第六章 旅の仲間 01
翌日、クリフの言葉通り、エルマは何事もなかったかのように目を覚ました。リオン自身は魔力の回復まではいたらなかったが、一晩眠ったことで疲労感は解消されていた。安堵するリオンに、エルマは腹の虫を鳴かして、リオンを含めた全員をあきれさせた。この全員の中にはアーニャまでいて、明けた朝に駆け付けてきたのではなく、昨夜から泊まり込んでいるのだ。
若い女性が男の家に泊まるものではない、そう言ったリオンだったが、だったらレイシアはどうなのさ、と返されてリオンは言葉につまった。そして、そのままアーニャは雑魚寝の輪に加わって、朝を迎えて今にいたる。
「クリフどの、いろいろと世話になった」
朝食の席でリオンがそう言えば、クリフは穏やかな笑みを見せた。食卓に並んだのは、リオンが提供した米を雑炊にしたもので、小屋の裏にある畑で採れた野菜が彩りをそえていた。味付けは塩だけのそれを、一口含んでからクリフが言う。
ちなみに、食器は一度は木箱に収められていたものを、ふたたび取り出したもので、その形も大きさもまちまちである。
「かまいませんよ、ぼくもこれからきみの世話になるつもりですから」
「それは……?」
「きみの旅に付き合う、ということですよ」
もちろん、リオンにとっても意外な発言であったが、それ以上にアーニャには意外であったようで、椅子を蹴って立ち上がると両手を卓に付いて、口から米粒を飛ばしながら声を張り上げた。アーニャの向かいに座ったイズヴェルが、ひどく迷惑そうな顔をする。
「何それ! 何でクリフが、この人たちと一緒に行かないといけないのさ!」
「もともと、出て行くつもりだったのですから、同じことでしょう」
「そう、それ! クリフが出て行くって、あたしはまだ認めてない!」
「アーニャ、話が前に進まなくなるので、黙っていてください」
口調は穏やかなのに対して、その内容は辛辣でさえあって、アーニャは当然のように口をとがらせたが、言葉にしては何も言わなかった。
アーニャの口を封じたクリフは、試すような視線をリオンに向けて言う。
「きみの旅に、魔導師であるぼくが同行するのは、きみに得こそあれ損はないでしょう」
「わたしにとっては、そうであるかもしれないが、あなたにとっては、必ずしもそうではないはずだ」
リアンデル王国が行方を捜しているのは、アシュタール王国のふたりの王子だけではない。魔導師の生き残りも、王国にとっては看過できない脅威なのだ。クリフのようにしてどこかに潜んでいるのだろうアシュタール王国の魔導師が、待っているのは復讐の機会であるかもしれないからだ。現在、生死不明とされている同国の王子が生きていれば、その王子の元にアシュタールの民は集うことだろう。
そうなれば、クリフもそこへまた身を寄せるのではないか。
将来の禍根を断つためにも、リオンはクリフを華栄宮へ突き出すべき責務がある。
「でも、きみの任務は、ぼくを捕らえることではない……でしたよね?」
「気が変わるかもしれない」
「聖剣を持ち帰るついでに、ぼくの首級も持ち帰りますか」
冗談にしてはどこか危険な色が感じられたし、だからといって、本気と取るにはおどけているようにも聞こえた。判断に迷ってリオンが沈黙する中に、イズヴェルの食事する音が緊張感もなく響いて、リオンを除いた全員の視線がイズヴェルに集中した。
そして、クリフが何に笑みを誘われたのか、口角をわずかに上げて言葉を続けた。
「もっとも、ぼくとしては一日でも長く生きていたいですから、できれば王の前まで生かしておいてもらえれば、助かるのですけどね」
「……リアンデル王国に生まれて、その王に忠誠を誓った騎士であるわたしが、これを言うのは笑止であるかもしれない」
