飛鳥
少しずつ風化していきそうなので、思い出と思ったことを残しておこうと思います。
あの子と私の13年。
初めて出会ったのは今から15年前でした。中学に入学する前に妹と母を説得して、すぐにうちに来てくれたこと、ちっちゃ!と呟いたことは今でも覚えています。当時は小学生の妹でも簡単に抱えられる小さな小さな存在に、浮かれ、和んで、そして癒されました。飼い方、しつけ方、飼い主の責任といった難しいことは全く考えずただその存在だけで満足していました。
写真を見返すと、いつも両手で大事そうに抱えるものばかりでした。
生後1年になる頃、それまで部屋飼いだったのが庭と車庫奥のつながる場所に犬小屋を置き、外飼いになりました。私といえば、中学で部活を始め我先にと見ていた面倒を放り投げ、妹も中学受験の準備を始めるなどして、その頃には姉妹揃って母に面倒を押し付けていました。それでもたまには散歩をしたりはしていましたが、やっぱり一緒に過ごす時間は少なくなりました。
写真も抱きしめる写真はなくなりました。
中学を卒業し、高校に入り、高校を卒業し、大学に入り、大学を卒業し、就職をし、上京をする。ここまでで約10年。面倒を母に押し付けたまの10年でした。
私があの子にできたことは、
たまに散歩に行くこと。
たまにリードを外して庭を開放してあげること。
たまにお風呂に入れること。
たまにごはんをあげること。
たまにブラッシングしてあげること。
たまにマッサージをしてあげること。
たまに病院について行くこと。
たまにドライブすること。
できたことは数えるほどしかありません。
10年以上も同じ場所にいたのに。
上京してから何度目かの里帰りの時期には目も見えなくなり、足腰も弱り、顔に白い毛が増えてとてもとても老いていました。
そんなに変わっているなんて思いもしなかった。少しずつ衰えていくのは、たまに行く散歩でなんとなく見ていたけれど、本当にあの子なのかと目を疑いました。リードを強く引っ張り飼い主を何度も転ばせたあの子はもうどこにもいなかったのです。
これで最後かもしれないと思うようになり、里帰りの時には必ず1時間程一緒にいて身体を撫でるようにしました。
年齢を重ねたあの子は夜中に寂しくて鳴くようになって玄関先に寝床を作って休ませていました。昼間は犬小屋から出てきてくれないので、家に入れてからはその時間帯は特に一緒にいました。普段撫でられることはそんなにないせいか、最初は嫌がるように立ち上がって逃げるように壁にもたれて足を突っ張らせているのですが、ある程度慣れてくると仕方なさそうにされるがままに逃げるのをやめて身体を摺り寄せてくれます。もしかするともたれる壁代わりかもしれません。自己満足です。でも、あの子にできることは昔のように撫でてやることしか私には思いつきませんでした。いつもより少しだけ長く身体を撫でてまた東京に戻りました。
それから1ヶ月後に母から連絡を受けました。
会社からの帰りの電車の中で、座席に落ち着いてメールを見た瞬間。
ダメでしで。
止められませんでした。
俯いて見られないように、声が出ないように口を噛んで、震えないように深く呼吸しました。
それでも、止められませんでした。
帰ってから母と連絡をし、妹も帰ってきて、3人で話をしました。
母は私と妹が連絡をしない間に全て終わらせたこと、担当者が飼い主を思いやってくれてとても良い人だったこと、あの子の思い出として一部を残したことを話してくれました。
電話を切った後、妹と話をしました。
私が最後に見た様子と彼女は何もしてこなかった後悔と母から送られた写真について。
足を投げ出して目を閉じて、お気に入りのクッションに頭をのせて。
最後はあの子だけの写真になってしまいました。
あの子が亡くなってから数年経ちましたが、まだ傷が癒えないのか当時を思い出すとまだ涙が止まりません。そして、亡くなった当日は身体も心も塞いでしまい、何もできなくなるのです。
私でこうなのだから、可愛がっていた母はもっと辛かったでしょう。
当たり前にある物が当たり前にずっとあり続けることはありません。
家族、ペット、友人、親戚など身近にあればある程、邪険にしたり面倒に思ったりしがちですがどうか忘れないでください。大切なんだということを。
読了ありがとうございます。お疲れ様です。