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第一章  旅立ち 02

 その日の朝、いつもと同じように目覚めたリオンは、ハンナが仕度をしてくれた朝食を食堂で摂っていた。小さな家には、リオンを当主として侍童のエルマと女中のハンナだけであれば、誰もとがめる者はないので三人で食卓を囲っている。

 もちろん、家の主と使用人が同じ卓を囲うことは、本来であれば許されないことである。そして、主と同じ料理を食することも、他の家ならあり得ないことだろう。

 ハンナが近所のパン屋で買ってきた焼き立てのパンと、野菜がたっぷり煮込まれたスープ、カリカリに焼かれたベーコンと今にも黄身があふれ出てきそうな半熟の目玉焼き、質素であるかもしれないが、リオンに不満はない。

 玄関の方で来客を告げる扉をたたく音が聞こえたのは、リオンの斜向かいの席でフォークに刺した目玉焼きを口いっぱいに頬張るエルマに、リオンが微笑したと同時だった。


「むっ……お、おれが行きまふ」


 語尾が怪しいのは、口いっぱいにつめられた目玉焼きのせいであることは間違いなく、それを水で流し込むとエルマは席を立って急いで食堂を出ていった。


「旦那さま、こんな朝早くに、誰でしょうか?」


 そう言ったのはハンナで、その口調は不躾な来客に対する憤りに満ちていた。それに苦笑で応じて、リオンはナプキンで口元を拭う。

 やがて戻ってきたエルマが、来客の正体を告げた。


「リオンさま、宰相さまのお使いだという方が、リオンさまにお会いしたいと……」


 急ぎの用であるらしく、通りに馬車をそのまま待たせているという。何事だろうか、といぶかりながらもリオンが席を立っていけば、宰相の親衛騎士が姿勢正しく玄関に佇立していて、リオンの姿を認めると丁寧に頭を下げた。


「王朝騎士、リオン・ハーン卿であられますか?」


 それにリオンが黙ってうなずけば、その騎士も小さくうなずいてから続けた。


「わたくしは宰相府所属の騎士、アデル・バイゼルと申します」

「……」

「宰相閣下より、リオン卿をお招きするようおおせつかってまいりました。ご足労をおかけいたしますが、ご同行願います」

「……宰相閣下が、末端の騎士に何用あってのお召しでしょうか?」

「申し訳ありません、わたくしはお連れするようにと申し使っただけで、詳細は何も存じません」


 そして、お急ぎくださいと、アデルと名乗った騎士はリオンを促す。

 表に停められてある馬車には、それが王宮からのものであることを示す紋章が入っているのを見れば、アデルの言うことはまるきりの嘘ではないのだろう。もっとも、紋章が偽造されたものではないとする証拠はなかったが、そこまでしてリオンを連れ出す必要性が見出せない。

 気になることはあったが、リオンに拒む権利はない。


「わかりました。身支度を整えてまいりますので、いま少しお待ち願います」


 結局のところ、リオンにはそう言うしかなく、踵を返すと奥に向けてエルマを呼んだ。

 身支度をエルマに手伝わせて、その手から上着を受け取りながら、リオンは外の方へ一瞬だけ視線を向けて言う。


「エルマ、もしもわたしの帰りが遅くとも、気にすることなく先に休んでいるといい」

「それって、リオンさま……」


 不安そうにする少年の黒髪をなでながら、リオンは笑顔を作ると続ける。


「もしかしたら、帰りが遅くなるかもしれないというだけだ」


 まさか昨日の剣術大会で、決勝の相手となった宰相府所属の騎士を、リオンが負かしたことを恨みに思っての招きではないだろう。宰相などという天上人にも近い人物と、リオンは当然として面識などないが、聞こえてくる噂では公明正大かつ清廉潔白な人物ということで、悪く言う声を耳にしたことはない。

