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第四章  帰らずの森 05

 

「服の上からでも容赦なしかよ……」


 そう言って、イズヴェルは蜂虫に刺されたのだろう脇腹の辺りをかきむしる。そして、さらにその手でイズヴェルは全身をなで回しているが、リオンとしても心情は同じだった。ただ、全身のいたる箇所からわき上がる、微かなしびれとかゆみが、ともすれば眠ってしまいたくなる意識を保ってくれている。

 蜂虫の追撃を受けながら抜け出した森の外には、まるでそこに境界を引くようにして、細い道が延びていた。周囲と比べて草の丈が短いというだけの、明確に道と呼べるようなものではなかったが、誰かがそこを確実に歩いていることは間違いないだろう。

 そして、道があるということは、人がいるということになる。ただし、左右のいずれへ進めば、ここへ道を付けた何者かに会えるのかは不明である。


「リオンどの、どうする?」


 右頬を片手でなでながら、ディールがリオンに決断を求めてくる。それに対して、リオンは視線を右から左へゆっくりと巡らせてから、大きく西へと傾いた太陽を見やって目を細めた。はるか彼方に伸びる山の稜線に、太陽が完全に消えてしまう前に、どこでもいいから落ち着ける場所を確保したい。

 逡巡することしばらく、リオンは根拠もなく右を示して、行く先を決めた。





 太陽がこの日最後の余光でもって、天を鮮やかな朱に染めていく。東の空には気の早い星が顔を覗かせて、夜の訪れを告げようとしている。

 結局、リオンは右に道を進んだが、その選択が誤りではなかったことを、点在する小さな明かりが告げていた。影絵のように浮かび上がる山と森とに挟まれた狭い土地に、小さな集落が形成されているようだった。

 レイシアの腕の中で目を閉じるエルマの容態は、相も変わらぬ様相を見せていたが、持ちこたえていると考えれば悪化したよりかはいいだろう、とはイズヴェルの語るところだった。


「……このようなところにまで、村があるのか」


 家があって明かりがあるということは、この土地に暮らす者たちがいるということで、森の淵に沿って延びる道の一方には田畑が広がっているようだった。その田畑に動く影を見付けたのはイズヴェルで、ディールが声を張り上げれば、何者かが驚いたようにこちらを見返してきた。

 尋ねたいことがある、ディールが重ねて声を上げれば、遠目からでもこちらが騎士だと理解したからか、それとも馬を連ねていることであきらめたのか、農夫はゆっくりとした歩調で近付いてきた。


「……ひょっとして、あれで?」


 陽に焼けた顔に興味深そうな表情を浮かべて、男は探るような目でリオンらを見上げる。


「あれ、とは何のことだ?」


 リオンと顔を見合わせてから、ディールは男を見返すと問い質した。男の方で何やらやましいことがあるのは間違いなさそうだったが、もちろんリオンに何のことであるのかわからなければ、ディールにも心当たりはないようだった。

 男は焦れったく思ったのか、眉を寄せると口元に手を当てて言う。


「隠すこたぁねえでしょうに」

「……?」

「捕まえにきたこたぁわかりやすよ。まったく、迷惑ったらねぇですよ」


 そう言って、男は顔をしかめて続ける。


「医者も神官もいねぇような、こんな辺鄙へんぴな村に住み着くような魔導師なんてぇ、何ぞ後ろ暗いことがあんに決まってるとは思ってやしたけど、ついにお召し取りだ」

「魔導師……!」


 医師も神官もいないが魔導師ならいる、男はそう言ったのではないか。

 リオンは馬を下りると、男の傍にまで歩み寄る。それを怪訝そうに首を傾げる男に、リオンが鋭利な眼差しを向ければ、男は一歩二歩と後退する。男が後退した距離を一歩でつめて、リオンは男の胸ぐらをつかんだ。男が息を飲むのがわかって、ディールがたしなめるようにリオンの名を呼ぶ。


「その魔導師は、どこにいるか」


 低い声でリオンが問えば、男は恐怖を貼り付けた顔で、右手をわずかに持ち上げた。その右手が何かを指し示すために、人差し指を除いた四本の指が丸まりかけた時、大気を切り裂いて甲高い女の声が響いた。


