれも同様に炎の中に放る。さらに数本をくべたところで、クリフが身じろぐ気配がして、顔を上げた。
「起こしてしまっただろうか」
リオンが問えば、いいえ、とクリフは首を横に振る。
「何だか寝付けなくて、起きていましたから」
眠っているようにしか見えなかったのだが、どうやら起きていたらしい。驚いたのが表情にでも出ていたのか、リオンを見返してクリフは悪戯に成功した幼児のように笑うと上体を起こす。地面の上に座り直して、毛布を肩にかけ直しながらクリフが言う。
「寝たふりをするのは、得意なのですよ」
そうしないとエフロフとリィザが無用の心配をしましたから、何かを懐かしむような口調でクリフはそう付け加えた。ただし、その紫の瞳はどこか哀しげで、痛みに耐えているようにも見えた。もしかしたら、祖国を捨てたむかしを思い出しているのかもしれない。
己の身の行く末を考えて、眠れない夜を何度も経験してきたのではないか。だが、それをいうのなら、クリフの現状はほとんど何も変わっていない。リアンデル王国の騎士に知られれば、その場ですぐに取り押さえられる立場にクリフはある。ただ、アシュタール王国の魔導師、というだけで、捕縛の対象なのだ。
「さて、リオン、ぼくの心配をするよりも、自身の行く末を心配した方がいいと思いますよ」
「……」
「結論は、まだ出ませんか?」
揶揄する表情から真摯なそれへと変えて、クリフがリオンを見返してくる。決断を迫るようなその眼差しから逃げるように顔を背けて、リオンはたき火に枝を放る。
降りた沈黙に枝を揺する風の音が通りすぎて、リオンは顔を上げることなく口を開いた。
「あなたがイズヴェルなら、あなたの言葉を疑うこともできたはずなのだ」
「そういう言い方は、きみらしくありませんよ」
リオンなら相手がイズヴェルであっても、疑う真似はしないでしょう、続いたクリフの言葉の後に、イズヴェルのくしゃみが重なった。それにリオンとクリフが、同時に苦笑をもらす。
イズヴェルが起きないのを確認して、リオンは夜の闇に向けてつぶやく。
「聖剣を守護していると信じられてきた麒麟が、実はそうではなく、妖魔だったなどと誰が信じるのか」
それが、リオンがクリフから聞いた真相だ。麒麟は聖剣を守護しているのではなく、聖剣によって拘束されている。だから、そこから逃れることができない。
「麒麟とは、生きた虫も、生きた草も踏むことをしない聖獣だと教えられた」
「それを逆に言えば、麒麟の傍近くでは、虫も草も生きていることができないということです。だから、踏むことができない」
リオンのつぶやきに、手厳しい答えを返したクリフがさらに言葉を続ける。
「わがアシュタールに伝わる、建国の神話です」
神話が歴史で、歴史が神話であった時代、妖魔は人間と世界を同じくしていた。そこへ現れたひとりの魔導師が、妖魔を人間とは別の空間へと追いやった。こちら側に取り残された妖魔は、魔導師が己の魔力を形ある剣に変えて封じた。
その後、魔導師は自らを王と名乗って、妖魔を封じた地に国を築き、魔導の業を残した。
「それがアシュタール王国で、歴代の王たちは、妖魔の封じられた土地を見守り続けてきたのです」
「……」
「そして、初代国王となった魔導師、その魔導師が残した意志を受け継ぐ者が現れることを、ぼくたちは待ち続けてきたのです」
注がれる視線にリオンが顔を上げれば、恐ろしいほど真摯な表情をしたクリフがいた。夜の闇を背景にして、たき火の炎が照らすだけであるのに、近寄りがたい雰囲気を作り出す。
一瞬だけ目にした錯覚を、軽く首を横に振ることで払うと、リオンはクリフと正面から対峙して言う。
「だが、聖剣を手にすれば、封印が解ける。封印された今でも、同胞を喚ぶために空間を切り裂けるほどの力ある麒麟が、封印を解かれて自由を手に入れたなら今以上に妖魔は現れることになる、そう言ったのはクリフどのだ」
覚悟が試されている、クリフがそう言った意味がここにある。
妖魔は色を持たない漆黒の肢体をしている。実際に目にした者はいないということだったが、麒麟は金色に彩られているという。それは、麒麟の力が他の妖魔とは別格であることの証であるのだろう。
果たして、どれだけの強さを有するのか、誰にも推し量ることさえできない存在を自由にすることは、許されることなのだろうか。
妖魔を喚んだ招喚陣でゆるんだ空間は、時間が経てば元に戻る。その程度のことを気に病むようでは、麒麟を解放することはできないだろう。そして、それができないということは、聖剣を手にすることができないということだ。
「きみが聖剣を手にすることができなければ、リアンデル王国の王子は身罷り、きみが聖剣を手にすることができれば、この世界は妖魔であふれることになるのでしょう」
前者に転べば厄は、アシュタール王国とエイドリア王国を含む、リアンデル王国が被ることになるだろう。だが、後者の場合はもっと広い範囲で厄は起きることになる。どちらがより災厄が小さいか、それは考えるまでもなく明らかだ。
「リオン、ぼくはこうも言いましたよ。呪縛から解放された麒麟を、討ち取ることができれば、この世界には妖魔が現れることはなくなるのだと……」
そこに一縷の望みを見付けてしまったからだろうか、聖剣をあきらめて王都へ帰還するという選択肢を選べずに、リオンは迷いながらも前に進もうとしている。
しかし、この自分に麒麟を討ち取ることが可能だというのだろうか。
「ひとりでは無理でしょうね」
リオンの問いにクリフはそう答えて、意地悪げに笑って続ける。
「ですが、ぼくはきみの味方です。そして、ぼくはそうあり続けたいと思っています」
麒麟を解放した責任は共に負う、ということだろうか。だが、それでも、自ら作り出してしまう未来を思うと、リオンの覚悟は揺らぐ。
そんなリオンを嘲笑うかのように、クリフがさらに言葉を重ねる。
「それから、リオン、王に聖剣を進言した魔導師は、聖剣にまつわる秘密を知っているはずです」
あくまでも推測の域を出ないが、おそらくそうだろうとクリフは続けて、リオンを驚かせる。シュメールの青白い顔を思い出すリオンに、クリフは暗く沈んだ表情で、微かに声を震わせる。
「王子にかけられた呪詛を解くのは聖剣しかない、そう言えば王は聖剣を求めるでしょう」
「……」
「その魔導師、シュメールと言いましたか、彼にはリオンが聖剣を持ち帰ろうが持ち帰るまいが、どちらでもいいのですよ。何故と言って、どちらであろうとも、リアンデル王国に対して一矢報いることができるのですから……」
「一矢報いる、とはどういう意味だろうか?」
「言葉のままです、リオン」
それは、クリフはシュメールを知っているということだろうか。そのリオンの問いかけに、クリフは悲しげに笑っただけで、言葉にしては何も答えなかった。そして、いつの間にか消えかかっていたたき火に、クリフは手を伸ばして枝を放り込んだ。
勢いを回復した炎から視線を上げて、沈黙するリオンにクリフが語りかけてくる。
「言っときますけど、リオン、きみに聖剣を手に入れることができると、決まっているわけではありませんよ?」
リオンとしても、決まってなどいてほしくはない。
「聖剣を受け取ることができるのは、それを作った魔導師に見初められた者だけなのですから……」
そう言って、クリフは目を細めた。




