第一章 旅立ち 04
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大変なことを引き受けてしまった、それがリオンの偽らざる本心だった。王は国の命運をリオンが背負うのは傲慢だと言ってくれたが、聖剣を持ち帰ることが叶わなければ、たったひとりの王子の呪詛は解かれることなく、身罷ることになるのだろう。
その時、果たして誰が玉座を継ぐのか。
「……確かに、わたしが考えることではないな」
華栄宮を辞して、行きと同様に馬車で送ってもらったリオンは、自宅の前でそう言って苦笑する。聖剣を持ち帰ることができないということは、それは同時にリオンの死を意味するのだ。王国の未来など考えること自体が、笑止といえるだろう。
しかし、逆に言えば、リオンが無事に聖剣を持ち帰ることができれば、思い煩う必要のないことでもある。結局は、リオン次第であることに違いなく、リオンが王国の命運をにぎっていることになる。王の言葉はただの気休めでしかないのだ、そう思えばリオンの口からは自然と溜息が出てきそうだった。その口を突いて出そうになる溜息を飲み込むと、リオンは空を見上げた。
中天にさしかかろうかという夏の太陽が、容赦なく地上を照らしている。降り注ぐ陽射しのまぶしさに目を細めてから、リオンは玄関を開けた。
「リオンさま、意外とお早いんですね?」
遅くなるかもしれない、リオンがそう告げて出たものだから、余計な心配をさせてしまったと、迎えてくれるエルマにリオンは笑いかける。そのエルマの後から顔を見せたハンナが、お帰りなさいませ、と言ってから案じ顔で続けた。
「それで、旦那さま、宰相さまは何と?」
「ああ、そのことだが、明日からしばらく旅に出ることになった」
剣と上着をハンナにあずけながら、リオンはことさら何でもない風を装う。廊下を進んで居間に入ると、暖炉の前にある長椅子にリオンは腰を下ろす。そんなリオンの後を着いてきたハンナが、今度は驚いた顔をして言う。
「またずいぶんと急なお話ですが、どちらへ行かれるのですか?」
「理由あって、それは言えない」
試しの森に向かうのだと言えば、余計に心配をかけることになるだろう。それでなくとも、面倒をかけなくてはならないのだ。
「わたしが留守の間、ハンナにはこの家とエルマのことを頼みたいのだ」
そう言ったリオンの言葉に真っ先に反応したのはエルマで、ハンナを押しのけるようにして前に進み出ると声高にリオンに迫った。
「リオンさま! おれをお供に連れて行ってください!」
「だが、エルマには学校があるだろう」
「学校なんかよりも、おれにはリオンさまのお世話する方が大事なんです!」
「そうは言うが……」
「それとも、おれが一緒ではご迷惑ですか!」
リオンが座る長椅子に両手を付いて、エルマは唇を引き結んだ真剣な顔をリオンにぐいと近付けてくる。少年の勢いに負けたわけではないが、リオンが溜息して口を開きかけた時、玄関の方で来客を告げる扉をたたく音がした。
「おれが出ます」
役に立つところを見せ付けたいのだろうエルマが、そう言って足音高く玄関へと向かっていく。エルマにしてみれば、誰ともしれない客人は早々に追い返して、話の続きをしたいところだろう。背中から伝わってくるその様に、リオンは溜息してハンナを見上げた。
しかし、威勢よく玄関に向かったエルマが、戻ってくるころにはすっかり慌てて、転びそうになりながら居間に駆け込んでくると言う。
「リ、リオンさま! 玄関に、玄関に……!」
それ以上言葉にならないのか、玄関の方を指さしたままエルマは口を虚しく開閉させる。ただならぬ様子に、リオンはハンナと顔を見合わせてから、長椅子から立ち上がると自身で客人を確かめるために玄関に向かった。
そして、そこでリオンが目にしたのは、王朝騎士団団長グレンその人だった。
なるほど、エルマが慌てるのも道理だと納得して、玄関で立ち話ですまされる相手ではないだろうと、リオンはグレンを屋内へと迎え入れる。もちろん、王朝騎士団団長などという人物が、ひとりで出歩くはずもなく、ふたりの従者も同時に案内した。
その際、謙遜からではなく本心から、荒家ですが、とリオンは口にした。築年数は五〇年を超えている家であるから、年季は入っているだろうし、グレンのような要職にある人物が暮らす館とは比較にならないほどみすぼらしいことは、リオンも承知している。
しかし、グレンは別として、従者ふたりは不躾にも室内を物珍しげに見回した。
客を迎えるための応接室などと気の利いた部屋などなく、リオンが通したのは食堂だった。従者にはそれが気に入らなかったのかもしれないが、グレンは気にした風もなく、ハンナが用意した茶を口にした。
「……リオン」
音もなく碗を卓台に戻すと、グレンは険しい顔をして、うなるような低音でリオンの名を呼んだ。それをリオンは下座になる向かいの席で聞き、はいと短く応えを返して、続くグレンの言葉を待った。
「……実はな、そなたを推薦したのは、このわたしだ」
「閣下?」
「シュメールどのも、そなたならばと期待している」
それに対する答えもなく、リオンが沈黙していれば、グレンが椅子を引いて立ち上がる。勅書と金銭はすでに受け取ってはいるが、だからといって、話も半ばで帰ってしまうつもりだろうか。
その行動をいぶかしがりながらも、帰るというのであれば見送らなければならないだろう。だが、リオンが席を立つよりも先に、グレンは姿勢を正すとリオンに向けて頭を下げた。
「王はそなたが背負うものではないと、そう仰せになられたが……っ」
「閣下、面をお上げください」
あるいは、無礼であったかもしれない。だが、それでもリオンはグレンの言葉を遮ると、自らも席を立った。そして、グレンを正面に見据えて、胸に片手を当てるとリオンは淀みのない口調で言った。
「もとより、生きては帰れぬ覚悟はできております」
「それでは困る。そなたには、聖剣を手に入れて無事に帰ってもらわねば困る」
確かにその通りでもあるし、過剰な期待を抱くのも勝手であるだろうが、前例のないことを成し遂げよと言われるリオンの立場もわかってほしい。そう思いながらも、リオンが口にしたのは別のことだった。
「最大限の努力をいたします……」
それ以外に言いようもなく、リオンはそう言って腰を折った。
リオンの言葉に大きくうなずいたグレンは、さらに二言三言何やら口にしてから、見送りは不要だと言って従者を連れて食堂を出て行った。広くもない家であるから玄関までを迷うことはないだろうと、リオンはグレンの言葉にあまえることにして、深い溜息を吐き出してから椅子に座り直した。
そして、リオンがもう一度溜息を吐き出してから、天井を見上げて目を閉じれば、扉の開く音が聞こえてくる。気配だけでエルマだと察したリオンは、目を閉じたまま何も言わないエルマに向けて声をかける。
「聞いていたのだろう?」
応えはなかったが、沈黙は是認の証拠でもあるだろう。
「わたしが、どこへ旅立とうとしているか、エルマにもわかったはずだ」
「……」
「わかって、それでもなお、わたしに同行するか?」
そう言って、リオンはエルマに視線を向ける。居間に通じる扉の、その戸口に佇んでいる少年はリオンの視線を正面から受け止めて、唇を引き結ぶ。そして、確固たる意思を黒い瞳に宿して、エルマは大きくうなずいてから口を開いた。
「リオンさまが行かれるところでしたら、おれはたとえそこが冥界であってもお供します!」
「ふっ……それは頼もしい」
リオンは声を上げて笑った。