第三章 新たな出会い 02
明るかった空もいつの間にか薄暮に染まって、一日の役目を終えた太陽が、西の彼方にその姿を隠そうとしていた。軒を連ねる家々の窓には、温かな光が灯り初めている。そうした暮れ始めた空の下で、溜息した男が顔を上げるとリオンを真っすぐに見返して口を開く。
「掏摸と盗っ人を一緒にするって、あんたわかってないね」
「どちらも同じ穴の狢だ」
リオンがそう言えば、男は違うと言って続ける。
「盗みは下種だが掏摸は芸術だって、あんたは知らないのか?」
「わたしが知りたいのは、この町にある警吏の詰め所だけだ」
「洒落の通じない人だな……」
男はそう言って、頭を掻く。その仕草が何やら莫迦にされているようで、リオンが眼光鋭く男をにらめば、男はとぼけたように笑顔を返してきた。
「あんたあんまりお堅いこと言ってると、女に嫌われるよ」
「軽薄な男が好きだというのなら、こちらから願い下げる」
「ま、あんたの女の趣味なんてのはどうでもいいからさ、飯でも食わせてくれない?」
一向に悪びれる素振りもなく、男はそう言うと小首を傾げてみせる。金環の耳飾りが揺れて、男は笑みを深めるとさらに言葉を重ねた。
「あんたの手によって警吏に突き出されたら、もしかするとこれが娑婆で口にする、最後の食事になるかもしれないんだ。何かご馳走してくれても、罰は当たらないだろうと思うよ」
「どういう理屈だ」
しかし、男の笑顔はどこか憎めない、愛嬌さえ感じられる。それにほだされたわけではないが、今度はリオンが溜息して言う。
「わかった、『虹の橋』亭に案内をしてくれるのなら、何か食べさせてやってもいい」
リオンの言葉に男は小気味よい音を立てて指を鳴らすと、それじゃ行こうか、とリオンに手をにぎられたまま先に立って歩き始めた。そして、三歩ほど進んでからリオンを振り返ると、自身の手首を見やって男が言う。
「あのさ、おれ、逃げたりしないから放してもらえない?」
「逃げないという保証は?」
「少なくとも、飯をおごってもらうまでは逃げないよ」
人を食ったような物言いは、ひどく腹立たしかったが、リオンは男の手を離した。たとえ男が騎士の生まれであったとしても、リオンには男を逃がさないだけの自信があった。それに加えて、男の言葉に嘘があるように思えなかったのだ。
根拠も確証も何もないが、その言葉だけは信じてもいいと思わせる何かがあった。
ただし、エルマはリオンを見上げて、人がよすぎるとリオンを非難した。
*
無数の灯火が照らす「虹の橋」亭の店内では、給仕の女が盆を片手に、卓と卓の間を忙しなく動き回っている。二〇はあるだろう卓台には四から五脚の椅子が添えられて、そのほとんどが客でうまっている。二階と三階が宿屋になっているということだが、客のすべてが宿泊客ではないのだろう。
食事する音と会話する声で満たされた空間に足を踏み入れて、部屋の有無を確認した後に、リオンは空いているもっとも奥の席を占める。イズヴェル・シューツとリオンに名乗った男は、さっそく給仕のひとりを呼び止めると、献立表を卓上に大きく開いて注文を告げていく。
ディールがこの後合流するのだとしても、四人でこれだけの量を食べられるのだろうか、と危ぶむほどの数を注文してから、献立表から顔を上げると給仕の女を上目遣いに見上げてイズヴェルは続けた。
「……それから、最後にきみを注文しようかな?」
そう言ってイズヴェルが片目を閉じて、金環の耳飾りを揺らしてみせれば、女は一拍おいてから目元を朱色に染めた。結局は何も答えることなく踵を返して、女は視線だけ振り向かせた。イズヴェルは愛嬌いっぱいに笑って軽く手を振ってみせたが、それに女がどう思ったのかはリオンの想像が及ぶ範疇を超えていて、推測することは不可能だった。
