第三章 新たな出会い 01
緑雲山脈の連なりのひとつであるラギ山を超えて、リオンはクロンという町の防壁をくぐる。太陽はすでに西へと傾いており、大地の上には長い影絵ができていた。同じように山を越えてきた者、または山を迂回してきた者、さらには明日の早朝にでも出発するためか、門をくぐったすぐの広場には多くの人であふれていた。
リスターを頭とする隊商の一行の旅は、ここで終わりのようで、リスターはリオンに対して自身の主に是非とも会ってほしいと懇願してきた。一緒に謝礼も払いたいということだったが、リオンがその申し出を断れば、リスターは簡単に掌を返してみせた。
リスターも商人の端くれであれば、可能な限り出費は避けたいのだろう。そうですか、と表面上は残念そうにしながらも、再度リオンを誘おうとはしなかった。
「金銭はあって邪魔になるものでもなし、もらえるものはもらっておいた方が得ではないか?」
リオンにそうささやいたのはディールで、リオンが返答に窮して苦笑すれば、それに肩をすくめてからディールは言葉を続けた。
「この通りを真っすぐ行ったところに、『虹の橋』亭という食堂を兼ねた宿屋がある。気のよさそうな男が亭主をしている、おれのなじみの店だ」
もらうものをもらったら、そこへ行くので先に行って待っていてほしい、そう言うとディールはリスターを追いかけて行ってしまう。町を囲む防壁の、唯一外部に通じる門の前で、リオンはエルマと顔を見合わせて溜息をした。
勝手なことを言う、というのがリオンのディールに対する偽らざる感想だったが、ディールにはリオンが目指す場所を教えている。ここでディールを捲いたところで、行き先を知っていれば後を追ってくるかもしれない。それとも、ここで置いていけば、縁がなかったのだとあきらめてくれるだろうか。
閉門の刻限が近付きつつあることを声高に告げている衛兵と、あとは暮れるだけの空を見比べるリオンにエルマが不満の声を上げた。
「さっきの騎士さま、リオンさまは待たれるんですか?」
「エルマは反対か?」
「リオンさまに馴れ馴れしすぎです」
そう言って口をとがらせるエルマに、リオンは微笑を向けてから馬の手綱を引いて歩を進めた。そそり立つ防壁との間に馬車では通れないだろう狭い裏通りがあって、それがディールが示した方角だった。一方が防壁なら、その反対には職人の工房が並んでいるようだったが、今日の作業は終了したようで、どこも扉が閉まっていた。
そうした中で賑わうのが酒場であるようで、陽気な歌声を店の外にまで響かせていた。その歌声に導かれるようにして、数人の男たちが店の扉をくぐっていく。見上げた看板には「この世の終わり」亭という、何やら物騒な名が書かれてある。
どう見てもディールが指示した店とは異なり、リオンがその店の前を通りすぎれば、エルマの不満そうな声音がふたたび聞こえてきた。
「やっぱり、あの騎士さまを待たれるんですか」
「ディールは、そんなに悪い御仁ではない」
「そんなの、わかってます!」
自分とは違ってディールは騎士であるから、リオンの助けにだってなれるだろう。身の回りの世話しかできない自分とは、雲泥の差がある。それはわかっているのだ、とそういった趣旨のことを迂遠な表現を使ってエルマは口にした。
そして、その最後にささやくような小声で口にした言葉が、エルマの本心であったかもしれない。
「……あの騎士さまと比べたら、おれなんて、ただの足手まといだ」
「それでも、わたしに着いてくると言ったのは、エルマではなかったか」
そう言われて返答に窮したのだろう、エルマは顔をうつむけて、歩調までもゆるめた。ひとりの男が足早に追い越していって、リオンはエルマと歩調を合わせると言う。