碗の中身を空にしたのだろうイズヴェルが、すでに空にしているエルマの分の碗と一緒に持って席を立つ。エイドリア王国に生まれて、アシュタール王国同様に祖国を喪失したイズヴェルが、この瞬間に何を考えているのかリオンにはわからない。
しかし、竈にかかったままの鍋から、雑炊を碗によそうイズヴェルの耳にも、リオンの声は聞こえているはずだ。今はそれだけでいい、とリオンは一度目を閉じてから、改めてクリフを見据えて言う。
「だが、わたしは、あなたには生きてほしい。そのために必要だというのなら、この地から逃げてほしい」
「何故、です?」
「あなた個人には、何の罪もないと思うからだ」
罪はないと言いながらも、その一方では逃げろと言う。本当に罪がないのなら、逃げる必要も隠れる理由もない。だが、現実は生きていることそれ自体が、罪なのだという。それが敗者と勝者の間に存在する、見えない境界なのだ。
勝者が敗者を侮蔑する様を、リオンは目にした。そして、今リオンが目にするのは、ふたり分の碗に雑炊を満たして戻ってきたイズヴェルで、ひとつをエルマの前に置いて、自身は碗の中身を口へと運んでいく。
「わたしは、もしもアシュタール王国の王子が生きているのなら、このまま何事もなく平穏に一生を終えてくれたらと思う」
あなたはどう思うか、リオンが振れば、そうですねとクリフが応じる。
「ぼくも、そう思いますよ」
そう言ってから、クリフは何かを懐かしむような遠い目をして続ける。
「だからこそ、ぼくはきみと共にいかなくてはいけないのです」
「それは、わたしが聖剣を手に入れようとしていることと、関係があるのだろうか」
「さあ、どうでしょうね……」
クリフは笑って見せるが、それ以上の追求を拒んでいるようにも見えた。
「……本人が行くってんだから、連れてけば?」
これまで無言であったイズヴェルが、匙を片手にそう言って、頬杖を付く。
「あなたとでは、立場が違う」
「そりゃ、まあ、エイドリア王国は復興のしようがないし、ね」
王族はいうまでもなく、有力な貴族に騎士の一族は、乳飲み子まで含めて処刑された。王子が生きているかもしれないとささやかれるアシュタールの民とは違って、エイドリアの民は誰のためにこれ以上戦うのか、その意味さえ失ってしまったのだ。
大陸の覇者、そういえば聞こえはいいが、それは多くの人命と流血によってあがなわれた呼称だ。だが、是非はともかくとして、リアンデル王国という枠組みが秩序と安寧を維持している現在、次代の王となるべき王子を失うことはできない。
玉座が血統によって守られるものである以上、王子を失うことは新たな混迷の時代を呼び込むことになり兼ねない。国王カエサルが誰を後継に指名しても、納得しない者は必ず現れるだろう。
ふたたび戦を起こさないためにも、リオンは聖剣を持ち帰らなくてはならない。
「……わかった」
長い瞑目の後、リオンは覚悟と共に言葉を紡ぐ。
「クリフどの、あなたのお力をお借りする」
そう言ってリオンが頭を下げれば、クリフの小さく笑う声が聞こえた。そこに含まれた思惑など、リオンにはわかりようもなく、知る必要さえないことであったかもしれない。
何よりも、クリフによって沈黙を強いられていたアーニャが、結論が出たことで口を開いて、リオンに新たな問題を提示してみせた。それによって、リオンの思考の赴く先が変わったことは確かだろう。
「よしっ、そうと決まれば、あたしも旅の仕度だ!」
驚いたのはリオンだけでなく、クリフもそのひとりであったようで、笑みもなく唖然とアーニャを見返している。
ディールが感嘆の声を上げて、イズヴェルが茶化すように口笛を吹いて、レイシアは無言で食事を再開させる。同じく無言で見上げてくるエルマの視線を無視して、リオンがアーニャとクリフを交互に見やれば、溜息してクリフが口を開いた。




