第八章 襲来 03
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昏々と眠り続けるクリフを腕に抱いて、リオンがディールとイズヴェルを従えて村に戻れば、それを待っていたアーニャはひどく憤慨した。
何故三人は無事なのにクリフがひとりだけ意識がないのか、理不尽といえば理不尽な言われようだったが、リオンが事情を説明すればアーニャも納得したようだった。そうではなく、クリフを介抱することを優先させたようで、クリフの身体に布団代わりの藁を被せると、アーニャは水を汲みに納屋を出て行った。
「……で、正直なところ、どうなわけ?」
そう言ったのはイズヴェルで、イズヴェルなりにクリフを案じての言葉だろう。
「大量の魔力を消費したことで、疲れたのだろうと思う」
規則正しい寝息を立てるクリフに、自身の体験を重ねてリオンはそう言った。
だから、クリフを案じることは、アーニャにまかせておけばいい。そして、この村を含めた近隣のこれからも、リオンの案じることではなくなった。ただし、これまでの不当な支配から解放されたと知った村の連中は、掌を返したように愛想をよくして、リオンらを辟易とさせた。クリフに対してだけでなく、我が家で休んでほしい、と言ってくる者が後を絶たなかったが、リオンはそれらすべてを拒んだ。
そうしたリオンの態度を、潔癖にすぎると非難したのはイズヴェルだ。場所を移してはレイシアが帰るべきところを見失う、そのリオンの言葉にイズヴェルが黙ったのは言うまでもない。
そのレイシアが帰ってきたのは、アーニャが桶にいっぱいの水を汲んで戻ってきたのと一緒で、無事にふたりを送り届けてきたことを告げる。
「それで、夜盗の一団は、どうなったのじゃ?」
レイシアの問いにリオンは瞑目したまま、事の次第を告げてから付け加える。
「レタークに到着したら、事の顛末は報告することになるだろう」
「へえ……なかなかご苦労なことだとは思うけど、事実をありのままに報告したら、クリフはどうなるんだろうね」
他人事とは思えないのか、イズヴェルにしては珍しく口調が鋭い。それに対して、リオンは淡々とした口調で答える。
「わたしたちが駆け付けた時には、すでに夜盗の一団は妖魔に襲われていた。わたしたちは、妖魔を退治するのに精一杯で、連中を助けることはできなかった……」
妖魔は招喚されたわけではなく、大地に穿たれていた空間の穴は存在さえしなかった。
妖魔がいつどこにどのようにして現れるのかは、誰にも予測することはできない。リオンの報告をいぶかる必要もないだろうし、調査に訪れたところで、何も証拠はない。捕らわれていたふたりの女にしても、起ったことの半分も理解できていないはずだ。
「……だから、何も問題はない」
そうであるのに、どこから割り切れない思いがリオンにはあって、その夜はなかなか寝付くことができなかった。
そして、迎えた朝、納屋の所有者である男の好意を素直に受けて、朝食に招かれた。クリフも同席したが、朝から肉を頬張るディールには溜息をもらしたものである。
「見ているだけで、こちらの食欲が失せてしまいますよ」
昨夜の疲労をそのまま引きずっているのか、クリフは未だに気怠そうにしている。それをリオンが指摘して、案じてみせれば、クリフはふたたび溜息して言った。
「ぼくはきみたちとは違って、一晩寝て起きただけで、何事もなかったことにはできないのです」
それには魔力が戻らないこともあって、体調はあまり芳しくないということだった。だが、それでアーニャが心配をすれば、無用だとばかりに冷たくあしらう。
「アーニャの看護を受けなくてはならないほど、ぼくはまだ落ちぶれてはいませんよ」
「だが、体調が優れないのであれば、この村で養生をしてから出発してもかまわないが」
リオンが言えば、その必要はない、とクリフは続ける。
「怪我や病気とは違いますからね、寝ていれば治るというわけではありませんよ」
だから、予定通り出発してくれてかまわない。
アーニャは反対したが、クリフの意見を尊重して、リオンは朝食後すぐに村を後にした。レタークまでは半日であるし、さらに川を渡るのは明日になるだろうから、レタークでゆっくりする方が落ち着けるかもしれない。
何よりも、リオン自身がこの村に留まっていたくなかった。
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ラムーラの町は花に彩られた美しい町だったのに対して、レタークの町はいたるところに水路の張り巡らされた水上の町だった。水の上に町が浮いているようだといえば、大袈裟にすぎたかもしれないが、実際に家々の軒下まで水路は延びていて、町で暮らす者は家から小舟に乗って出かける。
これはリムル川の豊かな水流を利用したもので、流れにそって行けば、リムル川の奔流と合流する。
巧みに櫂を操って、水路を上り下りする船を横目に見ながら、馬に乗ったリオンら一行は陸を進む。
「何だか涼やかな町ですね、リオンさま!」
水路は船に乗った人と荷の他に、風を運んでくれるようで、エルマが言う通り町全体が涼やかな空気に覆われているような錯覚を抱かせる。
リオンが選んだ宿も水路に面していて、船に乗った物売りが声高に商品を宣伝して、宿泊客は気に入った品があれば船を呼び止めている。一階の客はそのまま窓から身を乗り出して、商品を買うのに対して、二階の客は各部屋に設けられてある籠を、滑車を利用して下にまで下ろす。代金をその籠に入れておけば、物売りは金銭の代わりに品物を籠に入れる。そして、客は籠を引き上げて品物を受け取ることになる。
「待っていれば、向こうから売りにくるわけですか」
楽しそうですね、とクリフは二階の窓から下を見下ろしている。となりの窓からも、同じようにアーニャが興味深そうに下を覗き込んでいるし、もう一方のとなりの窓からはイズヴェルが顔を覗かせているのが見えた。
「リオンさま、何か買ってみませんか?」
クリフのとなりから下の水路を行き交う船を見ながら、エルマが声をかけてくる。リオンとエルマ、そして、クリフの三人がひとつの部屋を借りて、イズヴェルとディール、さらにレイシアとアーニャでそれぞれ部屋をひとつずつ借りている。
宿代からのその他の旅費は、すべて国庫の負担とはいえ、三部屋も借りるのは何やら贅沢をしているようで気が引ける。さすがにそれ以外の買い物は、自身の財布から払うべきだとすれば、リオンには大した余裕はない。
だから、笑顔を輝かせて振り返るエルマに、リオンが渋い顔をして見せれば、クリフが振り返ることなく言う。
「リオン、饅頭を売りにきましたよ、何個買いますか?」
「クリフどのが自分で買うのなら、好きなだけ買ってくれ」
「何を言っているのですか、リオン」
そこで一度言葉を切ると、クリフは大真面目な顔を振り向かせて、胸を張って続く言葉を口にした。
「どうしてぼくが、金銭を持っていると思うのですか」
「……」
「金銭は全部、とはいってもほんのわずかですけどね、リィザに渡してあるのですよ」
言われてみれば、それが道理だろう。
そして、結果として、リオンは饅頭七個分の代金を財布から取り出して、クリフに手渡した。そんな自身をあまいとリオンは思うが、クリフとエルマが買い求めた饅頭は、それよりもさらにあまいものだった。
こうしてレタークでの一日が終わって、花売りの少女から買ったのだという白い花を、イズヴェルがレイシアに贈ることで、レタークでの新たな一日が始まりを告げる。
「……花に罪はなかろう」
イズヴェルから差し出された花を、無言で見返していたレイシアだったが、結局そう言って受け取った。拒絶するものだとばかり思っていた、リオンを初めとする面々が驚いたのはいうまでもなく、アーニャだけはそれを羨んだ。




