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第四章  帰らずの森 04

 急激に魔力を消費したことで、体力までも消耗させたリオンは、ふらつく身体を叱咤してエルマの姿を求めて背後を振り返る。そして、大樹の根元に座り込んだまま、動こうとしないエルマを見付けた。わずかに首を傾げて眠っているようにも見えるが、つい先ほどまで兎鬼ときの襲撃を受けていた状況で、眠ってしまえるほどエルマの神経は豪胆でないはずだ。


「……エルマ?」


 その名を呼んで、リオンは駆け出そうとしたが、リオンの意思に反して身体は思うに動かない。転倒しそうになったところを、ディールの太い腕に支えてもらって、そのままディールの肩を借りる。そうこうしている間に、レイシアとイズヴェルがすでにエルマの元へと駆け寄っていて、エルマの投げ出された両足を挟んで、左右からエルマを覗き込んでいた。

 レイシアが顔を上げて、リオンを振り返る。その類い希なる美貌を、申し訳なさそうにゆがめて、ゆるく首を振っている。いやな予感がリオンの背筋を伝って、リオンはディールを押しのけると、危なっかしい足取りでエルマの傍に膝を付いた。


「死にかけているだけで、まだ生きてるよ」


 物騒な台詞はイズヴェルのものだったが、言葉に反してその表情は真剣で、イズヴェルはエルマの額に片手を当てると小さく舌打ちした。

 そして、周囲を見渡してそこに落ちている自身の鞄を見付けると、それを片手で引き寄せて中を探りながらイズヴェルが言う。


蜘蛛百合草くもゆりそうの毒に、てられたみたいだよ」


 あそこ、そう言ってイズヴェルが顎をしゃくってみせたのは、エルマが寄りかかる大樹の根元だ。そこには、鮮紅色の細く長い花弁をした花が一輪咲いていた。この森にだけ咲く花で、反り返った花弁は蜘蛛百合草という名に似合わぬ美しさがある。

 しかし、同時に猛毒の花としても有名で、花を実際に目にするのが初めてのリオンでも、この花の存在は知っていた。花弁を開かせる瞬間に毒を一緒に吐き出すという、厄介な性分をした花ではあるが、一度開花してしまえば無毒な花でもある。


「わたしが、もう少し注意していれば……」


 魔法で炎を作り出すことに全神経を集中させたあまり、エルマに対する配慮を欠いてしまった。後悔に唇をかむリオンに、鞄の中から目当てのものを取り出したイズヴェルが言う。


「あんたの責任じゃないだろうに」

「わたくしもそう思う。リオン卿が、兎鬼を追い払ってくださらねば、エルマを発見するのはもっと遅くなっていたやもしれぬのじゃ」


 レイシアはそう言いながら、イズヴェルの意図を察してエルマの頭を支えると上向かせた。

 イズヴェルが鞄から取り出して広げてみせた包みの中身は、乾燥させた薬草のようで、それを小さくちぎるとエルマのわずかに開いた口の中に入れる。


「どうやら、毒を思いっきりよく吸い込んだようで、すでに熱がある」


 さらに鞄から小瓶を取り出すと、その栓を開けてイズヴェルはエルマの口に小瓶の中身を注いでいく。エルマの口の端から液体がこぼれたが、残りは無事に嚥下したようで、エルマの喉が上下するのがわかった。


「毒消しの薬草と熱冷ましの薬液を飲ませたけど、助かるかどうかは、残念だけど保証できない」


 熱のためか顔を朱に染めて、エルマは苦しげに荒い息を繰り返している。


「こういう時、魔導師がいれば……」


 そう言ったのはディールで、それはリオンに限らずイズヴェルにもレイシアにも共通する思いであったか。





 ふたたび馬の背に揺られて、深い森の中を進んでいく。

 帰らずの森を抜ければ時間の短縮になる、そう思ったからこそ、リオンはこの森に足を踏み入れた。リオンを含めて騎士が四人もいれば、危険はないだろうと判断した。だが、今現在、エルマを生命の危機に陥れたのは、判断を下したリオンだ。

