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第四章  帰らずの森 02

 森の中を流れる小さな沢を見付けて、そこで遅い昼にする。

 沢の水の安全を確かめた後は、その水を用いてエルマが米をといで、食事の仕度にかかる。一行の中で、唯一「騎士」の能力に恵まれなかったエルマには、食事を整えることが自身に課せられた、最大の使命だと思えるようである。

 実際のところリオンには炊事の経験がなかったし、各地を傭兵として回ってきたディールにしても、三度の食事は雇い主の方が用意してくれるので、これまた自信がない。イズヴェルも放浪してきた間に、それなりに飯を炊くことは覚えたようであるが、面倒の一言でエルマに任せている。

 リオンがいつかエルマに語った、エルマにしかできないことを、レイシアが手伝うことで粥が炊き上がる。石を積んだだけの炉にかけた鍋からは、米の炊き上がった匂いと、温かな湯気が立ち上って、エルマが木の碗に鍋の中身をよそっていく。

 炊事以外にも掃除に洗濯と、家事の全般をハンナに着いて学んだ、エルマの手際はレイシアも感心するほどだった。


「はい、リオンさま」


 そう言って、エルマは碗をリオンの前に差し出す。次いでディールに碗を渡して、レイシアによそってからエルマはイズヴェルに碗を渡して、最後に自身の分をよそう。

 鍋を囲むようにして車座になって、それぞれがそれぞれの碗にさじを入れる。


「こうして毎日、レイシアどのの手料理をいただける、おれはそれだけで幸せだ」


 そんな言葉を口にするのは、もちろんイズヴェルで、よせばいいのにレイシアがそれに応じる。


「わたくしは、鍋をかき混ぜていただけじゃ。それ以外は、味付けからすべてエルマがしたこと」


 だから、レイシアの手料理にはならない。だが、レイシアの主張に、イズヴェルは反論する。


「鍋をかき混ぜながら、レイシアどのはおれへの愛を、一緒に混ぜ込んでくれたんだな」

「呪詛なら込めておいたがの」

「ん? それは、おれのことを呪い殺したほど好いている、と言うことだな」

「呪い殺したいのはまことであるやもしれぬが、好いてはおらぬ故、安心してもよいぞ」

「またまた、心にもないことを」


 そう言ったイズヴェルの目の前に、お代わりの言葉と一緒にディールの腕が伸びてくる。そして、反対側からはディールが差し出す碗を受け取るために、エルマの手が伸びてきて、イズヴェルの鼻先で碗がエルマの手に渡る。

 雰囲気も何もない光景は、ふたたび今度はエルマの手から碗がディールに渡るために、イズヴェルの左右からふたりの手が伸びてくる。憮然とするイズヴェルの視線の先では、何事もなかったかのように、レイシアが匙を口に運ぶ姿があり、そのとなりで足を組んで座っているリオンが、鍋を越えて手を伸ばしてこちらもエルマにお代わりを要求している。


「イズヴェル、食わないのなら、おれがもらってやろうか?」

「せっかくのレイシアどのの手料理を、もっとよく味わって食べようという気にはなれないものかね?」


 ディールから碗をかばうように身体を横に向けて、イズヴェルが負け惜しみのように口にする。


「誰が作った料理でも、味は変わらんと思うが?」

「だったら、あんたはその辺の草でも食ってろよな!」


 何を怒っているんだ、ディールがつぶやいて、まだ粥が残っている碗の中に、今度は自ら三杯目をよそう。そんなディールの手から杓子を奪うと、イズヴェルも負けじとばかりに粥を碗いっぱいによそう。

 そして、それをかき込むように食べる様を、リオンはあきれ顔で見やる。さらに、イズヴェルがむせ込むのを見てリオンが小さく溜息をこぼす視線の先で、エルマがイズヴェルに水筒を差し出した。


