第五章 魔導師の山小屋 05
「このわたしに、聖剣を手にすることができるだろうか」
「……えっ」
言葉につまるクリフのとなりで、エフロフが息を飲むのがわかった。リオンだけが状況を飲み込めずに、それでも表情を変えたクリフに、不審と疑惑の眼差しを向けてくる。
「聖剣……?」
この世界のあらゆるすべてものを断つことができ、覇者の象徴だといわれる剣、それが聖剣だという。その聖剣と呼称される剣が試しの森と名付けられた場所にあることは、誰でも知っている。そして、今ではリアンデル王国の一部となってしまったが、かつてはアシュタール王国の支配が及ぶ場所であったことも知られている。
しかし、知られているのはそれだけで、それですべてだとする者が大半を占めている。誰も手にした者がなく、だからこそ、唯一の存在になろうと聖剣を目指す者は後を絶たない。そうやって、幾人もの勇気ある者が森へと足を踏み入れるが、森は侵入者を常に排除し続ける。
「何故……?」
リオンが金のメダルを所有する騎士ということは、聖剣を望んでいるのはリアンデル王国の王カエサルということだろうか。アシュタール王国が長年にわたって培ってきた、魔導書の類いは王城を飲み込んだ炎と一緒に灰燼に帰した。その代償として、王は聖剣を望んでいるのだろうか。
恐ろしいことだ、と覚えた恐怖ににぎりしめていたはずの輝石が、いつの間にかクリフの右手の中から転がり落ちていた。もしかしたら、あっ、とつぶやいた自身の声をクリフは聞いたかもしれない。
大地の上を転がった輝きは、リオンの足元にまで転がって止まり、リオンが身を屈めると二本の指でつまむ。他者に見られて困るものではないが、リオンは二本の指の間で光る石を凝視して動かない。
「……魔力を結晶化した石ですよ」
それが珍しいのだろうとクリフが言えば、リオンは片膝を大地に付いた姿勢のまま顔だけを上げる。返していただけますか、その目の前に片手を差し出してクリフが言えば、リオンはクリフの掌に七色の光彩を放つその石を乗せながら言った。
「これは、誰にでも作れるものだろうか?」
「ぼくのように、高位の魔導師でも簡単に作れるものではありませんけど、何故です?」
掌に返ってきたそれを改めて首にかけるクリフに、リオンはゆっくりと立ち上がると、三度目となる意外な言葉を口にした。
「それと同じものを……いや、似ているような気がするだけなのが、見たことがあるので気になっただけだ」
「同じものを? どこで見たと?」
「はっきりと同じものかどうかは、わからない」
ただの勘違いかもしれない、リオンはそう言うが、クリフにはそう思えなかった。
気が付けば、リオンの衣服を両手でつかんで、クリフは必死に訴えていた。
「それでも見たのでしょう! どこで見たのです! 教えてください!」
「クリフどの……?」
いぶかる声がクリフを呼んで、無言のままに肩に置かれたエフロフの手に、クリフは我に返るとリオンに詫びる。申し訳ありません、力なくつぶやいた自身の声をクリフは遠くに聞く。大丈夫です、とエフロフにも応えてから、クリフは改めてリオンと対峙して言う。
「たとえ同じでなくても、どこで見たのか教えてもらえませんか?」
「……シュメールどのの指にはまっていた石が、よく似ていたように思う」
「シュメール、とは?」
「宮廷魔導師長をしておられる」
クリフがさらにその人物について詳しく聞こうとした時、屋内から扉が開いてリィザが顔を見せた。
「クリフさん、アーニャさんからいただいたウサギで、羹をこしらえましたから、夕食にしませんか?」
今夜はもう旅立つのは無理だろう、リィザの言葉の裏にひそむもうひとつの意味を理解して、クリフはうなずくとリオンを促して屋内へと戻った。
そこには、これまでになく賑やかな雰囲気に満ちていた。
*
「止めないのか?」
短くそう問う声に、クリフは振り返ることなく、窓外に広がる夜の闇を見つめて応じる。
「何をですか?」
蜘蛛百合草の毒に侵された少年も、朝には目を覚ますとわかったからか、クリフの小さな山小屋で招かれざる客たちは、実に賑やかな夕食を囲んだ。足らない椅子は荷物のつまった木箱を代わりにして、いつ以来だろうとクリフが感慨を抱くほど、そこは笑顔にあふれていた。
そうした賑やかな連中は、ふたつしかない寝室のひとつで、旅の疲れを癒やしている。つまりが、少年が眠っている寝室を明け渡したので、残るひとつの部屋にクリフはエフロフとリィザの三人で眠ることになるだろう。毛布は三人分あるが、寝台はひとつしかなく、その寝台に腰掛けて、クリフは窓の外に視線を向けている。
当然のように寝台しかない部屋であるから、エフロフもリィザも起立したままだ。
「聖剣なら、彼らだけでは手に入れることはできないでしょう。だから、止める必要はないですよ」
そこで一度言葉を切ると、クリフはエフロフとリィザを振り返る。薄い板一枚で仕切られただけであるので、相手にその気がなくとも会話は筒抜けである。だが、結界を張ることで空間を仕切ってしまえば、どれだけ耳を澄ましていようが、会話がもれ伝わることはない。
その切り取られた空間に、クリフの緊張を帯びた声が低く響く。
「ですが、シュメールと名乗っている、魔導師の思惑を放っておくことはできないでしょうね」
確かめたわけではないが、王をそそのかしてリオンに聖剣を手に入れるよう仕向けたのは、宮廷魔導師長だというシュメールだろう。だが、リオンに限らず、聖剣を手にすることは誰にも叶わないことをシュメールは知っているはずだ。
それとも、リオンなら可能だと思ったのだろうか。
「あるいは……」
聖剣を持ち帰ることに、期待していないのかもしれない。聖剣に頼らなければならない状況、そこにシュメールの目的があるのではないか。
「いずれであるにせよ、ぼくはもう、誰かが血を流すのを見たくはないのです……」
「……」
「だから、行こうと思うのです」
逃避するのではなく、阻止するために旅立つ。
決然とした意志の強さをクリフが見せれば、エフロフが同行を申し出てくる。
「剣は使えなくとも、クリフの楯になることくらいできる」
忠義を尽くそうとしてくれるエフロフには、感謝の気持ちしかないが、クリフはそれに首を横に振る。
「まさか、ひとりで行くつもりか?」
「それこそ、まさかですよ」
「だったら……っ!」
「リオンと共に行こうと思っているのです」
エフロフの言葉の先を制して、クリフはそう言うと、口元に皮肉とも揶揄とも取れる笑みを浮かべる。聖剣を手に入れることができなくとも、リオンはやがて王の元へと帰るはずで、一緒にいれば労することなくクリフもまた王宮へ足を踏み入れることができるかもしれない。
試しの森へ向かう以上、リオンにはそれなりの実力があることは間違いないし、危険な森ではあるが、足を踏み入れた者が必ず生命を落とすと決まっているわけでもない。
「魔導師であるぼくが、一緒に行くと言えば、彼は歓迎してくれると思うのですけどね」
「彼はリアンデル王国の人間だ」
「それでも、彼がアシュタール王国を滅ぼしたわけではないでしょう」
そして、リオンは生まれで人を差別しないことは、イズヴェルを見ていればわかる。
「それに……」
その先に続いた言葉にエフロフと同席していたリィザは、そろって床に膝を付くと、片手を胸にそえてクリフに対して深く頭を下げた。
まるで、王に対するそれのように。




