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第八章  襲来 05

 妖烏よううが両翼を動かすことで生じた風が、川面をたたく。穏やかだった流れに、白波が立って船を左右に揺らす。船員が慌てて帆をたたむが、吹き下ろしてくる風に作業は難航しているようだった。甲板上は阿鼻叫喚に満たされて、収拾が着かなくなっている。

 妖魔の襲撃を恐れて船室へ逃げ込もうとする者と、揺れる船に沈没する恐れを抱いた者とが、狭い通路でひしめき合っているのだろう。それを上空から見下ろして、嘲笑うかのように妖烏は鋭く鳴く。そして、翼をたたんだ一匹が、滑空を始めた。

 吹き付ける風から片手をかざして顔をかばいながら、すがめた狭い視界でリオンは妖烏が向かってくるのを確認する。両足を踏ん張って、揺れる船上で均衡を保つ。木の根が張り巡らしていた森や雑木林でもそうだったが、こちらは大きく揺れる分、いっそう足元がおぼつかない。

 しかし、それを言い訳にして、他の乗客を見捨てるわけにはいかない。


「リオン卿……!」


 逃げ惑う人々の間から、レイシアのリオンを呼ぶ声が聞こえた。あの混乱の中に、エルマとアーニャもいるのだろうか。上手く逃げてくれていることだけを、リオンには願うしかできない。


「クリフどの、この風だけでも、鎮めることはできないだろうか!」


 揺れる船の上で、リオンは船縁を踏み台にして跳躍すると、真っすぐ落ちてくる妖烏を薙いだ。だが、その剣先は妖烏の翼をかすめただけで、妖烏の漆黒の羽根が風に乗って舞い飛んだだけだった。そうして、ふたたび甲板上に戻ってきたリオンは、風と揺れから身を守るために伏せるクリフに言った。

 魔導師は精霊を操る、だったら、風の精霊に命じることで、妖烏が起こす風を相殺することはできないのだろうか。風が鎮まれば、船の揺れはなくなるはずで、闘いやすくなるだろう。


「まだ、ぼくの魔力は、完全に戻ってはいないのですけどね。風を収めるくらいでいいのでしたら、やってみましょう」


 自信なさげな物言いだったが、二匹目が風をまとって船に近付くころには、風は完全に凪いでいた。

 妖烏の襲来を受けながらも、自らに忠実であろうとする船員は、未だ帆柱に登ったままである。妖烏が目を付けたのは、その船員のようだった。さらには、三匹目が川面を水平に飛んで、近付いてくる。


「イズヴェル、向こうを頼む!」


 そして、リオン自身は甲板上を、人並みを避けて走ると、帆柱を勢いのままに駆け上る。まさに、妖烏のかぎ爪が船員にかかろうかという刹那、リオンは妖烏の片翼を切り落とした。一方の翼を失った妖烏は飛ぶこともできずに落ちていくが、妖烏の爪から逃れた船員も、均衡を崩して悲鳴とともに落ちていく。

 しまった、そう思ったところで、リオンの手は男には届かない。イズヴェルはと見れば、襲ってきた妖烏の背中に乗っている。これでは、男を受け止めてもらうことはかなわない。やむなく、リオンは帆柱を蹴ると甲板へ向けて、己の身体を落下させる。だが、リオンの手が空でもがく男の手に届く前に、甲板を蹴った何者かが、男の身体を受け止めていた。


「ディール……!」


 それは、船室で寝ていたはずのディールで、妖魔の気配を察知して、駆け付けてきてくれたようだった。太い笑みを見せるディールの傍に、着地を決めたリオンは、そのままの姿勢で上空を見上げた。そこには、妖烏の背中に乗ったイズヴェルの姿が見える。


「あいつは、何を遊んでいるんだ?」


 間一髪のところを助けられた上に、傍には絶命寸前の妖烏がいる。それで平静を保っていられるほど、男は豪胆ではなかったようで、すっかり腰を抜かしてしまったようである。立ち上がることのできない男を、とりあえず甲板に下ろしてたディールが、リオンに倣って虚空を見つめてそう言った。

