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第八章  襲来 01

 その事実を、リオンはうわさでしか知らない。

 魔導で栄えたアシュタール王国は、騎士よりも魔導師が優遇され、王自身も優れた魔導師であったという。魔導王国と異名をとったその国は、精霊の祝福を受けて、清らかな水流と肥えた大地がもたらす、実り豊かな国だった。魔導師はおごることなく、惜しみなく魔導を民のために用いて、平和と安寧を謳歌していた。

 それがリアンデル王国の侵攻によって、日常は一転した。その結果、王城は炎上して、アシュタール王国は事実上滅亡した。ただし、ふたりいたという王子の所在は生死ともに不明のままで、その血統が途絶えたわけではない。王子の捜索は未だに続けられており、魔導師には追補の命が下りている。

 つまり、リオンがクリフの存在を華栄宮かえいきゅうに黙っていることは、王の命に背いていることになる。だが、リオンがクリフに言ったように、クリフ個人に罪があるわけではない。そして、今まさに招喚陣を発動させようとしている、元はアシュタール王国の魔導師も、国さえ滅びることがなければ、このような蛮行には及ばなかったかもしれない。


「ディール、あれではないか!」


 人が悪事に手を染める、そこにはやむにやまれぬ事情があるはずだ。大地から伸びる光の壁にそって走るその先に見える、うずくまる黒い影を見つめてリオンは思う。エルマが生きるために盗みを働こうとしたように、祖国を喪失した魔導師たちも生きるために、悪事に荷担したのではないか。あるいは、生き残ってしまったがために、そうするしかなかったのではないか。

 それでも、クリフのように己を律して、つましく生きている者もいる。

 そこに紙一重の差しかないのなら、生きていくために仕方がなかったのだ、というのはただの言い訳でしかないのかもしれない。

 果たして、人は、いつどこで己の内に眠る、悪意を揺り起こすのか。


「リオンどの、どうする?」


 リオンと並んで走るディールが、問いかけてくる。明らかにそれとわかる、嗤笑を浮かべる男を、斬るのかと問うているのだ。


「……やむを得ない」


 招喚陣が完成すれば、そこから妖魔が現れる。そんなことが本当に可能なのか、リオンには半信半疑だったが、クリフはそうだと言っていた。

 クリフを信じるのであれば、招喚陣が発動する前に、魔導師を止めなければならない。禁忌を犯しているその魔導師は、言葉で止めることはできないだろう。そうであるのなら方法はひとつ、魔導師の息の根を止めることで、招喚陣に注がれる魔力を絶つ。幸いにというべきか、クリフはまだ追い付いてきていない。

 しかし、それでどちらが男を斬るか。


「無駄だ……っ」


 リオンが腰の剣の柄に手をかけた瞬間、それを待ってでもいたかのように、大地に両手を付いた男が声を上げた。若さなど微塵も感じられない顔に、いびつな笑みをたたえて男は声高に続けた。


「もう誰にも、この招喚を止めることはできない!」


 それはどういう意味だろうか。

 勝ち誇ったように、あるいは狂ったように笑う男の身体が、大地を光らせる招喚陣の輝きに飲み込まれていく。

 膨れ上がった光が渦を巻き、巻き上がった渦が音を生み、生み出された音が風を呼ぶ様が、リオンの目にも見えたような気がした。やがて、光芒は爆風とともにはじけ飛ぶ。

 リオンもディールも片手で顔をかばって、はじけた光が大気に霧散していく様を、なす術もなく見守る。そして、同時に男の憎悪と怨嗟に満ちた叫びを聞いた。


「そうだ、最初からこうしておけばよかったのだ! そうすれば、勝者はわがアシュタール王国であったはずなのだ! それを、王は……っ!」


 言葉の続きは男が自ら発した断末魔によって打ち消され、大地を覆った光芒が闇に飲まれた次の瞬間、夜を切り裂いて妖魔が姿を見せた。





 妖魔は空間を切り裂いて、異界より現れる。それがリオンの知っていた常識だったが、招喚陣によって強制的に作られた空間のひずみが、妖魔を呼び寄せているようだった。ひずみのできた場所は、襲ってくる妖魔を逆にたどって行けばわかるのだとしても、それが簡単にできるほど、現状は易くない。