「世話の焼ける男じゃ……」


 ゆるく首を横に振りながらレイシアがつぶやいて、ディールはイズヴェルの背中をたたきながら笑い声を上げる。

 こうして、賑やかな食事も終わり、ふたたび馬にまたがると森の中を進んでいく。順調に行けば、今日の夕方には森を抜ける予定である。





 吹き抜ける風は頬に心地よくあったが、その風に乗ってもたらされるいやな気配は、リオンだけでなく騎士に生まれた他の者も、同じように感じ取ったようだった。エルマにはリオンが言葉で伝えることで、危険を教える。

 森も深部にまで踏み入っているためか、緑もいっそう濃く感じられ、鳥の鳴き声も鋭さを増したように聞こえるのはリオンの気のせいであったか。


「……リオンさま、妖魔ですか?」

「違う。だが、確実に何かがいる」


 エルマの問いに答えながら、リオンは周囲に視線を巡らせて、手綱を引くことで馬の足をゆるめる。周囲の大気が緊張をはらんで、樹上でうごめいていた小動物も気配を隠すように動かなくなる。

 瞬間、リオンの視線の先を黒い影がよぎった。


兎鬼ときか……っ!」


 黒い影の正体をディールが明かす。

 妖魔が在来種と交配した結果、産み落とされたのではないか、そう言われるだけあって、兎鬼は漆黒の被毛をした額に小さな角を持つウサギである。角の色が白いため、全身が漆黒である妖魔ではない。だが、その目が赤いのは元来がウサギであるからか、妖魔の血筋を受け継いでいるからなのかは不明である。

 ウサギ同様に長い耳を持ち、後ろ脚をバネにして撥ねる兎鬼であるが、跳躍力は普通のウサギよりもはるかに勝って、人の身長の二倍から三倍は撥ねるとされている。そして、その両手にはどう猛な肉食獣さえも襲うことのできる鋭い爪があり、骨を砕くことのできる頑丈な顎と歯を持っている。

 数十匹から多ければ三桁で構成される群れを作って暮らす兎鬼は、もちろん狩りをする時も群れで行う。


「すでに囲まれたようだ」


 ディールが続けてそう言って、どうするかとリオンに問いかけてくる。それに対して、馬の足を完全に止めてから、視線を正面に見える緑の茂みに向けてリオンは答える。


「追い払うしかないだろう」

「これだから、この森に足を踏み入れるのはいやだったんだよな」


 緊張感のない声がリオンの背中から聞こえて、次いで盛大な溜息がリオンの首筋にかかる。その不快感を振り払うかのように背後を振り返ると、リオンはうなだれるイズヴェルに言う。


「ここでいいところを見せれば、レイシアのあなたに対する評価も変わるかもしれない」

「ほお、なるほど、その手があったか……」


 リオンの言葉に何を思ったのか、顔を上げたイズヴェルはその表情を輝かせると、馬の背から軽やかに飛び降りる。そして、肩から斜めにかけている鞄を外すと、それをリオンにあずけてくる。


「イズヴェルがひとりで兎鬼の相手をしてくれるのか?」


 そう言いながらも、ディールの視線は真っすぐ前を向いているのは、兎鬼の気配がそれだけ間近に迫っているからだ。リオンも視線を巡らせながら、イズヴェルから押し付けられた鞄をエルマに渡して、いざとなれば皆の馬を頼むと伝える。

 リオンがエルマにささやいていれば、レイシアがリオンを呼んで言う。


「リオン卿、この場はイズヴェルが引き受けてくれるそうじゃ。その心意気に応えて、先に進むべきではないかと思うが、いかがか?」

「ちょ、ちょっと、レイシアどの?」


 せっかくの見せ場にレイシアがいないのでは意味がないイズヴェルが、焦りをにじませてレイシアの馬に近付く。それに、冗談じゃと短く答えてから、くるぞとレイシアは続けて自らも馬を下りると腰の剣を抜く。

 ほどなくして、最初の一匹が大樹の陰から姿を見せて、レイシアに襲いかかる。それを表情ひとつ変えることなく、レイシアは一刀のもとに斬り捨てる。

 それを機に、兎鬼はいっせいにリオンらに襲いかかってきた。

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