リオンが溜息する向かいの席で、イズヴェルは満足そうに耳飾りを揺らして、リオンのとなりではエルマがそんなイズヴェルを無言でにらんでいた。
「あなたは、いつもこんなことをしているのか」
「こんなことって?」
「先ほどの、彼女にしたようなことだ」
リオンが言えば、イズヴェルは納得したようにうなずいてから頬杖を付く。
「この世の中には、男と女の二種類しか存在しないんだ。だったら、お互いに楽しむべきだと思わない?」
「つまり、あなたは女なら誰でもいいのか」
「年増より妙齢の、醜女より美女の方が、おれは好きだけどね」
まるでリオンの方こそ節操なしに聞こえそうな言い方をして、イズヴェルは愛想よく笑ってみせる。それに対して、リオンが抗議しようと口を開きかけた時、背後からディールのリオンを呼ぶ声が聞こえて、リオンは口を噤んだ。
「リオンどの、こちらは?」
怪しむようにイズヴェルを見やって、ディールがそう問うのに、リオンはイズヴェルをにらんで答える。
「掏摸だ」
「あのね……」
「食事が終わり次第、警吏に突き出す」
そう言ったリオンに、ほう、とディールは口にして口角をわずかに上げるとイズヴェルに視線を向けた。そして、イズヴェルのとなりにディールは座ったが、それを疎ましげに見やりながらイズヴェルが言う。
「断っとくけど、おれはあんたから何も盗ってないよ」
「だが、他の者からは盗んだのではないのか」
「だったら、その証拠はあるわけ?」
余裕さえにじませてイズヴェルはそう言うと、料理を運んできた先ほどとは違う女に、きみ可愛いね、と愛想を向けて立ち去る女に手まで振ってみせる。それにあきれるリオンに、イズヴェルは大皿に盛られた、鶏肉の香草焼きを一切れフォークに刺して続ける。
食欲をそそる香草の香りが、温かな湯気と一緒に立ち上っては空中で霧散していく。
「あんたがいくらおれを掏摸だと主張しても、おれはあんたから何も盗ってはいないわけだから、ただの言いがかりでしかないわけだ」
そして、鶏肉にかじり付くと、租借しながら、あんたも食べたら、とリオンに勧めてくる。そうはいっても、後で支払いをするのはリオンであるのだろうから、イズヴェルに大きな顔をされるいわれはない。
他の料理も次から次へと運ばれてきて、イズヴェルは追加で葡萄酒までも注文する。
「わたしの懐に手を入れようとしたのも、ただの言いがかりだと言うのか」
「それは、あんたの勘違いってことで、おれは無罪放免」
だから、自分を警吏に突き出すのは時間と労力の無駄だ、とイズヴェルは主張して葡萄酒を酒杯に注ぐと一気にあおった。
「……それで、無罪放免になった後、あなたはどうするのか?」
いつの間にか、最後のひとつとなっている鶏肉を、自身の取り皿に確保してリオンはそう言った。リオンのとなりで無言で頬張るエルマが、それを妬ましげに見やったのがわかったが、リオンにゆずる気はない。
ちなみに、ディールの皿にも鶏肉が二切れほど乗っているが、ディールもエルマに分けたりはしないだろう。燻製された豚肉に、生野菜を盛り合わせただけのサラダに手を出しながら、ディールが口を挟む。
「他に獲物を探すのだろう?」
「無事に晩飯にもありつけたことだし、今日の営業は終わりかな」
そう言ってイズヴェルはリオンの皿にある鶏肉を、自身のフォークに突き刺すとそれを口の中に放り込んだ。味わうようにゆっくりと租借して、満足そうに飲み込むと酒杯に新たな酒を注いで言う。
「あとは、今夜一夜の恋の相手を探すだけ……」
そして、酒杯の中身をあおると、ご馳走さん、と言ってイズヴェルは席を立つ。
「もう食わないのか?」
そう言ったのはディールで、イズヴェルはリオンを見やって答える。
「どれだけ美人でも、男に興味はないんでね」