 そのエルマはレイシアの腕に抱かれて、レイシアの馬に乗っている。魔法を発動させたことで、リオンの体調を慮ってくれたのだろうレイシアが、自ら申し出てくれた。確かに、目まいこそ治まったが、リオンの身体は極度の疲労を訴えてくる。エルマのことがなければ、睡魔の手に身をゆだねていたかもしれない。


「あとどれくらいで、森を抜けれるわけ?」


 その声にリオンは我に返って、顔を上げた。

 エルマがそれまで乗っていた馬の背から、イズヴェルが声を投げかけてくる。口調は常と変わらず軽いが、レイシアの腕に抱かれたエルマを羨むような言葉を口にしないのは、イズヴェルにも分別があるからだろう。


「あんたが疲れてるのはわかるんだけど、少しだけ急いだ方がいいと思うんだけどね」


 レイシアと馬を並べて、エルマの顔色をイズヴェルは窺っている。一刻も早く森を抜けて、町か村を見付ける必要がある。そこに神殿でもあれば医師がいるかもしれないが、小さな町や村では神殿など存在しないこともある。

 考えたくもない最悪が、リオンの脳裏をよぎっていく。


「助かる可能性は、まだあるよ」


 その言葉に力なくうなずいて、リオンは天を仰ぎ見る。緑のすき間から青い空がわずかに見えて、傾きつつある太陽が目指す方角を教えてくれる。


「……少し急ごうか」

「そうだな。もう一度兎鬼ときの群れに遭遇しても面倒であるし、兎鬼よりも厄介な獣もこの森にはいるというしな」


 リオンが言えば、先頭を行くディールが応じた。

 黒狼こくろう赤狼せきろうといったオオカミは、兎鬼とは比べようがないほどどう猛であったし、妖魔でも出現すれば今のリオンには逃げ出す体力もない。

 馬腹を蹴ってリオンが足を急がせたその時、レイシアが小さな声を短く上げて馬の足を止めた。エルマの容態に変化があったのだろうか、そんな思いに緊張して振り返ったリオンだったが、レイシアの視線はエルマにではなく、右後方を向いていた。

 そのレイシアの視線を追って、リオンもさらに視線を振り向かせる。


「……一角獣?」


 二本並んだ大樹のすき間に、白く浮かび上がる影があった。まるで警戒することもなく、一角獣は青い瞳をリオンたちに向けて微動だにしない。


「レイシアどの、どうする?」


 ディールの問いかけに、レイシアが首を横に振る。


「まだ見ぬ者よりも、目の前の生命いのちを救ってやりたいと思うのじゃ」


 その言葉が聞こえたわけではないだろうが、一角獣は白く輝く優美な肢体を翻すと、森の奥を目指して行ってしまった。それを名残惜しげに見送って、行こうかとレイシアが促してくる。


「レイシア、すまない」


 標的を前にしてエルマを優先してくれるレイシアに、リオンは頭を下げる。


「存在を確認したのじゃ。機会ならまたあろう」


 そう言って、エルマを抱え直すとレイシアは続ける。


「それに、これから陽は沈むだけであろう。一角獣を見付けたというても、夜の森の中を追いかけて行こうとは思わぬ」


 そして、レイシアが空を見上げるのに倣って、リオンも視線を上向かせる。夏の太陽はまだまだ高く昇っていたが、それでもずいぶんと西に傾いているのも確かだ。

 急ごうか、今一度繰り返して、リオンはふたたび馬の足を進める。

 さらに森を抜けるまでに、親指ほどの大きさをした蜂に似た蜂虫を怒らせて、その追撃にあった。蜂虫の巣があることに気が付かないまま、間近を通ったことが蜂虫を怒らせたようだった。ただ幸いなことに大きさに反して毒性は低く、刺されても軽いしびれとかゆみをもたらすくらいだったが、それでも大量に刺されればそれなりの痛手にはなる。

 蜂虫の追撃を振り切ったのは、森の終わりが見え始めたころで、そのころにはリオンを含めて、誰もが少なからず蜂虫に刺されていた。

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