 そして、この現状を作り出した男の姿はすでになく、おそらく夜盗の一団も招喚陣の犠牲となったのだろう。

 しかし、今は同情を寄せている時ではない。


「ディール、無事か……っ!」


 夜の暗闇の中に、複数の赤い双眸が妖しく揺らめいている。闇に溶け込む漆黒の体躯を躍らせて、向かってきた妖魔を一匹斬り伏せながらリオンは叫んだ。

 妖魔が捕食の対象とするのが人間に限られるのなら、この場にはリオンとディールのふたりだけだ。雑木林を抜けて田畑を横切るあぜ道を行けば、もっと多くの人々が暮らす村があるが、そこへ妖魔をやるわけにはいかない。

 夜盗の一団の代わりに、妖魔で村を襲わせたのでは本末転倒だ。

 だから、この場で食い止めなければならない。妖魔の方も目の前の人間に固執しているのか、村のある方向へ向かう者はいない。


「リオンどの、こいつらは何匹いるのだ……!」


 斬り伏せた次には、別の新たな妖魔が姿を見せる。数は減るどころか、次第に増えていくようだった。しかも、相手はオオカミにその姿が似た、妖狼ようろうである。妖熊ようゆうほどの強靱さはないが、しなやかな筋肉に覆われた妖狼も充分に手強い。

 一度に数十匹という群れで出現するのが、妖狼の特徴だ。それを無視して、妖狼は闇の中から一匹ずつ姿を現す。多勢をふたりで迎え撃たなければならないリオンの側にとっては、それが唯一の救いであるかもしれない。だが、いつまで続くのかわからない、精神的な疲労は拭えない。


「もしかしたら、招喚陣によってできたひずみが、ふさがっていないのかもしれない」


 自然に開いた空間の亀裂は、ふたたび、自然に修復される。それが、今回は成されないままであるのだとしたら、妖狼は果てしなく襲ってくることになるのではないか。覚えた恐怖に戦慄しながらも、リオンは新たな一匹を両断する。

 帰らずの森で兎鬼ときと闘った時同様に、乱立する木々とその根が、リオンの動きを制限させる。妖狼がそんなことを配慮してくれるはずがなく、低いうなりと高い咆哮を上げて襲いかかってくる。一匹二匹と数えていって、リオンが五匹目をたたき伏せた時、近付いてくる人影が見えた。

 その存在をリオンが確認するよりも先に、炎が爆ぜて妖狼が光の塊に変わる。そして、それに続いて聞こえてきたのは、クリフの悔恨に彩られた声音だった。


「間に合いませんでしたか……」


 そう言って唇をかむクリフにも、妖狼は容赦なく襲いかかる。地面を蹴った一匹を、クリフは呪文の詠唱も印を結ぶこともなく、風を刃にでも変えたのか、片手を払っただけで両断してみせた。妖狼が黄金の光に包まれて、安堵したのもつかの間、背後から新たな一匹がクリフに跳びかかろうとしている。

 危険を知らせるために、リオンはその名を鋭く呼んで、クリフの元へと走る。それを新たに現れた妖狼が、リオンの前に躍り出て邪魔をする。ディールも別の一匹を相手にしており、クリフを襲おうとしている一匹にまで手が回らない。

 リオンの呼びかけで、クリフも背後の危険には気が付いたようだったが、予期せぬ事態に対する反応は、騎士でないからか鈍い。


「クリフどの……っ!」


 目の前の一匹を薙ぎ払いながら、リオンはもう一度その名を呼ぶ。そして、リオンは大地を蹴って跳躍するが、妖狼の爪がクリフに届く方が早い。

 その鋭利なかぎ爪が、クリフを引き裂く様がリオンの脳裏をよぎった。

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