「エルマは、エルマにできることをすればいい、そういうことだ」
「おれにできることって?」
「いずれわかる」
明言を避けたのはそれより他に言いようがなかったからであり、歩調を速めたのは視線の先でうずくまる若い男の姿を認めたからだ。防壁に片手を付いた男は、そのまま崩れ落ちるようにして大地に膝を付くと、背中を丸めて顔をうつむけたのだ。
それまで確かな足取りで歩いていたのだから、酔っ払いではないだろう。急に気分を悪くして動けなくなったのではないか、そう考えたリオンは自身がにぎる馬の手綱をエルマにあずけると、男の元へと足を急がせた。
「いかがした、気分がよくないのか?」
うずくまる男にリオンが身を屈めて問えば、男は苦しげな顔をわずかに上げた。その男は年のころならリオンと同じか、少しだけ年上といったところで、黒味を帯びた赤い髪と紫の瞳をしていた。美青年と呼ぶよりも好青年と評する方が相応しい容貌は、どこか憎めない人懐っこさが感じられた。
そして、男の両耳には金環の耳飾りが揺れていて、それが男の出自がリアンデル王国ではなく、今はもう存在しないエイドリア王国の民であることを無言で物語っていた。
エイドリア王国もまたアシュタール王国同様に、リアンデル王国に滅ぼされたふたつの国の内のひとつである。国内に有数の金鉱を持っていて、その王宮は黄金宮とまで呼ばれたとリオンは聞いている。柱や壁が金色に統一されているわけではないが、この国の富を羨んだ周辺諸国が勝手に命名したのだ。
そして、あふれんばかりの富を欲する国々とは、常に緊張状態にあり争いも絶えることはなかった。リアンデル王国とは国境を接しない隣国、ゴザ王国と長い戦で疲弊したところをリアンデル王国に攻め滅ぼされ、黄金宮は現在リアンデル王国の離宮となっている。
「急な発作が起きたようで、少し休めばよくなるのだが……」
成人したその証拠に、エイドリアの民は自身の耳に穴を開けて、そこへ金環の耳飾り通す。それは金脈で栄えた国の民の誇りであるのかもしれない、その耳飾りを揺らして男はそう言うと胸に手を当てた。
どうやら胸が苦しいのだろうと当たりを付けて、リオンは男に肩を貸しながら言う。
「この先にあるらしい『虹の橋』亭で、待ち合わせをしているのだ。そこは宿屋も兼ねているということだから、そこで少し休むといいだろう」
そう言って男の身体を支えて、リオンが男を立たせれば、男は足をふらつかせてリオンに向けて倒れ込んでくる。リオンほどではないが、細身の男の身体を受け止めたリオンだったが、次の瞬間には男の右手を後ろ手にひねり上げていた。
「いっ……!」
男が短いうめきを上げて、エルマが駆け寄ってくる。
「わたしの懐から、何を奪おうとした?」
「リオンさま?」
「エルマ、この男はどうやら掏摸の類いのようだ」
「ま、待て、誤解だ!」
男が苦痛に顔をゆがめて、訴えてくる。それを冷ややかに見返すリオンから、男は視線を逸らすと言葉を続けた。
「おれは本当に目まいを起こしてだな……」
「目まいが起きたら、あなたの手は人様の懐へ入り込むのか」
「それは、出来心というやつだな」
「つまり、認めるのだな?」
そう言ってリオンがさらに男の腕をしめ上げれば、男は悲鳴を上げて、それを聞き付けた数人の通行人が足を止めたが、関わることを厭うようにすぐに立ち去っていく。
「だからちょっと待て! 今のはほんの軽い冗談だ!」
警吏に突き出すためリオンが男の手を引いて歩き出せば、男は手を振り解こうとしながら、その顔に焦りを浮かべてリオンに再度訴えてくる。
「あんたには冗談を理解する、心のゆとりはないのか!」
「盗っ人相手に、そのようなものは持ち合わせない」
リオンがそう応じれば、男は盛大な溜息を吐き出して顔をうつむけた。




