09.配管工に敬意を込めて
「カイ――さん?」
「ああ、カイさんだよ。召喚一発すぐに駆けつけのデリバリー勇者だよ」
「どう、して……?」
「どうしてって、ミチアが呼んだんじゃねぇか。まったく……もっと早く呼んでくれれば、すぐに探し出せたのに」
おかげでこのダンジョンほぼ踏破しちまったよ――と、そう愚痴を零すカイに、ミチアはようやく入り口でのことを思い出した。
スキル:地獄耳。たしか彼は、異常なほど耳が良かったはず。
だから最初にはぐれたとき、大声で助けを呼べば良かった。たったそれだけで、こんな事態にならずに済んだはずなのだ。
「あ、あれ――」
と、自分でも思わず声が出るほど、ミチアの瞳からポロポロと涙が零れた。
ただし、これはさっきまでのものとは違う。同じ瞳から出ているのに、今度のはすごく温かい。
しかし、そんな安堵の時間も長くは続かなかった。
壁際からガラガラと瓦礫を崩れる音が鳴り響くと、鉱山蟹がその巨体揺らし、ズゥン、ズゥンと再度こちらへ向かって歩き出してきた。
だが、明らかに狙いはミチアではない。その目は、カイのことしか見ていない。
逃げてください。危険です。
ミチアが、そう叫ぼうとしたときだった。
「何本やられた?」
鉱山蟹の鋏に引っかかったままの裾を見て、カイはそう訊いてきた。
そして、ミチアのむき出しになった手足にちらりと視線を送ると、それを顔に戻し、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「何本やられた?」
「え? 何本?」
「何本――いや、何回でもいいか。とにかく、手足をいくつやられた?」
「え、っと……三本、ですけど」
「そうか」
と、最後の言葉が聞こえてきたのは、鉱山蟹の足元。
ミチアはもちろん、隣の鉱山蟹もカイの出現に驚きを隠せていない。その動きは、まるで捉えられなかった。
そして、それとは真逆な悠然とした動きで構えると、彼はその拳を打ち放った。
「一本! 二本! はい、三本目!」
まるで卵の殻を叩き割るかのごとく、鉱山蟹の柱のような脚をカイが砕き折っていく。
しかも、片側の三本を。
だから当然、バランスを崩し、その身体を地面に落とす鉱山蟹。ズゥゥンという、ひと際大きな地響きが立った。
これでもう、まともに動けはしないだろう。
完全に動きは封じた。
そう安心した――安心してしまったミチアは、その瞬間になってようやく思い出した。
動きを封じられるのは、カイだけではないことに。
――ブブブブブクブブ!
鉱山蟹が口を激しく振動させ、麻痺の泡を吹き出した。
しかも今度は、線ではなく面に広がる泡。だから距離こそないものの、鉱山蟹を中心としたその一帯は、一瞬にして泡の塊と化していた。
そしてもちろん、その中にはカイもいる。
(あぁ、どうしてまた私は……)
と、ミチアは自身の愚かさを嘆いた。
巨大な姿につい気を取られてしまうが、鉱山蟹にはその特殊能力があった。そのせいで自分も、このようなことになってしまったのだ。
だったらどうして、それを先に言わなかったのか。安心している場合じゃないだろう。
そんな自責の念が、腹の底からこみ上げてきたところだった。
泡の中から、声が聞こえてきたのは。
「麻痺属性か。まあ残念ながら、耐性最大の俺には無効だけどな」
徐々に弾け、消えていく泡の中から現れたカイは、そんなことを言いながら、平然とそこに立っていた。
これにミチアはまたも驚き、そして鉱山蟹は怒りを露わにする。人語を理解していないはずの相手だけど、それだけはしっかりと伝わってくるようだ。
だから次の瞬間、カイの頭上には巨大な鋏が、力任せの鉄槌のように降り注いだ。
「――……え?」
そう零したのはミチアだ。
だって、巨大な鋏が重量を失ったかのように軽く、反動も衝撃もなく受け止められたら、誰だって驚きの声を漏らす。しかも、それが片手ならば尚更。
だが、それが当然であるとばかりにそのままの状態で、カイはミチアに向かってこう言い放った。
「いいか、ミチア。亀と栗キノコに続き、蟹の正しい倒し方も教えといてやる」
そう言って、空いているもう片方の拳を、鉱山蟹の胴体の下に潜らせたカイ。
そして、鉱山蟹がもう一本の鉄槌で反撃しようとしたのと同時に、彼は今一度それを打ち放った。
「まず、二回突き上げる。一回じゃダメだ」
ドドン――と響いた音と共に、鉱山蟹の巨体が宙に浮かぶ。
カイの言う通り、連続で二回、殴り上げたのだろう。もちろん、ミチアの目には何も捉えられていないが。
そして空中で半回転し、ひっくり返った状態で地面に叩きつけられた鉱山蟹に向かい、今度は蹴りの構えを取りながら、カイはやはり淡々と続けた。
「そして、ひっくり返ったら、そこを蹴り飛ばしてぶっ倒す」
片足を胸元まで上げ、キリキリと弓矢の弦を引く音すら聞こえてきそうなほど、身体に引き付けるカイ。
格闘術の心得がないミチアにだって、力を溜めているのだと分かる。そしてその表情に、燃えるような感情が浮かび上がってきていることも。
だから数瞬後、弾けた空気の振動と怒りの声をミチアは、今度こそ多少の心構えを持って受け止めることができた。
「――ウチの仲間に何してくれてんだ、この蟹野郎がぁぁぁああああ!!」
真っ直ぐに吹き飛んだ鉱山蟹が壁に激突し、砕け、色鮮やかな宝石の欠片が宙を舞う。
そんな光景を背中に、カイは笑ってこう締め括るのだった。
「以上、蟹の正しい倒し方。なお、ヒゲと帽子があれば、さらに良し」