 妖烏はイズヴェルを振り落とそうとしているが、イズヴェルも羽根をつかんで耐えている。そんなイズヴェルに、他の妖烏が襲いかかる。それをイズヴェルは乗っている妖烏の背中を蹴って跳び上がると、一刀の下に首を両断する。

 首から上を失った妖烏は、妖魔特有の青い色の血と漆黒の羽根をまき散らしながら、水面へと落下した。水柱が立つ音に重なって、クリフの緊迫した声がリオンを呼ぶ。


「リオン、あっち……!」


 上体を低く保ったクリフが、船首の方を指差す。そこには、二匹の妖烏が、互いに競い合うようにして近付きつつある。だが、この距離では、リオンがどれだけ走っても間に合わない。わかってはいても、放ってはおけずに、リオンはディールを促す。

 しかし、リオンが三歩目を踏み出した時、妖烏の上げた断末魔が聞こえてきた。この船に自分たちより他にも、騎士が乗り合わせていたのだろうか、とリオンはディールと顔を見合わせる。


「レイシアどの、お見事!」


 その声は頭上から、妖烏の背中に乗ったイズヴェルのものだ。どうやら、妖烏を斬ったのはレイシアだったようである。

 イズヴェルは自らが乗る妖烏に剣を突き立てると同時に、船首に迫るもう一匹の妖烏の背中に飛び移ると、これにも剣を突き立ててから舳先に着地をした。


「どうやら、向こうは、任せておいてもいいようだ」


 妖烏は他にまだ七匹残っている。それに加えて、クリフも限界が近いようで、口にこそ出さないが、その表情はつらそうだった。

 風を失った船は、川の中に立ち止まったままである。もちろん、船には水夫かこも乗っているのだろうが、自らの身を危険にさらしてまで船を進めようとする、剛毅な者はいないらしい。

 襲ってくる妖烏から逃げるため、数人が川に飛び込む。もちろん、妖烏がそれを見逃すはずがなく、妖烏のかぎ爪にさらわれていく。だが、それを別の妖烏が奪い取ろうとして、空中で数匹の妖烏が入り乱れる。その結果、かぎ爪に捕らわれていた者は、空に放り出されて、妖烏の羽根で漆黒に染まった川面に身を沈めていく。

 獲物を失った妖烏は、赤い双眸を光らせてふたたび船を襲う。リオンが二匹を両断してディールが一匹を薙ぎ払う。船首の方からも妖魔が絶命したことを知らせる、黄金の光がふたつきらめいた。残るは二匹であるが、船尾から弱々しい矢が迫る妖烏に向けて放たれるのが見えた。

 数本の矢が妖烏に命中するが、妖烏を仕留めるまでにはいかないらしい。


「あれは、アーニャ……?」


 見覚えがあるのだろうか、身を伏せていたはずのクリフが、慌てて駆け出していく。すげない態度で常にアーニャに対するクリフの、意外な側面にリオンは一瞬だけ状況を忘れた。ディールに促されてリオンもクリフの後を追ったが、リオンの出番を必要としないで、妖烏は光に包まれた。

 クリフが右手を水平に払うことで、風を刃に変えて妖烏を引き裂いたのだ。だが、それが限界のようで、クリフはその場に片膝を付いた。

 残る一匹はディールが討ち取って、妖烏は空から姿を消した。

 水を打ったような静寂が舞い降りた次の瞬間、割れんばかりの喚声が上がる。川に飛び込んだ者も顔だけを覗かせて、快哉を叫んでいる。船長だという男がリオンの元に駆けてきて、両手を取ると感謝の言葉をありったけ口にした。


「言葉よりも形あるもので、謝意は示してほしいものだけどね」


 そう言ったのはイズヴェルで、リオンはただ苦笑して船長に応えた。

 妖烏は消えて船は無事となれば、いつまでも川の真ん中で立ち往生している理由はなく、ほどなくして船はふたたび川面を進んでいく。

 アーニャと一緒にいたエルマとも無事に再会して、こうしてリオンはリムル川を渡ってカユタユの町に到着した。

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