 だからこそ、リオンのような一介の騎士に、宰相が何の用があるのか思い付かないのだった。

 理由も意図も、何もわからないまま、リオンは馬車に揺られる。そうして、到着したのはリアンデル王国王都マエリアの中心にある王宮で、その別名を華栄かえい宮という。

 東西南北、それに中央と五つの区画に分けられる王宮は、南園が政事まつりごとの行われる場所であるのなら、西園は軍事いくさごとのための場所で王朝騎士の在所だった。さらに、東園は園遊会だとか舞踏会だとかを含む国事の場所で、北園が後宮を要する王族の住まう場所だった。そして、中央園は広く一般的に魔導師と呼ばれる者たちが詰める場所で、同時に神事の行われる場所でもあった。

 それら華栄宮は円形の防壁に守られて、方位にそって八つの門があった。王朝騎士であるリオンが出仕のために使うのは西門で、それ以外の門をくぐったことはない。それだというのに、リオンを乗せた馬車は北西の門をくぐって進んでいく。


「……どこへ、向かっているのですか?」


 くぐった門が北西の門だとわかれば、リオンとしては緊張よりも警戒を強くする。北門を抜けることができるのは王族だけで、北園に特に招かれた貴族に高位の魔導師は北東の門を使用し、それ以外の者は北西の門を使う。だが、北西の門が滅多に開くことがないことを、リオンも王宮に出仕する者のひとりとして知っていた。

 その北西の門が開いて、リオンを招き入れたのだ。果たして、自分はどこへ連れていかれているのだろうか、リオンがそう思うのは無理ないことだとしても、向かいの席に座ったアデルは、向かう先は御者だけが知っていると答えるだけだった。

 降りた沈黙に馬の蹄鉄の音と、馬車がわだちを踏む音が響いて、やがてある建物の前で馬車は停まる。リオンが辛うじて足を踏み入れたことのある南園は、白壁と青い屋根で統一されていたが、北園は赤煉瓦の建造物で統一されているようだった。

 御者が開けてくれた扉からリオンは馬車を降りるが、アデルはそのまま馬車から降りることをしない。リオンをここへ連れてくることがアデルの任務であったのなら、彼の任務はリオンが馬車を降りたことで完遂したことになるのだろうか。

 ふたたび走り去る馬車を見送ったリオンだったが、背後の扉が突如として開いたことで、リオンは視線をそちらへと戻した。


「……驚かせてしまいましたか?」


 開いた扉から現れたのは、フード付きのマントを着込んだ男で、目深に被ったフードの下から青白い顔を覗かせてその男は抑揚もなくそう言った。

 どちらかというと、その男の格好に驚いたリオンであるが、まさか素直にそう言えるはずもなく、いいえと応じて男の反応を待つ。


「リオン・ハーンどの、あなたがくるのを待っていました」


 思いもよらない歓迎を受けて、リオンはますます警戒を強める。そんなリオンに男は冷やかな笑みを向けはしたものの、口に出しては何も言わないで、リオンのために身体をずらして扉をさらに大きく開いた。屋内へ入れという、それは無言の意思表示であるのだろうが、果たして足を踏み入れてもいいのだろうか。


「そんなに警戒なされずとも、あなたに危害を加えるつもりはありません」


 低い声音を冷淡に響かせて、青白い顔をした男は続けて言う。


「わたしは、宮廷魔導師長シュメール・レ・ヴァレントです」


 その存在を知ってはいても、リオンには縁のない存在で、姿を見るのが初めてのことなら会話するのも初めてだった。王宮に仕える何十人もの魔導師を束ねる長が自らリオンを出迎えてくれる、その異常さにリオンはただならぬものを感じた。


「リオンどの、こちらへ、宰相閣下がお待ちです」


 しかし、相手の素性がわかれば、リオンには従うしか術がない。

 余人の気配がまるで感じられないことが無気味であったが、リオンは前を行くシュメールの背中を追った。そして、長い廊下の突き当たりで、その歩みは止まった。

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