「あいつが何したって言うのさ!」


 まだ充分に伸びきらない水色の髪を無造作に束ねた、少女の幼さを残した女は、青い瞳に苛烈なまでの輝きを宿してリオンをにらみ付けてくる。その手に一羽のウサギを提げているところを見るに、ただひとりで森へと足を踏み入れていたのだろうか。弓と矢を背中に背負って男装した女は、大股で闊歩してリオンに寄ってくる。

 そして、臆する様子もなく、女は声を張り上げた。


「あいつは、何も悪いことなんてしてない!」


 そう言って女はその矛先をリオンから、リオンに胸ぐらをつかまれたままの男へと向ける。


「つい先日、あんたあいつの世話になったじゃない。幼いキリルが熱に倒れた時、キリルを助けてくれたのが誰だったか、忘れたなんて言わさないよ」

「アーニャ……」

「それを何さ! 恩を忘れて、あいつを売るってどういうつもり!」


 男が情けなさそうに眉を下げるのを見て、いくらか気が鎮まったのか、アーニャと呼ばれた女はそこで一度言葉を切った。だが、青い瞳には変わらず激情が宿っていて、アーニャはその怒りを改めてリオンにぶつけてきた。


「あんたも、この村から出て行って!」

「待ってくれないか」

「そう、どうしてもっていうんなら、このあたしを殺してからにしなさいよ!」


 あいつ・・・はどんなことがあっても絶対に渡さない、アーニャのそうした感情がどこから表われてくるのか、リオンは戸惑いを覚える。だが、アーニャの方はどうやら本気のようであるらしく、手にしていたウサギを大地に放ると、背中に背負っている弓に矢をつがえてリオンと対峙した。

 男の胸ぐらから手を放したリオンは、そんなアーニャを正面から見返して、ゆっくりとした口調で言う。


「あなたは、何か誤解をしているようだ」


 返答の代わりに、アーニャは弓を引き絞る。馬を下りたディールが剣の柄に手をかけるのをリオンが視線で制すれば、おっかないとつぶやくイズヴェルの声が聞こえてきた。


「わたしは、この土地へ誰かを捕らえにきたわけではない」

「……」

「わたしの連れが、蜘蛛百合草の毒に犯されて、生命いのちが危ういのだ。魔導師がこの村にいるというのなら治癒を頼みたいと、それだけなのだ」


 そう言って、リオンがレイシアの腕の中で眠ったままのエルマを振り返れば、アーニャもその視線を追ってエルマを確認する。

 天空を朱に染めた太陽も、すでに西の彼方に消え入りつつあって、エルマの容態まで確認することはできなかっただろう。だが、アーニャは弓をわずかに下げて言う。


「嘘じゃないね?」

「信用できないと言うのなら、剣をあなたにあずけてもいい」


 そう言いながら、リオンは腰から剣を鞘ごと抜いて、アーニャの足元に放り投げる。大地との不本意な抱擁を強いられて、剣が不満の声を上げるのと同時に、ディールだけでなくレイシアまでもがリオンを呼んだが、リオンはそれに首を横に振っただけで、言葉にしては何も言わなかった。

 そんなリオンに代わって、アーニャは弓をかまえたまま言う。


「それで、他の連中はどうするのさ」


 リオンだけでは信用ならない、アーニャがそう思ったことは間違いないだろうし、リオンとしてもそれが当然だと思えば、背後を振り返って視線だけで促す。

 まずはディールがそれに応えて剣を捨て、次いでレイシアが剣を放る。


「もしかして、おれも……だよな」


 あきらめ悪くそう言って、イズヴェルが溜息して剣を差し出す。弓をふたたび背に負い直したアーニャが、一本ずつ剣を拾い上げて、最後にイズヴェルの剣を手に取った。


「あんたの話、本当みたいだから、クリフのところへ案内してあげる」


 クリフというのが魔導師の名であるようで、アーニャは両手に剣を抱えると、ウサギを男に持たせて暮れ初めた中を迷うことなく進んでいった。

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