第九章 王者の剣 02
いやな笑い方をする、ふたたび足を動かして、通りを歩き始めたリオンはわずかに眉を寄せて、となりを歩くクリフを見返す。編んで胸の前に垂らしていた長い栗色の髪を、背中に払うとクリフは声を潜めて語り始めた。
すれ違うだけの者には、会話する声は聞こえても内容まで理解できないはずだ。それでも、誰かの耳に触れることを恐れてでもいるかのように、クリフはささやくような声で言う。
「その玉は、リオンの居場所を把握するためのものですよ」
そう言われて、リオンは掌の玉に視線を落とす。
己の魔力の中に精霊を一体封じ込めて作られた玉だということだったが、もちろん誰にでも作れる代物ではないらしい。精霊に呼びかけて、返ってくる声の方角と距離から、相手のおおよその位置を推し量ることができるのだとクリフが教えてくれる。
便利だな、ディールが短い感想を口にするが、リオンとしてはシュメールに見張られているような気がする。それとも、信用されていないのだろうか。
「純粋に知りたかったのだと思いますよ」
「……?」
「リオンに聖剣を手にすることができるのか、そのシュメールという人は、知りたいのでしょうね」
しかし、それならリオンの帰還を待てばわかることだ。
「誰よりも早く知りたいのではありませんか?」
リオンの指摘にクリフはそう答えたが、何故誰よりも早く知る必要があるのか、という問いには肩をすくめただけで、クリフは何とも答えなかった。ただし、持っていても害はないと、クリフは保証してくれた。
そして、話題はリオンが目指す聖剣へと移れば、シュメールの意図を疑いながらも、リオンは玉をポケットに戻す。微かな衣擦れの音が、いやに大きく聞こえたのは、クリフの言葉に耳を傾けている全員の緊張が成したことであったか。
玉を戻したリオンがクリフに視線を向ければ、クリフは一瞬だけ周囲に視線を走らせてから口を開いた。
「リオン、きみはまず、知らなければならないことがあります」
「……」
「聖剣を手にすることが何を意味するのか、ぼくが覚悟と呼んだものが何であるのか。そして、それを知ってなお、きみが聖剣をあきらめないというのなら、ぼくがその場所へきみを案内します」
そうやって、語られたことは、リオンだけでなくこの場の誰もが初めて耳にすることだった。
カユタユの町はいつの間にか通りすぎており、街道の左右には緑の水田が広がっていた。太陽は中天を指しており、イズヴェルの提案で昼食を兼ねた休憩を取ることにする。
クリフの語る言葉を徒歩のままで聞き、その歩みは言葉が進むごとに重くなった結果、本来の予定よりも遅れてしまった。
「怖くなりましたか?」
水田の中にある小さな水車小屋を見付けて、そこの軒先を借りる。規則正しく回る水車の音を背景に、クリフはそう言ってから、水筒を傾けて水を飲んだ。
「引き返すのも、ひとつの勇気ですよ」
「だが、それでは、この国の行く末はどうなるか」
「それは、リオンが考えるべきことではないでしょう」
王もリオンにそう言った。だが、リオンが聖剣を持ち帰ることができなければ、呪詛に犯された幼い王子は身罷ることなるだろう。唯一の後継者を失えば、おそらく、この国は乱れることになる。アシュタール王国とエイドリア王国、このふたつの王国を併合して膨れ上がったリアンデル王国にとって、後継者の問題は小さくない。
長い戦乱の時代を経て、ようやくひとつに落ち着いたのだ。それとも、祖国を奪われた者たちにとって、ふたたび訪れるだろう混乱こそが、歓迎されるのだろうか。
「……クリフどのなら、王子にかけられた呪詛を、解くことができるのではないか?」
それが成れば、リオンが聖剣を持ち帰る必要はなくなる。だが、クリフはリオンの期待に、首を横に振ってみせる。
「宮廷魔導師長が無理だと言ったのでしょう? それをどうして、一介の魔導師風情に可能だというのですか?」
「あなたは、ただの魔導師ではない」
「買いかぶりすぎですよ、リオン」
そう言ってクリフはそれ以上の追求から逃れるかのように、リオンから視線を逸らして、水筒に口を付ける。その様にリオンが口を噤めば、それまで黙って聞いていたアーニャが口を開いた。
「けどさ、クリフって、リオンでも知らないようなこと、普通に知ってるじゃないさ」
どこか不安そうな表情と口調をしてみせるのは、アーニャがこれまで知らなかったクリフに戸惑っているからだろうか。
そんなアーニャにクリフは不敵とも取れる笑みを向けただけで、口に出しては何も答えなかった。そして、その代わりではないだろうが、ディールが真顔でクリフに問いかける。
「おれには、どうもリオンどのに聖剣を取らせようとしているように聞こえたが、違うか?」
「もちろん、ぼくはそう言ったつもりですよ」
否定することなく、あっさりと認めてクリフはリオンに笑みを向けてくる。まるで挑発するようなその笑みからリオンが視線を逸らせば、エルマが仕度した昼食の碗を、誰よりも早くに受け取ったイズヴェルが匙の先をリオンに向けて言う。
「つまり、クリフは、リオンになら聖剣を手に入れることが、可能だと思っているわけだ」
「さあ、それはどうでしょうね」
今度も肯定するものだとばかり思ったが、クリフは明言を避けた。だが、言葉には続きがあって、クリフは目を閉じると、誰にともなく語りかける。
「ただ、聖剣を手にする者の存在は、アシュタール王国にとっての長い間の悲願でもあるのです」
*
それを、悲願だとクリフはリオンに語った。
分け入った山の中、陽が沈むのに合わせて野宿の場所としたのは、沢の近くだった。この小さな流れが、越えてきたリムル川に合流するのかもしれない。感慨深く思いながら、冷たい沢の水で昼間の汗を拭って、アーニャが摘んできた山菜を、エルマの給仕で腹を満たしたのはつい先刻前のことだ。
木々のすき間から覗く狭い空にも、星が明滅しているのが見える。小さなたき火を囲むようにして眠る仲間たちの、規則正しい寝息と時折爆ぜる炎の音を聞きながら、リオンは何度目とも知れない溜息をもらす。
「聖剣、か……」
試しの森に眠っている、それだけしか知らなかったリオンに、クリフはそれ以上の知識をくれた。そして、それでもまだ聖剣を望むのか、とリオンに問いかけてきた。その答えをリオンはまだ出せないまま、こうして明日には山を越えようとしている。
登ってきたのとは違う道を下ったそこは、かつてアシュタール王国と呼ばれた土地である。
クリフが逃げ出してきた、逃げずにはいられなかった土地だ。そこへふたたび足を踏み入れることを、何と思っているのか、薄い毛布一枚にくるまって眠るクリフの横顔からは、何も読み取ることはできない。
「代償なくして得られるものなど、何もないのですよ」
クリフが語った言葉が、リオンの脳裏に甦る。
「だが、代償が大きすぎるのではないか」
「それだけの力を、得ることができるということです」
リオンが口にした危惧に対して、クリフはそう言ってから続けた。
「そして、その先にこそ、ぼくたちが求めてきた世界があるのです」
ぼくたち、クリフはあえてそう言ったのだろうが、ぼくたちという複数形が、誰を含んでいるのかを聞くことはリオンにはできなかった。ディールもイズヴェルも、そしてレイシアも何も口にはしなかったが、もしかしたら、クリフが誰のことを言わんとしていたのか、わかっていたのかもしれない。
そうであるのなら、エルマとアーニャも、何かを感じ取っていることだろう。




